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2020年8月17日月曜日

変わらないことなんてない

ただいま引っ越し中です。

昨日まで住んでた家から家具やピアノや洋服がなくなった。

ほこりに混じって、しばらく救出されていなかった鉛筆や、
ボタンやお菓子の袋がそちこちから出てくる。

そういう小さなゴミと一緒に、捨てるべきか迷っていたものをゴミ袋に詰める。
そうやって溜まったゴミ袋がそちこちに散乱しているのもあって、
今まで封じてきた土足で家の中を歩くようになった。

ずっと日常を過ごしてきた場所が、急に殺伐とした風景に変わる。

魂のなくなった家。と言ったら良いのだろうか。

さらに拍車をかけるような出来事があった。

ごみ捨てから帰ってきたら、お隣の奥さんから

「悲しいお知らせがあるのよ。私引っ越しするの。9月1日で新しい家も借りたの」

というではないか。

「...ええ?」という顔をしている私を見て一言。


「別居することになった」


お隣さんはティーネージャーの子供がいる、3人家族だった。
このコミュニティーに20年住んでいる古株さんだ。

このご夫婦が別れることになると思わなかった。

とはいえ、最近、皿が5枚くらい割れる音と怒鳴り声を聞いたのは確かだ。
もともと感情豊かな奥さんなので、まあそういうこともあるのかな、くらいに思っていた。
隣の家でも、夫婦のことは本当にわからない。

少しこのコミュニティーのことに触れておくと、
スコーミッシュがアクティブでエネルギッシュで法整備されている都会だとしたら、
私の住んでいるところは全てに置いてレイドバックなオーシャンコミュニティー。

ヒッピーというにはロックすぎるのだが、大げさに言えば
「いちいち細かいことは言わなくてもいいだろう我がネイバー達よ。
 行政に介入させるな、自分たちで自治を!」

みたいなブリタニアルールというものがあり、
街では苦情がくるようなことも、緩く許されているところもあったり、
口は少々悪いけど、心意気のある、ビンテージ好きな古株さんも多く住んでいるコミュニティなのだ。

ご多分に漏れず、お隣さん一家もブリタニアにどっぷり染まっている感じだったし、
ご近所に友達も多いから、彼女がこのコミュニティーを去ることになるとは思いもしなかった。

そういうわけで、時を同じくして私達も引っ越しの準備、
その横で彼女も友人の手を借りて引っ越しの準備、という不思議な光景となった。

自分たちも引っ越しするし
お隣さんだって別居する
コロナウイルスだって発生する
娘のウォルドルフスクールの校長先生も変わるし
(創立当時からずっといた先生だからびっくりした)

そして

5年前に交通事故にあった友人が亡くなったという知らせを受けた

何一つとして昨日と同じなんてことはない。
当たり前の日常が続くなんてこともない。

ここまで
書いてみて思ったけど、私は”そこに存在していた人の気配”が変わっていくことに
なんともいえない気持ちになるようだ。

私はその人が残した足跡であったり、
連れてくる風の匂いであったり、湿度であったり、
そういうものを覚えておきたい。
それが時間とともに消えてしまうような、儚いものだったとしても。

しばらくの間賃貸することになった、エアコンの効いた新築の家の窓から
昨日から続く過去を振り返ると
なんとも表現できない不思議な気分になる。

何かが大きく変わりそうな気配がする2020の晩夏です。


ミキティ、安らかにそして自由に


2020年8月2日日曜日

家が売れた

去年から家を売りに出していました。
この春はコロナ騒動もあって、不動産的には全く動きのない数ヶ月を送ることになってしまい、もう無理かなあ〜なんて思ってましたが、先月さっくりと売れました。

家を売りに出していた理由はいろいろあるのだけれど、
5年前に見ていた景色や目指していた生き方と、
今見ている景色とこれからの生き方が少し変わってきたというのも大きなの理由です。

5年前にこの家に来た時は、上の子が5歳、下の子が3歳でした。
この家は、庭があって、プライベート感があって、海が見え、一目惚れして購入したはじめての一軒家です。

街から15分かかるけど、当時は人付き合いでもちょっと無理してたこともあったし、
街から少し離れているくらいがちょうどいいや〜、なんていうのもあって。

で、実際はどうだったかというと、しばらくは本当に充実していました。

今の家に引っ越ししてから、
地球への負担を少しでも減らせるような暮らしができたらいいなと思って、

心に描いていたことが、規模は小さいながらもほとんど実現できたし、
薪の暮らしも、毎日海が見えることも、ガーデンができることも幸せでした。
夫と一緒に手仕事もたくさんやって、心も豊かだった。
同時に、自然に近い暮らしをすることの大変さもよくわかった。




はじめてのトラック



やがて、子どもが成長するにつれて学校が始まり、
日々の暮らしが慌ただしくなった。

私が惚れ込んで入れたシュタイナー教育も、息子には合わないことを知った。
親の思いと子供の興味は違うものなんだと一度受け入れてからは、
理想の子育て像みたいなものも、こだわりも、どんどん薄くなっていった。

夫は仕事に精力を注ぎ、事業拡大の話もやってきた。
彼は本来、起業家気質で仕事とマウンテンバイクが生きがいな人。

私は私で、新たにやりたいことがどんどん出てきて、結局は、言葉を使って発信すること、なにかプロジェクトに没頭するのが好きなことを再確認した。
子供もプリティーンに差し掛かってきて、子育ても楽になってきたし、自分自身を充実させていきたいと思いが溢れるこの頃です。






そういうわけで、後半の数年は、思い描く暮らしができているかどうか、というよりは
家族にとってベストな暮らしとはなんだろう?と思うようになりました。

さらにこの思いを強くした出来事として、
サステイナブル的な「思い描いた暮らしができる喜び」が想定内のものだとしたら、
夫のビジネスを通して得た人生教訓が、予想外に大きく影響したというのもありました。

このブログではあまり書いてこなかったけれど、
小さくてもオーナー業をしていることで、
自由という不自由さの中で責任を取ることの勇気であったり、
この立場にならなければわからなかった様々な葛藤を、
自分の心の中にだけしまっておくことができるようになったのも含めて
私自身、大きく成長したように思います。

だから、今家が売れたことで、「さあこれからどうしようか?」と思った時に、
次の一手は、今までの5年間とは変わったものになるだろう、と感じます。

それは、今まで愛してきた価値観を背中に、新しい未知の未来に向かって進むような、
寂しさとワクワクが一緒になった気持ちです。
.
.
.
さて、そんな風に暮らしのカタチが変わっていく中で、

私も新たに

内観向けのタロットカードリーディングHeart Map Tarot Reading

をはじめました!

布ナプ屋さんのEco moon padをやっていた時の
「布ナプが自分のことを愛するキッカケになってほしい」という想いをそのまま、
形はタロットカードに変わりましたが、Eco moon padの想いを引き継いで、
タロットを通じてみなさんと繋がっていけたらいいなあ〜と思っています。
(なぜタロット?的なことはwebsiteにも書いてあります)

タロット好きの人も、そういうのはちょっと遠慮するわという人も、
占いとはひと味違うタロットリーディングなのでぜひぜひ1度試して頂けたら嬉しいです。

Websiteはこちら→ Heart Map Tarot Reading 
最近始めたばかりですが、ココナラさんにも出品しています 

応援よろしくおねがいします!!



引っ越し準備がんばろう〜!





2020年7月8日水曜日

ルービックキューブと折り紙

ホームスクーリング月間が終わって、しばしの学校生活の後、長い夏休みに突入。

気がついたら息子もあと一週間で11歳になる。
9月からは6年生。
小学校6年生の息子を持つ親になると思うと感慨深い。

少なくとも去年までは、楽しいこと、アクティブに動いていることが好きな息子だったけれど、ここのところ家でダラーーっとしている時間も欲するようになった。

「I need alone time so go to shopping now!」といって、留守番をしたがるようになったのだけど、あれ、、、??I need alone time...その言葉は私のものではなかったか、、、?笑



それに加えて、「Boring....(つまんない)」が口癖になりつつある。
じゃあ何をするかというと、特にしたくない。
自転車も、散歩も、してもいいけど、別にしなくていい。
そんなお年頃のようである。


そんな息子でも、ホームスクーリング期から今まで、地味にやり続けていることがある。

ルービックキューブと折り紙。

ありがたい世の中で、この2つとも私が付き添って教えてやるほどの気力と知識がないけど、今や興味あることをささっとyoutubeで検索したら、誰かが教えてくれる。


赤じゃないのが惜しいけど、youtubeのシンボルだって、、、。


子供が成長するにつれ、子供優先であれこれ一緒にやらないと!という強い想いが少しずつ薄れている過程にある私には、たた単純にありがたい。

自分で考えることも大事だけど、情報を上手に活用していく今の時代に、
私の時代の話を当てはめてもしょうがないなーと思うこともその中のひとつ。

何もやりたくない、という
子供を放っておく自分を許すことにした。

さて、その成果として、息子はルービックキューブの全面揃えを自分で達成し、
なぜだか折り紙にえらくハマっている。

論理的で手先が器用な彼なので、そのとおりといえばそうなんだけど、
退屈退屈言いながらも、何か自分で探していくものだなあ〜と感心する。

ちょっと前まで「次はなにするの?」「その次は?」と、
空白の時間が苦手な子どもたちだったけど、
「じいっとすることもあり」が子供の選択肢に入ってきたことを嬉しく思う。

息子と2人でじいっとしていると、1日が早く過ぎる。
(娘はおうちタイムが好きなのでいいのだけど、家でちゃかちゃか動いているタイプ)


シンプソンズ漬けになりそうではあるけど。。。

冷夏の夏休み、まだまだ親の体力温存中 笑





2020年6月28日日曜日

体に記憶された感情

かれこれ15年くらい、首の痛みに悩まされている。
特にここ数年、裁縫作業をするようになってから襲ってくる首の痛みがひどく、
ギックリ腰ならぬギックリ首で動けなくなることが年に数回はある。
診断的には頸椎版ヘルニア。

元を辿ればスノーボード時代の度重なるむちうちが原因だったかもしれないし、最近の裁縫やコンピューターワークや姿勢の悪さが原因かもしれない。
ありとあらゆることを試し、それなりに気をつけているけれど、
とにかく私の悩みの種であることは間違いない。

そんな中、先日、4ヶ月ぶりにかれこれ10年お世話になっているRMT(マッサージセラピスト)のシェリのところに行ってきた。

最近パソコンワークが多かったので、首がかなり硬くなっていたなとは思っていた。
けれど、これが、シェリの指が入らないほど固まっていた。
こんなに硬いと、これは好転反応がくるだろうな〜と思っていたらやっぱりきた。

それも、ド級にひどいやつが。

日頃から、トリートメントを受けて頭痛と浮遊感がくるのはしょっちゅうなので、
あまり気にはしない。けれど、それにしても今回は頭痛がひどい。体もしんどい。

(シェリの名誉をかけて言うと、私は反応を強く感じる体質なゆえに、今までいろんなセラピストのところにいっては、ボロボロになって帰ってくるということがかなり頻繁にあった。だけど、シェリのゴッドハンドだけは絶妙なところで大丈夫&メンタルのケアもされると言う、私にとってシェリはBest therapist everなのです。)

しんどい1日をなんとか耐えて、布団に入るも、何度かトイレに起きる。
起きる度に頭痛が緩和されているのに気づき、体が毒素を排出しようとしてるんだなあ。

と思って眠りについたのはいいが、、、、

ひどい夢を見た。

*******************************

夢の内容は、20年以上前の私の中のトラウマの再現。

トラウマの中でも、一番強烈なある日の出来事が、夢の中でリアルに再現される。

そして、、、

「助けて!」

と言って目が覚めた。



ついでに、夢からさめるギリギリのところで、私は「絶対に許さない」という感情を味わっていた。

「絶対に許さない」

文字通り、強烈な感情。

********************************

夢から目覚め、しばらくして冷静になって振り返ってみる。


「その出来事」は顕在意識的には、もう消化済みの出来事であり、
何度もしつこく過去ワークしたイシューであり、
許すも許さないも共存だなあ〜、なんて、
自分の中で和解してほっこりした気持ちでここ5年くらい過ごしていたので、
「絶対に許さない」という感情自体にびっくりした。
私の中にしっかりと、残っているからこそ出てきたのだろう。

そして、こんなタイミングでこの夢を見るということは、
もしかして私の首にはこの感情が溜まっていたのかも。と思い始めた。

体にトラウマが刻まれるという話は知っているし、そりゃそうだろうな、と思う。
だけど、こんなにもダイレクトに、しかも記憶とピンポイントに繋がる感情を体感したのは初めてだった。

おそらく、セラピストがシェリでなければ、この感情が素直に首を通して出てくることはなかっただろう。

ともあれ、この話を、速攻シェリにテキストすると、

「その通り!
感情は波動になって体の筋組織や臓器に流動的に留まることがわかっているの。
そうなると同じ部位にストレスを溜め込んでしまうものなのよ。
表面に出てきてよかった。しんどいかもしれないけど、感情リリースには大切なことだから」という連絡がきた。

このタイミングで、長い間悩まされている首の痛みの奥底に眠っていた記憶が
表面に上がってきてくれたことを喜ばしくも思う。
しかし、当事者である今の私は顕在意識の中では、
「もうそのことは終わりでいいじゃん(やれやれ)」と言っているのだから不思議だ。

なにはともあれ、出てきた感情を受け止めて、
過去の辛い時を生き抜いた自分と、今ここにある暮らしと家族。
その全てをお祝いしよう。

そう思っていると、心がむにゅう〜と柔らかくなって、胸がじわーっとあたたくなる。

「頭でなくて、心で傷つこうよ」

そんな言葉を思い出す。

そして少し泣きたい気分になる。


この気持ち全てひっくりめて「愛」であるかのように。

その頃には、首の痛みもだるさも、頭痛ももう消えていた。







昔は、早く手放したくて仕方なかったトラウマだけど、
今は、それもひっくるめての自分だなとも思えるようになった。
またきっとベストなタイミングでたまに顔を出すだろうから、
その時は向き合ってお付き合いしていこうと思う。

今日のところは、まだ許せていない私へ、
それもそうだよねっ!と言ってあげよう。
あの時の私に、今の私からありったけの感謝と光を送ろう。

世の中手放しブームだけど(笑)、無理しなくても、
必要なときに、必要なタイミングで手放せるようになっていると信じて、
それまでは、共存していくのもありだよね、って思います。

そもそも、トラウマを乗り越えて、トラウマと共存して今ここに存在していることだけでも、すごいことだよ。

だから、わたしと同じような道を辿ってきたあなたへのメッセージ。

”あの時、どんなに勇敢だったか。そしてあれから遠くまで来たからこそ今がある”






そして、首を労るためにも、デスクワークもほどほどにしていかないとね。(←これがなかなか難しい〜)



2020年6月6日土曜日

倒しておく8本の柱 〜おから再活研究所より〜

おから再活研究所の松田由己さんのブログの
「倒しておく8本の柱」という記事が
今の私にとても響いたので紹介したいと思います。

松田由己さんは、私の長年の友人の、長年の友人で、
日本中、そして世界中、数年前にはここバンクーバーでも「おからで作る味噌ワークショップ」を開くなど、廃棄物となってしまうおからを通して、食について文字通り活動的にあちこち飛び回っていらっしゃいます。

おから再活研究所のウェブサイトはこちら→おから再活研究所

由己さんとは、バンクーバーで「おから味噌ワークショップ」があった時に、
友人と一緒に我が家に立ち寄ってくれたのが出会い。
「大切な友人にとって大切な友人は、私にとっても友人」という風に感じる(と私は勝手に思ってます)とても素敵な女性です。

さて、ブログの一部を紹介とおもったけれど、
万人の人にとっても、自分軸で生きるための指針になると思うので、
全文で紹介させて頂くことにしました。

ぜひぜひ多くの方に読んで頂きたいです。
どこか特にひっかかるところありませんか?

という私もドキッとすることが数カ所。

中庸な生き方に惹かれる今の私には、
たびたび思い出したい8本の柱です。
瞑想のお供にも良さそうです。

では、以下引用です。

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「倒しておく8本の柱」

ふと、不安になるときがある

「気になって眠れない」という経験は
数えるほどしかないくらい

睡眠によってチャージされるという
楽観的な性質な私でも

不安で仕方がない時がある


そんな時に思い出すのは

起業するもっと前から、自分に課した「8本の柱」

不安に支配されそうな時
諦めてしまいそうな時
思い出しては、噛みしめる

「依存しない」

「執着しない」

「嫉妬しない」

「自惚れない」

「比較しない」

「反芻しない」

「反省しない」

「期待しない」

自分の目標の人物像を作ること
自分の「こうありたい」イメージを持ち続けること
「絶対」はありえないと留意すること
何かを始める時は
良きも悪きも、一切の変化を受け入れる覚悟を持つこと


心当たりがあるときには

「依存している」のは、なぜ?
「執着している」のは、なに?
「嫉妬している」のは、だれに?

端から全部、当てはめて行き
心の中身をクリアにすること


久しぶりに、読み返した
今、再度心に留めておきたいので

これは、自分への備忘録として

今、独りで抱え込んで苦しい想いをしている人がいたら
届けてあげたい

私なりの解決法

「自分と向き合う」

明日も一緒に
歩いて行きましょう。


*******************************
一般社団法人おから再活研究所
コミュニティおかラボ!運営

*************************************************************************************




引用終わり

2020年5月23日土曜日

海


家にいるようになってから、近くの海まで自転車で散歩に行くようになった。
往復でちょうど1時間。子供との散歩&エクササイズにちょうどいい。




海に行く途中に、森に囲まれたただっぴろい空き地があって、
パンデミックに突入した時は、まだ葉っぱがまばらだった森が
今はもう新緑を過ぎて夏の準備をしているように感じる。

思えばこの2ヶ月は眠っていたような気もするし、
夢だったような、現実だったような、なんだか幻のように思う時がある。

みなさんはどうかわからないのだけど、
私は規制緩和が始まり、社会が動き出そうとしている今のほうが、
パンデミックのど真ん中に居たときよりも心がグラグラする。

自分の心に聞いてみると、
「前みたいに忙しい生活に戻るのが怖い」
と言っている。

耳障りのいいことを言うようだけれど、

また空に飛行機が飛び回り、海にエンジンボートが行き交い、
人気のハイキングトレイルに人が集中し、
今は見える遠くの景色がぼんやりと霞んでくる


と想像すると、胸がずーんと重くなる。

何も私は、「地球の痛みが自分ごとのように苦しい」と言いたいのではなくて、
自分も地球の一部だからこそ、
そんな日常の中に、自分の身を置くのだと思うと苦しくなる。


3月のブログで「涙」という記事を書いたのだけど、
この2ヶ月で「受容ー調整ー適応ー出発」というプロセスを一回りして、
また一段上がった「受容」ステージにやってきたのかな。

今の気持ちは、あの時の感覚や悲しみと似てる。

と、そんな事を言っていても、山奥でひっそりと暮らしているわけでもないし、
社会も時計の針も止まらない。

しょーがないかあ、と、私も変化に向かって準備をする。
少しずつ少しずつ。

その合間合間に海に行く。

子供をそこら辺に放って、少し瞑想する。
ただ息を吸って、ただ吐く。
今と繋がる。
今の自分と繋がる。






こういう時に海が近くにあってよかったあって思う。

海は止まらない。常に。流動的に。
海を見ていると、変化への受容を促してくれるように思う。

「諸法無我。諸行無常。忘れるなかれ。そして進め。」

と大きなところから言われているような。

そして、潮の満ち引きを目で見て感じることで、
月と地球と繋がってることを、体感する。





2ヶ月間、体と心がお休みできてよかった。
地球や動物も、少しばかりの休息になっていたらいいな。
身の回りにある森や植物や自然にいっぱい癒やされたな。
ありがとう。そしてこれからも。






こうやって書いているくらいだから、
私の中でも次のステージに向かって、ある程度の覚悟はあるのだろう。


さあ、顎をあげて、次のステージに向かって、しゅっぱーつ!だー!

2020年5月16日土曜日

先生のパレードと学校再開とホームスクーリングの本音

学校が閉鎖されてから早9週間。
先日、息子(G5)の学校の先生が学区域を車で巡るというパレードがありました。


先生たちが車に乗って、手を振りながら学区域を巡るというパレードだったのですが、

なんか、知っている先生たちの顔を見たら、胸にこみ上げてくるものがあって。

子供も先生も「I miss you !」というサインを掲げて
笑顔で手を振っているのを見ていると、
やっぱり、オンラインなんかでは絶対に表現できない
「人のぬくもり」をすごく感じて、ウルウルしてしまった。

なんとなーく、世の中の風潮を見ていると、
「学習の遅れ」が学校再開への議論の的になっているような気がするんですが、

ちょ、ちょっと待って、学校って、勉強だけするだけの場所ではないですよね。

学校は、友達にあって、遊んだり、喧嘩したり、

親以外の大人を信用する、もしくはジャッジする機会であったり、
他者と自分との違いを発見したり、社会の規律を学んだりする
学校は、子供にとっての社会です。


私は、学校といえば、勉強したことよりも、いい思いも嫌な思いも含めて、
人との関わりの記憶の方が断然ウエイト占めています。

だから、「学習」ばかりが議題になっていると、
ワタシ的には、子供の心が置いてかれているという気持ちになります。





去年の今頃


うちの子供の場合、9週間家庭の中にいることで、
他者との交流がなく、オンラインの課題をぼちぼちとこなす日々が続き、

特に息子のメンタルが低下してきていることに気が付きました。

大人ですらオンラインやズーム疲れで疲弊している人も多いと思いますが、子供も同じです。特に、小学生には、オンラインツールやリモート学習は向いていないと実感します。

うちの子供はスクリーンタイムがパンデミック前の3倍くらいに増え、
最近になって、言葉がなんだかシャープになってきているのを感じて、
あれ、精神面で影響出てるな、彼らしさが失われ始めていると思うこの頃です。

無理だとわかっていて聞いてくる「〇〇と遊んだらだめだよね」という言葉も切なくて。



今日息子が作成していたハートマップ


そんな中で、パレードの時に久しぶりに友達に会って、
自転車で遊ぶ機会があったのですが、
終わってから、蒸気で顔を真赤にして「楽しかったー!」ってキラキラした目を見て、
私も本当に嬉しかった。


言わずもがな、全てのお父さんとお母さんが、
この状況下で、みんなすっごい頑張っています。

それでも、親ができないことはたくさんある。

実際に先生を見たときや、友達に会った時の笑顔を、
私は引き出してやることはできません。


It takes a village to raise a child

という言葉がありますが、子供を育てているのは親だけではないと
この事態になって痛感します。
そして、正直、自分たちの中だけで抱えるには、私もだいぶ疲れてきたな。。。。


なんとなくオンライン上の世論は、
学校再開への批判的な色合いが強いように感じるのですが、


仕事をしながら子供の面倒を見ている家庭
規制緩和に伴って、低学年でも留守番をさせなければいけない状況にある家庭
精神的に疲弊している家庭
この状況下で精神状態が不安定な子供
ホームスクーリングが成立せず、学習に遅れがある子供
閉ざされた環境の中、虐待や育児放棄の危険にある子供

それが数週間であるとしても、いろんな理由で学校再開を望んでいる家庭もあるでしょう。
それと同じくらい、いろんな理由で学校再開を望んでいない人も、
どちらでもないという人もいるでしょう。


なので、どうかどうか、

Dr.Bonnie Henryの言うところの、「Be kind to others」という目線を持って、
各家庭の判断を優しい気持ちで受け入れてくれる社会であってほしいと切に願います。


学校に戻る子、戻らない子、戻る先生、戻らない先生、
その全ての選択は正しいと私は思います。


私と息子は6月1日が楽しみです。

Be kind to others and enjoy outside! 


2020年3月6日金曜日

瞑想の種類

去年の秋に、私の好きなヨガの先生のリトリートが近所であったので行ってきた。

それまであまりどんな内容のリトリートかわかってなかったのだけれど、
蓋を開けてみたら禅ベースのプログラムだった。

Sea to skyの森の奥での3泊4日リトリートのプログラム。
内容は、1日4回、最低でも計4時間くらいが座禅の時間で、
座禅と座禅の間はそれぞれ1時間半くらいのヨガを行う。
夕飯後から翌日のランチ終了までは、サイレントタイムと言って、
他人と会話してはいけない。

私は今まで、瞑想というと、割と祈りに近いかたちの瞑想を行ってきた。
もともとはシュティカ(ファーストネーションが守ってきた土地)に出会った時に、
シュティカを守っている長老の祈りや部族の人たちと一緒に、
地球へ感謝を述べたり、人々の幸福を願う機会があり、その時に学んだものだ。

その方法をざっくり言えば、自分自身や苦しみを受け入れ、
感謝や愛の光を当て、自分の外側、家族、自然、そして地球、
宇宙に向かって光(幸せ)を増幅させていくという方法で(または光や宇宙のエネルギーと繋がる)、スピリチュアル的な世界では非常によく行われている方法だと思う。

その方法は、確かに自分の中に光が溢れて心が温かくなり、
一体感を覚えるので大好きだったのだけれど、
子育てが始まってからは、
リアルな現実に戻った時に調和のとり方が難しく、
愛だ調和だとわかっているのに、
子育てで手一杯、
イライラして調和が取れていない自分に罪悪感を感じるという悪循環に陥ってしまい、
結果自分を苦しめることになってしまったので、
しばらく距離を置いていた。
(実際のところ、親になるという世界は、今まで見ていた景色がひっくり返るほどの衝撃かつ未体験ゾーンだった)

比べて、禅の瞑想とは、
瞑想で何かを体得するとか、
悟りをひらくとか、許したり、祈ったりするといった
瞑想の「目的」が無い。

目的がないのに座る。

ほら、もうここから禅問答が始まっているといっても過言ではないけれども、
文字通り、
目的もなくただただ座り、
鼻から息を吸って、口から息を吐く。
もちろん、言葉によるガイドもないし、
心が穏やかになるような素敵な音楽もかけない。

その行為には
愛も、感謝も、祈りも捧げないし、悟りも光明も得ない。


ただ呼吸をし、
ただ座る。

以上。

ちなみに、禅では、悟りや光明を得た、神に会ったとか、
あるいは全能感やメッセージが降りてきたという状態を「魔境」と呼び、
中途半端に覚醒した人が陥る精神のバランスの崩れた状態だと一喝している。

私は一時期、魔境をさまよっていたという自覚がある。
その魔境で迷子になったことがあるからこそ、禅の教えを読んだときには、
久しぶりに体に電気が走った。

で、ただ座ることで、何が起きるのかというと、
私の体験では、
ただひたすらに雑念が湧き上がっては消え、
そのうち足が痛いだ体が痛いだと、体も騒ぎ出す。
そういったことにも、できればなるべくとらわれずに座り続ける。


さらにそのずっと後に、雑念の奥深くから、本当の欲求がちょっと顔を出す。
この欲求は、日頃雑念や、固定観念、プライド、愛や感謝というベールに混じって、
自分でもなかなか気づくことができない。

それを、ぱっと掴みに行く。

目的を持つな、という禅の教えには背くけれど、
私は、その欲求の正体を掴む訓練をしているような感じがする。

それと、雑念というのもなかなか素晴らしいもので、
私が今、この瞬間感じていることを、浮き上がらしてくれるので、
文字通り、今ここ、この瞬間の自分とつながることができる。
足が痛いだなんだ、体の声も、まさにいまここなのだ。

前に行っていた祈りの瞑想は、
宇宙のエネルギーを浴びるイメージか、もしくは
内側から外に向かってエネルギーを放出しているようなイメージだった。
しかし、禅の瞑想はひたすらに内側にある。

ひたすらに自分とつながると、
座禅が終わって日常に戻っても、不思議なことに外側に影響されることが少なくなる。
瞑想後に自分と全く異なる波動の人にあっても、何も感じない。
私が禅的瞑想が「超絶グラウンディングである」と呼ぶ所以もこんなところにある。

ちなみに、仏教でも、
最初に述べた祈りの瞑想に似ている「慈悲の瞑想」と呼ばれる方法もあるそうだ。

もちろんこの方法も、心身を健康に、自分の状況に感謝し、
自分や周りの人達を幸せにする素晴らしい方法だと思う。

今の私には禅的瞑想が心と体の健康に役立っているけれど、
そのなかに慈悲の瞑想的な瞑想を取り入れることもある。

私もまだ入り口に入ったばかりで、
まだまだ何かを語れるほどではないけれど、
禅のシンプルさと潔さは、
情報が溢れている今の世の中から、
自分の核を知り、強くするための素晴らしい方法だなと思います。

もしこれ読んでピンときたら、とりあえずまずは1日10分、目を閉じてただ座る。

を試してみてくださいな〜♪



2020年2月17日月曜日

CBDオイルを試してみた

少し前のことなのだけど、
10歳の息子がインフルにかかり、
インフル終盤に咳がひどくなり、微熱が抜けきらず、ファミリードクターに診てもらった。

その時に、ドクターが息子に

「変な質問だけど、一応聞かないといけないから聞くけれど、あなたVapeしてる?」

という聞いてきた。

当の本人は、目をまんまるくして、まさか!と首を横に振る。
うちの息子はドラッグの名前を1つもあげられないほどイノセントなので、
私の知る限りそういう心配はないので全く心配してないけれど、
こういう時に、「そういえば、解禁になったもんねえ」としみじみする。

さて、タイトルのCBDオイル。
詳しい説明は省くけれど、ざっくりいうと、大麻の成分の中でも医療大麻の部分で注目されているCDB(カンナビジオール)という成分を抽出したオイルの総称。
酩酊作用がある成分THCが含まれていないものがほとんどで、

慢性的な痛み
睡眠障害、
不安やストレス
てんかん    

などに効果があると言われています。

*追記:アトピー性皮膚炎や乾癬にも効果があることがわかり、ステロイドのように副作用がないので注目されているそうです。またWHOも安全性や依存性に問題がないと発表しています。






話はちょっと前の夏のリノベーションの記事にもどります。

この夏、連日のリノベーションの肉体労働と家事と子供の用事で、
夏の始まりには精根尽き果てた状態になってしまった私は、
筋肉も精神も疲れすぎて、ベッドから動けないという状態になってしまった。

その頃は、もうめちゃくちゃに疲れていて、一刻も早く寝たい。
だけど、ベッドに入っても、疲れすぎていて眠れず、
かといって何もする気も起きず、
一日中「もうできない!」と全てを放棄してのたうちまわるような日々だった。
1日ベッドに籠城して、また動き出すのだけれど、それでは体調が改善されるはずもなく。

私に必要なのは、質のいい休息。

わかっているけれど、心も体も過緊張状態で自分ではどうすることもできなかった。

そんな状態で子供をアートクラスにドロップオフした後に、
同じビルディングに入っているカンナビスショップが目に入り、
「そういえばCBDオイルでも試してみるか」とふと思いついたのがきっかけで購入。
午後5時過ぎのカンナビスショップに列をなす、仕事帰りのおじさんたちも新鮮だった。

それから、寝る前にCBDオイル服用すること数週間。
これね、、、、最高。手放せない。

体の緊張がほぐれて、気づいたら寝ちゃってる。
次の日も、気持ちよく起きられる。

それじゃTHCでも同じじゃん。と思うなかれ。
いやしかし、それが違うんだ。

どういうわけかTHCは私の体に合わなくて、
THCを体に入れるとリラックスしてるようで逆に疲れてしまう。
体もあちこちがモゾモゾして不快になる。

しかしCBDは、
酩酊することなく、
純粋に体の緊張や痛みが緩み、
すーーーーっと意識がフェイドアウトしていくような心地よさがある。

カンナビスハーブの力すごいよ〜〜〜!

ちなみにその後体調回復して、普通に眠れるようになったし、
デプレッションなどには継続して摂取した方がよいみたいだけど、
私はそこまでではなかったので、短期間でお薬箱に戻っていただきました。
ちなみに、依存性はなく、元気な時に摂取しても効きが軽くて何もわからないと思う。(THCの代わりには全くなりませんのでご注意を。)

日本ではTHCが解禁ってなことにはならないと思うけれど、
CBD100%だったら購入できるようになったのかな?

眠れない、疲れている、緊張感がとれない、
気分が塞ぐといった症状でお悩みの方(痛みに対しての効果は弱いかな〜と思います)、
もしピンときたら、質の良いCBDオイルを
自然療法の薬箱に足してみてくださいね〜〜〜。

2020年2月16日日曜日

おそばせながら2020年の初記事です。

ブログを書くのはかなり久しぶりです。
どうもこんにちは!(照)

実はこの1年の間も、書いては消してと逡巡しながら
結局アップロードしなかった記事が何本もありました。

なるべく、読んでくれる人のためになることを書きたいと思いつつ、
そんなに価値のあるものが書けるだろうか?と手が止まったり、
「伝えたい」という欲求が小さくなってしまったり。
昔に比べて感受性が減って、さらに日本語が退化していることにまざまざと思い知らされたり、そんな風にして、筆が止まり、口数の減った1年でした。

ちょっと話は変わりますが、
同じ街で長いこと暮らしていると、当然ながらいろんな人に出会います。
その中でも、「この人は!」と思う素敵な人たちがいます。

そういう人は、私が素敵だなと10年前に思った時から変わらずに、
自分が探求する道なり、ビジネスなりをずっと続けて、
今もなお進化し続けている人達であることに気づきました。

観察していると、その人たちの共通点がわかってきました。

長い間1つのことを続けるというのは、当然ながらいい時ばかりではないわけで。
私が素敵だなと思っている人たちは、そういう時の葛藤をも見せてくれた人でもあります。

謙虚でありながら自信があり、
包容力がありながらバウンダリーがある。
無理はしないが、怠惰ではない。
感想はいうけど、悪口や愚痴はいわない。
苦労を知っている。
同じことを続けながら、停滞するのでも、過去を美化するのでもなく、進化し続けている。
そして、山や森にどんどん入っていくアクティブな人たちでもある。

なんていうか、人生に対して腹括ってるのに、軽やか。

人間だから、もちろんどこか偏りがでたり、アップダウンはあったりするけど、
最近はこういう方達から、学ぶことがたくさんあります。

比べて私は、、、と思うと、気分が落ちていく一方ですが(笑)、
私が続けていることはなんだろうと自分に問うた時に、
「書くこと」だなと、やはりここにたどり着きました。

人間は、自分の内側に取り入れ、吟味し消化したものを、
外に出していくというのが生き物としての普遍的な在り方ですよね。

だけど昨今の上っ面だけさっと取り入れて、
「汗もかかずに外に吐き出すという行為」が溢れすぎている今の情報社会では、
情報や想いを文字に載せることが毒にすらなりうる。

それに、もう必要十分の情報が溢れている世の中に、またアウトプットを増やすことに対して、自分でも辟易しているのもあるかもしれない。
承認欲求というものと戦っているのかもしれない。

なんて想いを逡巡させた1年であったけれど、

上記のように
やっぱり私の周りにいる素敵な人や、自然から得たことを、
アウトプットしないなんてもったいなさすぎる!

という思いに駆られ、
そして私の中で、体験したことを言葉に紡いで、アウトプットしていくことは、
やめられない衝動の一部でもあるので(父親が昔ジャーナリストだったので、その血を受け継いでいるのかもしれない)人様の害にならない程度に、堂々と、これからも書き記していこうと思います。

2007年から始まったこのブログも13年目に突入です。
とまあ、おそばせながら2020年のブログスタート。
今年もよろしくお願いいたします。