2020年6月28日日曜日

体に記憶された感情

かれこれ15年くらい、首の痛みに悩まされている。
特にここ数年、裁縫作業をするようになってから襲ってくる首の痛みがひどく、
ギックリ腰ならぬギックリ首で動けなくなることが年に数回はある。
診断的には頸椎版ヘルニア。

元を辿ればスノーボード時代の度重なるむちうちが原因だったかもしれないし、最近の裁縫やコンピューターワークや姿勢の悪さが原因かもしれない。
ありとあらゆることを試し、それなりに気をつけているけれど、
とにかく私の悩みの種であることは間違いない。

そんな中、先日、4ヶ月ぶりにかれこれ10年お世話になっているRMT(マッサージセラピスト)のシェリのところに行ってきた。

最近パソコンワークが多かったので、首がかなり硬くなっていたなとは思っていた。
けれど、これが、シェリの指が入らないほど固まっていた。
こんなに硬いと、これは好転反応がくるだろうな〜と思っていたらやっぱりきた。

それも、ド級にひどいやつが。

日頃から、トリートメントを受けて頭痛と浮遊感がくるのはしょっちゅうなので、
あまり気にはしない。けれど、それにしても今回は頭痛がひどい。体もしんどい。

(シェリの名誉をかけて言うと、私は反応を強く感じる体質なゆえに、今までいろんなセラピストのところにいっては、ボロボロになって帰ってくるということがかなり頻繁にあった。だけど、シェリのゴッドハンドだけは絶妙なところで大丈夫&メンタルのケアもされると言う、私にとってシェリはBest therapist everなのです。)

しんどい1日をなんとか耐えて、布団に入るも、何度かトイレに起きる。
起きる度に頭痛が緩和されているのに気づき、体が毒素を排出しようとしてるんだなあ。

と思って眠りについたのはいいが、、、、

ひどい夢を見た。

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夢の内容は、20年以上前の私の中のトラウマの再現。

トラウマの中でも、一番強烈なある日の出来事が、夢の中でリアルに再現される。

そして、、、

「助けて!」

と言って目が覚めた。



ついでに、夢からさめるギリギリのところで、私は「絶対に許さない」という感情を味わっていた。

「絶対に許さない」

文字通り、強烈な感情。

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夢から目覚め、しばらくして冷静になって振り返ってみる。


「その出来事」は顕在意識的には、もう消化済みの出来事であり、
何度もしつこく過去ワークしたイシューであり、
許すも許さないも共存だなあ〜、なんて、
自分の中で和解してほっこりした気持ちでここ5年くらい過ごしていたので、
「絶対に許さない」という感情自体にびっくりした。
私の中にしっかりと、残っているからこそ出てきたのだろう。

そして、こんなタイミングでこの夢を見るということは、
もしかして私の首にはこの感情が溜まっていたのかも。と思い始めた。

体にトラウマが刻まれるという話は知っているし、そりゃそうだろうな、と思う。
だけど、こんなにもダイレクトに、しかも記憶とピンポイントに繋がる感情を体感したのは初めてだった。

おそらく、セラピストがシェリでなければ、この感情が素直に首を通して出てくることはなかっただろう。

ともあれ、この話を、速攻シェリにテキストすると、

「その通り!
感情は波動になって体の筋組織や臓器に流動的に留まることがわかっているの。
そうなると同じ部位にストレスを溜め込んでしまうものなのよ。
表面に出てきてよかった。しんどいかもしれないけど、感情リリースには大切なことだから」という連絡がきた。

このタイミングで、長い間悩まされている首の痛みの奥底に眠っていた記憶が
表面に上がってきてくれたことを喜ばしくも思う。
しかし、当事者である今の私は顕在意識の中では、
「もうそのことは終わりでいいじゃん(やれやれ)」と言っているのだから不思議だ。

なにはともあれ、出てきた感情を受け止めて、
過去の辛い時を生き抜いた自分と、今ここにある暮らしと家族。
その全てをお祝いしよう。

そう思っていると、心がむにゅう〜と柔らかくなって、胸がじわーっとあたたくなる。

「頭でなくて、心で傷つこうよ」

そんな言葉を思い出す。

そして少し泣きたい気分になる。


この気持ち全てひっくりめて「愛」であるかのように。

その頃には、首の痛みもだるさも、頭痛ももう消えていた。







昔は、早く手放したくて仕方なかったトラウマだけど、
今は、それもひっくるめての自分だなとも思えるようになった。
またきっとベストなタイミングでたまに顔を出すだろうから、
その時は向き合ってお付き合いしていこうと思う。

今日のところは、まだ許せていない私へ、
それもそうだよねっ!と言ってあげよう。
あの時の私に、今の私からありったけの感謝と光を送ろう。

世の中手放しブームだけど(笑)、無理しなくても、
必要なときに、必要なタイミングで手放せるようになっていると信じて、
それまでは、共存していくのもありだよね、って思います。

そもそも、トラウマを乗り越えて、トラウマと共存して今ここに存在していることだけでも、すごいことだよ。

だから、わたしと同じような道を辿ってきたあなたへのメッセージ。

”あの時、どんなに勇敢だったか。そしてあれから遠くまで来たからこそ今がある”






そして、首を労るためにも、デスクワークもほどほどにしていかないとね。(←これがなかなか難しい〜)



2020年6月24日水曜日

学校が始まり、そして終わる

BC州は6月1日よりパートタイムで自主登校が始まりました。
そして早いものでもう終わりました〜。

たった1ヶ月だったけど、学校行けてよかった!!

子供や家庭によって考えや性格は違うと思うのですが、
特にうちの息子は、ずっと家族だけで家にいる状態が続いて、
メンタルにかなりダメージが来ていたのを感じていました。

この下の動画は、カナディアンのティーンの子が作ったショートフィルムなんですが、
まさに、息子のメンタルもこんな感じでした。

はじめのうちは、状況も理解してすっごい頑張ってたのよ。でもね、、、長引くにつれて。





特に最後の方は、神経が繊細になっていて、
妹との喧嘩が、別れ寸前の傷つけ合うカップルみたいに。
どうしたらそんなにドラマチックになる?!という、エモーショナルな喧嘩ばかり。
それも、このショートフィルムのタイトルのように「感覚が麻痺していく自分」への抵抗だったのかもしれないな、なんて今になって思います。

そんな頃に学校に行けるようになったことで、
初日からメンタルのストレスがかなり緩和されたのが、一目瞭然でした。

クラス自体は、多くて7人、少ない時は2人という超少人数制みたいだったけど、
仲の良い、外で遊ぶのが好きな子はほとんど来ていたので息子的にはよかったです。
こちらは、日本みたいに、マスク着用とか、衝立があるという感じではないので、
子供もそんなに違いに戸惑うこともありませんでした。
先生も子供たちを温かく迎えてくれて、勉強はほとんどしていないけれど、先生ともいっぱい話ができてよかったみたい。先生にも感謝です。

そして、学校が終わってからは、
3時になると友達同士で自転車にのって、
近所のPump Trackに行ったり、学校の校庭で遊んだり、
Screen Free且つFree Range Kidsとして、
適当に遊びにいって5時位に迎えに行くといくといつも汗びっしょり。

ソーシャルディスタンスを守るという意味で、人の家には殆どいかず、自転車が基本。

下の動画は、同じ女の子が作った別のショートフィルム。
息子もほんと、こんな感じ。よくわかるわ。





という超健康的な日々が続いた1ヶ月。

Covid19の前は、実はあんまりそういう機会がなくて、習い事で遊べなかったり、
遊ぶときも親同士でアレンジして、結局ビデオゲームして遊ぶ的な流れになったり、
はたまた、プールとかトランポリンの施設に連れて行ったりしていたので、

今のように何もできない、何も開いていないことで、
外でしか遊べず、自由が増えた。という結果に。

私は子供の学校の学区域からはだいぶ離れたところに暮らしているから、
毎回好きな時にぴゅっと遊びに行くということはできないのだけど、
この1ヶ月で、息子や息子の友だちを信じることをお互い育てられた気がします。

まあ、でも10歳そこらの男子のことだから、
人様に迷惑をかけないようにと、信じながらも、
何かあったらすぐ飛んでいく準備だけはして。
(実際、もうちょっと上のティーン達の行動でアウトなものも目撃されてたりも)

そこらへんも、子供だけじゃなくて、親同士の絆も育ってきているので、
みんながみんなを見ている、という安心感もあるのがすごく心強かった。

Covid19がなかったら、こんな単純な幸せが目の前にあるのに、
忙しさの中に紛れて、体験できなかったのかもしれない。

とすら思います。不思議なもので。

娘の方は家に居てもいいと言っていたけど、結局学校行き始めたら
毎日楽しくて、終わっちゃってがっかり。と良い気分転換になった様子でした。

いまのところ、私の周りでは誰もCovid19にはかからず、
スッキリとした気持ちで夏休みに突入できて本当によかった。

私達家族の結論としては、
オンラインも素晴らしいけど、
人と直接会うことの大切さ、それも教育の一部だと痛感した自粛期間だったな。

どうなるかわからないけど、9月からは学校がフルタイムで始まるといいなあ。

実はうちの家族は3月の時点でコロナウイルスにかかった可能性があるので、
これにてご免となってほしい!と、またその話は別の記事で〜。

2020年6月6日土曜日

倒しておく8本の柱 〜おから再活研究所より〜

おから再活研究所の松田由己さんのブログの
「倒しておく8本の柱」という記事が
今の私にとても響いたので紹介したいと思います。

松田由己さんは、私の長年の友人の、長年の友人で、
日本中、そして世界中、数年前にはここバンクーバーでも「おからで作る味噌ワークショップ」を開くなど、廃棄物となってしまうおからを通して、食について文字通り活動的にあちこち飛び回っていらっしゃいます。

おから再活研究所のウェブサイトはこちら→おから再活研究所

由己さんとは、バンクーバーで「おから味噌ワークショップ」があった時に、
友人と一緒に我が家に立ち寄ってくれたのが出会い。
「大切な友人にとって大切な友人は、私にとっても友人」という風に感じる(と私は勝手に思ってます)とても素敵な女性です。

さて、ブログの一部を紹介とおもったけれど、
万人の人にとっても、自分軸で生きるための指針になると思うので、
全文で紹介させて頂くことにしました。

ぜひぜひ多くの方に読んで頂きたいです。
どこか特にひっかかるところありませんか?

という私もドキッとすることが数カ所。

中庸な生き方に惹かれる今の私には、
たびたび思い出したい8本の柱です。
瞑想のお供にも良さそうです。

では、以下引用です。

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「倒しておく8本の柱」

ふと、不安になるときがある

「気になって眠れない」という経験は
数えるほどしかないくらい

睡眠によってチャージされるという
楽観的な性質な私でも

不安で仕方がない時がある


そんな時に思い出すのは

起業するもっと前から、自分に課した「8本の柱」

不安に支配されそうな時
諦めてしまいそうな時
思い出しては、噛みしめる

「依存しない」

「執着しない」

「嫉妬しない」

「自惚れない」

「比較しない」

「反芻しない」

「反省しない」

「期待しない」

自分の目標の人物像を作ること
自分の「こうありたい」イメージを持ち続けること
「絶対」はありえないと留意すること
何かを始める時は
良きも悪きも、一切の変化を受け入れる覚悟を持つこと


心当たりがあるときには

「依存している」のは、なぜ?
「執着している」のは、なに?
「嫉妬している」のは、だれに?

端から全部、当てはめて行き
心の中身をクリアにすること


久しぶりに、読み返した
今、再度心に留めておきたいので

これは、自分への備忘録として

今、独りで抱え込んで苦しい想いをしている人がいたら
届けてあげたい

私なりの解決法

「自分と向き合う」

明日も一緒に
歩いて行きましょう。


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一般社団法人おから再活研究所
コミュニティおかラボ!運営

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引用終わり