2010年8月31日火曜日

太郎ってそういうネコ

��階の窓から屋根をつたって、地面にジャンプ。

フツーのネコなら、

��窓から)タン、タタタタ、タンッ(踏み切ってジャンプ)シュタッ(着地)タタタタ

タロウは

��窓から)ドスッ、ドスドスドスドス、
ダッ、ダッ、ダッ(なかなか踏み切れない)、
ズルッ、(柱にしがみつく)、
ドテッ(ずり落ちる)、
ドスン(なんとか着地 ふ~)、ドスドスドスドス

これ、毎回毎回そうなのだ。
ネコを形容するのは、”身軽”という言葉だと思っていたのだが、こんな身重なネコ、見たことない。
しかも、屋根から飛び降りるのは下手だけど、ハシゴは上手に登れる ヘンテコなネコ。
堂々としていて風格があり、近所のチワワに恐れられている ヘンテコなネコ。

その運動神経でいままでよく熊やクーガーにやられなかったなと感心するけれど、
それもタロウの豊富すぎるネコ生経験と、柔軟な性格を知ればナルホドと納得する。
エピソードをあげればキリがないので、最近のタロウを紹介します。

最近のタロウは、太陽と一緒に近所の公園に散歩に行くのが日課です。
出がけに”タロウ行くよ~”と呼べばついて来る。
太陽が公園で遊んでる間は木の下でまった~りして、
”タロウ、帰るよ~”と言えば木陰から走ってくる。
しかも、太陽の歩く速度に合わせて一緒に歩いてくれるのだ。
君は、、、、犬かい?
すごいでしょ?
え、そんなのウチのネコだってやるわよ?って思った。
じゃあ、これはどうだ。
ある夜のこと。
夜中に寝室のドアを開けろとみゃあみゃあ鳴くので、ねぼけたまま、ドアを開けた。
しばらくすると、またみゃあみゃあ鳴いて、違う部屋のドアを開けろと催促する。
”も~なんなのタロウ。眠いんだけど。”と思いつつ違う部屋のドアを開けてやった。
その後、ドスンガシャンガシャンと何か重いもの落ちる音がした。
’ああ、ついにタロウが屋根から落ちた!怪我したかも”と思って”タロウ!”と叫びながら飛び起きた。
部屋に入ると、そこには知らないネコがいた。
しかも、激しく威嚇してくる。
真夜中に威嚇されてビビるわたし。
タロウは落ち着いたままドスドスドスと間合いを詰める。
そしたらヤツは、しっぽを丸めて窓から逃げていった。
タロウはもちろん無傷。
離れていても侵入者の気配を察知してるんだなあと感心してしまった。
と、これははいつものことなんだけどね。
タロウはあまり警戒しない。威嚇もしない。平和主義者なのだ。
威嚇された時は、”ウウウ~”と唸り、絶妙な間合いをとってドスドスと相手に詰め寄る。
毛を逆立てたりせず、威嚇もせず、ただ4-5歩向かっていくだけで、ほとんどの場合相手の方が逃げていく。
こんなこともあった。
うちの屋根の上に、見知らぬキジトラのネコが居座っていた。
スレンダーな身のこなしの、”身軽”なネコだった。
タロウを見るなり、キジトラはハーッとタロウを威嚇する。
威嚇しながらキジトラは自分の前後1mに、”これ以上近づくんじゃねーぞオーラ”を放っている。
こういう場合、時間をかけて徐々に警戒を解いていくか、衝突してケンカになるかどっちかだ。
しかし、タロウは違う。
威嚇するキジトラを無視して、トトトトっと、キジトラ目がけて歩きだす。
威嚇も警戒もなく、攻撃するでもなく、すごく自然に丸腰でキジトラの横に座ってしまった。
予想外のタロウの行動に呆気にとられたキジトラは警戒を解いた。
でかい。
器がでかいぞ、タロウ。
君がインディアンだったら、間違いなく首長になれる。
身は重いけど、狩りは上手だしね。
近所の人に”あなたの家のネコが庭に入って来て、うちのネコ2匹と仲良く遊んでたわ。そんなこと滅多にないのに!”と言われたりもした。
人間にもウケがよく、掃除のおじさんのタバコ休憩相手になってたり、車を修理してるおじさんの話相手になったりもしてた。
アパートに住んでるときは玄関を守備ってたので、子供から大人まで人種差別なくあらゆる世代に対応し、人の家にあがりこんだりもしてたみたいで皆にかわいがってもらっていたようだ。
普通、黒猫ってあんまり人気ないのにね。
でもね、昔からこんなだったわけじゃない。
もっと運動神経よかったし、ケンカしたり、威嚇したり、やんちゃだった。
チャビー(おデブ)で、食い意地が張っていて、もっといやらしく?世渡り上手だった。
そんなタロウも最近は、寝てることが増えた。
ブラッシングをするたび、白髪が目立つようになった。
相変わらずチャビーだけど、背中が小さくなった気がする。
でも、みんなに”タロウ~”って愛されてることは昔からずうっと変わらない。
タロウってそういうネコなのだ。
次回は、ついに事件勃発!太陽 VS タロウをUPしま~す。

2010年8月22日日曜日

No title

我が家のガーデンからハーブを摘んできました。

DSC_0052
こちらは、セージとレモンバームを乾燥させています。
レモンバームは乾燥させてお茶にするつもりです。
セージはどうしようか。
お香にもなるしなー、とりあえず乾燥させてみます。
写真にはないですが、カモミールも地道に集めています。













DSC_0056
マリゴールド(カレンデュラ)、タイム、バジルです。
キャリアオイルをゲットして、カレンデュラから浸出油を作ってみたいと思います。
庭にローズも咲いているので、花びらをまぜてみよう!
カレンデュラは外傷の万能薬ですもんね。浸出油からいろいろ作れそうです。
タイムとバジルはカモミール同様、とりあえず乾燥。
��なんでも、”とりあえず乾燥”でいいのか?!)

DSC_0054
こちらは、摘んだラベンダーを乾燥させて、洗濯物の近くに置いてみました。
こんな微量じゃ、芳香にもならないでしょうね。
まあ気持ちということで。
”西の魔女が死んだ”の中にあるみたいに、ラベンダーの上でシーツ干すような生活がしたいな~!

オリーブオイルにハーブをつけ込んだハーブオイルも作ってみたいです。

ハーブは日本語で、薬草といわれていますよね。
ハーブ抽出レメディー、ホメオパシーレメディーも現代医学の薬も、そのほとんどが植物を元に作られています。
私の感覚では、今ある代替医療は未来医療の通過点にはなるけれども、今後、統合された確たる新しい医療が現れるのではないかと感じてます。

使う部分が植物そのもであれ、エネルギー体であれ、人にとって(動物にとっても)植物が原点なことは間違いないと思ってます。
カレンデュラなどお花を摘むことはちょっと心が痛いです。
でも、放っておいたらそのまま枯れてなくなってしまう。
美しさを閉じ込めたまま使えるとおもって、ありがたく摘ませてもらっています。

乾燥するだけして使わない(ありがち)とかにならないように、狭い範囲でちょっとづつを目標に?!身近なものにできたらいいなー。

2010年8月19日木曜日

No title

子宮に愛を宿す 豊穣を司る神

生まれ変わっても女性でありたい



MotherGoddessEarth


healing

2010年8月17日火曜日

お盆

おじいちゃん おばあちゃん

ゆうじさんのおじいちゃん、おばあちゃん

そのまたずーっとずーっと昔のご先祖さま

わたしがいまここにいること

ゆうじさんと出会ったこと

太陽が生きているというミラクルを

どうもありがとうございます。

2010年8月13日金曜日

No title

よく、「◯◯さんは前と比べて変わった」なんていう話を聞く。
こういう話はよく聞くし、自分もそう言われてたりもする。

いい意味でこの言葉が使われるとしたら、それは周りにいい影響を与えてくれる人がたくさんいた
という証拠だ。

わたしにとっては、個人的なことでも、社会的なことでも、過去は過去だ。
過去の話をするのは、あまり好きじゃないし、過去や子供時代のことを鮮明に覚えている人もいるけれど、どういうわけかわたしはあんまり思いだせない。

しょっちゅう思いだす過去があるとしたら、今の自分に強烈に影響を与えていることだけだ。
それらは、励みや感動となり、そしてまた、トラウマとなっている。

”変わっていく”と言う言葉は、Aだったものが、B になってしまうような響きがあるけれど、
そうじゃなくて、AのなかにBが混じり合って無駄なものがそげ落ちることだと思う。

それはつまり、変化ではなく、進化。
Cというところに行くために、経験する過程。

人はたまに、たとえそれがよい変化であっても、
「あの時とかわらない、自分の知っている◯◯さんのままでいてほしい」
と思ってしまうフシがあるようだ。
親が、巣立ったわが子を思う時、そばにいたときの子供の残像を、つい追ってしまうという話も聞く。

しかしながら、時代はすごいスピードで変化していっている。
人もまた、刺激をうけて進化していくのはしごく自然なこと。
それは、呼吸をするくらい自然なことだとすら思う。

常識や、価値観もどんどん変化/融合している。

もしそのスピードがどんどん加速していけば、それはやがて光の速度になってしまうかもしれない!
その光の速度にのっていくことができたとき、人間は光そのものになるのかもしれない?!

わたしは、その未来にワクワクです。

Where there is a will, there is a away.

2010年8月11日水曜日

No title

タイヨウマンが歩き始めました。

トコトコトコ オデコに手をかざして近づいてきます。
その姿を言葉にすると、スットコドッコイって感じで、盆踊りのようでかわいらしい。

生える生えると思っていた歯はなかなか生えず、歯茎もぷっくりしたまま停滞中。

こどもにとって、歩いたり、歯が生えたりという体の変化は、
思春期に、おっぱいがおっきくなったり、のどぼとけがでてきたりするのと同じように、なんだか気持ちが悪くて、不安になるんだろうなと思います。

だからなのかどうなのか、おっぱいの執着が強くなり、夜泣きがはじまってしまいました

夜中から朝方にかけて、何回もぐずりだし、そのたびにおっぱいにしがみつかれるので、ジワジワと水分が奪われ、朝は水分不足と睡眠不足でミイラになってます。
これが毎日続くと正直しんどい!

わたしはタイヨウマンを完全母乳で育てていますが、母乳で育てたい!という確たる信念のもとというわけではなく、ありがたいことに母乳育児がすごく自然な流れで目の前にあったので、そうしていました。

今まではそれで不都合がなかったのですが、
最近になって、太陽の要求=私の供給
       太陽の要求 >私の供給に傾きつつあり、

さらに太陽の中で、暇=おっぱい。という図式ができつつあり、
このまま、体力的にやっていけるだろうか?と疑問が沸き上がり、
断乳ということばが頭にチラツキはじめました。

まだたった1歳だし、好きにしたらいいじゃないか とか
断乳してしまったら、こんなにくっついていられる時間はこれから減って来るから、後から後悔するかも とか
与えること(明け渡すことと言ってもいい)につきあってあげれないで、わたしって与え下手だな~とか、
でも疲れたなー とか

グルグルしています。

そんな折り、友人がトレッキングキャンプに行った話を聞いて、”いいなあ~”と、荒れ地の魔女が吐き出す煙くらい深い、下向きなため息をついてしまいました。

オートキャンプや日中のアクティビティはなんとかできるけど、装備を必要とする登山キャンプを”純粋に楽しみに行く”には、太陽はまだ小さすぎる。

今までたいして気にならなかったけど、ここへきて”太陽がいるからできないこと”への欲求不満が溜まってきている。ごまかさないで、認めちゃおう。うん、わたし、欲求不満だ。

山の上に行きたい。
装備をかついで森を歩いて、テントを張って、コーヒーを飲んで、ただ静かに山を感じたい

言っちゃった。
でも、言葉にしただけ、ちょっと楽になった。
読んでくれてありがとう。

母と子が直面する最初のハードルです。
タイヨウマンとかあちゃんの二人三脚で足並みそろえて乗り越えるぞー。

さあて、今日はどんな物語が待ってるかな。

あ、そうそう、今日はワタクシ久しぶりの社会復帰で、出産後はじめて夜に家にいません。
今日は、父ちゃんとタイヨウマンの初めての夜
こちらの物語もどうなるか楽しみです。


2010年8月5日木曜日

ドーナッツ現象

めまぐるしく いろんなことがおこり であい うごいていく。

せっかくだから出来事をブログにしようとおもうのだが、

なぜだか、ドーナッツみたいにわたしのまんなかがぽっかり空いていて、指がすすまない。

ゆうじの指は日に日によくなり、

太陽はひとりで歩き出した。

今年のガーデンの出来は決して良いとは言えないけど、それでもなんとか永らえた鈴なりのトマトの姿をみてホッとした。

暑さは相変わらず控えめで、
いつまでも明るいと思っていた遅い午後の空に、ほんの少しだけ、
よく嗅がないとわからない程度にほんとうに少しだけ、秋が交わりだした。

早くもなく、遅くもないのだけど、振り返る間もなく淡々と時間がながれていくので、誰かとの約束を忘れたりしてるんじゃないかと心配にもなる。

かといって、忙しいと表現するにはしっくりこない。
��なぜなら、穴はあいてるけど、味はおいしいドーナッツだから。)

たぶん、ぽっかり空いた穴は、そんな日々が生焼けになって消化不良にならないように、風を通してくれてるのだね。

Be here now

ではまた