2011年4月28日木曜日

No title

友人tacさんのブログで

チェルノブイリ事故で汚染された土壌に、放射能を吸収する菜の花を植えて、
その菜の花からナタネ油を採取し、バイオディーゼル燃料をつくる

という活動を知りました。


ナロジチ再生 菜の花プロジェクト
http://www.chernobyl-chubu-jp.org/




このように、植物で土壌汚染を浄化することを、”ファイトレメディエーション”というそうです。
どんな物質を吸収したいかによって植える植物は変わるようですが、ひまわりや菜の花、トウモロコシ、菌類が放射性物質を蓄えることができるようです。
ヨウ素を吸収するという昆布も海の浄化に役立っていたりするのかな?

避難指示がでた福島県の飯舘村の村長 菅野典雄さんは、指示が出る前の4月9日に
「イネを作付けできない水田で、バイオマス燃料の原料となるヒマワリやナタネなどを作付けしたい。と鹿野道彦農林水産相に提案した」そう。
被爆や風評被害の混沌の中で道を見いだそうとする地元の方の発想に勇気づけられます。

��記事はこちらから。「汚染田でバイオマス燃料」ナタネなど原材料栽培
http://www.geocities.jp/phoenixosamu1277/asahi20110410mor-bio.pdf)

農家の方々は、大地の知恵を持っています。
どの野菜がどんな性質で、どんな栄養を好むとか、時期とか、観察と研究と重労働を重ねておいしい野菜をわたしたちの元へ届けてくれています。
農家の知恵と、科学の知恵を融合して、土壌浄化とバイオマス燃料作成を同時にできたら素晴らしすぎると思います。
��ちなみにバイオダイナミック農法的には、農薬も土壌に残る有害物質で、それらを緩和するための土作りからはじめていました。)

ところで、エネルギー政策というと「電力」が思い浮かびますが、
食料や水や空気も、わたしたちが生きるために欠かせないエネルギーです。
というか、本質的には、電力以上に必要なものです。

たくさんの人が今、電力エネルギー政策に注目しています。
同時に、食べ物の土台となる土壌を浄化する”食のエネルギー政策”にも同時に注目してみませんか?

自分に具体的に何ができるかといったら、できることなんて無いかもしれないけど、
意識を向けることは、その方向に流れをつくることになります。
このふたつは、「ひとつのこと」として、上手にリンクし合えると思います。

想像もつかないような地震や津波を起こす自然の脅威 ですが
大地を浄化し、エネルギーに転換させるのもまた自然の驚異

森や海にいくと体や心が元気になる。
何が大切なのか ふっと気づく。

”人間と自然界の共存”とかってわけるのではなくて、
自然界の住人”human”であろう。

2011年4月23日土曜日

タイヨウマン、風邪をひいて育つ

先週 太陽は風邪をこじらせて肺炎になりました。

熱が続き、呼吸がぜーぜー言いはじめたので、もう少し様子をみるべきか悩んだのだけど一応病院につれていきました。

診察、レントゲン、診断にいたるまで4時間かかり、脱がされたり、測られたりと嫌なこともたくさんされたあげく、出された抗生物質がおなかの菌まで殺してしまいひどくおなかを痛がって泣きじゃくるし、本人にとっては病気以上につらい一日だったでしょう。

肺炎といっても本人は割と元気だったので、その日のうちに薬をやめて様子をみていたら、ゆっくり自然に治癒しました。
うーむ。病院連れて行かなくてもよかったな~。見極めって難しいですね。

ところで、熱がでるって、「闘う力がある」ってことです。
熱がでている状態は、体はウイルスや菌に対して正常に防御反応しているということです。
よく、病気すると成長するっていうけど、今回、無事ウイルスに打ち勝った太陽君もひとかわむけたみたい。

そう思っていたらわたしだけじゃなくて、周りの友人からも「太陽、急に大きくなったね」とか、「ことばが増えたね」って言われました。

そうなんです。熱出してから、体も大きくなったのだけど、心も成長しましたよ~。
その証拠に、自己の芽生え?!「イヤイヤ」しはじめるようになりました。

ことあるごとに「いややーー!」とか、「NO!」って言って泣き叫んでます。
おー、これがうわさのイヤイヤ期?

イヤイヤ期って、「魔の2歳児」とか、「terrible 2」とかって言われるんだけど、わたしはその呼び名がスキではありません。

なぜって、イヤイヤ期って、体と心が急成長して、その成長へのとまどいが「イヤ!」に反映される時期なのでしょう。本来は、立派な成長の証なんですよね。
このころ自分と他者の区別がつきはじめて、「mine」という所有の感覚がでてくるとも言われてます。
まさに太陽もそう。

わたしは多分太陽の要求に根気よくつきあう方ではなくて、泣こうが叫ぼうが切り上げるときは切り上げるので、今のところイヤイヤされてもあまり気にしてません。
まーなーんて言ってられるのもいまのうちかな??
もう少ししたら私の方が、「イヤヤー!」ってなるのかな??

イヤイヤだけじゃなくて、表情が豊かになったり、モノゴトの理解が深くなったり、動きが活発になったり、順調に成長しているタイヨウマン。

あ、そうそう最近、私やゆうじ以外の人と2人でも大丈夫になってきましたよ。

あと3ヶ月で2歳になります。早いものだな~。

2011年4月21日木曜日

産まれたての赤ちゃんにあいにいきました

カナダにきてから9年間、ずーっと仲良くさせてもらってる平野夫妻に赤ちゃんが誕生しました。
今日は、生後3日目の赤ちゃんに会わせてもらいました!(カナダはすぐ退院するのです~)

彼らとは、4人それぞれがシングルのときからともに遊び、いつのまにかお互い仲間内で素敵なパートナーを見つけ、結婚し、永住権を取り、スコーミッシュに移り住んで、そしてお互い親となり。。。
そんな風に、じっくり時間をかけて、共に異国の地を歩いてきた2人の記念すべき日にそばにいれて、感動もひとしおでした。

ゆきかちゃんのお産話を聞いていたら、まだ記憶に新しい、自分のお産の体験が蘇ってきました。
妊婦って、できないことが多かったり、体調不良が続いたりして、「やだなーー」って思っちゃうこともあります。
でも、今日はゆきかちゃんの話や産まれたての赤ちゃんをみてて、妊婦でよかった、またあの体験ができるんだもんなーって思えました。お産したてのゆきかちゃんも美しかったです♪

お産する女性ってかっこいい。らしい。(自分のことなので自分ではわからないけど)
本気の本気の姿が美しい という話は良く聞きます。
女性として産まれてよかったな、って改めて思いました。

赤ちゃんは小さくってとってもかわいかった~~。
産まれたての赤ちゃんは、どこからみてもキラキラ輝く宝石みたいだったなー。

赤ちゃんって神懸かりだと感じることが多々あります。
産まれてきたばかりのなんとも言えない独特な神聖なオーラ。
おなかに宿るタイミング、産まれてくるタイミングも「必然」としか言いようが無くて。

わたしたちみんなみんな産まれたときはそうだったんだよね。
ペンバートンのファーストネーションのおじいさんは、
「人間はみな、愛と、思いやりと、尊厳をもって産まれてくる。どんな人間もみな必ず、愛と、思いやりと、尊厳を持っているんだよ」って言っていたことを思い出しました。

人間は本来美しい地球にふさわしい、美しい生き物だと思います。

本来の輝きを取り戻すべく、地球と、未来を大事にしていきましょうね!

大地くん、太陽と、titiと一緒にたくさん遊ぼうね!!
ゆきかちゃんたかしくん、疲れてるところありがとね~!

2011年4月14日木曜日

にんぷらいふ 2 ”アワ”と”サヌキ”

予報通りの雨降りのスコーミッシュ。

太陽の熱はなかなかさがらず、ぜーぜーいいはじめたので病院につれていった。風邪がこじれて肺炎になってしまっていた。

雨雨雨

最近”水”のメッセージがよく耳に入ってくる。

水、それもクリアな水に会いたくなった。
だから、今日はわたしが勝手に神社と呼んでいる、シャノンフォールズに行った。

シャノンフォールズの前で目を閉じて、頭のテッペンからつま先まで、滝が体を洗い流すイメージをする。
滝のゴオオーーという音が、雑念をかき消し、わたしの体から離れて、大地の奥の奥まで流してくれる。
滝にすっきり流してもらうのいいですよ~ おすすめ。

水は、どことも繋がっているから、思いが伝わりやすいよ。

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雨が滝となり森を育てているよ。

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家に帰ってきて、UAさんのことばに出会った。
”男的なもの、女的なものに分けると、男性性というのは“サヌキ”と呼ばれます。
これはとがっていて前に出ていくもの。
対して女性性は“アワ”と呼ばれます。
こちらは個人を強調しないで共感することを喜ぶような心性を喜びます。

かつては世のなかも“サヌキ”の時代でした。
でもこれからは“アワ”の時代だと思うんですよ。
母性で考える、むやみに頑張らない、人を傷つけないという。
私は娘の母となることで実感できた“アワ”の部分というものを大切にしたいし、音楽もそのようでありたい

http://smash.music.yahoo.co.jp/top/repyjm00635/ "

わたしは、妊娠していて、母親として惜しみなく太陽との時間を持てる環境にあります。

言い換えれば、人生の中でこれ以上ないくらい、肉体的にも精神的にもアワな時間を与えられています。

そのことを忘れて、”サヌキ”でいようとしすぎていた。
特に、震災のあとの、日本の混沌期がはじまってから。

でも、妊娠中は、むずかしいこととかあんまり考えられなくて、途中でポーンって感情とか直感の結論に切り替わったりする。

やっぱり子供がいるからかな。
闘うよりも、昇ってゆくおひさまみたいに、じわじわと闇も呑み込んでいくような光の一部でありたいと思う。

これも、母性が強くなっている今、自然なことなんだとおもう。
それが自然の方向なら、自然にむかっていけばいいんだよね。

闘うよりも、守りたい。
自然を愛で、そして、自然とつながっていきたい。
なにかを愛でる時、自分の内側からもぶわーっていいものがでてるのがわかる。とても気持ちのいいもの。

不安を煽るとかじゃ全然ないんだけれど、
地球がついに動き出したという感じがしますね。
どこで何がおきてもおかしくない時代だな と思います。

でも、それはさらに良き未来へシフトするための準備運動みたいなものなんだと思ってます。
それを怖いと思ったら、そこで終わっちゃう。
これから生まれてくる子供がいる意味がなくなってしまう。
そんなに宇宙は無意味ではない。

むしろ、これから、無駄なものにどんどんグッバイして、大切なものがよりわかっていくんだー、きっと。

The earth keeperとして個人個人、ちゃんと準備もしていかないといけないねー。
”自分の内側からもぶわーってでるいいもの”がきっと役立つと思うな!

アワパワー満開の今、そういう感覚を大事にしていくことにします。

きょうはそんなことに気づいて、肩の緊張がふわわーって抜けてった。楽になって、アワの苗に”思いっきりでてきていいよ~”と言えた気がする。。これも森&滝パワーだね。

にんぷらいふも2nd Stageに入りました。 
春ですね~。日本はサクラが満開だってね。
こちらは、サーモンベリーの花がひっそりと春の訪れをつげていました。

我が家は種まき準備をしています。
今回は、ある程度まで室内で育ててみようと思います。
おうちのなかが緑がいっぱいなのは嬉しいですしね!

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2011年4月13日水曜日

夜が夜であるために

東京からスコーミッシュに帰ってくると、「あー静かだな。」ってほっとする。
スコーミッシュは大きい町じゃないけど、かといって小さな町でもない。

それでも、大気のゴオオオーという音や鳥の鳴き声が空に響き、樹々の緑に目が癒される。
ここなら思いっきり空気吸っていいよーって ようやく肩の力が抜ける時。

��時もすぎると町も静かになり、毎晩夜がやってくる。
夜は夜としてしっかり存在していて、星や月がよおく見える。

月明かりがまぶしい夜には、満月が近いことを知る。

隣町のリゾート地ウィスラーはさすがに8時に夜はやってこないけれど、それでも午前2時を過ぎると静かになる。
バーもクラブも営業は午前1時まで。それが州の決まりです。

バーやレストランも薄暗いし、街灯もあんまりないから、蛍光灯や、闇に青白く光る自動販売機や電気で目がしパシパすることもない。

夜は闇の時間。
ひとりだと寂しかったり、不安になったりする。
人恋しくなったり、温もりがほしくなったり、灯りにほっとしたりする。

UAは、”光の力が強すぎたらまぶしくて何も見えないけれど、闇があるから色が生まれた”って言っていたよ。

彼女が本来言わんとする意味とは違うけれど、”光”は”電気”と置き換えることができるね。
人工的な光がまぶしくて、みるべきところがみえないってことともとれる。
太陽のありがたみとか。日々口にする食べ物がどうやってできるとか。闇の寂しさとか、孤独のつらさとか。

面積も人口も違う日本とBCを比べるのはどうかな
なんて思ったけど、
いやいやそうじゃなくて、

みんな地球に産まれた人間。
太陽の恩恵を受けて生きているから、みんなおなじ。

夜がない町なんて、やっぱおかしい。

東京に住んでいたときは、太陽や月の存在を、アタマでしかわかってなかった。
太陽の光を受け取る前に、電波とか、めざまし占いだとか、受け取るモノが多すぎた。
それが、シゲキテキすぎることにも、過剰だってことにも気づけなかった。

こっちにきて、自然のリズムをリアルに感じはじめてから、わたしはどんどんどんどん良くなっていったよ。
体も、心も丈夫になった。
無駄なものがわかり、軽くなっていった。
それでもまだまだ便利さの中で忘れたり、気づかないことは多々。

自然のリズムに合わせていくと、人はどんどん丈夫になるし、知恵もわく。

太陽が昇り、月に変わる。
雨がふって、植物が育ち、森となる。
月が海をひっぱる。
季節ごとに命がめぐりゆく。
被災地でも、樹々は芽を出し、春を告げていると聞いた。

このリズムはもう悠久に代わらないのだから、人間もそこに合わせていることが本来あるべき姿なんじゃなかろうか?

震災から1ヶ月。
たてつづく余震と言っていいのか分からないほどの震度。
福島原発は、レベル7。

残念だーと思うことは多々。
そして、自分が無知だったこと、こんなにも学ぶ機会が与えられているチャンスなんだと知る。

わたしの母は、「自分の年では被爆しても、寿命と病気どちらが早くくるかわからないからまだいい。でも、これからの子供達のことを思うと、、、」と言っていた。

自分の家族にそんな風に言わせてしまうエネルギーを使い続けるってなんだろう?

BC州には原子力発電所がない。
日本みたいに明るくないよ。
けど、原子力発電所があるのとないのとでは、どんなに心の在り方が違うだろう。
それだけじゃなくて、ある程度サバイバル出来る暮らし創りも大事だね。

いろんな動画があるけど、田中優さんの原子力発電と電力会社の関係、自然エネルギーお話は、”原子力がどんなに危険か”だけじゃなくて、お話にパワーと未来があって、バシっときたのでリンクを貼っておきます。

マザーテレサは「反戦運動には参加しませんが、平和活動にはよろこんで参加します。」と言ったそうですが、わたしも共感しました。




2011年4月11日月曜日

旅の行き先

本来ならば明日からカリフォルニアに行く予定でした。
冗談みたいな理由(=ゆうじのパスポート切れに直前で気づく)で急遽旅をキャンセル。

せっかくの休みだしどうするべかー
カナダ国内に変更?と思ったけど、マイルを使いたいのでチケットが取れず、じゃあ車でBC州旅する?とも思ったが、来週はどこもずーっと雨。

雨の日でも楽しめる場所といったら、ウィスラーじゃないかー。
ということになり、ご近所の北米有数のリゾート地 ウィスラーに行くことにしました 笑
今年は雪も多いので、軽く滑りに行って、おいしいディナーでもしてきます。

それにしても、ストーリーは良く出来上がっているもので、
週はじめにゆうじが熱をだし、数日後に太陽にうつり、ただいまタイヨウマン発熱中。
子供って元気なんだけど、熱があがったりさがったり、でなかなかさがらないのだよねー。

この状態で明日行くのもなかなかチャレンジだったなー。

まさに、そういうことだったのでしょうね~。
ベストタイミングじゃなかったんだよね。

明日からは雨のようですが、この2、3日は気持ちのよいおひさま日和だったので、ガーデンの準備をしてきました。

わたくし、母子家庭で育ったこともあって、まとめ買いしたり、多めに料理したり、多めに仕込んだりっていうことができず少なく見積もってしまう性格でありまして、マニュアや肥料が全然足りてないことに気づきました。

わたしとしては、「こんなにいれていいの~?」って感じなんですが、去年確かに育ちが悪かったのは私の肥料加減が微量すぎたのと、マニュア入れなかったからかもしれないし、勇気出して(?)適量を仕込んでみました。(でも適量 笑)
石灰も少し撒いてみました。

この休みを利用して、ゆうじさんにミニ温室箱を作ってもらって、種まきしようと思ってます。

雨あしが穏やかな日は、芽吹きはじめた森に歩きに行きたいな。
なかなか行けなかったヨガにも行きたいし!

今回の旅は、”暮らしにフォーカスして、日常のなかのスペシャルを楽しむ”っていうことみたいですね!

タイヨウマン、ゆうじ 早く風邪治そうね~~

2011年4月5日火曜日

にんぷらいふ 2 ~自宅出産~

あれよあれよと16週目になりました。
つわりともグッバイしました~!
食べ物がおいしいぜ~~ 嬉しい♪

今回は、ついに町にやってきたmidwife(助産士)に診てもらえてるので、バンクーバーまで行かなくていいし、町のなかで全部がコトたりてありがたいです。

お産の幅も広がったので、今回は自宅出産をチョイスしようかな~と考えてます。

こちらは産後24時間で退院させられます。
前回みたいに、出産直後の体をひきづって移動するよりも、落ち着いた勝手知ったる家で、陣痛、出産そして産後を迎えられるならそれに越したことはないなあと思ってました。

「自宅出産で何かあったら不安じゃない?」
なんてたまに聞かれるんだけど、それが特に不安じゃないんですよねえ。気づいてないだけかな。
震災で限られた設備の中で出産している女性達の話を聞くと、介助してくれる人がいるということが大きな心の支えとなるし、やってできないことはないと勇気づけられます。

ただ今回はゆうじに太陽をみてもらうことになるので、Doula(出産介護人っていうのかな)をお願いしようかなと思ってます。

気がかりだったのが、下に住んでいる大家さんのこと。
うちは借り屋で、一軒家の上の部分をわたしたちが、下の部分に大家さんが1人で住んでます。

彼女はアーティストで、ちょうど私の母と同い年くらい。とってもいい人です。

でも、こっちではhome birthはまだまだ珍しいし、「ええー!」って驚かれたりするかなあ、壁が薄いので、陣痛がきて夜通しウンウン、ならまだしも”ギャアー”なんてことになったらちょっと悪いよな~。。。なんて思って言わないでいました。

そしたら、今日、「わたしもmidwifeに診てもらったわ。自宅出産がしたかったのよ。当時私みたいな人はまだいなかったけれどねえ。」なんて話になり、
「ユイも自宅出産にするの?みんなそれぞれ好きなチョイスをしたらいいのよ!」と言ってくれました。

さすがアーティストなだけあるなあ、昔から用意された道をゆくのではなく、自分の感覚を大事にしてたんだなあ って思いました。

そんな彼女の2人の娘は、1人はミュージシャン、もう1人はスキーハーフパイプ界の女王なのです。血は受け継がれるんですねえ。

まだまだ時間はあるので、じっくり考えて、準備していこうと思います。

2011年4月3日日曜日

エネルギー問題 2

弱虫のひとこと。

私の周りにはエネルギーに詳しい人や的確なご意見を見聞きするので、わたしみたいなチンチラチンがブログに書くことは、ちょっと勇気がいります。
でも、自分のブログだから、好きなように書き散らかすことにしました。
実際、ものごとは複雑に絡み合っているけれど、文章って、ひとつの側面しか紡げないことがあって難しいね。
わたしはそちこちからひっぱってきた情報よりも、自分が実際みたこと、自分が感じたこと、人の言葉を書くことを好むので、子供の日記みたいになってますがご容赦ください。

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��3歳のいとこが、日本から遊びにきています。

彼に聞いてみました。
「原子力みたいに危険があるけど、今まで通り電力がたくさん使えるのと、今みたいにじゃんじゃか電気使えなくなるかもしれないけど、自然の力を利用する電力どっちの暮らしがいいと思う?」

「うーん、自然の力を利用する電気の方がいいな。だって、俺、計画停電しててもちっとも困らないもん。
うちは暖炉があるから、電気なくても暖をとれるし、お湯だってわかせるし、懐中電灯もランタンもあるし。

前ね、岩手にいったら地元の人が、”東京はまぶしくて住めん”って言ってたけど、俺もそう思うもん。家の前の自動販売機がまぶしくて夜眠れないときあるし。」

彼は東京生まれの東京育ち。
野球とスキーしまくっていて、森や山で遊ぶのが好き。
こっちのMTBにはだいぶ堪えたみたいだけど 笑

日本の原子力問題や電力問題は、個人が節電することだけで解決できるわけではない。(もちろん節電は大きな力だけど)
ただ、わたしはこの革命のチャンスを生かして、原子力発電グッバイする時だなと思います。NO NUKES!

BC州には、原子力発電所はないので、どんな災害がおきても福島で起きていることは絶対に起きない。
誰も、原子力の廃棄物や放射能で、被爆したり、大地や海が汚染されたり、風評被害にあうこともない。
余計な涙をこぼすことも、胸を痛めることも、未来に不安を残すこともない。

そうと知ってるだけで、心がどんなに違うだろう。

だからといって、BCがパーフェクトかっていったら全然そんなことはないわけで。

BC州の90%は水力発電で賄われているそう。
だから、ダムがあちこちにあります。
これだって、何もないところに作られたんだから、昔は自然破壊と非難されたんだと思う。
そこがシュティカみたいな聖地だったらと思うと、原子力でなければいいとだけは言いがたい。(もちろん、原子力よりは良いけれど)
実際、数年前に人のミスでダムが氾濫して、南北の橋が流されウィスラーは孤立、スコーミッシュは洪水になったこともあった。
亡くなった人もいた。
どんな発電でも人間がやっている以上危険や問題はあるはず。

とはいえ、何も犠牲にしない電力の生み出し方ってあるのかな、、?
んんんー犠牲のない暮らしはないかもしれないけど、なるべく犠牲が少ない、例えば10あっても6は残すみたいな、イノチが循環できる方を模索していくぞー。

個人を越えて、大きな団体がリードすることによって、個人の負担が増えることもあるでしょう。
初めての試みでちょっと失敗するかもしれない。
それでも、いいと私は思う。
なんでもかんでも批判するの日本の政治みたいに先に進まない。

でも、これから未来を生きていく、うちのいとこや、うちのタイヨウマンや、titiちゃん2号のことを思ったら、自分が住む美しい星のことを思ったら、「sustainable = 地球と共存でき、持続可能な在り方はもはや理想ではなくなるね。

じゃあどうする?
個人レベルでできることって?

と思って、実際うちらも天ぷら油で車走らせようとして、マジックオイルとやらのscammerに捕まって失敗しました。お財布も痛かった。
でも、個人レベルでは最初はどうしていいのかわからない。
とりあえずやってみるしかなかったりもする。
今の暮らしとの兼ね合いで、一足飛びにはできなかったりもすることもあるだろうし。
情報から真偽をみつけだそうとするよりも、わたしは自分がやりたいことを調べてやってみるって方がおもしろい。

そーゆーことやってみたいのは、まず、自分たちの快適な暮らしのため、そして、消せないフットプリントはなるべく未来に残したくないっていう想いからきてる。

てか、わたしがちょっと努力した程度では、残しちゃっていることには変わりないだろうけど、けど、できるだけ。。。

ラニーニャの影響で春がなかなかこないスコーミッシュですが、本日ガーデンを耕してきました。
肥料まいて、マニュア入れて、花壇を整えて。。。
冬に仕込んだ生ゴミ有機堆肥ができあがっていたので入れてみたり。
腰が痛くなったけど、気分は爽快。

来週末からカリフォルニアに春風浴びに行ってきます。ちょうど、土に還るおうち、cal earthのヴィレッジの近くに行くので偵察してこようと思っています。

2011年4月1日金曜日

最後だとわかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは
もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは
あなたを抱きしめて
キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは
その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは
今日
どんなにあなたを愛しているか
伝えたい

そして
わたしたちは
忘れないようにしたい

若い人にも
年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や
キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして
してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」

「許してね」

「ありがとう」

「気にしないで」を
伝える時を持とう

そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

詩:ノーマ コーネット マレック