2021年9月14日火曜日

新中学一年生の門出に腕を骨折した話

 9月から12歳の息子はグレード7,中学1年生になった。
私の街は、日本と同様に、小学校6年制、中学3年制、高校3年制という割り振りになっているので、先週から街のはずれの中学校に通学バスで通い始めました。

そんな息子が昨日、右手首を骨折した。

友達の家に行く途中、右肩にかばんをかけて自転車を漕いでいたらバランスを崩して転倒した際に手をグニャリとやってしまったらしい。

彼は、かなりタフでもあるので、ちょっとやそっとの怪我では泣かない。
そんな彼が、昨日は痛くて痛くて号泣していたので、これは即病院行きだと慌てる母。
私は娘の用事ですぐに病院に連れていけないため、夫の帰宅を待って病院に連れて行ってもらった。


病院は待ち時間が長いのであまり期待をしてはいなかったけれど、それでも2時間後ぐらいに夫から連絡が入る。

夫「ちょっとだけ折れてたwギブスするらしい」

息子「骨おれちゃったよー。おなかすいた。」

このテキストメッセージを見て、ひとまず胸をなでおろす。
利き手の右手にギブスは不便だけれど、「ちょっとだけ折れてた」くらいですんでよかった。
子供の骨折は治りが早いと聞くし、3-4週間もすれば回復するだろう。

そう思いながら、あと30分程度で帰ってくると思い、お腹をすかした夫と息子のために夕飯の準備をする。

しかし。
30分経っても、1時間経っても帰ってこない。
夫に電話をするも出ない。

混んでるのかな?やきもきしたまま2時間近く経過した頃にようやく夫から連絡が入る。

夫「もうすぐ手術終わるって。もう少ししたら目が覚めるはずだってドクターが言ってる」

しゅ、手術?!ギブスを付けて帰ってくるだけではなかったの?!
目が覚めるって、全身麻酔?!な、な、な、なんで?!

意味がわからずしつこく夫に電話をするも「今は電話でれない」「ゴリゴリ音してたわ」というテキストが帰ってくるだけで話の展開がつかめず混乱する私。

状況がつかめないという不安と心配で胃酸がこみ上げてくる。
全身麻酔って、手術ってどういうこと?
どこか切ってるの?何を?なんで?スコーミッシュにいるの?バンクーバーなの?
聞いてなさすぎなんだけど!
こんな情報過多の世の中なのに、目の前の情報は不足している!

どういうことなのー?!
混乱する私。






それからしばらくして、最終的に息子の声を聞けたときに、
心から「とりあえず生きててくれてよかった」と思う気持ちを、親心と呼ぶのだろう。



さて、種明かしをすると病院ではこんなことが繰り広げられていたらしい。

ギブスをつけると説明されてしばらく待っていた息子と夫

              ↓

ドクターから「さっきいい忘れてたけど脱臼もしているから、徒手整復(脱臼した骨を力技で元の位置に戻すこと)で骨のズレを治さなければならない。時間が経過するとできなくなるから今やらなければならない。全身麻酔をかけないでやるとトラウマに残るくらい痛いから全身麻酔をかけたほうがいい」

と言われ”聞いてないよー!”ということになり、本人たちも急展開に慌てたそうだ。
一番大事な部分、言い忘れてる、ドクター!!頼むよ〜
(ちなみに、徒手整復は手術ではないけれど、夫が「手術」という言葉を使ったので混乱しました)

               ↓

手術室に連れて行かれる息子と夫。
全身麻酔の恐怖で目の端に涙をためて「おれ、ちゃんと目、覚めるよね?」と言いながら眠りにつく息子。目頭が熱くなる夫。
               ↓

徒手整復を行う際にドクターに「整復を見ている付き添いの人が失神することがあるから、見たくなかったら外で待ってて。ナース達は忙しいから失神した人の面倒見れないのよ(笑)」と言われる夫。
               ↓

しかしむしろ見たくてしょうがない夫(笑)
彼は全然平気なのである。私は絶対に無理。失神するか、吐くかもしれない。

小型のレントゲンを持った技師がドクターに付き添い、レントゲンを確認しながらズレを直す。そのレントゲン技師が息子の腕をガッチリ押さえる係をしていたらしい。
レントゲン技師はレントゲンを撮るだけが仕事じゃないのね。。。

               ↓

あまり文字にしたくないが、全身麻酔で意識がないのに、骨を入れた時は足が上がり体をよじっていた息子。
それが前出の「ゴリゴリ音してたわ」のテキストの真相であった。
ドクターは細身の女医さんだったそうで、ドクターの華奢な外見からは想像がつかない、迷いのない手技に感動する夫。

ああ、かわいそうにーーー!!

               ↓

しばらくして麻酔から目覚める息子。
何も覚えていない間にすべてが終わっていた。
麻酔から覚めたあとは、すぐにスタスタと自分の足で歩けたそうだ。
この時点で、ようやく息子の声が聞けて、事の顛末を知る私。

その後、夜の11時近くにようやく帰宅しましたとさ!



グレード7になって、少しだけティーネージャー的な態度を見せることがあった息子。
今回の怪我で一番怖かったのは全身麻酔で、このまま私達に会えなくなったら嫌だと思ってくれていたそうだ。私も胃酸がこみ上げるほど心配したよ。

今回のことで私達ももちろん息子を愛してるし、息子も私達家族を愛していることを、思いがけず確認することができたことは、怪我の功名と言えるのかも知れない。
なんとなく、環境の変化で少し心と身体がザワザワしていたのが、怪我をしたことで本来の彼に戻ったような感じもしてます。
なんだかんだいって、まだまだかわいい息子くんだよ!

今日は家でゆっくりしていたのだけれど、お友達がお見舞いに来てくれたりもして、ありがたかった。昨日の今日だし、まだ腕が痛むけれど、2ヶ月もすればきっとよくなるね。

しばらくゲームも運動もできないし、字も書けそうにない。
その間に私も体のあちこちが痛いお年頃なので、ストレッチを一緒にやるのを日課にしようかなと思っている今日このごろです。





2021年9月9日木曜日

ワクチン・パスポートが導入されるBC州より

 BC州では9月13日よりワクチン・パスポートが導入されることになった。

コンサート、スポーツ観戦、映画館、バー、インドアアクティビティなどが対象で、その中にレストラン&パティオでの食事、学生寮の使用も含まれている。

正直、私はがっかりした。
BC州はこういう措置をとらないのではないかと、
なんとなく期待していた。
西海岸的なインクルーシブな決断を取ってくれるのではないかと。

私は2回接種が終わっているし、ワクチン・パスポートが導入されても別に不便はない。
だけれど、この排他的ともとれる、ワクチン第一主義というような風潮は居心地が悪い。

コンサート、スポーツ観戦、お酒を提供する場はまあ、気も緩むし密になるから制限があってもいいのではと思うのだけれど、レストランでの制限や学生寮に対しては疑問が残る。
私自身、レストランのサーバーとして働いたこともあるから、入り口でワクチンを打ったか打っていないか確認する係になるのは嫌だ。

出会い頭に年齢や出身を聞くことはToo Personalとして避けられているのに、これだけ世界中で議論の的になっている「ワクチンを打ったか打っていないか」というパーソナルクエスチョンをいきなり投げかけるのはOKだという、そういう矛盾もなんだか耐えられない。
大学生のティーンそこそこの若い子に、ワクチン接種を囲い込む感じも嫌だ。

ワクチンを選択しない、と決めている人はまだしも、自然罹患して抗体を得ている人もいるのに、ワクチン接種一択なのもなんだか怖い。

他にも、パスポートを提示しないといけないのはサービスを受ける側で、提供する側のワクチン接種の有無は問われていないなど(マスクをはずすかどうかの差なのかな?)、いろいろと矛盾があり、なんだか非常にもやもやする。

もう一つ嫌だなあと思うのは、家族内、友人、コミュニティー間で意見の相違があり、ぼんやりと存在していた思想の溝が深くなりかねないところだ。

ワクチン派、反ワクチン派、どちらでもない派、マスク派、賛成派、反対派、信じる派、信じない派、派、派、派。

私は、正直いろいろな「派」をまるっと部分的にかすめているので、しいていうならグレー派、だ。

私みたいな人も割と多いのではないかと思う。

さて。

コロナ禍を「人類の旅」だと仮定するならば、この措置は目的地に到着するための気流の乱れのようなものだろうか。

忘れてはいけないのが、たいがいの人々の目的地は「コロナ後の世界」ということ。
これがどの程度の乱気流なのかはわからないけれど、この間に、スタンスが違うからといって今まで築いた関係がひっくり返ってしまわないように願いたい。
人間はどこか「自分の選択こそ正しかった」と思いたい節があるからね。。。

まあ、このコロナ禍で関係がひっくり変えるようならそれまで、ということなのかもしれないけれどね。

それも問われていると思うと、コロナめー、本当に手強いやつである。

ただ、別の見方としては、BC州はワクチン接種をした人が大多数(80%)なのだから、コロナ禍で苦境を迎えていた、旅行業界、エンターテイメント、飲食などのビジネスを立て直し、人々がある程度の娯楽と日常を取り戻すためのワクチンパスポートというのも理解はできる。

大多数の人々の日常を取り戻すための措置。

過去に数々の疫病を乗り越えてきた人類の軌跡のひとつ。

思っているよりも、大多数の人はフレキシブルで、理解があり、うまいこと順応できるのかもしれないし。

ああ。

こういうことを書くと怒られそうだけれど、こんなにモヤモヤするなら、ちょっと前のマスクとソーシャルディスタンスを保てば、だれでもたいがいのサービスを受けられるというシステムのほうがよかったなあー、なんて。


なんだか、疲れたなあ、と思って川に散歩にいくと、気候が厳しかったこの夏を生き延びたサーモンたちが川に戻ってきていた。







「生き延びる」という使命だけを持って、産まれた川に戻り、子孫を増やし、そして死ににくるサーモンを見ていると、その様が美しくて、凛としていて、ジーンとしてしまう。
命の流れ、というもっと大きなもの、遠くにある美しさを見て、やり過ごしていこうかな。

たくさんの考えや在り方が混在する時代と言われる

「風の時代」

試されているなあとつくづく感じる2020です。

読んでいてもためになる記事ではないですね。
ごめんなさい!

2021年8月15日日曜日

稀な感染症にかかった話

ワクチンを打つ、打たない、私の場合 の続きです。

20歳の時、EBウイルス感染症(伝染性単核球症という、割と珍しいウイルス感染症にかかり入院しました。

EBウイルスとは、90%の人が子供の時に自然免疫を得ており、子供の時にかかると扁桃腺炎のような症状また無症状で生涯免疫を獲得できる感染症です。

私はどういうわけか子供の頃に自然免疫を獲得できず、成人してから罹ってしまいました。
私は、おたふく風邪も水疱瘡もやったし、外遊びばかりの、活発で、手洗いなんてしたことないような雑な子供だったので、なぜ子供のときに罹らなかったのかわかりません。

一般的な症状かというと、2−4週間の潜伏期間を経て、風邪のように発熱したあとも喉の痛みと37.5℃程度の熱が続き、首のリンパ節をはじめとする体中のリンパ節が腫れ、肝機能が低下するというウイルスです。稀に劇症肝炎などに発展することもあるそうです。

私は、数日の高熱のあとに微熱が長引き、喉の痛みと疲労感が全くとれないのと、顔がむくむほど首のリンパが腫れ、体中のリンパ節も指でグリグリできるほど腫れました。
微熱がひかず倦怠感が強かったため、熱を出してから10日後くらいに病院に行きました。
今だったらすぐにでも病院に行くと思うけれど、若いから放置できたんですよね笑。

そして病院に行くと、EBウイルス感染症の可能性が高く、肝機能が低下して急性肝炎を発症しているとのことで即入院に。黄疸もありました。

医師に「その状態でよく歩けたね」とも言われましたが、若いって素晴らしいですね。
そりゃあ、ものすごい倦怠感でしたが、歩けたんです。若いから笑。

治療法はというと、ウイルス感染症なので、基本的には自己治癒力による回復を待つしかありません。
ですが、私は肝臓の数値がなかなか戻らないので10日〜14日ほど入院していたような記憶があります。今、ざざっと調べてみたら、入院までいく手前で自然治癒する場合が多いようなので、私は症状が強く出てしまった方なのかもしれない。
カナダだったら速攻、自宅に帰されそうだけれど(笑)、当時、病院で病状を管理されながら治療して頂いてよかったと思っています。

このEBウイルスは今のコロナウイルスに比べたら罹患率の低い重症化率も少ない感染症ではあるのですが、それでもやっぱりしんどかったです。
とはいえEBウイルスが体の中で慢性化する慢性単核球症では命を落とす方もいらっしゃるようです。
あのような症状がずっと続いたら体は耐えられないだろうな、と少しばかり想いを寄せると胸が痛いです。

次の感染症にかかった話は夫の話です。
私の夫は20代のときに怪我の手術で入院していた時に、院内感染で麻疹(はしか)にかかりました。調べてみると彼の年代は子供のときに予防接種を逃したか、予防接種自体が行われていなかった可能性があるようです。

入院当時、彼自身はベッドから起き上がれなかったので、病院の空調を通じて感染した可能性があると言われ、即隔部屋での入院となったそうです。
これが麻疹の感染力が強力だといわれる所以なんだな、と思いました。

その後、麻疹の症状は非常に辛く、、、

頭の中にも口の中も、喉の中も、文字通り体中ブツブツに襲われ
1週間の間、高熱が下がらず、体温が40度と38度の間を行ったりきたり。
体のかゆみも尋常ではなく。
しかし、ウイルス感染症なので特効薬もありません。

はい、麻疹ですから。。。

生き地獄で、ほんとうに死ぬかと思ったと言っておりました。

予防接種必要/不要という議論の中でも、麻疹の症状と感染力の強さを思うと、予防接種をひとくくりにして必要ないとは考えられないし(麻疹だけは受けさせる、という方も多くいるかとは思います)、この現代で麻疹にかかる可能性が非常に低いことはよかったことだと思っています。
私は、自分の子供には経験してほしくないです。
巷で目にする「かかっても死ななければいいじゃない?」というの大雑把なくくり方だなというのが私の考えです。

最後の話は、私達夫婦はパンデミックの初期に、コロナウイルスに酷似した風邪をひいたときの話です。

検査ができない去年の3月の話。

私達2人とも咳がとまらず、倦怠感が強く、微熱が2週間続き。
不安でした。

熱は微熱程度でしたが、夫に絶え間なく襲いかかる咳がひどく、当時わかっていたこととして、咳からの呼吸困難や急激に悪化する可能性があると言われていたのでとても心配でした。
もし体力のない人だったら耐えられないのではないか?不安になるほどひどかったです。

その夫をみながら、私自身も咳がとまりません。

もし子どもたちを置いて私達が入院することになったらどうしよう。

未知のウイルスを前にして世界がひっくりかえる中で、そのことを一番苦しく感じました。

また、その直前で「コロナっていっても風邪っぽいから大丈夫じゃない?」という気持ちで遊んでしまった友人数名とその子供のことも思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
彼女はナースなので、今、誰よりも世間が必要としている人に私がうつしてしまっていたらどうしよう。

体調不良の中、色々のことで胸が押しつぶされそうでした。

これは、体の不調よりも耐え難い苦悶でした。

その後、2週間ほどで2人共回復してきました。
しかし、夫のほうが4ヶ月ほど胸の息苦しさが改善せず息を吸うと苦しくて疲れると言っていました。私も息苦しさは少し引きずりました。
今は2人とも改善していますし、そもそもコロナであったかどうかはわかりません。

とまあ、EBウイルス感染症やコロナまがいの風邪を経験してから、ある人にとってはなんでもないことでも、別の人にとっては重症化する可能性があるということは私にとってはリアルに感じます。

逆になんでもなかった人やずっと健康で病気知らずの人にとってみたら、重症化した人の体験はリアルではないのかもしれない。
(または、受けてきた医療がトラウマになったり不信感を募らせる原因になった人もまた違った視点があるでしょう。)

そりゃそうですよね、やっぱり「他人がどうだったか」よりも「自分が何を信じるか」が強い。私もそうです。それはそれでいいと思います。

私は、自己免疫力とか、予防とか、食生活とかそういう範囲では防ぎきれない病気がある。と思っています。

それと同じくらい、病気に対して警戒しすぎたり臆病になる必要もない、とも思っています。

それを踏まえた上で、情報も治療法もわかってきた今、私達がワクチン接種せずにコロナウイルスに罹ったとしたら「おそらく重症化せずに自宅管理できるだろうが、家族全員一緒にかかるのはきついし、誰かにうつしてしまうのは嫌だ」と考えます。
これは3月の風邪の体験が尾をひいています。

私はおそらく、家族や社会全体に対して「重病化する可能性のある感染症にはなるべく罹ってほしくないし、かかりたくない」という思いがどこかにあるのだと思います。

だから決めるのにはそれなりに時間がかかったけれど、ウイルスが変異してきている今、コロナワクチンを受ける選択をしてよかったなと思っています。
そんな夫もワクチン済みです。

そんな体験談でした。

2021年8月14日土曜日

ワクチンを打つ、打たない、私の場合

久しぶりのブログ投稿です。
そして、ここ最近、数名の方から「コロナ関連カナダってどうなの?」と個人的にメッセージを頂くこともあって、私がどう思っているのだろう?と興味を抱いてくれる人がいることも嬉しく、だったら書き記してみようかなと思います。
今回は、意見の交換ではなく、私からの一方通行の書き綴りにしたかったのでSNSではなくブログにしました。

2020年の3月から早1年半。
私達はまだパンデミックの渦中にいます。
これを書いている今はデルタ株が流行りだし、BC州も新規感染者が日々うなぎのぼりの2021年の8月です。

私はつい最近モデルナの2回目を接種しました。
接種後15時間くらいから体調が悪くなり、24時間〜36時間の間は39℃近くの熱が出ました。おしりや腰の関節痛もあり、最後は軽い頭痛もありました。
熱を出すのは久しぶりだったので「ああ熱ってこんな感じだよなあ〜、やっぱしんど!」と思いながら時が過ぎ、60時間後(2日半後)には回復しました。
ただ、1回目は1週間後に接種した側の脇の下のリンパ節にしこりが出たので要経過観察です。

さて、このブログのサブタイトルにも「Holistic&自然療法」と謳ってあるように、私は以前だったらワクチン接種はしない選択をしていたと思います。

だけれど、子どもたちも育ち、時が経ち、子供が幼かった時ほど自然療法や食べ物に熱意を注げなくなっている自分もいます(この話はいつかまた)。
そして、自分の考えだけではなく、自分が置かれている立場と、つぎつぎ繰り出される変異アタックを鑑みたときに、ワクチン接種に対して考えが変わりました。

その動機をシンプルに書くとするならば

「日本(主に家族に会いに)に行けるようにしておきたい」

ということと

「家族とビジネスを守りたい」

「私が感染源で誰かにうつしてしまいたくない」
→(私の体験談:稀な感染症に罹った話

という想いに集約されるかもしれません。

私はカナダに住みながら、ヤフーニュースなどで日本の記事を毎日見ています。
そこで感じるのは、カナダのニュースは一般的にワクチンに対して好意的であるのに比べて、日本の記事は副作用を大きく取り上げているように感じます(←これも私のアルゴリズムのバイアスがかかっている可能性もありますね)。
実際、私の周りは、カナダ人の方がワクチンの接種率が高く(私の周辺は100%近いと思います)好意的に感じていて、日本人の方が接種率が低く、懐疑的に感じているように感じます。

BC州の中でも地域差があるので一概にはいえませんが、私の半径5mの世界の方々は医療従事者が多いのもあって「打つのが当然」という流れを感じます。
そしてみんな接種が早かったのでいろいろ観察させてもらってましたが、誰も重篤な副作用などなくその後も変わらず生活しています。

とまあ、カナダと日本でもメディアから目にする情報が違うので、情報の取捨選択をするのは難しい。

そんな中で「正しさ」とか「真実」などは求められないし、
自分が信じたいことがその人の哲学。
だから、私は結局、自分がどうしたいのかで決めました。

さて、日本で大きく取り上げられている副作用については、もちろんあるでしょうし、神経免疫障害などが出たら本当に怖いとも思います。接種するリスクはあるでしょう。
だけれど、私はもう出産もしないし、人生の折返しにいると思っていて(そんなに長生きしたくもない)ある程度何かあっても受け入れられる覚悟はそこそこあります。
子どもたちもまだ小さいですが、幼くはない。
長期的な影響?あるかもしれません。
今はまだ、誰にも、専門家でさえわからないことも多いでしょう。

うちは飲食業をしているので、私達が感染してお店が休みにでもなったら、スタッフの生活に支障が出てしまうので、それも大きかったかな。

正直、私は、ワクチンと同様に人体への影響は別の事柄からもあると思っています。
食べ物とか、Wifiとか、ソーシャルネットワークとか、カーボンニュートラルとか、気候変動とか、いろいろ。
特に、世界の国ががこぞってどうにかしようとしているコロナに比べて、この夏、顕著となった温暖化がもたらす恒久的な影響はまだまだ見過ごされている気がしてなりません。

なので、私にとってワクチンの接種は人体への未知のリスクより利点が上回るように感じました。
これは人によって捉え方が大きく変わるでしょうし、年齢、職業、家族構成、住んでいるエリアによっても異なるでしょう。
私は周りに医療従事者がいたり、私自身、薬屋の娘として育ったことも少なからず関係しているかもしれません。

だからといって、ワクチンの配布が早かったカナダなのにすぐに決められず、2回目の接種が今になったのは、それなりに悩んだからだと察してもらえたらと思います。

もし何十年も経って、万が一このワクチン政策が失敗であったという結果が出たとしても、これは私の選択で接種したというというシンプルな行動と結果があるだけです。

そんなこんなも含めて、なんだかすべて地球人の大きな学びのひとつであるように思うのです。

そして「家族を守りたい」「自分の体を守りたい」ということに関しては、受けない人も全く同じ思いで受けない選択をしているのだと思います。子供がいたらなおさらですよね。

だから、これを読んでくださっている人が私とは異なる選択をしていても、共通する思いがあることをお互い尊重しあっていける社会であってほしいなと願います。

とりあえず私は早く日本に行って家族に会いたい!
3年以上帰っていない間に、親もすっかり年を取ったようです。
あまり期待はしすぎず、しかし年内に会えるといいなと思っています。

*この記事は一方通行です*
読んでくれている人の考えを曲げたいという気持ちもなく、
新たな情報やエビデンスがほしいわけでもなく、共感してほしいわけでもありません。

そのためコメント欄は閉じます。



2020年9月22日火曜日

お知らせ noteに移行しています

 いつもUniearth's Color Paletteを尋ねていただき、ありがとうございます。

このブログも足掛け10年ほど日々いろいろな想いを書きためてきました。

ありがたいことに読んでくださって、その上、声までかけてくださる人もいて、
読んでくれる人がいるって本当に幸せなことだな!と今更ながら再確認しています。

というのも、今このブログをnoteに移行させて、このブログを閉じるか、
棲み分けをするか、色々と考えを馳せています。

そもそも、ブログがここまで長続きしたのは、
単純に「書きたいことがいっぱいあるから」ではあるのですが、
そういう想いとは別に、noteってやっぱりどれだけアクセスを稼げるかとか、
フォロワーとか意識して天秤にかけそうになることもあって、
いやいや、そういうとこに囚われたら違うよね、って
その部分との葛藤もあったり無かったり。

このブログは記事を書いた時にFBに投稿する感じで
楽な気持ちで書いていたのですが、
noteはSNSなので、その中に入ってみるとコンペティティブ感も感じるので、
良くも悪くもそれも新たな挑戦なのかな。

さて、noteには、最近のアレコレと一緒にこのブログで書きためた過去記事を厳選して引っ張り出して、note 内で再投稿したりもしています。


このブログでは書いてこなかったことも書いてみる予定ですので
良かったらnote @Yui Squamishを覗いてみてください!

フォローも嬉しい限りです。


しばらくtry and errorで試行錯誤していくうちに、
自分の中でも書き物の居場所を見つけられる気がします。

皆さんの存在は、アクセス数や「いいねボタン」から感じさせてもらっています。
本当に励みになります。ありがとうございます。

というわけで今後ともUniearth's Color Palette & @Yui Squamishをどうぞよろしくお願いいたします!


2020年9月12日土曜日

リッチ・ガール

 娘のクラスは女の子が3人しかいない。

この間、ブログでも書いたハンター・ガールのニナ、娘、もう一人は今日紹介するアナベラの3人だ。

今日は、アナベルが遊びにきた。
彼女は新居のすぐ近くに住んでいるので、うちを見たいと言ってきた。
アナベルは、ニナともうちとも異なる生活環境で、現代風の大きくて素敵なおうちに住んでいる。
去年は女の子のクラスメイトがもっといたので、娘とあんまり絡むことはなかったのだけれど、今年は数少ない大切な女子友だ。

アナベルは娘より1歳下で、快活で華やかな雰囲気のある子だ。
華やかさの意味するところに、クイーンタイプな雰囲気も入れてもらうともう少しイメージしやすいかもしれない。


そんなアナベルがうちに来て、

 「私の家の方がリビング大きいかな〜」
 「あ、アレクサあるの?うちも5台あるわ。私の部屋にもあるよ」(←えっ1人1台?!)
 「この家レンタルなの?買うべきよ!素敵なおうち!」(←買えないって!)

と、いろいろと感想を述べてくれた。

彼女の名誉の為に断っておくと、彼女は何もマウント取ろうとして言っているわけではない。

彼女にとって普通のことを、普通に言っているだけなのだ。

それに対して、カッコの中の声は私のひがみ兼率直な感想である(笑)

おやつの時も、娘に引き出しからお菓子を取るようにいうと、
娘の代わりにアナベルが引き出しを開けて、

「んー、グラノラバーもあるけど食べる?」
「えっとー、スプーンとお皿はここかな?」(と言って引き出しを開ける)

と、文字通りHelp Your Self(笑) でおやつの準備をしていた。

日本人的感覚だと、失礼な子だ!と取る向きもあるだろうし、
カナダ人だって、「人の家の冷蔵庫を勝手に開けてはいけない」「必ず相手の親に聞くこと」と育てられている子も多い(でも日本人ほどじゃないけど)。

私も彼女の言動を観察していて、ニナともまた全然違うので
初めは「わお」とも思ったのだけど、しばらく観察していて気づいたことがある。

アナベルは自己肯定感が強い ということ。

相手の立場に立って、共感するというのは大切なことだけど
自分にとって普通なことを、忖度なく普通だとちゃんと主張できる。
自分の意見をちゃんと言える。

これって、すごく大事なことだと思う。

そして、人の指示を待たなくても自分で考えて行動していることにも気づいた。

もちろん子供だから、上手に立ち振る舞えているわけではないけれど
行動原理として「自分で判断して行動する」ができている。

アナベルの名誉のために補足しておくと、
好き勝手に振る舞っているようで、どこか気を遣っているのも感じるし、
育っている環境からなのか、上品さもある。

これまた他人の懐事情を推測するのは無粋だけれど、
まあ、一般的に言って普通以上の経済力のあるご家庭であることは間違いない。
だから、彼女のビジョンの中には、「経済的に苦労する」という感覚があまりわからないのではないかと思う。

これも、決してひがみで言っているのではなくて、
たとえ成長過程で紆余曲折あったとしても、彼女が成人してからも、今与えられている生活環境を当たり前の事として、引き寄せることができるのではないかと感じる。
(ついでに言うと、彼女は将来ファンドマネージャーみたいな仕事につくような気がするのだ)

人間、自分のビジョンにないことを、想像して現実化するのは簡単なことではない。


なんでこんな風に感じたかと言うと、、、
つい最近Netflixで「運命の子供たち」と言うドキュメンタリーを見たばかりで、
「生まれた定め」とその子供達が生きる使命について考える機会があったからだ。

なんとなく「恵まれている子は甘やかされている」という論調もあるように感じるけれど、だからと言って「幼い時から苦労に苦労を重ねた方が良い」というわけでもない。

私の育った家庭環境は荒れていたし、経済的にも全く楽ではなかったので
私は「自分が思い描いた未来を描く」という行為は思春期になる前にやめてしまった。
「願ったってどうせかなわない」という諦めが深く体を支配していたからだ。

このブロックを外すのは大人になってからもなかなか難しい。
ついでに自己肯定感もドーンと低くなる。
こういうストラグルから大人になっても抜け出せない人は少なくないはずだ。
(今自由にやってるじゃん、と人は思うかもしれないが、今私がカナダで暮らしているのは、この深い支配に対する激しい反動があったからと思ってもらえたらと思う)


なんにしても、苦労して育った子供、恵まれた環境で育った子供、
どちらも大人になった時に、経験が良い方向に働けば社会を変える大きな力になるはずだ。

アナベルとニナと娘の3人 個性も環境も異なる女子グループ
どんな風に育っていくのか、少しヒヤヒヤもあるけど楽しみだ!

ついでに「運命の子供たち」見てみてください。おすすめです!

*タイトル含め、実際より多少誇張している部分もあるので「読み物」として読んでくださいませ*









2020年9月1日火曜日

ハンター・ガール

娘:「鹿肉って美味しいの?」

ニナ:「すっごく美味しいよ、そしてすっごく悲しい」

娘:「鹿を殺した後、呪われないように塩をたくさん撒くの?」

ニナ:「うーん、塩を撒く時もあるけど、私のお父さんは必ず食べる時にお花を添えるの。

    それで、命をどうもありがとうってみんなで手を合わせてから食べるの」


娘の一番仲の良いお友達のニナがお泊まりにきた。
彼女はメキシコ人で3人姉妹の末っ子。

彼女のお父さんは狩りをするので、時たま姉妹みんなで森に入ることがあるそうだ。
一番上のお姉ちゃんがお父さんの右腕で、血抜きをしたり皮をはいだりするらしい。
ニナは、周りの掃除やお姉ちゃんの手伝いをする。

ハンターと聞くと、Tatooの入ったごっつい山男を想像するかもしれないけれど、
彼女のお父さんは小柄で、謙虚で、とても優しい人。

しかも、このご時世、家にインターネットをひいていない。
携帯電話もフリップフォン(ガラケー)
もちろんテレビもない。ネットフリックスもディズニーチャンネルとも無縁だ。
その代わりにしょっちゅうお父さんと一緒にハイキングやキャンプをしている。

この3姉妹、全員感心するほどいい子で
私がニナを送りに届けにいくと、親が仕事でいない時は
お姉ちゃんが出てきて「ニナを預かってくれてどうもありがとう」
と必ず言いにきてくれる。

言い忘れた。お姉ちゃんといっても10歳の女の子だ。

ニナもうちでご飯を食べたりすると
「お手伝いすることありますか?」と何度も聞いてくれるのだが、
ついには「私、洗い物しようか?」とまで言ってきたから驚いた。

これも、言わされているのではなく、彼女にとってそれが当たり前的な自然な言い方なのだ。

他人の家の懐事情を推し測るのは失礼なのだけれど、
彼らは物価と不動産の高騰によって、リッチ化したスコーミッシュでは珍しく
2ベッドルームのスイート(アパート)に暮らし、
あまり持ち物を持たない質素な生活をしている人たちでもある。

比べて私は今、縁あって新築の大きな家に住んでいる。
iPadなどのデバイスもあるし、家族全員がそれぞれデバイスに向き合って会話がない時間もそこそこある。その上、家族全員分のそこそこ高価な自転車や遊び道具もある。

つまり、必要な物、いや必要以上の物を持っていながらも、
特に今年の夏は、引越しのせいだと思いたいが、結局出番も少なかった。

それで、冒頭の会話に話は戻るのだけど、
先日お泊まりに来たニナと娘の会話を聞いていて、
なんか「私、生きる上で大切なこと忘れている気がする」とドキッとした。

「あなたは本当に満たされているの?今のこの瞬間を生きているの?」

と、聞かれたような気がしたのだ。

その後、その思いがさらに強くなる出来事があった。

お泊まりの朝を迎えてニナをお家に送りにいった時に、家族全員が出迎えてくれた。
一通り挨拶をすると、お姉ちゃん、お父さん、おばさんやいとこまでもが(たまたま居合わせたのだけれど)みんなで「ニナ!!会いたかったよ!!」と言って代わる代わるハグをする。

みんなキラキラの目をして
「ニナ戻ってきたー!大好きだよーーー!!!」と伝える。

その中でどういうわけか少し不機嫌そうだった、いとこのお兄ちゃんに、
ニナが「どうしたの?何かあったの?とりあえずハグしよう」と優しい微笑みをかける。

その光景を見ていて、なんだか涙が出そうになった。

「私は家族との毎日に、ここまで大きな愛が溢れているだろうか?」

人間が魂に還る時「経験と感動」しか持っていけないという。
社会的な地位やお金や物は持ってはいけない。(「金持ちが天国に行くには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉があるくらいだ。)

私は天国に持ってける「経験と感動」をどれだけあるだろうか?

もちろん他人と比べたって仕方がない。
私たちは私たち、ニナはニナだ。

だけれどもニナの家族には「足元を見つめる機会」を授けてもらったような気がする。

今日は罪滅ぼしの気持ちを込めて、iPadを閉じて子供達にポーカーを教えた。
洗い物をかけてポーカーで勝負!
悔しい〜!勝ったー!なんて言いながら過ごす時間。
少しだけ心が軽くなったような気がした。


森に落ちていた鹿の角