2016年11月24日木曜日

思いやりを育てる。

”人間は、生まれながらにして、愛と、尊厳と、思いやりを持って生まれてくる。”

これは、わたしの心を育ててもらった場所であり、わたしのMentorである、
シュティカのリーダーの言葉。

親になった今でも、その言葉は正しいと思う。

ただ、子供を育てていて思うのは、”他者への思いやり”という意識は、
小さいピュアな子供たちの中にはまだ育っていないことが多い。
ここでいう思いやりは”言われたからやる”(おもちゃを貸すとか)というタイプの思いやりじゃなくて、心から行動できる思いやりという意味で。


わたしは、思いやり(優しさ)と悲しみ(苦しみ)は表裏一体だと思っている。
本当の優しさは、悲しみが育ててくれたり、共感することで育つ気がする。

でも、うちの7歳と5歳の子供たちは、まだ”悲しい”といって涙を流したことは一度もない。
映画をみたり、友達が仲間にいれてくれなかったりして、”悲しい”という概念はなんとなくわかるけど、、、。というくらい。

それは、とても幸せなことである。

その反面、ではどうやって”他者への思いやり”を彼らの中に育てたらいいものか。
もちろん、思いやりについて、レクチャーしたことはある。
けど、案の定、心に響いているのか響いていないのか、、、、。。。

そしたら、最近、ちょっとした変化がありました。

太陽の新しいクラスに、Kくんというかなり意地悪な子がいるそうで、
(この子の意地悪が原因で、クラスの子が脱走して学校内で行方不明になったらしい。)、K君に意地悪されることで、”悲しみ”を体験しつつあるようだ。

”その子の行動をまねしたら、誰かがSadになるから、太陽はしないようにする。”

”その子がいつも変な言葉ばっか使うの。その子みたいになるのよくないから、太陽は悪い言葉言うのやめるよ。”

と、言い始めた。

おお〜〜、これは、見事な反面教師というやつではないですか。
意地悪な子がいると聞くと、親としてちょっとドキッとするけど、K君がいるおかげで”他者への思いやり”を学んでいるのだから、それはそれでありがたい。
わたしが100回言うより、その子から学ぶことの方が真実だから。

直接的でかつインパクトが強い、嫌な経験から学ぶ方法は、確かに心に響く。
それはそれで、悲しいことあったら嫌だなあ、守ってやりたいなあと思ってしまう親心。でも、親がなんでもシェルターし続けるのは、子供にとってよくない。
まあ、太陽も誰かに悲しい思をさせてしまっているかもしれないし、お互い様なんだろうし。。。


学校に通い始めると、自分の腕の中にいて、目の届くところにいるのとは違うステージだってよくいうけど、最近は”見守ることの大切さ。” 感じてます。

人間関係って本当に深い学びですね。。。。
みなさんも心当たりがあるように自我が生まれだした幼児は, Egocentricです。
そう考えると、人間はEgocentricの状態からaltruistic(エゴセントリックの対語)までの過程を人生かけて学んでいるのかな。なんて思えてくるわ。

子供のこと書いているようで、エゴセントリック、思いやりなんて、
それこそ、普遍の、40近くになっても学んでいるテーマだものね。

2016年11月20日日曜日

Lantern Walk

Waldorf Schoolの冬を迎える行事の第一弾、Lantern Walkがこのあいだありました。

もうね、本当にシュタイナー教育大好き!と言いたくなる、とても素敵なイベントなんです。

11月も半ばの初冬の夜に、クラスで作った手作りランタンを持って森に集合します。







6時とはいえ、森はもう真っ暗。
森の歩道の両脇に、点々とキャンドルが灯されています。
そう、この森の中をキャンドルと手作りランタンの灯りを頼りに歩くというイベント。

たとえ、キャンドルとランタンの灯りがあっても、隣の人の顔がわからないほど暗い。
真っ暗な森を歩くって、なかなか神秘的な体験ですよね。

特に子供にとって、”闇”というのは、漠然と怖いものであることが多いと思います。
いつもはやんちゃな男の子が、お父さんに寄り添って歩いていたり、
ランタンに灯したキャンドルが消えないように、優しく歩いたりする子供の姿がとてもかわいらしい。

歩いている途中、森の闇の中から、バイオリンや、フルートの音色が響いてきます。

夜の森が、怖いものではなくて、美しいなと思える時。
闇を受け入れることは、怖いことじゃない。

子供達にとって、友達と夜の森を歩くってのも、普通じゃなくてワクワクする。


ただ歩くだけで、何があるってわけじゃないけど、感じることは昼間以上にありました。

まさに下の絵を、体験しているような、
文章ではなかなか伝えづらいけれど、マジカルであり、”豊か(Rich)”な時間なのです。




Whistler Waldorf School Mr. Ragland's drawing


子供達にも、伝わったんじゃないかな。

帰りに太陽が、”夜は怖いことじゃないよ。夜がないとお月様はでてこれないし、フクロウやコウモリが動けないし。”って言ってました。

そうそう。

夜は、朝と同じくらい、大事な時間なのだよね。
闇は、光と同じくらい、価値があるものなのだよね。

互いのありがたさを知るために。
互いが敵ではないと知るために。

さて、来週はAdvent Gardenです。
こちらも大好きなイベント。シュタイナー教育最高!

楽しみです。



2016年11月7日月曜日

冬時間になりました。


サーモンが戻ってきた。










おなかが赤くなりはじめたばかり。
毎年思うことだけど、身をボロボロにして、よく戻ってきたね。

私たちの忍び足の気配でさーっと逃げるくらい敏感。

しぃーーーーっ!静かにね。












長い長い雨。
”日差し”を最後に感じたのはいつだったかな。
青空を見たのはいつだったかな。










夕暮れ時に、さあーっとどんより雲が散っていった。
久しぶりの夜空。
月。
あまりに久しぶりすぎて思わず外にでてしまう。
空が冬色になった。
それも一瞬。
寒い雨が、また夜を支配する。








  

大根と白菜。
上手に育ってくれるといいな。


2016年11月1日火曜日

かばんの中身

太陽が学校が帰ってきた。

いつもはバックパックをそこらへんにほっぽらかしてどこかへいってしまうのに、
今日は開口一番、

「ただいま。太陽かばんかたづけてくる。」

といって部屋に向かおうとする。

んんー?

「ねえ、連絡帳みせて。」

といつもように、私がかばんをあけようとすると、

「さきにかばん片付けてからね。」という。


んんんんーーーー?怪しすぎる。というか、わかりやすぎる 笑


母は、”家政婦はみた”よろしく、こっそり太陽のあとをつけていって、柱の陰からのぞく。

そんな私を見つけて憤慨する息子。

そんなに怒るなんて、
ま、ま、まさか、7歳児にしてエロ本か!?(←今はネットの時代かね?)

それは冗談だとしても、考えられるのはポケモンカード。
最近毎日学校に持っていって友達とトレードしている様子で、一応家のルールを守って遊んでいるはずだけど、最近コソコソしてることも多いので、一番ありうる線かと。
どうやら、おやつをいれていたプラスティックの箱が秘密を握っているようだ。

男の子には、自分の空間が必要だというし、親があまり立ち入るのもなんだけれど、、、
と思ったのは一瞬で、結局、


鬼の声で「なに隠してんのよ。」と追求。

「お母さん、おこるもん。」と泣きそうな太陽。



すると、苦し紛れに、おやつをいれていたプラスティックの箱の中身をタンスの裏側にぶちまけた。


なんだ!?とかけよる私。



しかし・・・なんてことない、中身は、木切れの塊だった。


安堵したのと同時に、なぜこんなものを隠す必要があるのだろう??
わたしだって、いくらなんでも木の枝を持って帰ったくらいで怒るような親でもない。

ぶちまけた中身を掃除してるあいだに、太陽はそそくさと庭に出て行ってしまった。





その後わかったことだけど、太陽が隠し持っていたのは、トカゲだった。
父ちゃんと学校帰りに薪取りに行ったときに森で見つけてきたそうだ。

たんすの裏に、トカゲと一緒にいれた木切れだけをぶちまけ、
そのすきにトカゲを捕まえて庭に走っていったというのが事の顛末だった。

エロ本でも、出所不明の高級ポケモンケードでもなくてよかった。

トカゲぐらいで、怒らないわよ、、、、、。

ねえ!

・・・たぶん。。。

私もガーデニングやら、薪取りやら、森遊びを通して、苦手の多くを克服したので、
トカゲなんて、もはや「かわいいカテゴリー」に入る生き物になった。


というわけで、宇宙人みたいなトカゲ(厳密にいうとサラマンダーなのかな)が一日でも長生きできるよう、住環境を整えて観察することになりました。

トカゲって宇宙人の仲間で、「ワレワレハウチュウジンデアル」と交信してきそうな気がするんだよなー。






苦手な人いたらごめんなさいね。でも、かわいくない?