2018年12月19日水曜日

道東アイヌ文化に触れる旅 ー彫刻家・藤戸幸夫の世界ー

道東の阿寒湖近くで、彫刻をしながらひっそりと暮らす男性がいる。

その男性の名は藤戸幸夫さんといって、生まれは旭川であるらしい。

ユキオさんの作品は、アイヌ紋様をベースにした木工小物。
木工小物 x アイヌというと、よくあるお土産やさんにあるものを想像してしまいがちだと思う。

だけど、ユキオさんの作品の美しさ、緻密さは、”よくあるそれなりに美しい木工品”との比ではなく、
むしろ突き抜けるほどの完成度とクオリティーである。
私は、そういう作品をマジマジと見たことがなかったので、素人の私には国宝級にすら見えてくる。

写真でもそのクオリティーは十分伝わると思うのだけど、
実際手にとってみるとやすりをかけたかのように、手触りがツルツル。
聞いてみると、やすりは一切使っておらず、木の目を読みながら彫るとそういう手触りになるとのこと。達人の技である。


ヘマタイトをはめ込んだ木箱 もちろん釘は一切使ってません。

ユキオさんは、アイヌであるらしい。
らしいというのは、ユキオさん自身は”アイヌ”という肩書きをあまり好んでいないようであった。

最近は少数民族文化がファッション的に捉えられ、
アイヌも然り、そういう取り上げ方をされる事がよくあって、特に日本古来の少数民族という面で、変に神格化されてしまうこともあるそうだ。

実際のところファッションでもなんでもなく、長い間迫害と差別を受けながら、
薪や山菜をとったりと北の厳しい自然と共に暮らしてきている側としては、
アイヌだからと表面だけすくって誇張されるのはなんだかなあという思いがあるのかもしれない。

もしくは、私たちが自分たちが和人だといちいち説明しないのと同じで、ユキオさんにもそういうものは必要ないのかもしれない。
そもそも、アイヌ語でアイヌとは人間という意味なのだ。

かくゆう、ユキオさんは、「アイヌの言葉や暮らしのことは全部取られちゃったし、わかんねー。ただ山入るときは、ありがとーって手を合わせるだけだー」というけれど、
ユキオさんの暮らしや、作品には、
どうしたってアイヌの魂が宿っていて、
それが人を魅了してやまないのだから、
私がここでユキオさんとアイヌを繋げて書くことを許してほしい。



伊勢に卸しているという手鏡




さて、前置きが長くなってしまったけど、ユキオさんの代表作「マキリ」の紹介をします。





マキリというのは、アイヌ語で「小刀」を意味し、日常の中で様々な用途に使われた道具。狩猟の時に腰に供えたり、女性が料理で使ったりもする。

このマキリが暮らしの中にあるということが、アイヌの暮らしがいかに自然と近いかを物語っている。

森によく入る人ならわかると思うけれど、
これ1本あれば万能というナイフは必須アイテムだ。

春には山で山菜をとったり、
夏には散歩道に生い茂る雑草を切ったり、
秋には木の皮をはいで繊維にしたり、
冬には仕留めておいた鹿肉を料理するときに使ったりと、
暮らしと自然が共にあるからこその大事な1本なのだ。







しかも、男性が女性に彫刻を施したものをプロポーズの際にプレゼントするそうだ。
女性はその彫刻の出来で男性の生活能力をはかり、女性は刺繍を施した衣装を男性にプレゼントするんだとか。


正直、便利で物が溢れまくっているこの世の中で、
マキリの世界観と共に、
マキリのある暮らしを想像でき、
もしくは実践している人はごく少数だと思う。
(私のブログを読んでくださる方はきっとわかってくれると思う!)


マキリでフレッシュな鹿肉を調理




そういう意味で、ユキオさんがマキリに込める思いが、
「わあ、すごい」とか「かっこい!」以上の、
深淵で広大で謙虚な”生き方”のメッセージとして伝わるようにと願ってやまない。

ちなみに、「ゴールデンカムイ 」という漫画の中でもユキオさんの作品が登場している。アイヌのこともたくさん描かれているので読んでみてくださいね。

最後に、なぜ私がここでユキオさんを紹介させて頂いているかというと、
純粋にユキオさんの作品や人柄に魅了されたからの一言に尽きる。
ただ、これだけの作品が世の中の人に広く知られることなく、
「知るひとぞ知る」で終わってしまってはいけないという熱い衝動に突き動かされたからですが、芸術品を見てこんな気持ちになったのは初めてかもしれません。


そしてこちらはお願いなのですが、
ユキオさんの作品と人柄に魅了され突き動かされ、ユキオさんのことを紹介してくれた友人のたばちゃんが、ユキオさんの作品の展示先を探しています。

もしピン!とくる場所やイベントをご存知の方、info@inokakuru-yuki.com までご連絡ください。イノカクル Yukiのウェブサイトはこちら

次の記事で、アイヌとBCの森の繋がりついて書きます。

2018年11月9日金曜日

ランタンウォーク ー射手座の新月のお散歩ー

ウォルドルフスクールの中でも好きなイベントBest3に入る、ランタンウォークの日がやって来た。(ランタンウォークの過去の記事はこちら

ランタンウォークとは、夜が長くなる冬に向けて、心の中に灯りを灯す準備をしましょう。という趣旨のフェスティバル。
子供達の手作りのランタンにキャンドルを灯し、歌を歌いながら夜の森をみんなで一緒に歩きます。



K-7Gradeそれぞれの手作りランタン
 Squamish Waldorf SchoolのFBpageより


冬時間に変わったばかりの夕暮れ。
日が落ちるのが早まって、午後6時にはもう闇に包まれる。

6時に森の入り口に集まり、先生、子供達と一緒に伝統的なランタンウォークの歌を歌う。
例えるなら日本の秋の童謡を賛美歌寄りにしたような、
魂がブルブルっと震えるような、懐かしい感じのする歌。
心が洗われていく感じがする。

夜の森に、ランタンの灯りがそちこちに灯る。
懐中電灯や携帯電話は全てオフで、大人もみんなランタンを持って歩く。
おしゃべりは禁止というわけじゃないけど、しなくなる。

この日は冬将軍が家来を連れて配置についたかのような、

初冬らしい冷え込みで、初霜が降り、射手座の新月の空は星が瞬いている。




Squamish Waldorf SchoolのFacebook pageより




この独特の雰囲気がマジカルで素敵。大好き。

ウォルドルフ教育は、「物事の美しさ」を教えてくれる教育だとつくづく思う。

たとえ周りが闇でも、光は自分の中にある。
光は自分で灯すものなのだ。

ってね。

あっという間に素敵な夜のお散歩が終わり、
余韻に浸りながら「こういう感じ久しぶりだなあ。」って感じて、自分たちの暮らしを振り返ってみた。

子供達が大きくなってくると、学校後も習い事や遊ぶ約束があり、
週末も試合だなんだあり、そもそも子供達もやりたい事があるので、
数年前みたいに一緒にお散歩に行くという時間がめっきり減ってしまった。

そういえば、最近あんまり森にきてないなあ。。。。

昔は、「お散歩いこ!」と言えばニコニコしながらついて来てくれたけれど、
今はキックボードがしたい、自転車に乗りたい、
お散歩はつまらないから公園がいい、
はたまたあの山を登りたい、いやいやそんなに歩けない、
などなど2人の意見をまとめるのが簡単ではなくなってきた。

夜の森を歩きながら、懐かしいなあ、いっぱい一緒に森に行ったよなあって、
まあ、懐かしいったって、ほんの2年前くらいのことだけれど、
一緒に過ごした楽しい時間、「森と子供」という、
大好きな空気感に戻ってこれた感じがした。

すっごく大事にしていたこと。
そして、これからもずっと大事にしたいこと。
原点に戻ってこれてよかったー。



子供の学校イベントには、そんなに参加型ではないユウジも、
このイベントはMust Goならしく、それなら今や公立に通う息子も強制参加というわけで、
家族みんなでいい時間を共有できてよかった。

寒くなってきたけど、森いこ!











2018年10月14日日曜日

クループ咳症候群でてんやわんや


おとといから、急に咳き込みだした娘。

娘は前から、変な咳をする時があるなあと思っていた。
変な咳とは、肺の奥から出るような、ケンケン!と吠えるような、ちょっと真似することができない咳。

熱が出て咳がひどく眠れない夜は今までもあったのだけど、
今回は、咳の発作で一瞬呼吸が止まりそうになり、娘がパニックに陥った。

咳発作の途中で息を吸い込むことができなくなり、唇や目の周りが青白くなっていく。
私も焦り、鼻から息を吸うように伝えるも、一瞬息を吸ったのちに、また激しく咳き込むといった感じ。

時間は夜中の2時。

こんな感じで夜通し、1時間に数回の咳発作が続く。
そのたびに喉のリンパあたりが焼けるように痛いと起き上がり暴れまわる。

ハチミツウォーターとへパサルファーというレメディーをあげると少しの間は落ち着き、その後またぶり返すの繰り返し。

それが朝まで続いた。

私も娘も眠れずに夜を明かし、咳発作も今までよりも激しいので、翌日の午後に予約を取り病院に連れていくことにした。

ファミリードクターに診てもらうと、娘はクループ症候群になっていて、その上、肺炎の可能性があると言われ、すぐにERに行くようにと言われる。
どうやらクループと肺炎だと投与する薬の種類が違うようで、間違ったものをあげるとそれぞれの症状が悪化してしまうため、慎重に見極めなければならないらしい。
肺炎だとしたら、ここからどんどん悪くなるから放っておけない。と言われる。汗

この時クリニックで熱を測ると39.5分もあった。
息子は熱が出るとこの世の終わりかのように泣きぐずるのだけど、
娘は高熱でもケロっとして、情緒も変わらず普通に歩ける子なので全然気がつかなかった。汗汗

ちなみに、クループ症候群は、ひどい時は救急に駆け込んでも良いとされる症例の1つで、クループで呼吸困難を起こすと窒息して死んでしまうこともあるらしい。汗汗汗

昨日、呼吸止まりかけたよ。。。
確かに、娘よりもっと咳が酷くて、さらに小さい子だったら窒息しちゃうかも。。
あーー怖い!!

その後ERに駆け込み、レントゲン診断するも肺炎の可能性も捨てきれないようで、とりあえず気道を開くスチームを吸い込み、クループ用の微量の薬を飲んでひとまず帰宅することに。

薬は持たされなかったけれど、
窓を全開にして部屋を冷やし、コールドスチームをマックスにして寝るか、
寝袋にくるまってベランダで寝るようにとドクターに指示される。(クループは冷たい空気と冷たい蒸気で改善されるらしい)

まじか、もう外気温5度前後なのに熱のある娘とベランダで寝ろって、、、。笑。
たとえ娘が治っても私が風邪ひくっつーの!

こういうところがすごくカナダっぽいなあーといつも思う。

でも、もし悪化したらすぐに、必ず、戻ってくるようにと念を押される。

家路につき、娘も私もクタクタなので、気持ち的には寝る準備万端。
へパサルファーをあげ、スチームをマックスにし、窓は開けなかったけど暖房を切り、明日には良くなるようにと祈りながら寝ると、、、、朝になっていた。

よかったあ!

即回復するわけではないけれど、私も娘もへパサルファーはクループに効くなと実感。
長引かなかったのはへパサルファーのおかげかも。
あと、コールドスチームとユズ&ハチミツウォーター。これも効果的でした。
枕を高くして上半身を起こすのも大事。

でも、お子さんがクループになったら、呼吸困難に陥る事があるから躊躇せずに病院行ってくださいね。

犬が吠えるような、オットセイが泣くような変な咳はクループ症候群の可能性大ですよ。
たかが咳、されど咳。

今日一日、娘は順調に回復してるのでホッとしました。
さて、私が風邪をもらってないかどうかここ数日間が勝負だなー。

これから風邪の季節、皆さんもお体お気をつけくださいませ。

2018年8月21日火曜日

人間は止まれないようにできている。

SquamishにあるHorse Ranch(馬牧場)で野外で行うArt play of Yogaというワークショップがあったので行ってみた。

たまたま目についたので、都合がついたから行ってみた。というわけで、どんなことをするのか全く無知のまま参加。

着いてみると、ヨガマットを持ってきているのは私だけ。笑
どうやらヨガでもないらしい。

まあいいや、この場所一度来てみたかったし、川のせせらぎ、森の香りと実際思っていた通りに素敵な場所。
それで、一体どんなことをやるのか全然わからないままワークショプが始まった。

どうやら、このワークショップは、体のパーツや感情にフォーカスして、心のままに自由に動き回る(踊るでもなく、動く)というものらしい。
マインドには黙っててもらって、心の動くままとにかく動きを止めてはいけないそうだ。

最初は手を伸ばしたり回したりしながら歩く等わかりやすい動きで始まり、そのうち肘や足の裏や乳首(!)といった体の部分にフォーカスして、そのパーツにリードしてもらってどういう風に動きたいか、動きたいように動く。
なんだか変な感じだったけど、慣れてくると、マインドが静かになって、体が動きたいまま適当に動きまくっていた。外だから、体が行きたいように何処へでも。
もちろん、全員。なんとも不思議な風景。笑

やっていて、

*人間って動かずにはいられない生き物なんだなあ。
*人間は本来は屋外で生活するようにDNAに組み込まれている気がする。
*人間は直線や四角な動きが苦手なんだなあ、あ、そういえば室内って直線ばっかりだな。

体のパーツが終わって、テーマは感情がリードする動きに変わる。

*ハッピーな感じを動きで表す。
これは簡単にできる。らららー♪っていう感じ。

*イライラしてムカついている。
もおおおお、あ”ぁ”ぁ”ぁ”!って感じ。うん、できる。

*怒っている、嫌っている。
心の中で Ass hole!! って叫びながら、動きで表現。 うん、できる。

**だけど、”悲しみ”を動きで表現しようとしたら、できなかった。
というより、動くことができなかった。

あ、悲しいって動けないことなんだ。

確かに、悲しい時って動けないかも。。。

嬉しい、楽しい、嫌い、怒っているはどれも生きる原動力になる。
でも、悲しいは、動く力にはならない。

動く気にならない、やる気が出ないっていう正体は、大枠でいうと”悲しみ”なのかもしれない。

なんだか、すごい発見をしたような気分。

ついでに、体とハートが教えてくれたのだけど、悲しみから抜け出したいときには動くしかないってことにも気づいた。

日常生活でも、ある程度沈んだ後悲しみから抜け出したい、という気持ちになった時は、ただ歩くだけでもいい、できれば大手を振って大股で歩くとか、とにかく体を動かすことが必要なんだよ、きっと。

たまには立ち止まることは必要だけど、
でもやっぱり、立ち止まる時間よりも
動いて、動いて、進化し、変化し続ける方が、人間の性にあっているのだろう。
どんどん変わっていくことの方が自然で、変わらない方が不自然なのだ。(見た目や体格も含めて)
自然の近くでね。

頭は良くも悪くも、やいややいやとウルサイけど、体とハートだけに委ねると今まで見えてこなかったことが見えてくる。

面白かったなー♪

2018年8月12日日曜日

Healing Horse

おばあちゃんから子供達への誕生日プレゼントということで、ホースライディングをしに行ってきました。

ホースライディングだけなら、SquamishでもWhistlerでもできるのだけど、
やるならKeraのところでお願いしたかったので、Pembertonまで1時間半のドライブ。
KeraはもともとSquamishでMountain Horse Schoolを運営していて、子供大人問わず、自閉症など障害を持った子供達に馬と一緒に行うヒーリングワークショップをよくやっていて、ホースセラピーをしているところは他になかったので気になってました。

さて、雄大なMt.Currieの麓にある、Keraのおうちについて、出迎えてくれたのは26歳になるメスのサラ。
乗馬だけならやったことがあるのだけど、ブラッシングをしたりゆっくり触れ合うのは初めて。












サラの体は年の割に美しく、穏やかで、温かかった。
そばにいると、なんだか眠くなってきてしまうような、スローな気分になってくる。

ブラッシングをしながら、なぜ馬が人のヒーリングに向いているのか、犬や猫との違いも興味があったので聞いてみた。

すると、

「馬は人間より体が大きいからエネルギーフィールドも大きい。
心拍数も人間ほど早くないし、動きも歩き方もゆっくりとしていてリズムがある。
だから馬のエネルギーフィールドの中にいると、人の心の動きもスローになる。
頭の中が忙しくても、馬をみたり、触れたり、乗ったりするだけで思考がゆったりになる。
グラウンディングが強くなる。」

とのこと。

こうやって文字に書き出すとうまく伝えられているかわからないのだけど、馬に触れていると確かに、さっきまで考えてた事柄も頭から消えて、「今この瞬間」だけにフォーカスできる。
そして、温もり。なんだろう、これは。包まれている感じがする。
温もりつきのメディテーションと表現したらいいだろうか。
確かに、馬に比べると犬や猫は確かに動きがせわしないから、この感覚にはなりにくい。

そして、馬は人間の心に敏感だから、さっきまで怒っていた人が表面上は取り繕って馬に近づいたりすると、馬にはわかるそうだ。

なんだかね、サラの横にいるだけで、本来の自分に戻ってきたような感じがする。
不思議だよ。

かといって、すべての馬が穏やかで優しいわけではない。
サラはシニアホースだから落ち着いているけれど、前にジャスパーで乗馬したときの馬たちはみんなそれぞれ個性的だった。
人間の言うことは聞かず自分の歩きたいように歩く子。
泥や水が足に付くのが嫌な子。
聞いたら、牝馬は牡馬に比べて気分屋だから、人を乗せるのに向いてないことが多いそうで、なんだ人間と同じじゃない!と笑ってしまった。

サラは牝馬だったけど、とっても穏やかだったな。
子供達も1人ずつ馬に乗せてもらい、最後はリードなしでバーンまで戻ってきた。







今日は恵みの雨もあって、曇り空だったけど、相変わらずMt.Currieは雄大で、ペンバートンに流れる時間には癒された。
自分の真ん中に戻ってきた気がする。
自分と地球を繋いでいるコンセントがいくつか外れてて、それらをまたぱちっと差し込んだ感じ。

太陽も、終始Mt.Currieがかっこいいと言っていて、そう感じてくれて嬉しかった。
1年分のブルーベリーをピッキングして帰ってきた。



Mt.Currie様



BC州内陸も島もあちこちいったけど、やっぱりPembertonだわ。
っていつも思う街。
いつ、とは言えないけど、またいつか住みたい街。
夏の間にもう一度行きたいな。

2018年8月11日土曜日

ガーデン記録 2018

あっ!というまに8月も半ばになってしまったー!

今年は山火事の影響が少ないかと思いきや、きたねスモーク景色全然見えません!

少なくとも5年前までは夏はとっても夏らしかったのだけど、ここ数年は夏と言ったらスモーク。確かに雨が全然降らないし、熱いし、前より雷が増えた気がする。気候変化があるのかなあやっぱり。

8月半ばになるとガーデンもかけた愛情が成果となって表れる頃。


今年は4末まで日本にいて、帰ってきてすぐにリノベーションにとりかかったので、ガーデンは後手後手に回ってしまい、正直イマイチな感じです。


全体としては、あーすればよかった、こーすればよかったが多く、こうなったらマクロでみるよりミクロで感じてみるしかない。笑。

それでも十分楽しませてくれる。

ここ数年は、好きなものをシーズン通して食べられるように、種まきを少しづつずらして、品目を少なくするようにしている。







大サイズのトマトが赤くなり始めたところ。ミニトマトあまーい!
トマトは軒下で育てることにしてからうまくいくようになった。
雨や水がかかると実割れするし良くないってのは本当なんだと思う。







ケール。1株だけど、結構こと足りる。おかげで毎日スムージー生活。
深みどりが美しいよ。




 かぼちゃ。人工授粉のために、雌花が咲いてないかチェックしにいくのが娘の日課。

「男の子と女の子チュッチュしないといけないからねえー。でもさ、なんで男の子の花ばっかり咲くのー?」なんて、カボチャから受精の仕組みを教わっている娘です。






ああ、ガーリック。。。コミュニティーガーデンで1年分育てているのだけど、
2週間近くほったらかしにしている間に芽が私の背丈ぐらい伸びてしまっていた。
つまり球根が小さくなってしまったー。
ガーリックとポテトはほっといても大丈夫。を過信し過ぎちゃった。
ポテトも枯れてて、ちょっとしか収穫できなかったなあ。
やっぱり、野菜は足音を聞いて育つものだ。



Strawbale跡地に植えた野菜たちの成長も、思ったほどではなかった。
やっぱり栄養が足りなかったり、土壌のバランスが悪かったんだろうなあ。
土はすっごいふかふかだけど、小ぶりなものが多かった。
来年は土に還ろう。

うちはガーデンのすぐ横に大きな杉の木があって、
その杉の細かな根っこが地面の下からどんどん侵食してきたり、
ブラックベリーがマルチを突き抜けて畑から生えてきたりと何かしら問題がある。
底となる部分にマルチを2重に引いたり対策を講じてきたけど、十分じゃないようで。
来週ガーデンソルーションの人に来てもらって、
もっと上手に活用できるようアイディアをもらうことにした。
10年近く使って来たコミュニティーガーデンを手放して、
庭でポテトとガーリックも育てたいと思う。
狭いスペースだけど、どうやったらもっと上手に使えるか、
アイディアが広がるのは楽しみだ。

日照時間、太陽の方向、風、針葉樹、シダ植物、ベリーブッシュ。

野菜を育てるのは、自然との対話だなあってつくづく思う。
敷地内に迫ってくるシダやベリー達に、
ああーーもう!と思うことはあるけど、
ベリーブッシュや樹木が、大地と家をしっかり支えてくれているから、
感謝であり共存なのよね。

特に今年は、私が自然のリズムから少しDisconnect状態だったから、
それが顕著に畑に現れたかなーと思ったりする。
子供が大きくなるにつれて、暮らしの方向性が少し変わりつつあったんだな。
そういうことにも気づけてよかった。

10年細々ガーデニング、でもまだまだわからないことだらけ。

てなこといってたら、もう薪の準備をする季節。
ウッシャー頑張るぞー!



2018年6月26日火曜日

LOST BOY

娘からリクエストされた曲がある。
思えばしょっちゅう口ずさんでいたけど、なんの歌かわからなかった。
Youtubeで探して、ああ、この曲!とすぐにわかった。
改めて歌詞も含めて聞いてたら鳥肌立ってしまった。

Ruth B - LOST BOY






"一人ぼっちで遊び相手もいなかった。
月は友達だったけど、たまに姿を隠してしまう。
ある夜ピーターパンという名前の子が現れて言った。
 ずっと一緒に遊ぼう。もう一人ぼっちじゃないよ。

それからネバーランドで迷子になっても、僕にはピーターパンがいた。
退屈になったら森で遊んで、キャプテンフックから逃げるんだ。"


この曲聴いた時、私にもピーターパンがいたなーと、ふと思い出した。

私は一人っ子で、親が仕事で忙しかったので、
学校から帰るとほとんど一人で過ごしていた。

特に夏休みなんて、究極に退屈だった。
駅の近くのガードレールに座って、カンカン鳴る踏切の音を数えたり、
自転車で電車と競争したり、
近所を歩き回って頭の中で地図を作り上げたり
公衆電話から、いるはずのない姉に電話をかけたり、
昔はいまと違って、子供がそこらへんフラフラしていても浮かない時代だったから、
文字通りひとりでフラフラしていた。

私世代の人は、似たような経験してるんじゃないかな?

あまりに退屈な上に、家庭が家庭として機能してなかったので、
私は孤独で、心の拠り所がなかったのだろう。

あるとき、自分の心の中に、別の人物を発見して、
心の中で、その人と心の中で会話をして遊ぶようになった。
”ねえ、”と問いかけると、”なあに”と答えてくれたのだ。

今思えば、それは、紛れもない私自身なのだけど、
実年齢の私より大人びていて、自信があってよく物事をわかっている風であったから、
私は、この声を心の拠り所にしていた。
私が育ったのは商店街だったはずだけど、この声と遊んでいる時は、
森の中で遊んでいるような安らぎがあった。
想像の中では、私たちは自由だった。
嫌なことや寂しさを紛らわせてれた。

もしかしたら、その人物は、未来から来た私だったのかもしれないし、守護霊だったのかもしれないし、多重人格の1人であったのかもしれない。

それか、本物のピータパンだったのかな。

大人になった今、あのピータパンにはもう会えない。

今の子供たちは忙しい。
退屈はイマジネーションを育てるから大切です。
と言われて久しいけど、これだけ退屈しないようにあらゆる物が用意されている現代で
子供を退屈にさせることの方が難しいかもしれない。
親だって、昔に比べたらかなりかまってくれる時代だし。

でも、本当に、退屈になったら、きっとピータパンは現れる。
孤独で一人ぼっちで辛いときには、きっと助けてくれる。
たとえひとときの気休めでも。

ピータパンは、子供時代のノスタルジーや子供心の象徴である一方で、
孤独とか苦境に立たされている子供たちの心の中に、
安らぎをくれる存在でもあったんだな、

そんなことを思い出した曲でした。

ああ、心に染み入るわ。皆さんもぜひ聴いてみてね。