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2020年5月23日土曜日

海


家にいるようになってから、近くの海まで自転車で散歩に行くようになった。
往復でちょうど1時間。子供との散歩&エクササイズにちょうどいい。




海に行く途中に、森に囲まれたただっぴろい空き地があって、
パンデミックに突入した時は、まだ葉っぱがまばらだった森が
今はもう新緑を過ぎて夏の準備をしているように感じる。

思えばこの2ヶ月は眠っていたような気もするし、
夢だったような、現実だったような、なんだか幻のように思う時がある。

みなさんはどうかわからないのだけど、
私は規制緩和が始まり、社会が動き出そうとしている今のほうが、
パンデミックのど真ん中に居たときよりも心がグラグラする。

自分の心に聞いてみると、
「前みたいに忙しい生活に戻るのが怖い」
と言っている。

耳障りのいいことを言うようだけれど、

また空に飛行機が飛び回り、海にエンジンボートが行き交い、
人気のハイキングトレイルに人が集中し、
今は見える遠くの景色がぼんやりと霞んでくる


と想像すると、胸がずーんと重くなる。

何も私は、「地球の痛みが自分ごとのように苦しい」と言いたいのではなくて、
自分も地球の一部だからこそ、
そんな日常の中に、自分の身を置くのだと思うと苦しくなる。


3月のブログで「涙」という記事を書いたのだけど、
この2ヶ月で「受容ー調整ー適応ー出発」というプロセスを一回りして、
また一段上がった「受容」ステージにやってきたのかな。

今の気持ちは、あの時の感覚や悲しみと似てる。

と、そんな事を言っていても、山奥でひっそりと暮らしているわけでもないし、
社会も時計の針も止まらない。

しょーがないかあ、と、私も変化に向かって準備をする。
少しずつ少しずつ。

その合間合間に海に行く。

子供をそこら辺に放って、少し瞑想する。
ただ息を吸って、ただ吐く。
今と繋がる。
今の自分と繋がる。






こういう時に海が近くにあってよかったあって思う。

海は止まらない。常に。流動的に。
海を見ていると、変化への受容を促してくれるように思う。

「諸法無我。諸行無常。忘れるなかれ。そして進め。」

と大きなところから言われているような。

そして、潮の満ち引きを目で見て感じることで、
月と地球と繋がってることを、体感する。





2ヶ月間、体と心がお休みできてよかった。
地球や動物も、少しばかりの休息になっていたらいいな。
身の回りにある森や植物や自然にいっぱい癒やされたな。
ありがとう。そしてこれからも。






こうやって書いているくらいだから、
私の中でも次のステージに向かって、ある程度の覚悟はあるのだろう。


さあ、顎をあげて、次のステージに向かって、しゅっぱーつ!だー!

2020年5月14日木曜日

Heartmap + Creative Writing Art Night のススメ

先日スカイプのミーティングツールを使って、
「Heartmap + Creative Writing Art Night」を開催しました。









Heartmapとは、いくつかの質問に対する答えを、
「ハートの枠の中に、キーワードか短い文章で表現し、
その言葉と一緒に浮かんでくるイメージを描く」というアートワークです。

もともと、Heartmapというアイデアは、Georgia Heardというアメリカの作家さんが、
子供のインナーワーク+クリエイティブ・ライティングのツールとして考案したものです。
これが、たまたまうちの子供の学校の課題だったのですが、子供と一緒にやってみたらなかなか面白くて、
これ大人がやっても有意義だなと思い、それならば、お仲間を集って一緒にやりたい!と思い、友人知人に声をかけたというのが会を開いた経緯です。

今、私達はなかなかユニークな時代を生きていて、

特にこの5月は制限緩和に向けて、BC州が動き出しているところでもあるので、
3月の衝撃とはまた違ったメンタルを経験してる人も多いのではないかと思います。


なので、ハートマップ作って日記の1ページとして、後で見返しても面白いし、
表現アートセラピーという心理療法があるように、心の中を自分の外側に出す・アート(表現)することで、心がスッキリするという効果もあります。

以下やり方を紹介するので興味あったらぜひやってみてください。

1.まず、紙と色鉛筆を用意して、紙にハートのフレームを書きます。


2.心のなかを探る質問をして、その答えをハートの中に描きます。(いくつか抜粋します)
  ・今日感謝したこと、心がほっこりしたことは?
  ・パンデミックに入ってから観察していること(心でも、植物や物でも)

  ・心のなかで今一番大切なこと(ハートの真ん中に)
  ・今ある不安や恐怖、チャレンジは
                         など

ハートマップ作成はこんな感じで作ります。
心の中を全部お見せするのはちょっと恥ずかしいので、
以下ちょこっとだけ私のハートマップをお見せしますね。





3.今回は、クリエイティブ・ライティングも兼ねているので、
出てきた答え(キーワード)の中から、ライティングのテーマとなるトピックを選んで、そのトピックで自由にライティングします。(ポエム、ジャーナル、記事風、なんでもよし)


☆普段、日記で自分の想いを書き出している人も多いと思いますが、
クリエイティブ・ライティングは、「人に発表する」を意識しながら作成してみると面白いです。もちろん、良い悪い、上手い下手なんてありません!

そういうモードで文章を作成すると、アートスイッチが入るし、
より心と繋がれるというか、普段とは一味違って、心と頭のいい刺激になりますよ。





何人かでやると楽しいですが、一人でも、自分の日記の1ページとして思い出にも振り返りにもなるので、興味があったらぜひやってみてくださいね〜。


さて、今回の会では、私が思い入れのある各方面から5人の方が集まってくださいました!
初対面同士の方もいたのですが、点と点を線で結んでくれる人が必ず居て、

5個の点を書いたら☆になったという素敵なメンバーに☆

そして、最後に出来上がったライティングをシェアするところまで行って、
わかったことがあります。

それは、、、

参加者のみなさん、

このパンデミックで今までにない「時間」を与えられて、
その「時間」を使って、「自分」や「家族」を今まで以上に大事にすることができた。


と、大小の波を抱えながらも、この今まで出会ったことのない出来事を前向きに捉えていらっしゃったことです。
答え合わせをしたわけではないのですが、私も同じ様に感じていたので、
私も同じだ〜♡っと気持ちが温かくなりました。


会を終了した後に、みなさんそれぞれのハートマップをシェアしてくださったので、
みなさんそれぞれの想いを垣間見させてもらえたのも、とても嬉しかったです。
2時間では時間が足りなかったので、私はできたハートマップにもう少しと色や言葉を付け足して遊びたいなと思っています。


パンデミックに入って2ヶ月が過ぎ、新しい日常にも慣れてきた頃だったのも
このワークにちょうどよかったように思います。

2回目があるかどうかわかりませんので、仲間内でやってみたいと思う方がいたら
このウェブサイトを参考にしてみてください。

ああ、いい夜だった〜〜♡♡♡

2020年5月12日火曜日

蟹座の月 〜プログレスの満月〜

去年の秋あたりから、
妙にスピリチュアルなものへ回帰したくなるような衝動に駆られています。






私は、一時期どっぷりとスピリチュアルな世界に浸っていたことがあったのですが、
魔境で迷子になりかけていたところに出産育児という経験が重なり、
そこから見える景色と日常を重ねていくうちに、
「もっと興味を広げて幅広い価値観を身に着けたい」という想いが強くなり、
どっぷりスピリチュアルからは一旦距離を置いていました。

それからは、心の中に意識はあるけれども、
体外的には「魂の〜」「宇宙からの〜」「エネルギーワークで〜」といった言葉遣いを意図的に避けてきました。

なんですが、秋口から、どうも引っかかりを感じることが増え、、、
なんでだか、意識がスピリチュアルに向かいがちになる。
抗うのに気づいたら隣にいる。みたいなことが増えていました。

それで、この自粛期間の間に、しばらくぶりに占星術の本を開き、
自分のホロスコープチャートを再読していて気が付きました。


はじめに、私は、自由人で有名な射手座に天体が5つ集中している、
超射手座+炎の女です。


スピリチュアルの世界を堪能していたのは、私のホームである射手座期。
その終盤期であった今から約15年前に「プログレスの新月」という、
「30年に一度の転換期」を山羊座の4室(家庭や家を象徴する部屋)で迎えていました。


私のホロスコープチャートは、
右半分は空っぽという、偏りのあるチャートなので、

山羊座から「家庭」をテーマにした向こう30年間のスタートは、
本質的に未知すぎる世界。


例えて言うなら、

山羊座さんってコツコツ努力家でちょっと古風な感じよね?(←アタシと本質的に違うからわからん!)
射手座的な自由がない、思想を掘り下げ具現化する物理的な時間がないじゃん!(←超ストレス)
社会の一員として、日々をこなすことにこそが精神鍛錬(厳っ!)

みたいな感じで、ひょえ〜〜な世界に半ば強制的に突入といった感じです。

実際、この15年間で、育児と家事で日常を鍛えられ、
夫のビジネスからお金やビジネスから見える社会的なことを学びました。
布ナプキン活動から、想いを目に見える形にして伝えるという経験ができました。
また、親になるという経験は最大のギフトであり挑戦で、
おかげで私の人生は、広く深く、喜怒哀楽、情緒豊かなものに。


と、自分が本来得意であったり、馴染みのあった世界観から離れて、
この15年で社会や人生を学ばせてもらったことは、大事だったなと思います。
その代わり、豊かだった想像力や感受性が影を薄めてしまいましたが。

ということを踏まえて、つい最近ホロスコープを見たら、
進行の月が蟹座に入り、

MCにまもなく到達、そして「プログレスの満月」を迎えることに気が付きました。

蟹座は、家族を大切にする、情緒豊かな、優しい母性的な家庭の星。

15年前のプログレスの新月で「家庭」というテーマに遭遇し、
なんとかかんとかやってきたことを、
「家庭の星」の蟹座で収穫期を迎えるのだと思うととっても感慨深いです。
子供たちもティーネージャーの手前の、素直でなんでも一緒にできる楽しい時期。

それと同時に、水の星座は共感力や目に見えない世界、情緒面を表すから、
スピリチュアルなものに寄っていってるのかなあと思うと辻褄があいます。

もっと大きく言えば、魂の母性回帰みたいな面にも惹かれてきているのかなあ、
なんていう気もします。

そして、今までは「愛しているからこその厳しさ」のように、
愛の表現がハードロック的だったところもあるので、
ソフトに柔らかく心や愛を表現する時期に来たのかもしれません。


なので、また、「魂の〜」「宇宙からの〜」「愛することは〜」といった表現をこのブログでも使い始めるかもです。

という、この一連の出来事が、
チャート上の「MCという人生の頂点」にかかりだしているので、
今までの体験を集大成して、新たな活動が始まりそうだなあ〜なんて楽しみです。


それか、まさか、今から蟹座の家庭的な面が開花され、料理や家事にはまるとか、、、
カリスマ主婦になるとか、、、(←ナイナイ!と射手座の私が言っている笑)


進行の月は一つの星座に2.5年滞在し、興味の対象を表すとのことなので、
抗わずに蟹座ブームを楽しみたいと思います。
こうやって人間みな変化しつついろいろな景色を見ながら成長するのですね。


チャートをじっくり眺めたのはしばらくぶりだったけど、
意識してなくても、うまいこと星物語が繋がっていくから占星術は面白いです。

みなさんも気になったら、「プログレスの新月」と「進行の月」を調べてみると楽しいかもしれません♪(チャートを見る時に参考にするとよい部分を太字にしました)

ぜひ自分の星物語を紡いでみてください。



2020年5月4日月曜日

真ん中の真ん中を意識する

今朝はサラ(ヨガの先生)のオンラインヨガからはじまった。

彼女のスタイルはテンセグリティー・ヨガといって、「引っ張る力」と「戻ろうとする力」を利用して、安定し自立する場所を探すという理論に基づいたヨガ。




 Path yogaより テンセグリティー(張力と統合)を表した構造物


サラは、レッスン中、手や足を動かしながら「真ん中の真ん中を意識する」という言葉を多用する。
私は長年、それを文字通り「体の中心」という意味として受け取り、それ以上には捉えてこなかった。
だけれど、彼女の言わんとすることが今はよくわかる。

サラはヨガはあくまでも「今」と「自分」を繋ぐ橋だと表現する。
例えば太陽礼拝は、スタンディングポーズからコブラと相対する動き方をする。
その時も常に「真ん中の真ん中を意識する」ことによって、
自分の外側で、大きな揺らぎがあっても、自分の真ん中に戻ってこれると言う。

むしろ、左右上下の揺らぎがあるからこそ、自分の真ん中を知れるのだと。

人生は、時に、右に左に上に下にと揺さぶられることがある。

右が良いと思っていたのに、左の方が真実なのかもと迷う。

上へ上へと行きすぎると大地に足がつかなくなり、
しゃがみすぎると、視野が狭くなる。
真ん中にいたつもりが、気づいたらズレている。

もしくは今みたいに、自分ではどうしようもない流れに巻かれ
あふれる情報やSNSの投稿に晒され、見通しの立たない明日に、
いろいろな想いが逡巡することもあるだろう。

そういう揺らぎを体験しているからこそ余計に、

「真ん中の真ん中を意識する」という芯の強さに助けられる。
真ん中がわかっていれば、どんな時も心がブレず、揺れず、惑わされない。

そして、この真ん中は、単純にミッドラインを意識するのではなくて、
闇があるから光がみえるというように、
自分の外側が多種多様に動くからこそ見えてくるものだ。
言い換えれば、自分の考えとは相入る事柄への受容あっての発見とも言える。(でも受容であって迎合も批判もせず、どちらかといえば観察に近いかもしれない。)


私も、サラとのヨガのおかげで「自分の真ん中」がわかるようになってきた。
これは、頭や心で理解したり、感じたりするものではなくて、
体に落とし込むことによって、その感覚が強くなる。
体と心は繋がっていることを実感する。

訓練あるのみ。

体感あるのみ。


「真ん中の真ん中を意識する」

これだけで、心がずっと、穏やかになる。








2020年4月13日月曜日

花のように凛と

秋に植えた水仙の花が満開になった。


しかし、太陽の方を向いて力強く咲く花は

私達にその美しい顔を向けてはくれない。

うちは南向きの斜面に立っている上に、
水仙の先には強烈な棘を持つブラックベリーブッシュが茂っているので、
こんなに満開なのに花を見ることができないのだ!









 ああ、よく考えないで植えてしまったな、と思ったのと同時に、


植えたときには、花はこっちを向いてくれるはずと、
人間目線でしか考えてなかったことを反省した。


人間に媚びることもなく、何にも惑わされず

ただ太陽の光が注ぐ方向に向かって、

生きるべき道に忠実である花を見ていると、ふっと笑いがこぼれそうになる。








強いなあ、植物は。

太陽の光を求めて
何にも惑わされず、
自分が大いなる一部であり、
それ以上でもないことを受け入れて
ただ、今この瞬間を凛と咲いているようにみえる。

今は、植物には本当に癒やされる。

変わらないもの。普遍的なもの。
惑わされないもの。
裏表のないもの。

そういうものの力強さに救われる。



次はこの子


私達も、その一部であることを、
肝に銘じて、
焦らず、淡々と

また再び咲き誇れるまで、
今はじっと土の下で力を溜めておこう。






2020年2月16日日曜日

おそばせながら2020年の初記事です。

ブログを書くのはかなり久しぶりです。
どうもこんにちは!(照)

実はこの1年の間も、書いては消してと逡巡しながら
結局アップロードしなかった記事が何本もありました。

なるべく、読んでくれる人のためになることを書きたいと思いつつ、
そんなに価値のあるものが書けるだろうか?と手が止まったり、
「伝えたい」という欲求が小さくなってしまったり。
昔に比べて感受性が減って、さらに日本語が退化していることにまざまざと思い知らされたり、そんな風にして、筆が止まり、口数の減った1年でした。

ちょっと話は変わりますが、
同じ街で長いこと暮らしていると、当然ながらいろんな人に出会います。
その中でも、「この人は!」と思う素敵な人たちがいます。

そういう人は、私が素敵だなと10年前に思った時から変わらずに、
自分が探求する道なり、ビジネスなりをずっと続けて、
今もなお進化し続けている人達であることに気づきました。

観察していると、その人たちの共通点がわかってきました。

長い間1つのことを続けるというのは、当然ながらいい時ばかりではないわけで。
私が素敵だなと思っている人たちは、そういう時の葛藤をも見せてくれた人でもあります。

謙虚でありながら自信があり、
包容力がありながらバウンダリーがある。
無理はしないが、怠惰ではない。
感想はいうけど、悪口や愚痴はいわない。
苦労を知っている。
同じことを続けながら、停滞するのでも、過去を美化するのでもなく、進化し続けている。
そして、山や森にどんどん入っていくアクティブな人たちでもある。

なんていうか、人生に対して腹括ってるのに、軽やか。

人間だから、もちろんどこか偏りがでたり、アップダウンはあったりするけど、
最近はこういう方達から、学ぶことがたくさんあります。

比べて私は、、、と思うと、気分が落ちていく一方ですが(笑)、
私が続けていることはなんだろうと自分に問うた時に、
「書くこと」だなと、やはりここにたどり着きました。

人間は、自分の内側に取り入れ、吟味し消化したものを、
外に出していくというのが生き物としての普遍的な在り方ですよね。

だけど昨今の上っ面だけさっと取り入れて、
「汗もかかずに外に吐き出すという行為」が溢れすぎている今の情報社会では、
情報や想いを文字に載せることが毒にすらなりうる。

それに、もう必要十分の情報が溢れている世の中に、またアウトプットを増やすことに対して、自分でも辟易しているのもあるかもしれない。
承認欲求というものと戦っているのかもしれない。

なんて想いを逡巡させた1年であったけれど、

上記のように
やっぱり私の周りにいる素敵な人や、自然から得たことを、
アウトプットしないなんてもったいなさすぎる!

という思いに駆られ、
そして私の中で、体験したことを言葉に紡いで、アウトプットしていくことは、
やめられない衝動の一部でもあるので(父親が昔ジャーナリストだったので、その血を受け継いでいるのかもしれない)人様の害にならない程度に、堂々と、これからも書き記していこうと思います。

2007年から始まったこのブログも13年目に突入です。
とまあ、おそばせながら2020年のブログスタート。
今年もよろしくお願いいたします。

2018年3月5日月曜日

ピアノレッスン

物心がついた頃からピアノを弾いていた。

ピアノを弾いていると無になれた。

初めは何度も練習して指と頭で曲を覚える。
楽譜を見なくても弾けるようになった頃から、
音に心をのせていく。
何も考えないでただただ、心をのせてピアノを弾く。
そういう感覚が好きだった。

実家にあったピアノは、10年以上調律されていないアップライトピアノだった。
全体的に音がずれていて、中でも「ラ」の音が思いっきし狂っていた。
もし過去に戻れるなら、ピアノの調律だけはやるべきだったと心から思うけど、
そんなことに関係なく、ただただピアノに向き合っているのが好きだった。

家がゴタゴタした時も、
友達関係がうまくいかなかった時も、
わたしにはピアノがあった。

ピアノを弾いているときは心を空っぽにして全てをリセットできた。
もしかしたら、1番の友達、だったのかもしれない。

だから、子供ができたとき、楽器を弾くことの楽しさをどうにか伝えたい。
これが、育児でどうしてもやりたいことの一つだった。

ラッキーなことに、ピアノは娘の好みにハマり、
調律しなくても音が狂うことがないデジタルピアノを、
毎日楽しそうに叩いている。よかった。

これは最近の傾向なのか、そういうスタイルなのか、わからないのだけど、
娘が行っているグループピアノレッスンでは、
テクニックを教えるだけじゃなくて
先生が情緒豊かにピアノを弾き、特には歌を歌い、
その周りで子供達が、音の起伏や表現に合わせて踊ったりもしている。

「音には魂があるんだよ。」

と、感覚的に教えてくれているように思う。

この間は、先生が、美しい雰囲気の伴奏を弾き、
子供が伴奏に合わせて、高めの鍵盤を適当に弾くという、Duo演奏をしていた。
どんなキーを叩いても、素敵な曲になるようになっているのだけど、
子供によっては、自信がなさそうに恐る恐る弾く子もいれば、
はっきりと意志を持って、鍵盤を叩く子もいる。

娘の番が来た。
娘は、ただ自由に、伴奏に合わせて鍵盤を弾いているように見えて、
「ゾーン」に入っているみたいだった。

「ゾーン」に入っている彼女のつむぐ音色は、
親バカ目を引いても美しくて、思わず聞きいってしまう。

「音は美しいんだよ。」

聴いている人たち誰もが、感じていたと思う。

娘の演奏が終わったとき、一人の女の子が、

「Wow Luna, you made me cry!」といった。


技術的なことは、大きくなるにつれて覚えればいい。

それよりも、
音が、心に響いていく感覚、
時に体が勝手に揺れてしまうような、揺さぶられるような感覚、
そういうのを小さいうちに養うことができたら、
きっと、これから一生かけて、音を愛する人に育ってくれるような気がする。

いい先生に巡り会えてよかったな。
これからも、ずっと弾いてくれたらいいな!

2018年2月11日日曜日

海呼吸

相変わらずの、なが〜い、なが〜い、雨が明けて久しぶりの晴れ。
雨雲の下にいるとわからなかったけど、晴れると春の気配を感じる。
おひさまが眩しいなあー、と思っていたら、

”海行きたい!”

と娘が言うので、久しぶりに散歩に出かけた。





毎回、思いつきでビーチに来て、
毎回、潮の満ち引きをチェックしてからくればよかったと反省する。

うちから歩いていけるビーチは広くないから、満ち潮の時には、子供が遊べるエリアが狭くなってしまうのだ。

案の定、今日も満ち潮だった。
寄せる波を見ながらぼんやり思う。

雨だったから、全然気にしてなかったけど、
今日の月齢はなんだろうなあ?って。

海にくると月のことを想うのも、毎回のこと。

そういう風に、自然と、自然と宇宙に、繋がれる場所がすぐ近くにあるって、、、、
ありがたい。


最近、息子が、片頭痛を訴えるようになった。
今まで割と内気だった娘が、おしゃべりで活発になった。(口が立つようになったとも言う。)

なんだか、私も含めて、それぞれ、変化に少し戸惑っているような、そんな感じ。

リズムを取りにくい波に、頑張って乗ろうとしてるような、
調和の中に、不協和音が響いているような。

だから、みんなで自然の中に行く。
受け止めてもらいに行く、というのか。
洗ってもらいに行く、というのか。

とりあえず、それで一回リセットされるのだ。

日本とは逆で、こちらの冬の海は穏やか。
鳥やアザラシがのんびり水面を揺らしている。
ぼおーーーーっと、遠くを眺める。

それぞれが、それぞれのやり方で、海呼吸する。

ちょっとスッキリ。

よし、シナモンバンでも食べにいこ!

2017年8月13日日曜日

宇宙からみる自分の存在意義。

自分がこの世に生を受けて、生きている理由とは?
どんな使命があって、どんな特徴があって、それらをどんな風に使っていったらいいのかな。

そういう風に疑問に思ったことありませんか。

以前、ホロスコープをしっかり読んでもらったことから、
西洋占星術にハマり、
それが高じて自分なりに独学で掘り下げたりもしてきました。

西洋占星術は、”地球”を中心として、自分目線で”社会(地球)でどう生きていくか”を、割と細かく教くれる星読みです。

だけど、自分一人のホロスコープにしても、
かなり複雑に星の情報がからまりあい、
まさにこの社会や人間関係を象徴しているかのように感じます。

また、西洋占星術の持つ、宿命感(生まれた時の星の位置は変えられないので)に、
なんだか、絡みとられたような気になって、
”このように生きるしかないのか?”と思ってしまう面もありました。

そんなわけもあって、しばらく占星術からも、タロットからも離れ、
より現実的な目線で、地に足をつけることを鍛え、
自分の見るもの、触れるもの、耳にするものを一番大事に過ごしてきた数年を経て、

また、星読みの世界に戻ってきました。

でも、今回は、ヘリオセントリック占星術。

これは、西洋占星術とは異なり、太陽を中心に、太陽系に存在する自分とは何か、を探る星読みだそう。地球はその中の一つの惑星であるという考え方。

つまり、自分がこの社会でどう生きていくかを探るものではなくて、
宇宙の中で、どのように私は存在しているのか、を知るための方法。

そうだった。

宇宙即我、我即宇宙。

ウチュウ スナワチ ワレデアル。 

なんだか、小さいこと、全部吹っ飛ぶ。


そういう風に、生きていきたかったこと、思い出しました。

ワタシラシクアレ。



さあて、1段階上に進める気がします。
パワーアップ!!

2017年7月29日土曜日

ガーデニングとは。

ガーデニングとは、

曇りの日でも、雨の日でも、風の日でも、雪の日でも、

その奥の奥には、太陽があることを忘れないでいられること。

アスファルトの下にも、大地が広がっていることを忘れないでいられること。



詰めすぎたかな?きゅうり




ガーデニングとは、
気づくところ。
受粉の仕組みって人間と一緒だなあとか。

インプットが多いこの社会の中では、
野菜が囁くシンプルなお話、-しかもそれは真実-、くらいが、ちょうどいい。













ガーデニングとは、

安心できるところ。

守られているところ。













心と心で会話するところ。

まっすぐな気持ちでいられるところ。




Humming birds がたくさんくるよ。




仕事してるというより、花粉にまみれてリラックスしてるように見えるよ。


今年は特に、そういう風に感じます。





そして、この街のRain forest。

幸せ。


Paradise Valley Lush Forest

2015年9月3日木曜日

HAKU

実家の猫が旅立った。

18年前の夜のこと。
うちの前の道路に、小さな塊がポツンと落ちていた。
ネズミかと思ってよくみたら、耳の大きな死にかけの子猫だった。
周りをみてみると、子育て中の母猫がいた。
死にかけのその子のことは、目に入らないのか、見捨てたようだった。

片手の手のひらよりも小さい子猫は、かろうじてまだ息をしていた。

あれから18年。
私が一緒に暮らしたのは3年ほどで、あとの15年は母と暮らしていた。
臆病で、ちっぽけで、目の大きな、かわいい子だった。
18年も、よく生きた。

母は言った。

赤ちゃんは産まれると、ふぎゃあー!と産声をあげる。
産まれることは、息を吸い、おもいっきり吐くことなのだ。

しかし、命の最期が近づくと、取り入れる(吸う)ことはできても、出す(吐く)回数が減ってくる。
おしっこもうんちもでなくなる。
毛玉を吐き出したくても吐き出せなくなる。
最期を完璧に全うするだけのエネルギーをわずかに補給して、排出することなく枯れていく。
それは、とても美しい姿だと。

だから、息を吐くこと、排泄すること、泣いたり笑ったり感情を出すこと、話すこと、
自分を出す=表現すること、

それらの、はきだすという行為は、生きている証なのだと。



今でも鮮明に、あの夜のことを覚えているのに、あれから18年も経ってしまったなんて信じられない。

その間に、
私にも子どもができ、新しい命が産まれた。
それはつまり、別れもあるのだ。
命は循環している。

18年なんてあっというま。

そんなメッセージを、あの子は私に遺していった。

これからも、私なりに人生を表現していきたいと思う。
吸う(吸収する)ことに偏りがちな現代だけど、みなさまも、どんどん表現していってね。
いっぱい生きよう!

LIVE, LAUGH, LOVE  LIFE!


R.I.P みゅーちゃん。