2015年12月23日水曜日

あげられなかったコイン。

Save on foodの前で、晴れの日も、雨の日も、夏も、冬も、物乞いをしている男がいた。

汚れたダウンジャケットを羽織い、ボロボロのリュックを背負って、キャップ帽を募金箱代わりにコインを恵んでもらうのをずっと待っている男。

私の記憶が正しければ、私がスコーミッシュに越してきたときから彼はそこにいた気がする。

BC coastには、物乞い(beggar)がとても多い。
見るからにホームレスという人だけではなく、働けそうな若い人もかなりいる。
身なりも最低限というわけでもない。
"Travel, broken, hungry"段ボールに書かれた文字を見るたび、人に小銭をせびるより、どうして働く努力をしないのかな。と思ってしまう。

以前、そういう若い人に果物をあげたことがあった。
そしたら、お礼の代わりに、世の中の愚痴と嫌みをいわれた。
なんなんだ。この気持ち。あげなきゃよかった。あなたはただLazyなだけじゃないか。

それから、私はbeggarの人達を見なくなった。

ただ、Save on Foodの前にいる彼は、少し違った。
いつも、キャップ帽を手に持ち、ただ立っているだけ。
屋根があるのに、あえて雨に打たれながら、青い瞳でまっすぐ前だけをみている。
はじめはパフォーマンスかと思った。
でも、何度もその光景をみているうちに、それは彼の謙虚さの現れなのだと気がついた。
彼の目は、優しい感じがした。

でも、私は彼に小銭や食べ物をついぞあげなかった。
彼になら、、、とあげようと思ったことはたくさんあったのに。
わたしは、彼よりも”持っている”のに。

そして、今日、Facebookで彼が亡くなったことを知った。

”彼は、ドラックの問題があった。メンタルに問題があった。
でも彼は優しいハートをもった穏やかな青年だった。
彼は、私たちと同じように誰かの息子であり、兄弟であり、友人であり、なによりこのコミュニティーの一員だった。
わたしたちは出会う全ての人に、優しい目をむけ、できる範囲で手を差し伸べるべきであろう。”

私が小銭や食べ物を少しばかりあげたところで何が変わったわけではなかっただろう。
あげたところで、満たされたのは彼の空腹ではなく、わたしの自尊心だっただろう。

たとえ、そうだとしても、私は後悔している。

Rest in peace James  
Save on foodの前よりも、安らかな場所にいることでしょう。

2015年12月8日火曜日

Helping hand

クリスマスが近づいてきました。

クリスマスデコレーションされた家に灯るあかり
空気でふくらます雪だるまの人形や針金でできた鹿
ジンジャーブレッドハウス
本物のクリスマスツリーをのせたトラック
サンタクロースに託す夢
離れている家族のことを想う時間

カナダに来てからクリスマスは大好きな季節のひとつになりました。

でも、、、全ての人が有意義なクリスマスをすごしているわけではありません。

家もなく、家族もいない。
食べ物に困っている
サンタクロースがこない子ども

そういう人達ももちろんいます。

Squamishでは、Community Care Christmasといって、町中で食べ物、防寒着や寝具、おもちゃのドネーションの呼びかけをみかけます。
それが当然のことのように、FB上でもローカル新聞の中でもトピックにあがっているのをみると、この街にに属していてよかったなと思います。

話は変わりますが、カナダはシリア空爆から撤退し、人道的支援のみを行うと宣言しました。その一環で、来年の2月までに25000人のシリア難民(独身男性をのぞく)を受けいれると発表しました。

コミュニティーレベルでは、BCにやってくるシリア難民の家族のために、Squamishでも自分の家のsuiteをシリア難民の家族に提供できるように改築している人がいたり、
防寒着やおもちゃのドネーションを募りSurreyのイスラムセンターに届ける人がいたり、
太陽のクラスメイトのお父さんも、ドイツの難民キャンプを訪ねて物資や募金したお金を届けたり(難民キャンプにはデンタルテントが点在していて、デンタルケアのために資金が必要だそう)、大きな声であえていわないけど、支援している・行動に移している人の話を聞きます。

私はこの国では、日本人というマイノリティーだから、”受け入れられている”ことは大変ありがたく、そういう土台に救われてきている。
おかげで、差別されたこともないし、”多種多様の文化背景の人達を受け入れることができる”カナダかっこいい!と思ってます。

このあいだも、Tim Hortonであたりを見回すと、白人、イスラム教徒の人達、中国人、インド人、私(日本人)、フィリピーノがいて、この光景、すごいなって改めて思った。

ここに住んでいて、みんながみんな仲良しこよしするわけではないし、移民はそれなりに暮らしていくのは大変だ。ここでは、At your own risk何事も。言葉の壁はやっぱりある。

でも、”受け入れられている”という安心感のもと、それぞれがそれぞれのアイデンティティを保ちながら、融合して社会が創りあげられているのがカナダなんだなって思いました。
ここにいて、差別されたこともないし、例えば誰かを、”○○人だから運転があらい”と発言しようものなら、"extremey raicist!"と言われたります。

この国に暮らせることになったのはラッキーだったなと思う。

だから、きっとカナダに来られることになったシリアの人々も、安心して、助け合いながら暮らしていけるのではないかなと思います。

なにより、どんなことがあっても、豊かなで雄大な自然に癒される。
いいところだよ、BCは。

Waldorf Dollその後 〜髪の毛増量中〜

意外とアクセス数の多い記事の一つ、Waldorf Dollのその後をupdateしまーす。

Waldorf Dollを作って、2歳だった娘の誕生日にプレゼントしてから2年が経ちました。
最初はあんまり見向きもされず、寂しい思いをしていたあやちゃん(人形の名前)と母だったのですが、最近では髪の毛をいじったり、おままごとの相手にしたり、彼女の大事なお友達として可愛がってくれてます。

ですが、最近のあやちゃん髪の毛が抜けて、なんとも寂しい頭頂部になってしまい、女の子としてこれはいかん!と、増毛?植毛?してみました。

こういうお人形の髪の毛は、70%モヘアと30%普通の毛糸まぜるのがオススメですが、モヘアは遊んでいるうちにどうしても抜けていってしまいます。
なので使った毛糸はとっておいて定期的に植毛してあげたほうがいいかと。

寂しい頭頂部。。。















6歳の設定なのに髪が薄いよ。。。















というわけで、頭頂部に、2レイヤー盛りました。


















やり方は、まず、最初のレイヤーをセンターとセンターから左右1cmのところで縫い付けます。
そして、2つめのレイヤーをセンターだけに縫い付けます。
以上、超簡単。




すると、、、





あやちゃん髪の毛ふさふさになったよ。
よかったねえ〜〜〜
子ども設定の人形は髪の毛がふさふさじゃないとね。

なんでもっと早くやらなかったんだー。

みなさんもお人形作る時は髪の毛はたっぷりつけてあげてくださいね。





























このあいだWaldorf Schoolのフェスティバルで、Waldorf Dollを売っている人がいました。
全部で20体近く売っていたかなあ。
どれもすっごくかわいくて、着ている洋服もWaldorfっぽくて素敵でした。
売っていたお姉さんは、髪型が2ブロックの、パンクなお姉ちゃんでしたが、全部彼女の手作りだそう。聞いたら、1体あたりだいたい10時間でできるとのこと。

じ、じ、じゅ、10時間!?

わたし、1年かかったんですけど、、、。

でも、ほんとーーーに、作ってよかった。
自分で魂いれて作ったからか、とっても愛おしいんですよ。
あやちゃんのお洋服作ったり、娘と髪の毛結んだり、私も楽しんでます。

お母ちゃんって忙しい日々ですが、一生に一度の作業だとおもって、作ってみてはいかがですか?

まもなくクリスマス。大好きな季節がやってきます。
慌ただしい12月だけど、一日一日、バタバタ感もワクワク感も楽しい〜!





Waldorf Schoolのフェスティバルで作りました。
全部ローカルの素材でできてます。
手作りって温かいし、愛おしい♥️








2015年12月1日火曜日

百日咳 〜予防接種を考えてみる2015年編〜 

太陽のクラスメイトのお父さん(David)が百日咳にかかってしまった。

今の時代、予防接種の対象になっている病気は、「身近にないもの」と思っていたので、自分の周りの人でもかかるんだなと驚きました。

Davidが百日咳にかかったときいて、まっさきに「Davidの子供達(6歳と2歳)は大丈夫かな?」と思った。
どうやら、2人とも予防接種をしていたからか、移ることもなく無事だったそうだ。
それをきいて、ほっとした。

私のブログに来てくださる方は、なんとなくだけど、予防接種受けない・遅らせる派の人が多いのではないかと思います。
わたしも以前はそうだったのですが、最近はちょっと考えが変わってきました。
今日はそんな話です。

みなさんは百日咳にかかった赤ちゃんの動画を見たことありますか?
息を吸う間もないほどの激しい咳の発作が小さな赤ちゃんを絶え間なく襲い、「ああ、死んでしまってもおかしくないかも」と思ったのを覚えている。
大人にとってはただの咳のひどい風邪でも、赤ちゃんにとっては、怖い病気ですね、百日咳。お母さんからの免疫ももらえないそうですし。

ちなみに2週間後にDavidにあった時は、カナダでは滅多にみかけない医療用マスクをして、まだだいぶ辛そうでした。(update:あれから1ヶ月。昨日あったら、まだ咳と声の調子の悪いDavidさんでした)子供達は元気いっぱいでなによりでした。

また、うちのユウジくんは、20歳の時に麻疹にかかりました。
彼の世代は、MMRの安全性に問題があり、MMR予防接種のなかった世代です。
彼は怪我で入院中に院内感染(麻疹は、くしゃみひとつで免疫の無い人20人に感染すると言われてますね)して、ひどい発疹に加え1週間ちかく、一日に何度も40度の高熱が波のように襲ってきて、隔離病棟に入れられ辛かったと言ってました。

他にも、予防接種をしない選択をしたことで、子どもが破傷風にかかり、3日後に昏睡状態に陥り、危篤状態になったのち、1ヶ月後にようやく回復したけれど、気管切開の後を見るたび後悔するというお母さんの記事も数件読みました。

また逆に、子宮頸癌ワクチンの副反応で脳に障害がでて7年間病気と厚生省と闘っているお母さんのブログも非常に参考になりました。

頭や感情で判断する予防接種の是非と
実際に罹患した人の体験を聞くのとでは、重みが違いますね。

私は予防接種に関しては、めぐりめぐって「年齢とリスクと状況に応じてある程度必要」だと今は思ってます。

人間は、医学に助けられていることは事実だと思います。

私も土や木に触る暮らしになってきたし、もう免疫切れてるみたいだから、破傷風くらいは受けてみようかな。

最近、やみくもに否定するような風潮だったり、製薬会社への不買運動を兼ねて反対する人とか、それはそれで怖いなと思ったりもする予防接種2015年考察でした。

最近ポリティカル気味な記事ですが、次はカナダの難民受け入れについて書こうと思います。この冬は社会派Uniearth の Color paletteよろしくっす!

2015年11月15日日曜日

武器のない日常

かねてからずっと心の中にあったのですが、今こそ言いたい!とことを書こうと思います。

戦争から遠く、日々平穏に暮らせている私の周りでも、
小さな子供達が目にするもの、手に取るもの、耳にするものの多くが、武器や戦争を連想するものが多すぎます。

戦争から遠い暮らしをしている人のほとんどが(と思いたい)、武器や戦争なんてまっぴらだと思っているはず。
過去や現在の戦争から、力で衝突しあっても、はかりしれない傷をおうだけでなにも解決しないと、理解している。
それが、この時代に生まれた人達の共通認識だと私は信じたい。

なのにもかかわらず、小さな子どものおもちゃの多くは、銃の形をしていたり、
子どものテレビや映画にも銃撃戦がでてきたり、”正義”という建前で力でねじ伏せて悪を倒したり、、、、。

男の子の母親として、男性には狩猟本能があり、守る意識があり、男性ならではの勇敢な知恵と度胸があり、その一環として”闘う”という本能があることを知りました。

弓矢、スリングショット、剣、罠、チャンバラ、騎士やドラゴン、ポケモン、。

これらの遊びには知恵と勇気と冒険心をかきたてるパワーもあって、どこからがダメと線を引くのは非常に難しい。武器と道具に魅せられる本能があるのはわかる。

でも、”銃”は違う。冷徹すぎて、心が凍る。

メディア規制のあるWaldorf Schoolですら、男の子は木の棒を持って”Banban!"と撃ち合いごっこをしている。
友達に銃をつきつけて”You go to jail!"と言うのである。
隣の家の男の子は、太陽とるなに向かって”Hands up!"と言うのである。

今日も公園で、おもちゃの銃で、とんできたしゃぼん玉を撃っている子がいました。
それを眺めている太陽とルナ。

こうやって、世の中は、戦闘地帯でもない幼い子どもの心にも脳にも、銃のある日常を植え付け続けている。

「うちの子だけは」、と遠ざけようとしても、街角やお店や映像、学校のお友達との遊びの中、そこらじゅうにありすぎて完全にシェルターするのは無理。

おもちゃ会社も、映像会社も、武器や銃撃戦を通さないと、楽しさやメッセージは伝えられない?


たとえ撃ち合いっこしても、実際にはやらないから大丈夫って、
社会はまだこういうものを子どもに与え続けなければならないのでしょうか?

これからは、武器を置く勇気のある社会に。
子どもが手にするもの、見るもの、聞くもの、すべてから、武器を連想させるものがない社会になってほしい。
本当に。切に願います。

今、時代の分かれ目だと思う。
これから武装していかないといけない世の中だと思うか、戦闘のない世界を望むか。
世の中の、ではなくて、自分の信念は?
自分の描く未来は?今は?どこにフォーカスしていく?

と聞かれている気がするんだ。

こういうこと書くと、心が疲れるけど、こんな時だからこそ、自分の信念を大事に、なんでもない日常に感謝して、ワクワクしていこう。
同じ意識の人達とハートが繋がって、地球と繋がっていたら大丈夫だね。

LOVE & PEACE !

2015年11月11日水曜日

Ready になる時を待つ。

9月からルナもPreschoolに行き始めた。
といっても、週に2回、午前中だけ。

ルナはものすごいシャイで、私から離れられなかった。
子供達がみんなきゃっきゃ遊んでいても、私の膝にのってじっとしていたルナ。
3歳のときにPreschoolを試そうかと試みたけど明らかにreadyじゃなかった。

今年4歳になって、この1年で何をしたわけでもないけど、自分に自信がでてきたのか
母親という安全地帯から少しだけ離れて冒険する気になったのか、驚くほどすんなりPreschoolにとけ込んでしまった。今では、毎日行きたくていきたくてしかたないくらい。

太陽とルナの学校は同じ敷地にある。
お互い学校内でみかけることもあり、2人の共通のお友達もいるし、先生方もルナにも声をかけてくれるので、彼女の中で「学校=安全なところ」という方程式がなりたったのだろう。

それぞれ子どもには「Readyなタイミング」というのが必ずある。
Readyでなくても、無理を通せば子どもはやがて慣れていくものだと思うけど、
できればタイミングが来るのを待ってあげるのがベストだと思う。
これはアカデミックなことにも言える。

そういう意味で、太陽をGrade1にあげず、2年目のキンダーにしたのも良かったんだなあと学校が始まってみてから再確認した。(Waldorfは生まれた月と子どもの個性によってキンダーを2年やります。) 

今年、クラスの中で一番年上になった太陽は、去年よりも自分に自信もついたみたいで、「自分の軸」が育った感じがする。
去年まではたくさんの子どもに交じって、自分の安全な場所を確保するのに必死だった。
今年は、大勢のなかの1人でいることに自信を持っている。
自分の安全な場所は、みんながいるこのクラスなんだと認識したみたいだ。

自分の軸もなく、自分の中の判断も育っていないぐらぐらの状態で、無理してGrade1にあげていたら、周りの子にかなり影響されてしまったと思うし、自分の言いたいことや好きなことを自信を持って周りに伝えられなかったと思う。

親はどこまでも「見守り」なんだなあ。
そして、安全な場所はいつでもここにあるよ。と伝えていくことが大事なんだろうな。

私的には、アカデミックなことよりも、大事にしてほしいことだったので本当によかったなあと思うし、そういう環境を作って、見守ってくれている先生達にも感謝です。



時期を早めて野菜を植えても、たくさん実るわけではない。
植えるのにもベストなタイミングを待ってあげることで最大の実りを引き出せる。


2015年11月1日日曜日

Halloween in Squamish 2015

年に一度のお祭り、Halloweenがやってきました!
太陽もるなもこの日をずっとずっと心待ちにしていました。

今年はHalloweenが週末に重なったので、街でもちょこちょこイベントがありました。
ルナくらいの小さな子向けの、怖くないパンプキンイベントからマジで怖いお化け屋敷、さらに当日は仮装してTrick or Treating&花火と子供達には楽しいこと盛りだくさんな週末です。

が、しかし!

金曜日の夜に、Food Donationで入れるHaunted House(乗馬クラブが馬小屋をお化け屋敷にしてpublicに開放してる)に連れてってみたのが間違いだった。。。
口では怖いことしたい、怖いものみたいとやる気満々の太陽。
しかし、実はめちゃくちゃ恐がりな我が息子。





6歳になったし、いけるかなと思ったけど、、、、ダメだった。目がマジ。
と、まあ、ここまでは想定内。

本気で怖い時って、体も震え体温も下がるから、免疫がさがったんだろう。
ガードがさがった隙をつかれて、ウイルスに侵入され、Halloween当日のいきなり発熱してしまいました。
実は恐怖が引き金で熱を出したのは2回目。

なので、Halloweenの今日はおうちで熱と戦っております。
かわりにルナが兄ちゃんの分もキャンディーもらってくる!と勇んで父ちゃんと出かけていきました。




ここで暮らしてHalloweenを体験してみて思うのだけど、Halloweenはコミュニティー、もっといえば、隣近所同士でつくりあげる、子どものためのイベントなんですね。
町全体が作り上げる、Halloweenファンタジーっぷりが素晴らしい。
大げさに言えば異次元にトリップしたような錯覚さえ覚えます。
Halloweenという文化が何世代にも受け継がれていく理由がわかります。

今の大人も、子どものころ毎年ワクワクしたんだろうなって。

ひとつの家庭の負担は少しなのに、たくさんの家庭が参加することでコミュニティー全体がHalloweenというイベントをより”らしく”、作り上げていく。日本にはないご近所文化かもしれません。
Halloweenは the neighborhood spritなくしては語れません!

引っ越してきたBritannia Beachは子どもの数も他の地区よりは少ないので、デコレーションの本気度はまあまあでしたが、小さなcommunityなのに、花火がとても立派で素敵で感動しました。








ビール片手に家から歩いて花火を鑑賞できる(しかも混んでない)なんてサイコーです。
今日は行けなかったけど、キャンプファイヤーもすごいみたい。
バギーにのってTrick or treatingしている親子もいたりして、このMellow感もたまりません。
来年はSquamishにTrick or treatingしにいって、Britanniaで花火鑑賞だな!

ちなみに、最近ではいわいるHalloween Candy(激甘チョコレート&ジャンクお菓子)を好まない家庭も増えてきました。
というか、わたしの周りのお母さん達は自分の子どもにはあげたくないと思っている人がほとんどです。
そこででてきたのが、"Switch Witch"という妖精?魔女?です。
Switch Witchは集めたCandyをおもちゃと交換してくれる妖精です。
我が家も、Switch Witchに、Candyを金魚と交換してくれるようお願いするつもりです😉

もっとヘルシーなお菓子が主流になればいいのになあ〜〜と願ってやみません。

また来年楽しみにしてまーす!





2015年10月29日木曜日

自分の時間が欲しい。

お母さんになってから、”自分の時間が欲しい”と慢性的に思ってきました。

たまにひょっこり訪れるその時間はご褒美のようにありがたく、嬉しくて、ワクワクする。
その時間で何をしようかなとアレコレ考えるのもまた楽しい。

ああ、もし5日間、お母さんを休めたらどんなことできるかなあ〜
なんて、一瞬妄想したりもするけれど、現実的にはそんなことは(少なくともウチでは)あり得ない。

でも、、、、本当に自由な時間を好きなだけもらえるとしたら。。。


きっと、たいして何もしないのだ。

きっと、時間を持て余してしまう。

きっと、3日目には子どものことばかり考えて、会いたくなってしまう。


今は、怒濤の毎日で、自分の時間なんてなくて、角も生えるし、片付けは永遠に終わらないし、子どもに振り回されているように感じるけれど、愛し、愛される日々というのは、最高に幸せなことなんだなあ。

多くの先輩お母さん方がいうように、手も目もかかり精神的にも肉体的にも大変なのは、子どもが学校にあがるまでの短い間。

怒濤の子どもとの日々の中で、少しの間にできる自分の時間だからこそ、
ささやかなことが、よりありがたく、幸せに感じられる。

それは育児という学びの中の、素敵なレッスンのひとつなんだろう。

よしっ、明日もがんばるぞっ!



2015年9月19日土曜日

打倒ダラーショップ!ハンドメイドおがくず着火材

前回に引き続き、暖炉ネタです。
書いておいてなんなんですが、お暇な方か、読んであげようと思う優しい方か、純粋に興味のある方以外、スルー記事の可能性大です。笑

みなさん、薪に火をつけるとき、なにで着火してますか?

今までは、新聞紙+マッチこそ、火付けの黄金コンビだと思っていたのですが、
どうやら新聞紙は、燃やした時の成分と燃えかすが煙突にこびりついて、煙突を詰まらせたりするので、本当はあまりよくないらしい。

実際、新聞紙を着火材として使うと、煙もでて、カスも舞うし、苦戦する割に、火がすぐ消えちゃったりして、言葉の響き程簡単じゃない。そんな経験ありませんか?

なわけで、新聞の代わりになるものあるのでは?と思っていたところで出会ったのが、WAXコーティングされたおがくず着火材(WAX COATED SAWDUST FIRESTARTER)。

これがびっくりするほど良く燃える!
2CM四方の薄っぺらい塊なんだけど、一度火をつけると、10分くらい燃え続けてくれるので焚き付けの火も簡単につくし、煙も少ないので調子がいい。

最初は、”俺、新聞紙で余裕で火つけれるし”と言って譲らないユウジに、
今じゃ、”新聞紙とっておく必要ねえな”と言わせちゃうくらいのパンチ力。

パッケージをみたら、材料はおがくずとwaxのみ。
最近、薪割り関係で、おがくずが大量にあるから作ってみるかということに。

以下、「おがくず 着火材 てづくり」でググった人にしか需要がないと思われるレシピですが、そんな誰かのためにのっけてみます。


材料は、おがくず、ろうそく、アイスキューブトレイ。

至って簡単。

いらない鍋でろうそくを溶かし、おがくずをつめたアイストレイに流し込む。
それを冷凍庫にいれて、15分待ったらできあがり。
若干のキッチンのMessはご愛嬌。
 →結構なmessになるので、ロウはいらないガラス瓶にいれて湯煎し、アイストレイのかわりにegg cartonを使うのがベスト。
15分後。

ほい、できたー! 


星やハート型でやると、”燃やすのがもったいないかわいい着火材”ができるらしいけれど、、、、

つい、燃えればいいんでしょ?と思ってしまうわたし、、ダメだわ。
山女美学まるでなし。
だからいつまでたっても、美意識が低いんだろうね。






さて、火をつけると、こんな感じで10分くらい燃えてます。













焚き付けの薪に着火!

超簡単!!新聞の10分の1の手間で火がつく!

キャンドルも燃えきるので、ロウが炉に残らずいいかんじです。











いまさらですが、
マニアックな記事ですいません。

でもこれ、夏のキャンプファイヤーに超役立ちます
バックカントリートリップとか、少ない装備で火をつけたいときとかも、軽いし小さいので持ち運びに便利です。

ちなみに、タイトル通りですが、
このタイプの着火材、ダラーショップで12個入りで$1.25で売ってます。

手作りしたところで、
手間ひま考えたらダラーショップで買えばいいじゃんってなることの多い、世知辛い世の中。
そういう瞬間、むなしいですよね〜。
お金の節約のために手作りしてるわけじゃないけどさって、言い聞かせて。

でも今回は、私の中で、手作りするからにはダラーショップより安くなってほしいという、どうでもいい競争心が炎のようにメラメラと燃えあがり、質より数にロックオン!
打倒!ダラーショップ!

結果。
原価は8ドル分のキャンドルで、108個できたので、一個あたり$0.08ということになり、
12個で$0.96!
手間代は愛情でカバーということで、ダラーショップよりも手作りの方が安いことになりましたー。
あーよかった。

環境と健康を考えたらBees Waxがベストなんだろうけれどね。

もちろん、使ってないキャンドルを家の中からかき集めて、おがくずと共に再利用するのが一番、理にかなってますね!

近所の人で興味ある人には、おがくず好きなだけ差し上げますんで、手づくりしてみてください?!
キャンプ用には自信もってオススメします!

2015年9月16日水曜日

薪ハンティング

秋です!

日に日に、日差しが、森が、熟成された色になってきましたSquamish BC。 
ただいまの気温10度でございます。






BC州の季節は、ある日突然入れ替わります。
数日前まで夏だったのに、今日はもう、空の奥に冬を感じる。

うちには暖炉しか暖房設備がないもので、
薪が少ないという危機感が、急に現実味をおびてきました。

というわけで、ここ最近ちょくちょく薪取りにいっています。

このエリアは、薪をとっていい許可をオンライン申請もらえます。
許可があれば、林業の伐採跡地に落ちて転がっている木を拾って、薪にしていいことになってます。





太陽はやる気満々。
薪と暖炉は俺の仕事。
家では文句ばっかり言っているけど、”俺の仕事”の時は、いい仕事してくれます。

娘の方はというと、足を守るためにジーパンを履かせたい母と、
スカートしか履きたくない娘との、
出発直前のバトルで、号泣のため基本やる気なし。


ロギング跡地って、結構殺伐としています。
そんな中で、おちている木々を使って遊ぶ子供達をみるとほっこりします。























るな作 こびとの家


太陽:建てるならでかく!





 暖炉のある生活。
憧れていたけど、やっぱりいいですね。
火の暖かさは、電気にはない温もりがあります。

森と近くなれるのも嬉しい。
木のおかげで暖がとれているありがたみを知り、
家族で森にいき、森について話すきっかけをくれる。
木の種類についても少し学びました。

木は3回、人を温めてくれるそうです。

1回目は薪取り
2回目は薪割り
3回目は薪を燃やすとき。

太陽は、薪取りも好きだけど、父ちゃんが薪を割っているのを見ているのも好きです。
小雨の降る中、日がくれても、ずっと見ています。
薪をどう燃やすか考えるのも好き。

森と暮らしが繋がっている暮らしって、やっぱりいいなあと思います。
子供達にとっても、教科書以上の学びがあります。

しかし、気になることも。
今日薪を取りにいったエリアは、長い間スキー場の開発(Garibaldi at Squamish) のターゲットになっている森なのですが、かなり伐採されていました。

スキー場建設には、反対意見も相当数(私もその1人)で、まだオフィシャル着工になっていないはずなのに、森を切り開いて送電線の施設を作ろうとしている形跡があったりして、複雑な気持ちになります。

林業がメインのカナダにおいて、ポジティブに考えれば、
ロギング跡地の薪取りや、材木工場の廃材をもらうことは、
森のリサイクルになるんだなあと思いましたが、
同時に、ロギングや開発に思いめぐらす気持ちもあり、いろいろ考えさせられます。


いろんな気持ちを置いておいて、好きか嫌いかでいえば、暖炉は最高!
暖炉初心者の私たち。
焚き付けの際、新聞紙ではなくて、おがくずでできている着火材が調子いいことを知りました。
私たちの暖になってくれる木々。残さず利用させてもらいます!
その作り方(需要があるかわかんないけど)を、またアップしたいと思います。





2015年9月3日木曜日

HAKU

実家の猫が旅立った。

18年前の夜のこと。
うちの前の道路に、小さな塊がポツンと落ちていた。
ネズミかと思ってよくみたら、耳の大きな死にかけの子猫だった。
周りをみてみると、子育て中の母猫がいた。
死にかけのその子のことは、目に入らないのか、見捨てたようだった。

片手の手のひらよりも小さい子猫は、かろうじてまだ息をしていた。

あれから18年。
私が一緒に暮らしたのは3年ほどで、あとの15年は母と暮らしていた。
臆病で、ちっぽけで、目の大きな、かわいい子だった。
18年も、よく生きた。

母は言った。

赤ちゃんは産まれると、ふぎゃあー!と産声をあげる。
産まれることは、息を吸い、おもいっきり吐くことなのだ。

しかし、命の最期が近づくと、取り入れる(吸う)ことはできても、出す(吐く)回数が減ってくる。
おしっこもうんちもでなくなる。
毛玉を吐き出したくても吐き出せなくなる。
最期を完璧に全うするだけのエネルギーをわずかに補給して、排出することなく枯れていく。
それは、とても美しい姿だと。

だから、息を吐くこと、排泄すること、泣いたり笑ったり感情を出すこと、話すこと、
自分を出す=表現すること、

それらの、はきだすという行為は、生きている証なのだと。



今でも鮮明に、あの夜のことを覚えているのに、あれから18年も経ってしまったなんて信じられない。

その間に、
私にも子どもができ、新しい命が産まれた。
それはつまり、別れもあるのだ。
命は循環している。

18年なんてあっというま。

そんなメッセージを、あの子は私に遺していった。

これからも、私なりに人生を表現していきたいと思う。
吸う(吸収する)ことに偏りがちな現代だけど、みなさまも、どんどん表現していってね。
いっぱい生きよう!

LIVE, LAUGH, LOVE  LIFE!


R.I.P みゅーちゃん。

2015年8月13日木曜日

鳴らない電話

なんだか、恋人達のすれ違いみたいなタイトルにしてしまった!
懐かしいねえ〜そういう気持ち。
いいねえ〜

って、ではなくって!

昨日わたし、久しぶりに夕方にヨガにいったんです。
ヨガスタジオで、携帯をサイレントモードにして、久々のヨガタイム楽しみました。

で、午後7時。家に帰ると子供達とゆうじがいませんでした。
うちから10km先のFurry Creekに釣りに行くといっていたので、ああ、トラックで行ったんだなあと。

それじゃあと、久しぶりに1人でおうちで好きなようにご飯を食べ、ネットをみながらダラダラ過ごしました。至福の時です。
やがて、空が夜に向かいだし、遅いなあ〜なんて思いながらも、まだダラダラと洗濯物をたたんでいました。

いよいよあたりが暗くなり、フト時計をみたら9時半。
いい加減遅いとおもって、携帯を開くと、テキストと履歴の嵐。

そして午後8時に、”たすけて! 充電5% 届けテレパシー” の文字が。

そうです、サイレントモードを解除していなかったんです。
心臓がバクバクいい、ぞぞーーっと冷たい風が体を駆け抜けます。

どうやら、Furry Creekでトラックが動かなくなり、携帯の充電もなくなり、身動きがとれないとのこと。

ひゅうう〜〜、それだけかあ、あーーーーよかった!

場所をテキストしてくれていたので、速攻向かうと、泣きつかれた子供達がトラックの座席で寝ていました。

あーーーもーーーほんとごめん!!!

1時間半、”ママがきっと気づいてくれるから信じようね”って励ましあって待っていたみたい。。。

でも、”どうしてママ電話にでてくれないの?”ってルナが最初に泣き出し、
太陽はずっとなだめてくれていたのだけど、
最後の方でいよいよ不安に耐えきれなくなって、泣いてしまったとのこと。

喉がカラカラに乾いて、つらかったこと、
ママが来てくれるって、信じて待っていたこと
眠くて疲れて、早くベットで寝たいこと

そんなことを、汗と涙でぐちゃぐちゃの顔で話してくれました。
太陽は6歳になり、私を求めて泣くことがなくなったので、久しぶりにみた涙でした。

成長したなあ〜 我が子!

嬉しいよ、かあちゃん。

さて、トラックはというと、車屋さんにTowingされ、今”宣告”待ち。
どうやら、軽症ではないような雰囲気が漂っている。
最近、ゆうじのトラック、エンジン不調だったので、いよいよ寿命(1992年式 Dodge Diesel35万キロ)かなあ〜。。。

実はゆうじが子どもとトラックで出かけると言った時、
なんだか嫌な予感がしたので一度止めたのだけど、虫の知らせだったんだね。
まあ何事もなくて無事でよかった!

鳴らない電話、みなさんもお気をつけあれ!

2015年7月7日火曜日

燃えている!

雪の降らない冬から、雨の降らない夏に突入したCoastal BC。
13年、カナダで暮らしていて、一番ドライな夏。
Drought(干ばつ)なんていう言葉も聞こえてくるほど乾いています。

ここへきて大規模山火事が頻発しています。
乾燥と強烈な日差しに加えて、強風もあって、火の勢いは増しているそうです。
3つの大きな山火事が半径100km圏内(カナダ的距離でいえば近い)で起こっているので、対岸の火事ではありながら、のんきに傍観するほど人ごとでもないので、ドキドキする。

今日はSquamishに山火事の煙が押し寄せて、視界200m先が見えない状態でした。

Air Qualityは最低の10。(←この数値はじめてみた)
ウィスラーは最低よりも上の11(←最低に上があるなんて知らなかった)

家で窓閉めていても、喉イガイガ、目はシパシパ、鼻水はとまらないし、かといって外にも出れない。
庭にはうっすら灰がつもり、もちろん煙い。
いつもは強い風の吹くSquamishが、無風のため煙はたまる一方で、どんどん視界が悪くなる。どこにもでれない、どうにもできない。
そんなこんなで気持ちも体も苦しくなって、ややパニックになってしまった。

いてもたってもいられず、バンクーバーに避難。
若干空気のいいバンクーバーで気分も落ちつき、冷静になってきた。

世界中で温暖化や異常気象のニュースを見聞きしている。
でも、BCは変化が少なくて、頭では理解してても、肌で感じるほどではなかった。
なんといっても、ここは水が豊かで、災害も少ない。
でも、去年あたりから、夏に晴天が続きすぎることに少し危機感を感じだした。
そして、今年は、”危ないな”と感じる気候。
雨が降ってほしいと切実に思う。

ご存知のとおり、Coast BCはサーモンのふるさとでもある。
でも、今年は川の深さが足りないだけじゃなくて、表面温度も高くてサーモンが川を上れずにいるらしい。心配だ。

いつもSquamishに吹く強い風は、実はPembertonからやってくる。
Pembertonの気温があがると上昇気流が発生して、その気流がSquamishにやってきて風となる。
でも、PembeeもSquamishも分厚い煙に覆われているせいで、気温があがらない。
Pembeeの気温があがらなければ、Squamishで風は吹かない。煙はうごかない。

森も、サーモンも、風もあたりまえの光景だったけれど、
こうしてバランスが乱れてしまうと、日々いかに調和されていたか気づく。

今まで、気づくか気づかないかの地味な変化でいれたのは、圧倒的な自然のおかげだったんだな、と思う。
マジ、ありがとう自然。愚かなわたし。バカ!

人間が気づかないところで、無言で、森も動物も耐えていたんだろうな。

いつもの毎日が戻るように、
雨が降ってほしいけれど、雨が降らない日を指折り数えるのではなく、
今は、あるがままの状態を、落ち着いて受け止めようと思う。
煙も、暑さも、続く日照りも、いつ落ち着くかもわからない山火事も全部。

こういうときこそ、命がけで消火活動にあったっている人達に、森に、共に経験している地球に感謝の気持ちをまず向けていこうと思う。
恐怖よりも、感謝にフォーカスしようと思う。

この山火事のメッセージは深く大きい。しかも、誰にでもわかりやすい。

そしてそして、最後に、おさらい。
乾燥と高温が続いていると、小さな火種があっというまに広がってしまいます。
今activeな山火事の多くは、落雷が原因です。

でも、雷が落ちたからすぐ燃えるわけではなく、数日、数週間、地面の中でくすぶって、
高温と乾燥という条件で発火します。
私の友達も、Fire hazardがhighの時に、森でトイレットペーパーを燃やし、土の中に埋めたそうです。
見た目では完全に消えていたのに、地面から煙がでてきてくすぶっていて、”こうやって山火事っておこるんだなあ”って言っていました。

なので、たとえ小さな火種でも、高温乾燥している時はそのとき発火しなくても、いずれ火はでます。

完全に消したつもりでも、火種になりそうなもの(たばこの吸い殻とか、バーベキューの火の粉とか、)は、森には決して持ち込んではいけません!!

どうか、みなさんもBCに雨が降るように祈ってください!
そして、命がけで消火活動にあたっている人達がみな無事に戻って来れるように。
もう、祈るしかない。

恵みの雨が降りますように!

2015年6月26日金曜日

ニュートラル 

海をぼんやりと照らす月が美しくて、部屋の灯りを消して外に出た。
涼しいような、ぬるいような風がときおりふわっと吹き、濡れた髪をなでる。
ハイウェイを走る車の、その奥から、かすかに海の音が聞こえる。






引っ越しをして、
朝でも夜でも、好きなときに洗濯してもいいし、
夜中にギターをひいたっていい。
子どもが早朝から元気でも、”静かに!”と注意しなくてもいいし、
好きなように庭を使ってもいい。

少しづつ、しかし長い間蓄積されていたストレスから解放されたからか、
引っ越してから何も考えない日々が続いている。


運動して体を鍛えたい、とか、あたらしいことに挑戦したいとか、新しい人と知り合いたいというような前向きなチャレンジ精神というものが、全く湧いてこない。

ただ、日々、家族と過ごし、菜園に水をやり、ご飯をつくり、お皿を洗い、たまに掃除をし、車で10分の町まで買い物に行き、帰ってくる。
夜はパソコンを開き、気が向いたらギターを弾く。寝る。そして寝る。

どこか客観的で、それでいて”やりたいこと”がない。

こんな調子なので、どこそこに行こう!という前向きな夏休みの予定をたてる気にもなれないのに、短い夏のピークが近づいてきているのを感じている。

こんなんでいいのだろうか?
これは、満たされているということなのだろうか、
それとも、空っぽということなのだろうか。

いや、”空っぽで満たされている”のだろうか。

そうだと仮定して、これは幸せのひとつのかたちだと、満足しておけばいいのかもしれない。

今日は新月でも満月でもない。象徴的な日でもない。

それでもいいじゃない、と心でつぶやきながら、
闇夜に向かいながら胸に手をあてて、”私はいったい何がしたいんだろう?”と聞いてみた。

すると、シンプルで、無駄も気負いもなく、
しかし、期待や希望と呼べるものでも、世界を平和にする素敵な行動でもなく、
ただ長い間私の中で共存している、自己満足かつ自己完結的ないくつかの誓いが、
コン、コンと胸を叩いてくる。

誰を幸せにできるものでもないけど、なんの打算もないニュートラルな想いというのは、あんがい貴重なのかもしれない。

そんなことを想った静かなある夜の話でした。

2015年6月13日土曜日

New life

引っ越しが完了して10日経ちました。
まだペイント途中だったり、ソファーがなくてキャンピングチェアーに座ってたり、
工具がそこらじゅうにあったり、だけど、いい感じにスタートしています。

引っ越しが終わってみて、今まで結構ストレス溜めてたんだなあーって気がついた。
今までは一軒家の下に大家さんが住んでいたから(いい人だけど)、それなりに気をつかって暮らしていた。

だから、
おひさまの光で洗濯物を乾かせる、とか、
早朝や子どものが寝た後に洗濯機をまわせる、とか、
夜にギター弾いたり、大きな音で音楽をかけたりしても気にしなくていい、とか、
お庭にガーデンをつくれる、とか
そしてなにより、子どもが走り回って大きな声をだしていても、注意しなくてすむ。

ひとつひとつはささいなことだけれど、全部気にしなくてよくなってから、心がだいぶ穏やかになったーーー。
軽くなったあーーー。

そして、よく寝れる。
こんなによく寝れるのは5年ぶりかもしれない。











前に住んでいた人が、お花をたくさん植えてくれていて、小さいけれど立派なフラワーガーデンもあって、癒される。
それに加えて、野生なのかな、そこらへんにFox GlobeやBluebellが咲いている。
前の人の、愛情を引き継ぐのもなかなかいいものだね。







Squamishの暮らしも楽しかったけれど、どこかでもう少し静かな暮らしがしたいなあと思っていた。時期が熟したら、Squamish郊外で暮らしたい。
そんな風に思っていた6年目の引っ越しだった。
まさか、Britannia Beachだとは思わなかったけど、こちらの森も海のせいかすこし優しい感じがして素敵です。
多分、圧倒的に森に入る人が少ないからか、森の精気が濃い感じがする。







しかし、よく眠れるんだあ。
自分の周りの自然環境って、結構メンタルに影響している。
そういう面ではSquamishはかなり特徴的な街だけれど。


親になって足掛け6年、地に足をつけること、踏ん張ること、現実と理想を繋げること、いろいろ学ばせてもらった。
30代も後半になって、本当に好きなこと、苦手なことが前より分かってきた。
シンプルになってきてる気がする。

今までは”岩”や”山”動かないものにフォーカスしていたけれど、
ここへきて、”水”が暮らしに近づいてきたってことは、"Let it go(水に流す)”ってのもテーマなのかな〜 なんて。

さあて今日も、一日のドタバタを忘れるべく、寝ます。
おやすみなさい。