2009年3月26日木曜日

No title

titiがおなかに宿ってから、「海」の夢をよくみるようになった。

わたしは海に憧れがあるのだけれど、それは「憧れ」であって、足を実際に海に向かせるほどの情熱ではなかった。
実際、島や美しいビーチには何度か足を運んだけれど、なんだか海に対して恐怖心があって、海に身をゆだねることができないのです。
楽しそうに泳いだり、シュノーケリングをしている友人を傍目に、「いいなあ~」とため息をつくタイプなのです。

なのに、夢の中ではたいてい、水に触れ、波のリズムに抱かれて、泳いでいたり、カヌーにのっていたりする。

またあるとき、満月の夜の海辺で、白い布をまとった女性の後ろ姿を眺めている夢を見た。
月の明かりが、白い布を黄金色に染めて、時折吹く柔らかい風にたなびいていた。
その女性の姿が美しく、凛としていて、見とれてしまった。

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夢を見るようになってから、無性に、海の風を、音を、景色を、めいっぱい吸い込みたくて仕方ない。



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夢のなかに、titiがでてくることも何度かあった。
titiはわたしのなかに海の風を運んでくる。
ふふふ。
なんなんだろう、このメッセージは。なんだか新鮮だ~。
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ふと、ジェリー・ロペスの言葉を思い出した。
一見、波によって海水があっちにいったり、こっちにいったりその時々で変化しているように見えるけれど、実際海水の量はさほど動いていないんだ。
高い波は、すごい水量をつれてきているように見えるけれど、あれは水でなくて海という命のもつエネルギーの大きさなんだよ。
サーフィンはHarmony。
海のエネルギーと、自分のエネルギーが調和したとき、すべてがひとつになる。
時がとまる。
自分が地球の一部であることを知る。
私が住む山も調和に満ちた世界だけれど、リズムある海の調和の世界を感じてみたいな。
初夏がきたら、海を見にいこう。
まだいったことない、巨木の森(Pacific Rim National Park)やトフィーノに心が魅かれています。
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��写真たち:Pacific Rim National Park
これを機に、海にまた一歩近づけるといいな。

にんぷらいふ その6 ~titiのシンクロ~

このあいだ、はじめての超音波検査をしました。
もう顔の輪郭もくっきり、足の指までしっかり成長してる!
はじめて目でtitiを見て、おなかのなかでしっかり育ってる~と感動しました。
最近は一人でサッカーでもしてるのでしょうか、おなかの中で元気にぐるぐる動き回っています。

妊娠してから「どうしてtitiはわたしたちのもとにやってきてくれたのだろう?」とよく考えます。

妊娠してから多くの人と「命を授かること」について話すようになりました。
その中でわかったのは、妊娠は受け取る側のタイミングだけではなく、「赤ちゃんのタイミング」があるってことが漠然とわかりました。

それは意思や想いを超えたところで働いている、宇宙的な大きな流れの一部。
たましいの巡り合わせ
かみさまの領域

だから、なぜ?を考えても仕方のないことなのかもしれません。

”今”に身をゆだねよう。

これはわたしの意見だけど、、、
ひとつ言えるのは「子供を授かること」を考えている人、今授かっている人にとって、
「子供を授かる」というテーマは、どういう形であれ、たくさんの気づきをもたらしてくれる。
嬉しさ、優しさ、温かさ、不安、悲しさ、痛み、絆、愛、明日への光。
これのどれもが、とても価値のあることだと思います。
純粋にそう思えるときも、なかなか飲み込めないときもあるだろうけれど、
この流れは、魂が愛の方向にむかって成長していく、大切な気づきだと思う。

って書いていて思ったけど、これは、何かを経験するにあたって、何事にもいえることですね。


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そうそう、このあいだ、古代エジプトに、「ティティ王妃」(ネフェルティティ)という、絶世の美女と呼ばれた王妃がいたとお友達が教えてくれました。
ネフェルネティティの由来は、「遠くから来た美しいもの」という意味だそうです。






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おなかの中にいる赤ちゃんをわたしは『Shanti」からとって「ティティ」と呼んでいる。
ティティのシンクロ!
またひとつ素敵なメッセージに出会えたよ。

2009年3月16日月曜日

風の便り かねっしーありがとう

風の旅人、カネシが帰ってきた。
��ヶ月間のあいだ、ウィスラーを出発してから5600km。
カナダBC州ウィスラーから南米の入り口コロンビアまで自転車をこぎ続けたのです。
��600kmと書いてしまったら簡単だけど、この距離には想像できない重みがある。

久しぶりのハグから、その焼けた肌から、一回りたくましくなった体から、
彼がみてきたものを、感じてきた想いをかいま見た気がしました。


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カネシはレベル3のレイキヒーラーさん。
わたしとカネシのあいだにはレイキを通したたくさんの思い出があります。
旅を終えて日本に帰るカネシは、「日本に帰る前にtitiにレイキしたいから」といって、ペンバートンまで遊びにきてくました。
太鼓打ちでもあるカネシのパートナーは竹笛。
「レイキをするまえに笛を吹くと心が落ち着くんだ。」と言って、ヒーリングの前に1曲吹いてくれました。
その曲は、死者の魂を弔う曲だそう。
目を閉じて笛の音色に身をまかせると、心がどんどん穏やかになって、すうーっとしてきます。
どんどん軽くなっていく。体の緊張が解けていく。
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それはまるで、清流の川辺で、
風が揺らす葉の音や、水の流れを感じながら、色を味わいながら、
石の上で瞑想をしているような穏やかな気持ち。
笛の音色の波動が、周りの空気が変えていく。目をつむっていても変化がわかる。
そこに存在するものが昇華して浄化される、まさに、「魂が癒される音色」。
笛の音色がよっぽど気持ちよかったのか、暴れん坊のtitiもパタっと寝てしまったみたい。
そのあとゆうじと3人で一緒に発霊法をやって、ヒーリングしてもらいました☆
ずっと背中のチャクラを触ってほしいなあとおもってたから、
背中にたまったものを、ヨシヨシしてもらうと、心が穏やかになる。すっきりした!
人にやってもらうのは、幸せです~。
あおむけになって、おなかに手を当ててもらったら、titiもモゾモゾと動き出しました。
「産まれてきて笛の音色覚えてたらいいね~」なんて話をしながら、
みんなからの愛と調和のエネルギーのプレゼントをいただきました。ありがたいです。
最近、ウィスラーから離れたこともあるけど、人とダイレクトに「愛だ~大好きだ~!」って触れ合うことを避けてた自分もいた。
自ら、つぼみでいることを選んでいた。
でも、春も近いしそろそろふくらんでもいいかもよ~。
っていうメッセージをゆうじとカネシが運んでくれた。
つぼみのうちがわにふわっと光が差し込んだ。光はあったかいね。やさしいよ。
カネシと旅のパートナーのオオタクさんは、1日に100km自転車をこぎ、
何度となく苦しかったり、つらかったことがあったそうです。
そんなときに、レイキや笛、そして浮かんでくる家族や友人の顔に励まされたそうです。
でもなにより、当たり前だけど、2人の挑戦と勇気に、みんなから愛されている2人の人柄が、この冒険を成し遂げることができた。すごいこと!!
どこまでも続く道と、自分の足と、大地と。
太陽に、月に、仲間に支えられて。
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どこまでも続く道には、夢や希望が
足には、一歩一歩行動する意思が、努力と挑戦が、
大地には、わたしたちの住む星の寛容と、わたしたちの可能性が
「旅」を通して見えるものは、つくづく「人生そのもの」に置き換えられるなあと思います。
わたしもこれからもまだまだいろんなところにいって、旅をし続けたいな!
ありがとうカネシ~~☆
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2009年3月8日日曜日

No title

カナダの冬は長く、そして寒い。
よーくよーく耳を澄まさない限り、木々や動物たちの命の音は聞こえず、
真っ白に凍った湖のように、時すらも凍ってしまった。
動物は姿を消し、人も分厚いコートに身を包み活動の季節を待つ。
カナダにきてから「冬眠」という言葉の意味を比喩としてではなく、命の在り方としてリアルに感じる。

わたしは、自分の妊婦ライフは、”心穏やかに順調にいくもの”だと、勝手に思い込んでいる節がありました。
でも実際は違った。
体調の揺れのみならず、心が揺れて揺れて、
悲しくなって泣き、ふさぎこみ、その想いが怒りに変わりゆうじにぶつける。
そんな自分がいやでまた落ち込む。。。そんな日々が続いていた。
大波小波がさったあと、台風がやってくることもたびたびあった。
自分の中に、そんな気性の荒さがまだ眠っているなんて驚きであり、悔しくもあった。

肌をきる冷たい風が、心をも切るかのように身体にしみる。
気分転換に歩きにいこうと外に出たのはいいけど、まだその時期じゃない。
雪で塞がれたトレイルを前にして、気分も塞がれたような気分になってしまう。
この冬のメッセージは、なかなかのものである。

結局抜け道がわからず、そんな時期をやりすごしていたら、
��月になって、少しずつ春の匂いがしてきました。

ああ、
水が流れる音が、聞こえるようになった。
太陽の強さが、明るさを増すようになった。
鳥たちの歌声が、青空を駆け抜けるようになった。

このあいだウィスラーより標高の低い、スコーミッシュのALICE LAKEにお散歩にいきました。
トレイルのほとんどはまだ雪で覆われている。
ところどころ、雪の間から顔をだした柔らかい土の感触が、足の裏からハートに響く。
土の香りがふわっと鼻をくすぐる。
嬉しくなる。優しくなる。

スコーミッシュはもう氷がとけて、小川が湖に流れ込んでいる。

冬の間は水の音がきこえないから、
久しぶりに聞く、清々しい音についついひきよせられた。
小川の両脇には苔むした木々のトンネル。

清流の流れを聞きながら、ゆっくり呼吸する。
森の味が鼻腔から身体いっぱいに広がる。

幸せだあ~。

実はこの日もゆうじとけんかして、一人で散歩にでかけたのだった。
でも森の味を胸いっぱいに吸い込んだから、もう大丈夫。

冬の間に通り抜けたことも、感情の揺れも、意味があって起きている。
動物だって妊娠してるときは、ぴりぴりしてるものだ。
人間だってそうなってあたりまえなんだよね。
「ちょっと前はこんなじゃなかったのに。」とわたしが勝手に「良かった」と思ってる自分に今の自分を投影して、前と違う理由を探し続けた。
そんなことしても罪悪感が増すだけだということに気がついた。
今は今なんだから、いいんだって!
自分が嫌いになりそうだったけど、ようやくそういう風に思えてきた。

だって、感情の揺れを通して、母性も湧いてきて、「守るもの」があること、その命への想いを初めて実感した。
titiちゃんは、よく動く子で、おなかのなかでしょっちゅう動いている。
昔は、自分のおなかの中に人間がいるなんて、不思議でちょっと怖いと思っていた。
けど、実際はかわいくて愛おしい。そんな風に感じる自分が不思議でもある。
ゆうじさんもこんな私を通して、父性が湧きつつあるようだ。

気がついたら6時まで日が明るくなってきた。
いろいろあるけど、春はすぐそこじゃないか。

日々、同じリズムで時は刻まれ、景色も人も移ろいでいく。
変わらないようで、日々新しい出来事や気づきが待ち受けている。



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2009年3月2日月曜日

No title

ウィスラー⇔ペンバートン間の片道30kmの山道運転もようやく慣れてきました。
日々変わりゆく山々の息吹を感じながらの運転も悪くないよ。

金曜日の夜、仕事を終えて、いつもみたいにチョロQに乗り込みエンジンをかけた。

��んん??なんか調子がおかしいかな?) 

とおもったけど、ちゃんとエンジンもかかったので、ペンバートンに向かって走り出した。
ウィスラーの一番北にある住宅地、Emeraldを抜けると、カーブの続く山道がはじまる。
ここから20kmほどは携帯が通じなくなる。

街灯のない山道はまっくら。
Wedge Mtのtrail headにさしかかったあたりで、
きゅうにこめかみから眉間にかけてしめつけられるみたいに、きゅーんといたくなった。

��んんん?なんだろう?長時間働いたからな、疲れたかな。
 なんだかやな感じだな。このまま運転するのやだなあ。今日はウィスラーにいたいなあ)

そう思いながら走っていたら、突然タコメーター(エンジンの回転数メーターね)が ひゅーん と0になってしまった。

��ええっ?!)

っと思っているうちに、まずCDが動かなくなりライトが消えた。
その後、暖房や時計などの計器ランプ次々に消え、心なしかライトの明かりも弱まった気がする。

車に詳しくない私でも、バッテリーの故障ということはわかった。
車が動くうちはいいけど、この道の途中でライトが消えてしまったらやばい。何も見えなくなっちゃうよ。
そのまま、Uターンしてウィスラーに引き返す。
町までの数kmのあいだも気が気じゃなかったけど、Emeraldに入り、ほっと一安心。

そのまま、Alpineまで戻ってきてGone Cafeの駐車場に車を止めて、UGに電話。
ペンバートンから迎えにきてくれるとのこと。よかった~、これで大丈夫。
とりあえずover nightで車を止められるスキー場の駐車場まで車を動かそう。

と、駐車場を出ようとしたら、アクセルもブレーキもうまく動かない。。。
結局なんとか駐車場をぐるっと一周して同じところに帰ってきたところで車が完全に動かなくなった。
これがハイウェイじゃなくてほんとによかった!!

仕方ない。ゆうじを待とう。

...30分経過。ブルルルルル。外気の寒さの方が室内より強くなってきたなあ。
ちょうど車が底冷えしはじめてやな感じなった頃ゴルゾー男爵とゆうじが到着。

あれこれ調べた結果、Towing(レッカー)してもらわないとなーってことになったけど、
夜中の12時も回り、おなかもすいていたのでtowingを待ちがてらビレッジに行くことに。

すると、ビレッジの駐車場で、休憩中のTowingCar(レッカー車)を偶然発見!
事情を説明すると、すんなりTowingしてくれることに。しかも無料で。
あとは全部やってくれるとのことで、おなかを満たして家路につきました。
ついてます。ついてます。
ありがたやー、ありがたやー。

みなさんも経験あると思うけれど、たとえ物だとしても愛着がわけばわくほど、その物の個性がわかってきて、物が自分のために頑張ってくれてるのを感じる。
��5歳になるチョロQ、確かに左足の筋トレになりそうなほどクラッチは固いし、
サスは固いし、ボディーはガタがきてるよ。
だけど、それ以上に楽しい思い出がいっぱい。夏も冬も、私たちのハードユーズにも関わらず頑張って走ってくれていた。

優しいやつなんだあ、チョロQは。

今回も、ウィスラーからそう離れてもなく
ハイウェイでもなく駐車場で、
真っ暗な山道でもなく携帯の通じるエリアで故障してくれたチョロQに感謝。
私もtitiも無事だったよ。

なのに、なのに、ゴルゾー男爵がやってきてから、ついついチョロQとゴルゾーを比べてしまっていた。
ごめんね、チョロQ。
駐車場で、うんともすんともいわなくなったチョロQに、私たちを安全な場所までつれって行ってくれてありがとう。
と、心から思いながら、なんだかおセンチな気持ちになってしまった。

それと、故障の直前に頭が痛くなったのも、「なんかあるよ~」っていうメッセージだったんだな~~。

あ~~~わたしは、いつも守られてます。ありがとう。

ちなみにチョロQ、さっそく修理して元気に走ってま~す