2015年1月26日月曜日

心境の変化

5歳半の太陽は、わたしのことを”ママ”、ゆうじのことを”いーちゃん”と呼んでいました。
そう、3日前まえで。

だけど、3日前、急に太陽から、”これから、オカアサンとオトウサンって呼ぶ事にした”と宣言され、以来 わたしのことは”オカアサン”、いーちゃんのことは”オトウサン”と呼ぶようになりました。

毎回、いい間違えるんだけど、そのたび言い直す徹底ぶり。
もう、後戻りはしません!彼の中に、そんな覚悟が見えるのです。

急に言われる私たちの方だって、慣れません。
文字通りカタカナで呼ばれているような、四角い響きにとまどっています。
いーちゃんからオトウサンへの変容にいたっては、まるで別人のようだし、
オカアサン、オトウサンの響きが持つ責任をずしっと背負わされ、急に老けたような気すらしてきます。

ところで、なぜ”いーちゃん”になったかですが、、、。
わたしが、ゆうじのことを”ゆうちゃん”と呼んでいたのをマネたものの、まだ小さかった太陽は、”ゆ”が発音できなくて、”いーちゃん”になり、”ゆ”が言えるようになっても、”いーちゃん”のまま今に至ります。

最初は、いつまで”いーちゃん”でいくんだろうねーなんて話してました。
でも、5年も呼んでいると、 パパでもお父さんでもない”いーちゃん”という響きが、One and Only の、愛すべき呼び名になってくるものです。
ルナに至っては、生まれたときから彼女の父親は、”いーちゃん” であり、パパでもオトウサンでもないのです。

でもね、生きてる限りみな進化し、成長するのだから、おなじところに留まっているはずもない。
明日と今日は一緒ではないし。
この、雪の降らない、冬の大雨だって、5年前とは違う。
北極点がこのままずれつづけて、いつか雪がまったく降らなくなっても、受け入れるしかない。

ああ、息子は成長している。
生まれた瞬間から、子離れ親離れに向かって、緩やかな一歩を踏み出しているのね。
そして、それは、、、、なんだか寂しい。

”オカアサン”が消化され、”お母さん”になるころ、どんな成長がまっているのやら。

2015年1月7日水曜日

育児ヒーリング

お母さんしていると、子育てを通して小さいときの自分(インナーチャイルド)と出会うことがよくあります。

自分が小さいときは、置かれている環境が普通だと思っていたのでわからなかったけれど、自分の親にしてもらって嬉しかっことや、安心を感じたこと
また逆に、小さい時の私、かわいそうだったな、辛かったんだな、という感情に親になってみて気づいたります。

ハッピーな体験は、懐かしみながら、自分の子どもにも伝えてあげることができます。
でも、悲しい体験の再来は、悶々とした想いを抱えて、さてどうしようと一旦考えます。
実際の育児の日々は怒濤なので、そういう想いは一旦脇においといて、目の前の用事をこなしてみます。
それでも、癒えてない小さな私は、怒ってたり、悲しんでたりところどころで主張してきます。
しかも私の場合、”自分が子ども時代にしてもらってないことを、自分の子どもに要求されたとき”に、イライラするという形で現れることが多いのです。
子どもみたいな話ですよね。本当にそう、子ども心なんです。

ああ、そうか、自分の子どもに同じ想いをさせないようにしよう。
きっと、それが答えであり、メッセージなのだ。
そう思って、反面教師的に心に残っていること、例えば好きじゃないことを無理矢理やらされるのは嫌だったから、やめようとかーは割とすぐに子育てに取り入れることができます。
でも、もっと根深い感情は、私自身が癒えてないと、それを行動にうつすのは結構難しいものです。
理性で判断しても、心と行動がついてこない。
その究極が形が、ニュースになるような虐待などの負の連鎖のかなと想像すると、腑に落ちます。

そして、この年になってまで顔を出してくる、小さな私の主張は、気づいたからといって癒えていくものでもあません。
もちろん、大きな一歩を踏み出していることには違いないけれど。
でも、そういう気持ちを自分の親や周りのせいにして怒ってみてもどこへも進めないし、苦しいだけです。

じゃあ、どうしようか。
わたしは、インナーチャイルドに話かけてみました。
そして、インナーチャイルドがしてほしがっている事を、自分の子どもにしてみるのです。
これは、自分の子どものためだけではなく、私のために。

インナーチャイルドの声に耳をかたむけてみると、インナーチャイルドは声なき声で語りはじめます。

見ててほしい。
愛してほしい。
守ってほしい。
ひとりじゃできない。きめられない。

どうやら、自分の子どもと同じ年ぐらいの、インナーチャイルドがでてくるようです。

だから、
子どもを、毎日抱きしめて、どんなことがあっても好きだよと言う。
まずは、そんな簡単なことからはじめてみます。
これは、もちろん自分の子どもへの本心からの愛情ですが、
同時に小さな時の自分、そして母親になった自分への言葉でもあります。
 
じんわり、ハートが温かくなりますよ。

もうひとつ、わかりやすい例でいうと、
私は一人っ子で、鍵っ子だったのでいつもさみしくて、ずっと、兄妹がいる友達をうらやましく思っていました。
そう思いながら30年がたち、自分の2人目が産まれた時、私のインナーチャイルドはかなり癒されました。  

満たされなかった想いが、子育てを通して叶う事で、インナーチャイルドも癒えていくのでしょう。
ただ、気をつけないといけないのが、これは叶わなかった親の夢や期待を子どもに背負わせるという意味ではありません。
あくまでも、よりハッピーな子育てライフを送るため、子どもへの負の連鎖を断ち切るための、ひとつの方法です。愛のレッスンです。

お母さんは聖母ではありません。 完璧なはずもありません。
私もイライラしたり、怒りながら、日々なんとかこなしています。
そんな中で、子どもは私に、”愛するということ”を教えてくれています。
そして、私も、”愛されること”を学んでいます。

これは、海よりも深く、空よりも広い、人生かけてのレッスンです。
そして、インナーチャイルドを癒す大きなチャンスです。

ラッキーなことに、昔よりも子どもを大切にする時代になりました。
子どもと遊びながら、私自身も少しづつ癒していけたらいいなと思います。

お母さんが平和だと、世界は平和になる。そんな言葉を胸に刻みながら。

注:この記事は、小さいときの心の傷が深い人向けです。
ピン!と来る人にはくる、こない人にはこないかと思いますので、ご了承ください。

2015年1月3日土曜日

久々のReggage Tune!

新年あけましておめでとうございます 2015!

去年はいろいろと、特にタマシイの運命について”考える”1年でございました。
そして、なぜでしょうか、迷える子羊の方々にお話を聞く機会が多い1年でした。
声をかけていただけることは、ありがたいことです。

そして、同時に”自分の器”がよくわかった学びの年でした。
その人達が抱えている悩みや状況に対して、”私ができること”というのは限られていて、そして、それで良いのだ。という事をよく学びました。
この気づきは、電気が走るような衝撃でした。いや〜〜目からウロコ的な感動でした。

すいません、なんだか重くなってしまいそうなので、話題チェンジ!

Yahoo Newsかなんかで、窪塚洋介さんがレゲエ界で活躍されているというニュースをみました。いいね〜。そして、懐かしい!
という私も20代の音楽のお供はレゲエで、当時ウィスラーにいたウィスラーファミリーもみんなこぞってレゲエ&ダンスホールを聞いていたのです。
まだスノーボードもパークに行っちゃう勢いもある若い時。
やるぞ〜っと気持ちをあげてくれるのはもっぱらダンスホールでした。
というわけで、今夜のBGMは久しぶりにジャマイカンレゲエでいきたいとおもいます。

レゲエって、ほんと奥が深くて。
恋や夢を 歌うようなPopと違って、ジャマイカ社会への抵抗や批判をLove & Peaceをベースにのせて、打倒!搾取システムのメッセージをガンガン放ってくる。
それが私にはものすごく新鮮だった。
勝手に踊らされちゃうのに、心も打たれる。
煙のゆくえを追いながら、頭の中でリズムや言葉が響いて離れない。
”同士よ!立ち上がれ、声を上げよ、一つに なろう!”というメッセージをいつも秘めてていて、最近では三宅洋介さんが提唱していたチャランケに通じるものがある。

愛という眼鏡をかけて、世界を見る。

そんなことを教えてくれたのはレゲエと、仲間だったな。
大元を辿れば行き着く先は、もちろんBob Marley。

あーーー懐かしい!!

レゲエのライブもいい。一体感がすごい。
隣にいる人と、いきなりハグできるようなLove感。
バンドの生演奏なのもかっこいい。

昔は、テクノやトランスっぽい音も好きだった。
そういう音は、自分の中深く深くにはいっていく、個人の世界。

でも、やっぱり、周りの人と共感できるライブ、ひとつになるあの感覚、一番好きだな。
音楽ってすごいね。

日本のレゲエシーンも好きだなあ。
地上派ではながせない社会に爆弾落としてる歌いっぱい。
久しぶりにMightly Jam Rockみたー。
相変わらず社会にバックドロップかましててよい!

よしっ!
へたくそでも、ギターやピアノをこれからも続けていこう。
どんなときでも音楽は最高。音楽、やれるとこれまた最高。
子供達と、音を鳴らしていこうと思う2015年の年明けでございました。