2011年9月5日月曜日

妊娠最後の日

��月29日

なかなか眠れなかった。
せなかがゾワゾワーってして、体中がむずむずする。

ちょっと前にカイロの先生に、「骨盤の準備はできてるわ。でもホルモンがまだ十分におりてきてないわね。この2-3日に陣痛がくることはないと思うわ」と言われていた。

あれから1週間がたった。
このむずむずの正体は、ホルモンだ。そう直感した。

もうすぐなのかな、、、。

寝不足のまま迎えた朝は、「初秋」を感じる青空で、とても気持ちがよかった。

午前中に検診を受けて、ゆうじが仕事に行ってから、太陽と森に長めの散歩にいった。
森の散歩道は、バイクトレイルなこともあって、根っこがボコボコでているし道は細いし、ベビーカーで進むにはなかなかタフだった。しかも太陽は歩いてくれない。
「これじゃー急に陣痛はじまってもおかしくないわなー」なんて思いながら、ベビーカーごと抱えて急な坂道を上った。もしかしたら、これが効いたかな?なんて今は思ったりする。

しばらくベビーカーをおしたあと、太陽と手を繋いで、ブラックベリーがなりはじめた森をあるいた。
森を抜けたあと、いつもの3倍くらい公園で太陽と遊んだ。

妊婦だから っていってここんとこずーっとしっかり遊んでやってなかったな。
今日が最後かもしれないから、いっぱい遊んであげよう。
不思議とそんな気持ちになった。

その日一日、太陽はわたしにとても優しかった。
わたしも太陽に優しくいれた。

太陽が寝てから、妙に気になって、請求書をかたっぱしからやっつけたり、産後手伝いにきてくれる友達のためにメモをつくったり、家計簿を整理したり、、、そんなことを夜中までやっていた。
今思えば、あれは「予兆」だったんだな。

そのあいまに、おなかの赤ちゃんとゆっくり向き合う時間ももてた。
��人目とあって、赤ちゃんに話しかけたりすることがあるようでなかった。
グラウンディングして、瞑想して、おなかの赤ちゃんのことを思った。
すると、とても素敵な気づきがわたしのなかにやってきた。

お産とは、地球の未来を紡ぐ希望の星を産み出すこと
自分には何も取り柄がないと思っていたけど、わたしは2つの希望を産み出すことができる。
それを わたしの誇りにしよう。

赤ちゃんは暗くて細い産道をひとりでおりてくる。
暗闇の先の光にむかって。
赤ちゃんがむかうさきは光の世界。
わたしたちは、光の出口であなたを待ち受けているよ。
太陽がつくった道筋に沿って、ゆっくりおりてくればいいからね。

みんなであなたのことを待っているよ。
わたしたちがいる場所が、光にあふれていることを思い出させてくれてありがとう。

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その日の深夜、まさかの陣痛がはじまった。

No title

��月30日

夜中の3時にお腹の痛みで目が覚めた。
測ると15分感覚で波がやってきている。
「あ、この痛み知ってる。陣痛だ」すぐにそう思ったけれど、まだ38週だし前駆陣痛だろうと思った。

でも、万が一に備えて、真夜中だったけどお産のための最終準備をはじめた。
「手伝うよ」というゆうじを断って、ひとりで黙々とやりはじめた。
ベットで休んでいてもよかったのだけど、なんだか、そうせずにはいられなかった。

あいまに太陽の寝顔を見て涙がこぼれてしまった。
「今日とってもいい一日を一緒に過ごせてほんとによかったあ~。これからしばらくはないかもしれないね。」そういう涙だった。

陣痛は朝まで続いたけれど、お昼頃には弱まっていった。
あれ、やっぱり前駆陣痛だったかな。そうだよねーまだ38週だもん。
ゆうじが先走って友達や職場に連絡してしまっていたので、「もーはずかしいーなー」とぐちった。

が、しかし、連絡しておいてよかった。

太陽と一緒に昼寝をして、目が覚めた午後4時頃。
やっぱり、お腹が痛い。
こりゃ、陣痛きてるわ。
時計を測ると10分間隔。
ゆうじはなみちゃんに連絡した。

この日はユウジもなみちゃんも仕事が休みだった。
赤ちゃんは本当にタイミングをよくわかっている。

わたしもこの時点でリディア(ミッドワイフ)に連絡をした。
��時に彼女が来た頃には、しっかり「陣痛」がはじまっていた。
内診では子宮口が4-5cm開いていた。
痛いけど、やりすごせる程度だったからそんなに進んでいるのかとびっくりした。

しかしここで問題が。
わたしと同じタイミングでもう1人陣痛がはじまった経産婦さんがいるとのこと。
しかも彼女も自宅出産の予定だそう。
リディアは町のたった1人の助産婦さん。
わたしと彼女 2人の自宅出産に立ち会うことは難しいかもしれない。

もうひとつ、自宅出産するには、リディアをヘルプするナースが必要なのだけど、そのナースと連絡がとれないとのこと。
ナースなしでは、自宅出産の夢は叶わなくなる。

リディアの経験では、産婦が同じに日に陣痛にはいるなんてことはなかったそうだ。
「わたしが分裂できればいいんだけど、、、。でもナースには引き続き連絡してみるから、まだチャンスはあるわ。」と、彼女は戸惑った様に言った。

それを聞いて、残念だなと思ったけど、まあ、なるようになればいいや と思った。
リディアはもう1人の様子を見に行く といって出て行った。

午後7時。
リディアが帰ってきた。
もう1人の産婦さんは、進行が止まったり進んだりで、私の方が進みが早いとのことだった。
そのころ「これは本陣痛だわ」と認めてもよいほど強い痛みがやってきていた。
でも、太陽の時の痛みを思えば、「本番はまだまだこれからだぞ~」と痛みの中にも余裕があった。
再び内診 子宮口は6-7cm。

想像より早いペースでお産が進行していた。
こりゃ、病院だな。病院の準備しておいてよかったわ。と覚悟した。

午後8時
そのころナースと連絡が取れた。「彼女はバンクーバーにいて、あと1時間で来れるっていうけど、待てる?」と聞かれた。
わたしもゆうじも「待てないと思う」が答えだった。

実際、待たなくて良かった。

午後8時20分
車で10分の病院に到着。
あれよあれよと言う間にいきみたい感じになってきた。
でも「いやまだまだ~ 浮かれるなユイ!」と思いながら痛みと闘った。
��人目といえども、痛いものは痛い。
毎回のことだけど、やっぱ無痛分娩にでもすればよかったなあ と思うほど。
今回は、ユウジのマッサージにとても助けられた。
��人目だと父ちゃんも違うね!

しばらくして「ユウジ、グローブはめて!」とリディアが言い始める。
そう、ユウジは今回赤ちゃんをキャッチするという大役をまかされているのだ。
「え、もうそんな感じなわけ???」と心の中で思う。

今回は黙ってひたすら陣痛に耐えたのだけど、ついに「ううーーー」と声が漏れはじめた。
いきんでみると、赤ちゃんがゴボゴボっと下におりてきたのがわかる。
赤ちゃんもがんばってる~ わたしもがんばるよ~

そして4回くらいいきむと、赤ちゃんがずるっと出てきた。
え、もう出ちゃったの??

病院着いてから50分、本格的に陣痛はじまってから4時間後。
午後9時9分 父ちゃんはしっかり我が娘をキャッチした。

そう、赤ちゃんは女の子だったよ~~~!!

太陽の立ち会いは叶わなかったけど、今思えばあんなに苦しんでいる姿をみせなくてよかったのかなとも思う。
へその緒がついたままの赤ちゃんを胸にだいているところに、なみちゃんが太陽を連れてやってきた。

太陽号泣。
混乱と母ちゃんが痛そうなのとでグチャグチャな気持ちになっていたみたい。。。
疲れているはずなのにナカナカ泣き止まなかったな。かわいそうに~ タイヨウマン。
��1時頃なみちゃんに太陽を連れて帰ってもらい、わたしたちは病院に残った。

出血もなく、会陰切開もなく、ヘルシーなお産だったので、普通24時間滞在するところを、6時間の滞在で家に帰った。
やっぱり自宅がいい!太陽のことも気がかりだったし。

今は家族4人、おうちでゆっくりしています。
太陽、赤ちゃん帰りするかな~ と思ったけど今のところは大丈夫そうです。

そうそう、赤ちゃんの名前は「るな」になりました。
��3の暦では、今月は「月」の月で、さらに、るなが産まれた日は「赤い月」と言う日だったのと、
わたしたちの結婚指輪に月と太陽をデザインしてもらっていたから、子供達も「太陽&るな」でいいねーってことになった。

じゃあ3人目はどうしようか 笑 そんときはまた考えよう。

長々と読んでくれてありがとうございます。
��人家族になった鎌田家もまたどうぞよろしくおねがいします!!

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タイヨウマン、オデコのまんなかを蚊にさされて、サードアイ全開です 笑