2019年9月8日日曜日

情熱の矛先 ーECO MOON PAD卒業するにあたってー

最初にファーマーズマーケットに立ったのは2011年のことだった。
布で覆ったアイロン台をテーブルがわりにして、緊張と興奮入り混じりながら始めて自分のブースに立った。

今思えばよくあんなの売ったな!と思う仕上がりだったけれど、
布ナプキンという発想自体が目新しいカナダにおいて、そんなことは問題でなかった。

立ち止まる人に「これは靴の中敷なの?」と聞かれたり、
冷蔵庫の取っ手のカバーにちょうどよさそうだから買うわという人がいたり(笑笑)、
「えっ、生理用?おえー!」などと正直すぎる反応をもらったことが今となっては懐かしい。
ここ1〜2年のマーケットでは、いちいち「布ナプキンとはなにか」を説明しなくてもよくなった。それは、本当に嬉しいこと。
人の意識は確実に変わっているんだなって実感する。



記念すべき第一回布ナプ手作り会 2008年


布ナプキン屋さんを始める前は、私は少し現実離れした世界にいた。
スピリチュアルという言葉が世界を駆け巡った時期でもあったけれど、
もともと目に見えない世界のアンテナが強かった私は、
いろんな不思議なことを経験したし、面白い出会いがたくさんあった。
その一環としてレイキを教えるという経験をさせてもらった。
とても愛に溢れた時期であったし、このまま世界がどんどん広がっていくと思っていた。

しかし同時に「目に見えない世界」と「現実社会」にうまいこと橋をかけられない自分にもがいてもいた。
同時期に親になったことで、今までの自分の人生観をはるかに凌ぐ、子育ての世界の広さと深さに溺れてしまいそうにもなっていた。


「目に見えない世界」と「自然のかみさま」
たくさんのことを教えてくれた
LILWAT FIRSTNATIONの師匠


そんな私にとって「草木染めの布ナプキン」は、
「目に見えない世界」から培ったことと、
「目に見える世界」を結びつけてくれる、素晴らしい着地点だった。

ふわふわしすぎていた私にとって、裁縫や染めという作業は、大地と自分を繋いでくれるアンカーだった。
そして、幼児の母親という日々の中で、社会と繋がれる方法だった。
いちから自分で考え行動すること、現実的な「お金」を扱うレッスンでもあった。

なにより、「目に見えない世界」を語る相手は限られてしまうのに対して、
「布ナプキン」は幅広く誰にでも語りかけることができることが爽快だった。
「伝えたい」という思いを、「目に見えるもの」としてわかりやすく発信できることが楽しかった。
同じような地球の未来を見据えて、違うアプローチからクリエイティブな活動をされている人たちと出会えたことも刺激になった。
特にファーム系の人達から「生きること、食べること」をリアルに教えてもらったな。

いつしか、そういう活動の中で「目に見えない世界」よりも、「現実を生きる楽しさ」を強く感じるようになった。



ECO MOON PAD





余談だけれど、、、
 昔は、「ライトワーカーの素質はあるけれど、グラウンディングが全然ダメ。」と良く言われた。
当時はいろんなワークをして、グランディングを意識していたけれど、
グランディングはイメージすることじゃない、「そうである状態」なのだよね。
イメージしているうちはまだまだなのだと思う。
布ナプ屋さんをしていくこと、
親になったおかげで、ようやく体得できるようになった気がする。
(今思えば、草木染めという作業も、実際は結構な重労働なので、それもまた「自然の厳しさ」を知るというグランディングワークだったのかも。)


庭の桜の枝から草木染め


さて。

体の不調がEco moon pad卒業のきっかけではあるのだけれど、
実は心の方にも「完結した」というサインがきていた。

例えば日本から世界一周旅行に出てまた日本に戻ってくるように、
10年かけて「目に見えない世界への興味」から出発して、「現実を生きる楽しみ」を旅してまたゼロ地点に戻ってきたような感覚がある。
ゼロと言っても、九九の段が一つ上がるように、たくさん学んだ分だけ、1段階上がったゼロ地点にやってきた気分だ。

1段上がったゼロ地点に立ってみて、なんとなく、これから自分が歩む方向を直感的には感じている。
まだ漠然としていて形にはなっていないのだけど、、、気持ちだけは清々しい。

終わりは始まりだものね。

今、私の心は静かだけれど、
やがて情熱のさざ波が体を駆け巡り、
情熱の衝動に突き動かされる日が来るのを今から楽しみにしています。

その時また何かきっと発信すると思います!







ECO MOON PADをサポートしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
まだ材料が残っている分は、受注製作や手作り会を行いながら愛を持って関わっていきたいなと思っています。


2019年6月22日土曜日

リノベーション地獄

目が回りそうなほど忙しい。

この私が、パソコンに手を出せないくらいの忙しさで、そのまま寝てしまうのでSNSやe-mailを見る時間もあまりなかった。

忙しい理由は急ピッチで進めることになったリノベーション&メインテナンスにある。
このリノベーションのおかげ(せい)で、この先の人生の見方がまた変わってきている。

私たちはなるべく自分たちでやるのが好きで、古い家も、薪の暮らしも、味のある廃材もそれなりに愛してきた。

だけれどやはり、古い家は一度蓋を開けたが最後、
開けてしまった蓋の中には、放置されてきたやるべき家のメインテナンスがどっさり山積みになっていることを知った。

まず、リノベーション大変!
肉体労働で、messで、細かい作業が果てしない。
1度取り掛かったら最後、中途半端のままにしておけない。
(途中で放置することもあるけれど、中途半端のままだと、なんだか家に帰るたびに心がどよーんとする。)
私は決して力持ちではないので、パワーツールやヘビーリフトに、体のみならず心が折れそうになる。
ひとつひとつの作業は決して嫌いではないのだけど、やることが多すぎて心がパンク状態。

その上、先日、友達に「ここ数年で一番日焼けしてるね!」と言われた。
バケーションに行ったわけではなく、ただただ外でペンキ塗りやサンディングの作業をしていたがために自分では知らないうちに日焼けしただけのことで、日焼け止め対策をしていなかったことが心底悔やまれる。

リノベーションで夫婦関係が試されることも知った。
私たちは、子育てをしながら、夫は仕事をしながらのリノベーションなので、
休日がそのままリノベーションに当たることも多々あって、夫婦間でフラストレーションが溜まりまくりの状態になったりもした。
リノベーションは夫婦関係を悪くする高ストレスのプロジェクトというのも納得だ。
20代の頃なら、DIYのほぼ全て器用にこなす夫をみながら、「かっこいい!」なんて目をハートにすることもできたかもしれないが、40歳の今は、私の作業のひとつひとつにダメ出しをしてくる鬼教官にしか見えない。笑

家の中は工具やらなんやと散らかっていて、家の外もサンディングでなんだかわからない粉が飛び散り、時間がなくて手をかけられないガーデンが寂しそうに佇んでいるのを見ると気が滅入る。
家は整理整頓されている方が断然心に良い。
Konmaring(こんまりさんが動詞になった英語)万歳。

それでももちろん、完成したものをみて、「よくここまでできたな!」と自画自賛する瞬間もある。
だけど、もともと老朽化ものが標準になったということも多く、マイナスがプラスになるというよりも、マイナスが少なくともゼロ以上になってよかったという感覚に近い。
もちろん、この小さな喜びに浸ってはいるのだけれど。

悪いことばかりを書いているけれど、リノベーションのおかげで、わかったことがある。

自分たちの暮らしで優先させたいこと。どこに一番時間を費やしたいのか?
大事にしていきたい家族の在り方
必要な間取りや居住空間
リノベーションとは夫婦の絆を試される試練
自分の心と体の体力

そして最後は、家を維持するにあたって必要なメインテナンス

家は、やはり愛してあげないといけないと思う。
古い家だったら、常に何かしらメインテナンスしていくくらいの気構えがあった方がいいし、そうでない愛されてない家は入ってみるとすぐにわかる。
反対に、愛されている家は家の中が華やかで、とても落ち着く。
そして、新しい家、、、前まで「古い家を大事にするのが素晴らしいのだ」と突っぱねてきたけれど、新しい家に羨望の眼差しを向けてしまうこの頃でもある。笑

私はこのリノベーションのおかげで、家に関する知識をかなり増やすことができた。
おかげで、最近は鬼教官からのダメ出しも少し減ってきた。笑
全プロジェクトの75%は自分たちでやってきたので、もう今後こんなにやりたくないけれど、家を見るべきポイントも、直し方もわかってきた。外からパッとみてるだけでは知りようもないことを知れた。
それは今後の財産だなと思う。
まあ、この記事を書いている時点で90%のリノベーション&メインテナンスが終わったので、とりあえず夫婦が離婚せずに、乗り越えてられてよかった。笑

Before

After



振り返ってみれば、気楽な気持ちで始めた割に、近年稀に見るハードプロジェクトだったけど、人生観に深みを加えてくれて、心も体も鍛えられたからやってよかったかな。(もう嫌だけど!)
私たち家族がふるいにかけられて、大事なことを見据えることができ、おかげで人生のコマが1つ進んだ気がする。

人生たまに、こういう道もあるものだよね。
それもこれも全て、夫婦の絆を強め、人生を深くし、魂の栄養になるね。

さてさて、リノベーションお考えの方、家を持ちたい方、古い家好きな方、よーーく考えてくださいねえー。たいへんだよおー(と脅してみたりする)。

残りの10%頑張ります!



2019年5月25日土曜日

植物からの洗礼

散歩中にネトルを見つけた。

ここ数年ネトル摘みしてないなーと思いつつ、
「この葉っぱはねえ、自然のお薬になるんだよ。触るとチクチクするんだよ」などと子供に偉そうに説明しながら思いっきりネトルを触ってしまった。
ネトルの毒がどんなに痛いかすっかり忘れて。。。

おかげでその後24時間、指先がジンジンチクチクしびれっぱなし。

ああ、春の洗礼。


そして、夏至に近づくにつれ、庭のアイツの勢力が増してきて、気づいたら畑の境界線を越えて侵入してきそうな状態に。
アイツとは、そう、ブラックベリーの季節です。




ブラックベリーは生命力の塊。

たとえ何があろうとも生き抜いてやる!っていうパワーに圧倒される。

数年間ブラックベリーを完全に放置したら家乗っ取られるんじゃないかって、脅威にすらなりうる生命力。





防御なしでうかつに踏み入れるとあっというまに傷だらけ。

ブラックベリーと格闘していると、疲れるんだけど、なんか元気でる。
日本の植物でいったら葛の根っこみたいな感じかな。
力で引っこ抜いてやろうとしても、こっちの腰がやられるみたいな強さ。

そんなやつらに対峙しながら、
腰曲げて、膝ついて、爪に土が入りながら作業をしていると、
なんかこう、「生きてる!」っていう感覚が湧いて来る。

グラウンディングでもあるし、
今はやりの言葉で言ったらアーシングっていうの?
マインドフルネスっていうの?

言葉はなんでもいいんだけど、「今のこの瞬間と、大地と繋がる」機会を与えてくれる。


野菜も雨降ったら次の日にはグンって大きくなっていたりして、
そういう風にガーデンを通して自然を感じられることは、
頭であーだこーだ「理解」するのとは違って、
地球との一体感を「感じられる」瞬間ですらある。


必死に何かをつかもうとするPeaの手が好き


そして、自然や植物は「うわーきれいー、かわいいー」以上のものだ。
すごい重労働で、圧倒的で、脅威ですらある。
植物たちから「なめんなよ!」っていう声さえ聞こえるときもある。
その時のメンタルが影響して、育ちや収穫が違ってきたりもする。
私は適当すぎたり、せっかちになりすぎたりで、まだまだまだ下手くそ。

一方で、蜂やハミングバードが庭を飛び回っているのをみると幸せになる。
蜂が花粉に飛び込んで体を擦り付けている姿みると、かわいくて悶絶する。
数日苗を放ったらかして瀕死になっているのを見つけると「ごめんねーー(涙)」と植物のか弱さに心を打たれたりもする。

そんなことも含めて、ああ、幸せだあーって思う土いじりの午後。



にんにくちゃん


まだまだまだまだ下手くそだけど、今年も学ばさせていただきます。



2019年4月22日月曜日

投影ぐせ

シュタイナー学校に通う小学2年生になる娘のクラスが最近ざわついている。

女の子同士の仲良しグループがらみのドラマがちょいちょい見受けられるようになった。
娘から聞き出した情報によるとこんな感じ。

AちゃんがBちゃんを奪っちゃうから、Aちゃんと遊べなくなっちゃった。

とか

Bちゃんを取り合ってAちゃんとCちゃんが喧嘩してた

とか

遊ぶの断ったらDちゃんに睨まれて、すれ違いざまに蹴られた。もう一人一緒に断った子も見えないところでDちゃんに突き飛ばされた。それで無視された。

とか

Dちゃんが遊び方を事細かに指示してきて、違う役やりたいのにやらせてくれない。けどBFF(Best friend foever)の手紙やアクセサリーいつもくれるの。

とかとか 女子あるあるが始まっている。
嗚呼、始まってしまったのね。。。

そんなこんなの中、娘が仲よかった2人が公立学校に転校してしまった。

私はこの手の女子グループが大の苦手で、
女子グループのねじれワールドに娘が巻き込まれませんように!と心の中で念仏のように唱えている。

正確に言えば、トラウマ的に苦手、というか、完全なトラウマ。

というのも私の小学校生活は、女子グループ問題に始まり終わった、長く、暗澹とした全く楽しくない6年間としか形容しようがないからなのだ。

私自身がいじめのターゲットになることはなかったのだけど、
あまり意見を言わない(言えない)のでボス的女子に取り入られてしまい、
同調圧力に屈し、周りを信用できなくなり、追い詰められ、
親や先生を巻き込んで5、6年生の時に登校拒否になるという事態に陥った。
そもそも、この小学校は高級住宅地のど真ん中にあり、
学区域ギリギリの商店で育った庶民の私とは、
金銭感覚も身につける物も文化の違う家庭が多く、それにも苦しめられた。

そんなこんなで娘に同じ思いをさせたくない、という気持ち以上に、
私自身を子供にがっちり投影してしまって、
トラブルを回避しようとしたり、
特に「親友(BFF)」という言葉に拒否反応が出てしまったりして、
自分と娘との境界線がすっかりわからなくなってしまう。

ひょんなところで出てくるトラウマにはいつも苦戦する(汗)。

だけど最近気がついた。
しんどいこと、辛いことでも子供から経験する機会を奪ってしまうと、
大人になって社会にでたときに困るのだ。
例えばずっと親に守られて育ってしまうと、逞しさや自立心が奪われてしまうように。

人間関係で、小さいうちに失敗して、その中でもやり直したり、
繋がっている人を大事にしたり、
はたまた年齢とともに変わってしまう関係性を受け入れたり、
傷ついたり、学ぶことが大事なのよね。
子供時代は、たくさんのことを経験することが財産なのだよね。
それが自分らしさへの探求プロセスを早めてくれるのだろう。

だからちょっとした出来事1つ1つに親が反応するよりも、
「今どんなこと学んでるのかな」って、
引きで見守るのがちょうどいいなと最近ようやく感じるようになった。

割とおとなしくて私に従順だった娘も、最近ツンツンしていたりして、自我やらなんやらいろんなものが芽生えているようにも感じる。







これも見守りだわ。
親離れ・子離れの大事なステップ。

そして、私の分離の課題。

とわかっているものの、なかなか難しいこともあるのが正直なところ。
不思議なことに息子の友人関係には、「ま、いろいろあっても気にスンナ!」とどっしりしていられるのにね。
娘だとモヤモヤするという、、、、。投影グセです、これは。
ま、当の娘は、友達関係でさほど心が乱されることはない模様。ヨカッタ。

と、ここまで私の目線で書いてるけど、
公立学校間、シュタイナー&公立学校間でも、
女子の人間関係に悩んで隣の学校に転校する子もまあまあいるので、
思い悩んでいる親子さんも割といるのかなと思ったり。

転校すると言う選択があるならば、それも悪いことではないけれど、
その場で耐えて嵐を乗り越えた子に見える逞しさ、自分を信じる力が不安を上回った表情を見たりすると、辛い経験もやはり財産なのだな。

と思わずにもいられない。


がんばれ、私。
よいサポートができますようにーーー(願)

2019年3月8日金曜日

Mexico 〜噂通りのCenote Tortugas〜

メキシコから帰ってきて1週間が経ちました。

この頃よく夢を見る。それも色彩の明るい元気な夢。
こんなにカラフルな夢、ずっと見てなかったなあっていう夢。
間違いなくメキシコの影響です。









ああ、、、恋しきメキシコよー!


現地にいた時は、1週間でちょうどよいか、と思っていたけど、帰ってきてから次はここに、次はこんなことしたいばかりが頭をよぎる。
山女だし、暑いところ苦手だと思ってたけど、自分でも意外、メキシコかなりツボりました。

そんな名残惜しさを胸に、旅を振り返ります。今日のお題はセノーテ。
セノーテとはマヤ文明の言葉で「聖なる泉」という意味で、自然にできた地底湖。
セノーテは地球上でもこのエリアにしかありません。

私たちが行ったリビエラマヤ(地域の名称)の中でも、滞在していたAkumal近辺にはそちこちにセノーテがボコボコあって、選びたい放題です。
セノーテツアーもたくさんあるけど、強調性のない私と大人に合わせられない小学生2人なのでホテルからタクシーで行くことにしました。

そして、今回行ったのは、"Cenote Casa Tortugas"というところ。
ここは地下、鍾乳洞(ケーブ)の中にあるセノーテが3つと写真のオープンセノーテが1つありました。
ケーブのセノーテはガイドが付いていろいろと説明してくれます。

噂には聞いていたけど、水の色がね、見たことのない美しさです。
人がたくさん入っているから汚れちゃってるんだろうなと思ったけど、たとえそういう影響があるにしても本当に美しい!お魚も泳いでます。

人もさほどいないので、貸し切り状態の時もありました。













私は岩場に座ってじっくりと水面を眺めたり、
シュノーケルしながら碧く光る水の中を泳いだり、、、したかった。

したかったのだけど、娘が「水が冷たい」「暗い」と言うので、一度引き上げお日様の光で体を温めていると、

「えっとねえ、カナダに戻ったらハムスター飼うの。名前は、、、えっとおー、スムージーとライムにするの。あ、やっぱり、ミントとアイスかな。あ、ちがうやっぱり、、、!ねえ、ママどう思う?」

どう思うって‥‥ねえ、娘よ。
今、ハムスターの名前考えるところなの?!
目の前にものすっごいキレイな泉があるのよ?!
こんなところ2度と来れないかもしれないのよ?!?
しかも、この美しいセノーテ、私とあなたで独占してるのよ?!?!

まあ、子供アルアルですかね。。。
どんな時でも心を仏にするための修行ですかね。

一方サイエンス好きの好奇心旺盛な息子の方は、ケーブも鍾乳洞もミニクリフジャンプもスノーケルも存分に楽しんで、キラッキラの目で、何を見たか、どんな風に感じたかを話してくれました。


そうだ、ケーブの中は鍾乳洞になっていて、さらに地下で他の鍾乳洞と繋がっていたりするので、ダイビングも可能です。
ケーブダイビングといえば、前にニュースになった洞窟に閉じ込められたタイの少年を思い出すのですが、ここも彼らが閉じ込められた洞窟の構造と近からず遠からずだと思うので、こんなところにずっと閉じ込められてて、ケーブダイビングで救出されるって、ほんとに難儀なことだわなあって思いました。

ちなみにこちらの値段は、一人400ペソ(USD20くらい。7歳以下無料)と高めですが、スノーケルセットもライフジャケットもついてるし、セノーテがたくさんあったしゆっくりできたからよかったかな。
セノーテは見事な鍾乳洞の中にあることが多いですが、水が冷たく、雰囲気が暗いので、子供がいるならオープンセノーテがあった方がが楽しいかもしれません。
ホテルからはTaxiを使って往復900ペソでした。
うちらが泳いで間ドライバーのおじちゃん3時間待っててくれました。

私的には、セノーテは高いお金払ってツアーで行く必要ないと思います。
自分の行きたいタイミングでTaxi使って行けばよし!と思います。

自分も行っておいてなんなんだけど、マヤ文明から大切にされてきた、地球のギフトとも言えるこの美しい泉が、いつまでも、荒らされることなく後世ずっと大事にされてほしいなと願ってやみません。
膨大な観光客が押し寄せるリビエラマヤですが、地元の方が観光業で生計を立てる中、なるべく自然を守ろうとしている努力も垣間みることもできました。

さ、これでホテルに戻ってもまだ12時。
1日は長く楽しいのでありました。

2019年3月4日月曜日

Tulum in Mexico 〜新しい英単語を学ぶ ②〜

Tulumは遺跡と海が有名な観光地。
しかしながら、「子供x遺跡」がヒットすることは稀である。

我が子も御多分に洩れず、暑いだ、冷たいものくれ、どこまで歩くんだとかいう、夏のNGワードを連発してくる。
というわけで、速攻ビーチに行くことにした。

結局、遺跡は早歩きで入口から出口に抜けただけだけど「遺跡に行った」という事実は残るのでよしとしよう。







しかし、海きれいだったなあーーー。
子供達も波でいっぱい遊んだ。






子供が海で遊んでいるのをみて、小さい時に海で遊んだ時のことを思い出した。
波に合わせてジャンプして、たまに巻かれて、笑って。
波がブレイクする直前の引力の強さや、波が引いていくとき、自分が動いているかのような錯覚に陥ったり、海のパワーってすごいよね!

カナダの海は冷たすぎて、こんな風に遊ぶことはできない。
日本人は割と泳げる海で遊ぶ経験をしている人が多いと思うけれど、それって地球規模でみたらラッキーなことだなと感じます。

あっという間に時は経ち、お腹も減ったので街に戻る。
友人一家に、Collectivoで一緒に帰らないか?と持ちかけるも、「バスで帰るよ〜」、と丁寧に断られたので、バイバイしてから観光客の少なくなった街をなんとなく歩く。

お土産屋で何か手に取ると 「US30」とすぐに声が飛んでくる。「でもUS20にしてあげる」とも言ってくる。

地元にお金を落とすという意味でも、何か買って帰りたいとは思う。
思うのだけど、100円ショップで売っているようなものを、強気でUS15とかって言ってくるので、どうしても買えない。値切ると「No」と言われる。
息子のビーサンを買いたかったのだけれど、諦めた。
観光客が地元の経済を混乱させているのはわかる。
でも、もう少し幸せな値段設定にしてくれたら喜んでたくさん買うのに、、、と思ってしまう、このアンバランスさ。切ない。

ちなみにこうやって値段交渉することと、英語では「Haggle」と言うそうだ。
カナダでは使ったことがないし、日本でもない。
英語圏に暮らしていると体験ベースで新しい単語が増えていくから、体験したことがない言葉は知りようがない。
言葉も、世界も、文化も、深い。
当たり前だけど、そんなことが新鮮だったりもする。

そんなことを考えていたら、友人から「バスをミスった!」という連絡が来た。
再度Collectivo帰宅を持ちかけるも、やんわり断られたので(笑)、Taxiで一緒に帰ることにした。
Taxiのドライバーに言われた金額の手持ちがなく、「これしかない!お願い!」と有り金でHaggle(交渉)して、帰路につく。

Taxiのおじさんと片言のスペイン語で会話をする。
英語はあまり通じない。
人の良さが滲み出ている。
メキシコ人はそういう人が多いように思う。
Taxiが日産のセダンだったので、「いい車だね!」というと、
「そうだろう、メキシコ産なんだから」と言う。
「???」と思ったけど、日本車の多くはメキシコ工場で組み立てられているから、
メキシコ人は日産やトヨタがメキシコ車だと思っているらしいことに気が付いた。
まあ、敢えて訂正するのもなんだから、「そうだね!メキシコで作っているものね!」と伝えた。このおじさんは3歳の子供がいるそうだ。
当たり前だけど、観光客相手にTaxi運転しながら家族を支えているのだよね。
ありがとう!といって車を降りた。

子供達も、「いいおじちゃんだったね!」と少しばかりの旅のコミュニケーションを楽しんだ。

メキシコ人の平均月収は5万円程度だそうだ。
チップを渡すなら、テーブルに置いて行くのではなく、サービスをしてくれた個人に渡すようにと言われていた。

個人的なチップが、私がこの国の人にできる唯一のことなのかななんてぼんやり考えながら、リゾートに着いた。

リゾートに足を踏み入れると、陽気なメキシカンミュージックが流れ、
バーには飲み放題のミモザやブラッディーマリーが並ぶ。
くつろぐ旅行客を縫うように、メキシカンのスタッフがせわしなく動きまわっている。

飲み物をもらい、客に混じってラウンジチェアに腰掛けると、ホッとする自分もいる。
なんだか不思議な感覚だ。

さて、また、非日常が始まる。

Tulum in Mexico 〜新しい英単語を学ぶ①〜

メキシコに着いてから3日目、遺跡とビーチで有名なTulumに行くことにした。

娘の友達一家と、たまたま同じ便で、滞在先も近くという偶然を祝して、彼女たちとTulumで合流しようという話になっていた。

Tulumは私たちのホテルから30km西に位置し、行き方はいくつかあった。

1つは、旅行会社が企画する"Free Shopping Tour"のバスに乗って行く。
2つ目は、Taxi (40ドルくらい)
3つ目は、乗合TaxiのCollectivo (1人2ドル)

当初は"Free Shopping Tour"に便乗しようと思っていた。
だけど、このツアーは、テキーラファクトリー、ジュエリーショップ、工芸品屋を「見学」し、結果各ショップでマンツーマンで押し売りされるという、タダほど怖いものもはないという2時間のセールスツアーであることがわかった。

もちろん、「No」で逃げ切れば良いのだけど(見学終了後Freetimeになる)、
娘が下手に「このペンダントかわいい!」とかって騒ぎ出すとも限らないのと、そもそもツアーの内容自体が面倒臭いので当日の朝キャンセルすることにした。

Taxiは高いので除外。

残るはCollectivoとなった。
Collectivoは10人乗りのバンで、ハイウェイ沿いに立ってると止まってくれ、降りたいところで降りれるというバスとTaxiの間みたいなローカルの人たちが利用する乗り物。
今回はこれで行ってみることにした。
Collectivoを捕まえるには、リゾートを出てハイウェイを渡って下り車線から捕まえないといけない。





前回の記事でもちらっと書いたけど、メキシコ人はスピード狂である。
制限速度が70kmなら120km、90kmなら140kmくらいで走っている。

そんなクレイジーな人たちが飛ばしまくる片側3車線のハイウェイを、子供の手を掴んで渡る。笑

どんな時でも走らない夫が悠長に、「大丈夫、ゆっくり渡ろう」などと抜かすので、
「ふざけんな、ここメキシコだぞ!」と行って、車と車の隙をみて走って渡る。(といってもそれなりに間隔はありました。)
ちなみに、こういう行動を、英語では「Frogger」というらしい。
もちろんカナダでは使わない。

ハイウェイを渡るとすでにCollectivoが待っていて、私たちを見てドアを開けてくれた。
なかなかなやれっぷりのバンの後部座席に乗り込み、子供にシートベルトをするように伝えると、「シートベルト壊れているよ!」と子供。

そのまま少し待っていると、ローカルの人が続々と乗り込んできた。

3歳くらいの女の子を抱えたお母さん。
濃いアイラインを目の上下に入れているおばあちゃん。
ホテルで働く人

なんとなく満員になったので、バンは出発。

途中で小さな居住区に止まる。

カラフルなコンクリートの壁、整地されていない道路、道にむき出しの洗濯物。
かろうじて家として機能しているような家が所狭しと建っている。
写真を撮ろうかとおもったのだけど、いたずらに写真を撮ることができなかった。

リゾートにいる旅行者と、地元の人の暮らしのギャップを目の当たりにする。
Collectivoの中、麦わら帽子にサングラスで浮ついた姿の私たちと、おちついた地元の人。

その居住区を出てから20kmほどでTulumだ。
だけど、Collectivoはとにかく速い。
私の運転では見慣れない速さで、窓の景色が流れていく。
背もたれのハンドルを握る手が緊張してくる。
まあ、地元の人は、「当然」といった感じで何も気にしてないし、
ドライバーも含めて誰もシートベルトなんてしていない。まあ、壊れてるんだけど。

私の「当たり前」が「当たり前」でない瞬間はやっぱり新鮮だ。

とはいえ、無事にTulumに着き、友人一家とも合流。
彼女たちは"Free Shopping Tour"の餌食になっていたようで、ひどい値段設定の布を購入した代わりに、Subwayのサンドイッチ無料券をもらったそうだ。

続く。