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2020年9月1日火曜日

ハンター・ガール

娘:「鹿肉って美味しいの?」

ニナ:「すっごく美味しいよ、そしてすっごく悲しい」

娘:「鹿を殺した後、呪われないように塩をたくさん撒くの?」

ニナ:「うーん、塩を撒く時もあるけど、私のお父さんは必ず食べる時にお花を添えるの。

    それで、命をどうもありがとうってみんなで手を合わせてから食べるの」


娘の一番仲の良いお友達のニナがお泊まりにきた。
彼女はメキシコ人で3人姉妹の末っ子。

彼女のお父さんは狩りをするので、時たま姉妹みんなで森に入ることがあるそうだ。
一番上のお姉ちゃんがお父さんの右腕で、血抜きをしたり皮をはいだりするらしい。
ニナは、周りの掃除やお姉ちゃんの手伝いをする。

ハンターと聞くと、Tatooの入ったごっつい山男を想像するかもしれないけれど、
彼女のお父さんは小柄で、謙虚で、とても優しい人。

しかも、このご時世、家にインターネットをひいていない。
携帯電話もフリップフォン(ガラケー)
もちろんテレビもない。ネットフリックスもディズニーチャンネルとも無縁だ。
その代わりにしょっちゅうお父さんと一緒にハイキングやキャンプをしている。

この3姉妹、全員感心するほどいい子で
私がニナを送りに届けにいくと、親が仕事でいない時は
お姉ちゃんが出てきて「ニナを預かってくれてどうもありがとう」
と必ず言いにきてくれる。

言い忘れた。お姉ちゃんといっても10歳の女の子だ。

ニナもうちでご飯を食べたりすると
「お手伝いすることありますか?」と何度も聞いてくれるのだが、
ついには「私、洗い物しようか?」とまで言ってきたから驚いた。

これも、言わされているのではなく、彼女にとってそれが当たり前的な自然な言い方なのだ。

他人の家の懐事情を推し測るのは失礼なのだけれど、
彼らは物価と不動産の高騰によって、リッチ化したスコーミッシュでは珍しく
2ベッドルームのスイート(アパート)に暮らし、
あまり持ち物を持たない質素な生活をしている人たちでもある。

比べて私は今、縁あって新築の大きな家に住んでいる。
iPadなどのデバイスもあるし、家族全員がそれぞれデバイスに向き合って会話がない時間もそこそこある。その上、家族全員分のそこそこ高価な自転車や遊び道具もある。

つまり、必要な物、いや必要以上の物を持っていながらも、
特に今年の夏は、引越しのせいだと思いたいが、結局出番も少なかった。

それで、冒頭の会話に話は戻るのだけど、
先日お泊まりに来たニナと娘の会話を聞いていて、
なんか「私、生きる上で大切なこと忘れている気がする」とドキッとした。

「あなたは本当に満たされているの?今のこの瞬間を生きているの?」

と、聞かれたような気がしたのだ。

その後、その思いがさらに強くなる出来事があった。

お泊まりの朝を迎えてニナをお家に送りにいった時に、家族全員が出迎えてくれた。
一通り挨拶をすると、お姉ちゃん、お父さん、おばさんやいとこまでもが(たまたま居合わせたのだけれど)みんなで「ニナ!!会いたかったよ!!」と言って代わる代わるハグをする。

みんなキラキラの目をして
「ニナ戻ってきたー!大好きだよーーー!!!」と伝える。

その中でどういうわけか少し不機嫌そうだった、いとこのお兄ちゃんに、
ニナが「どうしたの?何かあったの?とりあえずハグしよう」と優しい微笑みをかける。

その光景を見ていて、なんだか涙が出そうになった。

「私は家族との毎日に、ここまで大きな愛が溢れているだろうか?」

人間が魂に還る時「経験と感動」しか持っていけないという。
社会的な地位やお金や物は持ってはいけない。(「金持ちが天国に行くには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉があるくらいだ。)

私は天国に持ってける「経験と感動」をどれだけあるだろうか?

もちろん他人と比べたって仕方がない。
私たちは私たち、ニナはニナだ。

だけれどもニナの家族には「足元を見つめる機会」を授けてもらったような気がする。

今日は罪滅ぼしの気持ちを込めて、iPadを閉じて子供達にポーカーを教えた。
洗い物をかけてポーカーで勝負!
悔しい〜!勝ったー!なんて言いながら過ごす時間。
少しだけ心が軽くなったような気がした。


森に落ちていた鹿の角



2020年2月16日日曜日

おそばせながら2020年の初記事です。

ブログを書くのはかなり久しぶりです。
どうもこんにちは!(照)

実はこの1年の間も、書いては消してと逡巡しながら
結局アップロードしなかった記事が何本もありました。

なるべく、読んでくれる人のためになることを書きたいと思いつつ、
そんなに価値のあるものが書けるだろうか?と手が止まったり、
「伝えたい」という欲求が小さくなってしまったり。
昔に比べて感受性が減って、さらに日本語が退化していることにまざまざと思い知らされたり、そんな風にして、筆が止まり、口数の減った1年でした。

ちょっと話は変わりますが、
同じ街で長いこと暮らしていると、当然ながらいろんな人に出会います。
その中でも、「この人は!」と思う素敵な人たちがいます。

そういう人は、私が素敵だなと10年前に思った時から変わらずに、
自分が探求する道なり、ビジネスなりをずっと続けて、
今もなお進化し続けている人達であることに気づきました。

観察していると、その人たちの共通点がわかってきました。

長い間1つのことを続けるというのは、当然ながらいい時ばかりではないわけで。
私が素敵だなと思っている人たちは、そういう時の葛藤をも見せてくれた人でもあります。

謙虚でありながら自信があり、
包容力がありながらバウンダリーがある。
無理はしないが、怠惰ではない。
感想はいうけど、悪口や愚痴はいわない。
苦労を知っている。
同じことを続けながら、停滞するのでも、過去を美化するのでもなく、進化し続けている。
そして、山や森にどんどん入っていくアクティブな人たちでもある。

なんていうか、人生に対して腹括ってるのに、軽やか。

人間だから、もちろんどこか偏りがでたり、アップダウンはあったりするけど、
最近はこういう方達から、学ぶことがたくさんあります。

比べて私は、、、と思うと、気分が落ちていく一方ですが(笑)、
私が続けていることはなんだろうと自分に問うた時に、
「書くこと」だなと、やはりここにたどり着きました。

人間は、自分の内側に取り入れ、吟味し消化したものを、
外に出していくというのが生き物としての普遍的な在り方ですよね。

だけど昨今の上っ面だけさっと取り入れて、
「汗もかかずに外に吐き出すという行為」が溢れすぎている今の情報社会では、
情報や想いを文字に載せることが毒にすらなりうる。

それに、もう必要十分の情報が溢れている世の中に、またアウトプットを増やすことに対して、自分でも辟易しているのもあるかもしれない。
承認欲求というものと戦っているのかもしれない。

なんて想いを逡巡させた1年であったけれど、

上記のように
やっぱり私の周りにいる素敵な人や、自然から得たことを、
アウトプットしないなんてもったいなさすぎる!

という思いに駆られ、
そして私の中で、体験したことを言葉に紡いで、アウトプットしていくことは、
やめられない衝動の一部でもあるので(父親が昔ジャーナリストだったので、その血を受け継いでいるのかもしれない)人様の害にならない程度に、堂々と、これからも書き記していこうと思います。

2007年から始まったこのブログも13年目に突入です。
とまあ、おそばせながら2020年のブログスタート。
今年もよろしくお願いいたします。

2018年5月30日水曜日

Squamish 9年目 ー9年目にしてようやく!ー




あー天気も良くて気持ちいい!
5月はSquamishで一番好きな季節。

今日は住宅街の端っこから森へ直行。









満開のThimble berryの花
ミツバチが元気にお仕事中
新緑のむせるような香りをお届けできないのが残念。

9年も暮らしていても、新しい発見がそちこちにある。

そして、9年かかってようやく言える。

Squamish大好きだーーー!!


バカみたいなんだけど、Squamish大好き!ってしっかり言えるまで9年もかかった。

やれやれ。

特にここ数年、街がどんどん進化して、住宅開発に対する批判や、
物価や不動産の高騰や、いろんなことが確かにあった。
たくさんの人がこのエリアに見切りをつけて出て行ったり、
出て行かざるを得なくなった。
観光客がどっと増えて、道も混むようになった。

そういう流れに対して、とても悲しかったし、
批判的でなければいけないような気が
ずっとしていた。

目の前に素敵なことがたくさんあるのに、改善されるべきことに目を向けていた。
色々と、自分に”〇〇と思わなければならない”を課してしまっていた。

この春、久しぶりに日本に帰って、
いい意味で気が抜けてカナダに戻ってきた。

それで、気がついた。



私が今、一番大事なのは、家族が一緒にいれること。

少しでもいいから、野菜やお花を育てられる場所があること。

子供が走りまわれるだけの自然が近くにあること。



それが叶っていて、
暮らせている場所がSquamishなのって、
超ラッキーじゃん?!







私たちは、家族になってからSquamishに育ててもらっている。
もちろん、子供達も、ここが大好き。
森も川も岩もいい。

岩パワーかなー、なんか新しいことしよ!って
いつも思わせてくれるアクティブな街。

んでもって、私、やっぱ根が都会っ子なんだなーって。
Squamishくらいが丁度いいのかもしれないな。

街が変わったおかげで、新しい風が吹いて、
得れたものもある。

おかげさまで夫の仕事も順調に回ってくれて、
Squamishの街で生きることができてる。

よし、宣言しよう。

Squamish大好きーー❤️




はーーーー、楽になったーーー。
はーーー、苦しかったー。


まあ、これSquamishに限ったことじゃなくて、
色々と批判的な世の中なので、
アレがいいとか、コレはだめだとか
特に、子育てしていると余計にその選択肢が増える。

まあ、建設的な批判も確かにあるんだけど、
主張することに疲れたのかもなあ。
主張や批判って、戦うことだものね。

どっちか、じゃなくて、
両方の良いとこをもらっとこー。





歳を重ねるにつれて、どんどん軽くなってる気がする。
好きなもの、嫌なもの整理整頓して、
演じることからも脱出しつつある。
そこに、主張も手放してもいいかも、が入りかけてる。

ま、子供のおかげもあるなー。

なんて書いてみると、今まで色々考えすぎだったな笑

さて、もう間もなくながーいながーい夏休み。
恐ろしいことにまだ大した予定がない 笑
今年は子供と一緒にちょっとした登山もいけるかな。

何はともあれ、9年目のSquamish、今年も楽しみます♪

2018年2月11日日曜日

海呼吸

相変わらずの、なが〜い、なが〜い、雨が明けて久しぶりの晴れ。
雨雲の下にいるとわからなかったけど、晴れると春の気配を感じる。
おひさまが眩しいなあー、と思っていたら、

”海行きたい!”

と娘が言うので、久しぶりに散歩に出かけた。





毎回、思いつきでビーチに来て、
毎回、潮の満ち引きをチェックしてからくればよかったと反省する。

うちから歩いていけるビーチは広くないから、満ち潮の時には、子供が遊べるエリアが狭くなってしまうのだ。

案の定、今日も満ち潮だった。
寄せる波を見ながらぼんやり思う。

雨だったから、全然気にしてなかったけど、
今日の月齢はなんだろうなあ?って。

海にくると月のことを想うのも、毎回のこと。

そういう風に、自然と、自然と宇宙に、繋がれる場所がすぐ近くにあるって、、、、
ありがたい。


最近、息子が、片頭痛を訴えるようになった。
今まで割と内気だった娘が、おしゃべりで活発になった。(口が立つようになったとも言う。)

なんだか、私も含めて、それぞれ、変化に少し戸惑っているような、そんな感じ。

リズムを取りにくい波に、頑張って乗ろうとしてるような、
調和の中に、不協和音が響いているような。

だから、みんなで自然の中に行く。
受け止めてもらいに行く、というのか。
洗ってもらいに行く、というのか。

とりあえず、それで一回リセットされるのだ。

日本とは逆で、こちらの冬の海は穏やか。
鳥やアザラシがのんびり水面を揺らしている。
ぼおーーーーっと、遠くを眺める。

それぞれが、それぞれのやり方で、海呼吸する。

ちょっとスッキリ。

よし、シナモンバンでも食べにいこ!

2018年1月5日金曜日

Squamishで初詣 -Shannon Falls-

Squamishの神社、(と私が勝手に呼んでいる) Shannon fallsに今年もご挨拶に行ってきました。

Squamishのパワーシンボル、The Chief rockの岩脈を伝った水が流れ落ちるShannon Fall。


この滝には、女龍が宿っているような気がするんだなあ、、、

とかねがね思っていたら、何と!






First Nationの言い伝えでは、Shannon Fallsは非常に神聖な場所で、
Howe Soundに住むと言われている、2つの頭を持つ龍(Say-noth-ka)が、
海と山を行き来する際に、この滝に現れる。と言われているそうだ。

やっぱりぃ〜〜!神社、確定です!






右下の一筋、龍っぽくないですか?!


初詣は、子供と一緒に、自然のスピリットにお話をしにいく時間。


あ、そうだ。昔、シュティカのリーダーに言われた。
神聖な場所に来た時は、頭のてっぺんからもエネルギーが入るように、
帽子を取りなさい。と。
帽子を取って、子供と一緒に、深呼吸〜。


そんな話をして、

自然の神様に、何を感謝する? と聞くと、


”遊ぶ場所をくれてありがとう。” と息子。


同じ質問を娘にすると、彼女は、”お花ー!” と言っていた。






街が急速に発展していることもあって、そっちに気を取られてしまいがちになるけど、

Squamishはエネルギー的にとってもパワフルな場所だと思う。

多種多様な自然の形態もさることながら、

Squamishのシンボル、Stawamus Chiefの持つ強いグランディングパワーはすごい。
ここは、下の方のチャクラが活性化するエネルギーがある。
実際、若くてエネルギッシュで、元気な人が多い。

ちなみにこのエリアでいうと、

WhistlerはSquamishよりも森が濃くて、サードアイが開くようなマジカルな感じがするし、
Pembertonは気圧されそうなほどの雄大な山パワーが、ハートチャクラに染み込む感じがする。(私の勝手な感想デス。)

20代の時は、Whistler/Pembeeに、心と体を育ててもらって、

親になった30代はSquamishの自然に、育てられ、支えられてきたなあって思う。

ことあるたびに、”僕にはWildnessが必要なんだ” と言う息子。

Squamishの自然を遊び場にして育つ子供達、どんな大人になるんだろうな。




今年も良い初詣ででした。

2017年12月22日金曜日

冬のお散歩 -Squamish Estuary-


寒いからやだなー

という娘に、じゃあ走ろっか。あったかくなるよ

と言って、お散歩に出かけた。

森の中に入ってしまえばいつも通り。

フロストを見つけては騒ぐ娘。
凍ってるかな?靴、濡れるかな?って恐る恐るつま先でつつきながら確認。

凍ってるところはバリバリ踏み散らす。
ガラスを割るような感覚。
なんだか不思議で、なんだか楽しいよね。











これ食べられるんだよねえ、どうやって食べるの?



ローズヒップの実。夏はワイルドローズが美しい。


この水はさあ、全部のまちに繋がってるんだよねえ
日本のおばあちゃんちとかさあ。


川の終わり。海の始まり。








この実食べたの、鳥かなあ、りすかなあ、クマかなあ?





ママ、草が倒れてるは、そこに熊がいたからなんだよ。知ってる?






夏の間、このトレイルには、蜂の巣がたくさんあった。

今日歩いてる最中も、 ここにあった、
あそこにあったと言っては騒ぎ、

ハチ今どうしてるのかなあ?
蜂の巣で寝てるのかなあ?

すると、草むらから音が。

バサバサバサ!

ギャアー、クマだあー!

・・・ いたのは、低空飛行中のサギ。

誰もいないから気を良くしたのか、
大声で歌い出したりして、終始ハイテンションでした。

普段はシャイな彼女が歌を歌いたくなるほど、森が”自由な場所である”こと。

彼女にとって、鳥、りす、ハチ、熊、アライグマ、サーモン、カエルが、
そこらへんにいることは自然なこと。
姿は見えないけど、”いる”と感じられること。

すごく恵まれているなあって、再確認


走ったおかげで体は温まったー。
心も暖まったー。


冬だなあ。

Merry Christmas to you all !!



家に帰って編み物の準備。
学校で編み物を習い始めたよ。



2017年10月2日月曜日

秋の空 ー夕焼けアラート発令中!ー


秋の夕焼けは、ほーんとに綺麗。
ピンクと群青色の空。
あまりの美しさに、
リアルワールドのものとは思えなくて
心が異次元にトリップしてしまう。






パワフルな夏の間は、一息つくような暇もなかったけど、
秋は、空を見上げたり、森を感じたり、
そういう時間が、オートマティックにやってくるので好きだなあ。

Autumn Awareness 

芽吹きの勢いを経て旬を経験した後の、
枯れていくまでの長い道のり。
ちょっと切なくて温かい感じ。

ここまで来ないとわからないことあるんだよなあ。
っていうところが、
40代目前の自分自身への、
深みのあるメッセージに感じたりもする。








森の中には熟した色がそちこちに。







お家帰ってから、娘ときゅうりの種取りしました。
前は、育てて食べるところまでが
ガーデニングの醍醐味だったけど
その先の、種を循環させていく大切さが
わかるようになったのも、なんだか意味深いなあと思ったり。








ああ、今日も夕日が綺麗です☆
薪に火を入れる日も近いかな。

2017年8月17日木曜日

熱いビジネスウーマン

今日、Ranyaに会ってきた。
お互いすれ違い続けて3ヶ月。ようやく会えた。

彼女は、Sea to Sky 版のSPUD(=Online Organic grocery shop。 Vancouverが拠点)、LOCAL GOODS COMPANY を運営しはじめたところだ。
彼女のSHOPにぜひ、ECO MOON PADを加えたいと、以前からメッセージをくれていた。

会ってみると、ナチュラルで、まっすぐで、とても熱い女性だった。

彼女が、LOCAL GOODS COMPANYを始めた経緯をかいつまんでいうと、

これからの社会にとって、地産地消を円滑にするためのシステムが必要なこと、

マスコンシューマリズムの中には、
なけなしにされた人権や、犠牲になった環境や、
犠牲になった家族で出できている商品が溢れかえっていること, 
大量販店で安価で売られているもののTrue Costは計り知れない。

お金はパワーだから、それを使う人たちに責任があること、

良い物を作っているlocal crafter/producerが生き残って、
それで生計を立てていけるようになることが大切なこと

Squamishを愛していること。
もう、ここから動く気がないこと。

などなどを、こちらの体温が高くなるような熱量で話してくれ、
私も思わず、最後に拍手してしまった。

彼女が目指し、理想とする地域社会への関わり方は、
私の中にもずっとあることで、信じ続けていることである。
ECO MOON PADを製作する原動力そのものでもある。
ただ、グラスルーツ的に活動していると、時に心が折れそうになるのも事実。

そういう時に、Ranyaのような人に出会うと、
ものすごく元気をもらって、明日への活力が湧き出してくる。

実際、Small crafter/producerにとって、
Ranyaのように、生産者と消費者を、
繋げてくれる人というのは、大変ありがたい存在である。

Ranyaとは熱いハグをして、
PembertonのFarmerが作ったという巨大なオーガニックナスを頂き、

この時代だからこそ、
直接会って話すことって大事だなあ、とmeetingの余韻を味わいながら、
清々しい気持ちで家に帰った。

家に帰ってから、この話をユウジにすると、

”本来、ビジネスとはWin-Winの関係を作り出す方法なんだよ。
 作り手も(staffも)、消費者も 地域社会もハッピーであること。
   そのために、今現時点で、ベストを尽くしている、と自分に言えること。
           それが、幸せなビジネスのあり方だと俺は思うよ” 

と言われ、また気分が高まった。

”ビジネスしてます” という言葉は、とてもポジティブな言葉だと思う。
ある意味、ARTである。
自分を表現する方法でもある。
ビジネスは本来ドライなものではなく、
自分のパッションをかけているから、business(忙しい)なんだと思う。
本気でやってる人は、まっすぐだ。

実際、私もECO MOON PADを通じて、素敵な繋がりを作らせていただいている。
家庭人としての私では成し得なかった関係が生まれ、
地域や社会との関わり方も経験させてもらっている。

ここまでくるのも(といえるほどではないけれど)決して簡単ではないし、
なんだかんだ言って、地道な努力と継続だけが、道の続きを示してくれるように思う。

などど、目を閉じながら唸っていると、聞こえてくるのだ、あの声が、、、

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けばわかるさ。

1、 2、 3、 ダーー!!

素晴らしい、アントニオ猪木!!

さて。

夕飯に、
Ranyaにもらったナスと、
友達の庭で採れたピーマンや自家製の野菜に、
Pembee産のひき肉を足して、
バンクーバーで日本人の方が作っている醤油麹を隠し味にして味噌炒めを作った。

Localの人たちの愛が詰まった食材で作る食事。贅沢だよーーー。美味しい!!


というわけで、ECO MOON PAD、間もなくRANYAの運営する、LOCAL GOOD COMPANY  に参加させてもらいます!


お礼 当初からECO MOON PADを理解し、
   サポートしてくれているBE CLEAN NATURALLY(SQUAMISH)さんと、
   TAMA ORGANIC(VANCOUVER)さん、
            HandMade Vancouverさん、
   口コミを広げてくれる友人の皆さん、ワークショップに参加してくれた皆さん、
   気持ちがグラグラになるといつも前向きなアドバイスをくれるわが夫

   いつもありがとうございます。これからも頑張ります!

2017年4月25日火曜日

Earthday Celebration

太陽の学校で、Earthday celebrationがありました。
雨が続いていた中で、この日だけは素晴らしい晴天。

太陽の学校には、Living Classroom といって、Ecological educationを校庭で体験できるよう、ところどころにガーデンや素敵なネイチャークラフトがあります。
月に一回、放課後にネイチャークラブもあり。
それに、何と言っても、校庭が美しいんだわ。












私が太陽をこの学校に入れようと決めたのも、この校庭と、Living Classroomがあったから。
それが、この小学校の方針だと思ってました。

けど、違ったんです。

Nature clubもLiving Classroomも、
子供達に自然体験を、と、
強く、強く、望んでいる、
たった1人のお母さんの想いでできていたのです。

彼女が自分でスポンサーを集い、ファンドレイジングをして、ガーデンや、蜂やコウモリの巣を作り、外で授業をできる環境を整え、プログラムを運営し。。。。

先生たちに、冬だろうが雨だろうが”子供を毎日外に出してくれ”と協力を仰ぎ(先生も先生の事情があるのでなかなかうまくいかない)
賛同してくれる親たちに協力を仰ぎ、
たくさんの資料を揃えて、
情熱的に、それでいて控えめに(先生や親たちに強制させないよう)、
敬意を払いながら、ほぼ一人でここまで創り上げたことを知りました。




これなーんだ?  

....土に還る素材で作ったミツバチの巣です。


Outdoor Classroom


草木織り



もちろん、教養と経験のある彼女だからできたことですが、
だとしても、すごいことですよ。
そのパッションと、信念の強さと、優しさと。
もちろん全部、ボランティア。


以下、彼女が引用していたQuoteから。


"Passion is lifted from the earth itself by the muddy hands of the young; it travels along grass-stained sleeves to the heart. 
    If we are going to save...the environment we must also save an endangered indicator species: the child in nature."  
                                                                                 Richard Louv 


この想い一途に、ここまで創り上げてくれたんだなって話していて感じる。


彼女の息子くんはmiddle schoolに行ってしまうから、来年はLiving Classroom自体がどうなってしまうかわからない。

正直、彼女のように私がイニシアティブを取って後を引き継ぐなんてとてもとてもできないし、彼女の代わりになる人がいるのかもわからない。
でも、私にできる汚れ仕事(畑のね!)は全部参加しようと思ってます。
そんな背中を、うちの子供たちには、見せていきたいと思う。


今年は、彼女の働きかけで校庭にWetland(湿地帯)ができました。
早速、トカゲが卵を産んで、小さな世界が広がりつつあります。
彼女いわく、植物と生き物にとって、Wetlandはとても大事らしい。
私たちはまだこの学校にはお世話になるから、しっかり見守っていくわ。




Wetland Earthdayにシダをたくさん植えたよ。
虫たちの住処になりますように☆



今年よく聞いた大好きな言葉。




Earthday Everyday!


だよねーーーーー!


ちなみに、音楽関連でもパッションのあるお母さんがいて、今週は、子供たちがミュージシャンと一緒に歌うコンサートがあります。
想う力、行動に移す力、すごい。影響受けるわ!