2011年8月26日金曜日

サーモンがあがってきました。

季節が秋へと移ろいでいます。

空の青に、温もりの青が混じるようになった。
空一面のひつじ雲。
まだ夏の強い日差しがまぶしくて、サングラスなしではいれないけれど、日差しのなかにも”温もり”を感じる。

この温もりの正体は、植物がもたらす”実り”なのかなあとぼんやり考えたりする。
たとえば、春って、芽吹きのエネルギーがすごい。
溢れんばかりの生命力!キラキラしてて気圧されそうなほど。

それに比べて、これからの季節は若いエネルギーが熟成されていく、大人の季節。
実りの気配を風が運んで、空気や空に映し出されて、”温もり”になるんじゃないかなあ。なんて。

今日もスコーミッシュリバーに散歩にいった。

いつもより車が多い。
河原にでてすぐに理由がわかった。

ピンクサーモンがあがってきているのだ。

着いたら13歳くらいの男の子がお父さんに誘導されながら、ピンクサーモンを岸にあげているところだった。
そのあとも別々の人が2匹釣っているのをみた。

「お父さんと息子」の組み合わせが多くて、ほのぼのしたなあ。
お父さんが真剣な表情で丁寧に最後の岸あげをして、息子が急いで網を持ってくるの。
聞いたら、お父さんが2匹、少年は1匹釣ったとのこと。
少年は、サーモンがはいった黒いゴミ袋を大事そうに抱えていたよ。

太陽と、もうすぐ会えるtitiちゃんの数年後が楽しみになっちゃったなあ~~~

そんなときがきたら、ゆうじにまかせてわたしは七輪でもつっつきながら本でも読むかな~。
子供と父ちゃんの後ろ姿を酒の肴にして。

はたまた今はナカナカ持てない、自分の時間を楽しませてもらおーっと。

��写真がなくてごめんなさーい。カメラ故障中です。しかしとっても素敵な風景でした)

2011年8月22日月曜日

にんぷらいふ 2 ~37週目になりました~

今週末をもって37週目、正期産にはいります。
正期産とはこれから予定日までのあいだ、もういつでも産まれてきていいよ~ っていう時期です。
予定日は9月12日なのでまだ3週間あるけれど。

早いもので8月も終わりに近づいてきましたね。
今年の夏は、気持よくすごせています。
思いの外キャンプや旅行にいけて、重身ながらも手近なところで夏を楽しんでいます。
なにより、子供達に癒されてるな~。
子供の心ってピュアでまっすぐだから、子供同士のかかわりあいみてると、胸にじーんとくる。

巣ごもり本能?も働いて、
ハーブオイルや布ナプキンつくったり、冷凍保存できるごはんを作ったり
家に棚をつくってより快適になったし、髪の毛も短くしてすっきり!
��人目産まれたら忙しいから、気持ち的にはボウズにできれば楽だけど、そこまではさすがにできなかった。わたし丸顔だから、マルコメくんみたいになっちゃうしね。

これまで何度も書いていることだけど、わたしどんどん地に足がついてきています。
そういう意味で、妊娠や出産はわたしにおおきな変化をもたらしてくれました。
感じ方も新しいエッセンスが融合されて、おなじ風景でも違う見方をするようになったかな。
なにかシゲキテキなことがあるわけじゃないけど、日々の暮らしが楽しい。

自分が変わらない限り、視点ってなかなかかわらない。
だから、おなじものをみても感じることが違うということは、わたしが進化したという証。

それは、ありがたい経験なんだなあと思うようになった。
少し前までは、感じ方が違う自分にとまどい躍起になって、感覚を取り戻そうとしてた。
それも、執着だねえ。もう未練ないよ。ありがと~ばいばーい!

太陽との3人の時間ものこりわずかだ。
気持ち的にはちょっと寂しい。
太陽とおなじだけの愛情をおなかの赤ちゃんにも注げるだろうか? という問いが頭をよぎるときがある。
でも、愛って無限だから、2人だから半分こになるのではなくて、2人だからこそ2倍になるんだろうな。
自分にできるのかな?と思うけど、できちゃうんだろうね。なんせ母ちゃんだから。
忙しそうだけど、楽しみだな。

そんなふうに、わたしがうちに秘めている力を引き出す機会があるってことに感謝です。

時間が限られている、と思うと、どんどん”今”に集中できる。
よおし、今日もいましかできないことやろ!

さあて、まずは 昼寝からだ!
おやすみなさい!

2011年8月18日木曜日

かわりゆく自然環境 意識のスイッチ

この町で一番古いモーテルのロゴに、スコーミッシュの象徴であるハクトウワシと一緒に、クジラとイルカの絵が描かれている。

ほんの50年ほど前は、この町の入江にも、クジラとイルカがやってきたそうだ。
ブリタニアビーチで金や銀がとれるようになり、鉱物やケミカルが入った水が海に垂れ流しになり、彼らは入江から姿を消した。鉱山も今は閉鎖された。

去年の冬はラニーニャで、このあたりはものすごく雪が降った。
ラニーニャ現象の原因は解明されていないようだけど、彼女がもたらした影響は、この夏にもしっかり及んでいる。
今年は冷夏。
気温が30度を越えた日は一度もなかったように思う。
標高1500m以上はまだ冬の世界。
それによって、動物達が食べ物を探して、自分のテリトリーより下のエリアまでおりてきている。
高山に住むマーモット(巨大なハムスターみたいなの)は、下におりてくることでコヨーテの格好の餌食になっているそうだ。
そして、熊牧場と揶揄されるほど、ウィスラーの町にはたくさんの熊がおりてきている。
人間サイドの話で言えば、野菜や果物の収穫が遅れている。

この秋も、ラニーニャが戻ってくると言われてます。
来年も豪雪で冷夏なのかな。

人間は鈍感だから、海がちょっと汚れても、気候がおかしくても、「そんなもんかあ」でいられるし、知恵を使って、自分の暮らしを変えることなく、やりすごすことができる。

でも、動物達は敏感。
何かがおかしくなればすぐに行動にあらわれる。
しらないあいだに姿を消し、数を減らしていく。
それは、あらゆる生態系に影響がでているっていうメッセージ。
失ったものを取り返そうとしてもむずかしくなる。

彼らはメッセンジャーでもある。
彼らを通して届く自然からのちいさなささやきに声が聞こえる耳をもっていたい。
全ては繋がっているから。

話はフクシマに飛びます。
最近、放射能汚染のニュースが減ってきていたり、その話題自体が減っているなんて話を聞きます。
��わたしの周りの友人達は全くそんなことないので、海外にいると日本の風潮がわからないのだけど。)

地震やラニーニャといった人間にコントロールできないことは、受け止めるしかない。

でも人間が起こしちゃったことに、知らんぷりや無関心でいるのはどうかなあと思う。
もちろん諦めの気持ちや、じゃあどうすりゃいいのさ!っていう気持ちが起こってしまうのもわかる。わたしも絶えずその葛藤を持っているし。

昨日、携帯屋の若いお兄ちゃんと話してたら、フクシマの話題になった。
彼は「日本では、汚染瓦礫を撤去するために、中年の人たちがボランティアで活動していると聞いたよ。自分の身体を犠牲にして子供を守る。アメリカではそんなこと起こらないとおもう」とだいぶ大げさに(アメリカ人だって絶対やると思うし)褒めてくれた。

そして、「今回の悲惨なできごとで、世界中の人たちが核エネルギーや自分たちの暮らしについて考え直す機会になったと思う。それはよかったことだよ。」と言ってくれた。
フクシマの記事はよく読んでいるそうだ。

フクシマ話になると、みなわたし(日本人)には遠慮がちに話す。
同情と心配の目をもって。
ほんとうは、「日本の電力政策のせいで、こっちまでとばっちりくってんだぞ!」っていう怒りの気持ちもあると思うけれど。

携帯屋の兄ちゃんしかり、カナディアンとフクシマの話をするたび、申し訳ないって思うようになった。
私の祖国は、みんなの地球を汚してしまったんだな。。。って。

BC州でも放射能の値が増えた。
Straightというバンクーバーの新聞に、日本の放射能汚染がBCにも押し寄せているという記事がデカデカとのった。

胸が痛い。
海外にいると、フクシマが地球にもたらしている影響 という目でもこの汚染問題を考えるようになる。
世界の中の日本人としては、フクシマ問題は国の政策だから、そのときまだ小さかったわたしには関係ない!とはとても言えない。

だからこそ、日本人がどうにかするしかないんだよね。
答えなんて簡単にはわからなくとも、ひとりひとりが、もがいて悩んで、この問題に対して向き合っていかないといけないんだね。
こどものため、家族のため、世界のためにも。地球のため、そして自分のためにも。
この時代に生まれた日本人の宿命として。

ニュースでは伝えないような記事を常にupしてくれる友人に感謝しています。
みんなで考えようという意味で、わたしもそういう話はどんどん広げていきたいと思う。

「知る」ことは次のステップにつながるもんね。

今の日本人のテーマは、国や企業によっかかりすぎていた過去を改め、考え、選んで、自分の足で立つこと、「個人が自立すること」な気がするな。

放射能汚染も、自然が消えていることも、愛も、命のサイクルも、よおおくみてないと、目にはみえないし、聞こえない。
目に見えないことってやっぱり大事。
しかもその声はちいさい。
そこに気づくには、聞く意志をもってチューニングするしかない。雑音も多いからね。

その上で、起こってしまった/起こりうる汚染や天候の変化や災害はうけとめて、過剰に恐れずに(人間だって自然治癒能力高いから!)、残された自然と動物と共存していかなくちゃいけないなと思ってます。

スコーミッシュの海では、浄化プロジェクトがはじまってます。
私が死ぬ頃には、この町にもまたクジラやイルカが戻り、子供達の無邪気な笑顔が溢れる世の中になっていることを願って。

2011年8月9日火曜日

にんぷらいふ 2 ~35週目になりました 母乳育児のこと~

��5週目になりました。
赤ちゃんも育ってきて、おなかがだいぶ窮屈そう。
赤ちゃんもせまいなか手足をつっぱってぐにょ~~んって動く。
これが結構痛いのよ。
胃が圧迫されたり、息切れが激しくなったり まさに妊娠後期ですなあ~。

あと1ヶ月もすれば、アノ、「激闘!おっぱい→泣く→寝る 24時。」のはじまりです。
わたしは母乳育児大賛成!
おかあさんがしんどくないなら、回数も年数も子供が飲みたいだけ飲ませたらいいじゃない!と思ってます。
その気持ちはいつもかわりません。

タイヨウマンの時は、わたしも飲みたいだけ飲ませてました。
��時間おきなんてしょっちゅう、あいだが空いても最高5時間くらいだったかなー。

ただ、実体験からすると、1日中おっぱいにしがみつかれているのはチトつらかった。
授乳大好きなおかあさんなら苦ではないと思うけど、母乳育児は体力勝負と言われるように、体も心もそれなりにタイヘンなのですよ。

そのうえ、わたしはつねにかなりの生産過剰で、2-3時間以上授乳があくと痛くて痛くて泣きそうなうえ、食べた物がQuick&Directに影響して、アウトなもの(乳製品/油っぽいもの/甘いものなど)を食べるとすぐにおっぱいがガチガチになりました。

食事制限もきびしかったなー。
どうしてもチョコレートが食べたくて、痛くなるのを覚悟で食べたなあ。。。
いっつも乳腺炎ギリギリのラインで痛みと疲れと睡眠不足と闘っていたし。
断乳するまで毎日おっぱいにふりまわされいて、あまりにつらかった時は、「わたしって、おっぱいだったんだ」と変な妄想にとりつかれたことも 笑

そんなこんなもあって、途中から楽しんで授乳できなくなってしまい、自分のためにも太陽のためにも続けられないかも。って追いつめられ、結局、太陽が1歳3ヶ月のときに断乳。
断乳。。。思い出すだけで あーもー そりゃあそりゃあ 痛いのなんのって。
出産の痛さに匹敵するくらいのたうちまわる痛みだった。太陽も落ち込んでてかわいそうだったなあ。

太陽のときは、母乳こそ最高のアタッチメントペアレンティング!という記事をたくさん読んだから、上手に折り合いをつけられない自分に罪悪感を感じてしまった。

結局わたしは1歳3ヶ月でやめたけれど、今振り返れば、母乳続けていてもそうじゃなくても注ぐ愛情度はなんら変わりはなかったと言い切れる。
だから、今回は、どんな母乳育児になるかわからないけれど、自分にはあまり無理しないようにしようと思う。2人目の時は出具合も違うと聞くし。

もっとあげたいのに出ない人、出過ぎで困る人、ミルクで育ててる人、仕事してる人、事情があって母乳あげられない人 いろいろですしね。

事情はどうであれ、愛情こそ最高の絆だろう~~!!

長い間楽しんで、または子供のために授乳ライフを送っているママ達に、最大の敬意を表しつつ(ほんとにすごいと思う!!)、
赤ちゃんの個性もあるし、お母さんの体の具合もあるし、思う通りにはいかないけど、わたしも今度は、「楽しめる母乳育児」を探していきたいなと思ってます。

明日はこの夏10回目のキャンプです。キャンプは明日で最後かなあ~?
思いの外たくさん外で遊べて良かったな~。

2011年8月4日木曜日

お手軽草木染め ~たまねぎの皮 編~

まだまだ クラフトブーム来てます。

本日は、たまねぎの皮で染め物してみました~。

大量に作成中の布ナプキンを染める為にやりはじめたんだけど、パンツとかTシャツもやってみたよ。

一枚布は一番液(一番だしみたいなもの)でやったので明るい黄色と橙色の中間くらいになった。
パンツとTシャツは 使い古した二番液でやったから薄めの黄色になりました。
かなりムラになっちゃったけどまーそれも味かな!

P1010101


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実際に見る色と、おひさまに当てたときの色の見え方がちょっと違う。
草木染めはおひさまにあててみると色がもっと柔らかくみえる。
前に、ビワの葉でもやってみた。きれいなサクラ色になったよ。
葉っぱは濃い緑なのに、おもしろいなあ。
草木染めででてくる色が、その植物がもっている本来の色なのかもね。

ちなみに布ナプキンを草木染めすると、洗濯するとき経血がおちやすいそうですよ。