2020年5月4日月曜日

真ん中の真ん中を意識する

今朝はサラ(ヨガの先生)のオンラインヨガからはじまった。

彼女のスタイルはテンセグリティー・ヨガといって、「引っ張る力」と「戻ろうとする力」を利用して、安定し自立する場所を探すという理論に基づいたヨガ。




 Path yogaより テンセグリティー(張力と統合)を表した構造物


サラは、レッスン中、手や足を動かしながら「真ん中の真ん中を意識する」という言葉を多用する。
私は長年、それを文字通り「体の中心」という意味として受け取り、それ以上には捉えてこなかった。
だけれど、彼女の言わんとすることが今はよくわかる。

サラはヨガはあくまでも「今」と「自分」を繋ぐ橋だと表現する。
例えば太陽礼拝は、スタンディングポーズからコブラと相対する動き方をする。
その時も常に「真ん中の真ん中を意識する」ことによって、
自分の外側で、大きな揺らぎがあっても、自分の真ん中に戻ってこれると言う。

むしろ、左右上下の揺らぎがあるからこそ、自分の真ん中を知れるのだと。

人生は、時に、右に左に上に下にと揺さぶられることがある。

右が良いと思っていたのに、左の方が真実なのかもと迷う。

上へ上へと行きすぎると大地に足がつかなくなり、
しゃがみすぎると、視野が狭くなる。
真ん中にいたつもりが、気づいたらズレている。

もしくは今みたいに、自分ではどうしようもない流れに巻かれ
あふれる情報やSNSの投稿に晒され、見通しの立たない明日に、
いろいろな想いが逡巡することもあるだろう。

そういう揺らぎを体験しているからこそ余計に、

「真ん中の真ん中を意識する」という芯の強さに助けられる。
真ん中がわかっていれば、どんな時も心がブレず、揺れず、惑わされない。

そして、この真ん中は、単純にミッドラインを意識するのではなくて、
闇があるから光がみえるというように、
自分の外側が多種多様に動くからこそ見えてくるものだ。
言い換えれば、自分の考えとは相入る事柄への受容あっての発見とも言える。(でも受容であって迎合も批判もせず、どちらかといえば観察に近いかもしれない。)


私も、サラとのヨガのおかげで「自分の真ん中」がわかるようになってきた。
これは、頭や心で理解したり、感じたりするものではなくて、
体に落とし込むことによって、その感覚が強くなる。
体と心は繋がっていることを実感する。

訓練あるのみ。

体感あるのみ。


「真ん中の真ん中を意識する」

これだけで、心がずっと、穏やかになる。








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