2020年9月22日火曜日

お知らせ noteに移行しています

 いつもUniearth's Color Paletteを尋ねていただき、ありがとうございます。

このブログも足掛け10年ほど日々いろいろな想いを書きためてきました。

ありがたいことに読んでくださって、その上、声までかけてくださる人もいて、
読んでくれる人がいるって本当に幸せなことだな!と今更ながら再確認しています。

というのも、今このブログをnoteに移行させて、このブログを閉じるか、
棲み分けをするか、色々と考えを馳せています。

そもそも、ブログがここまで長続きしたのは、
単純に「書きたいことがいっぱいあるから」ではあるのですが、
そういう想いとは別に、noteってやっぱりどれだけアクセスを稼げるかとか、
フォロワーとか意識して天秤にかけそうになることもあって、
いやいや、そういうとこに囚われたら違うよね、って
その部分との葛藤もあったり無かったり。

このブログは記事を書いた時にFBに投稿する感じで
楽な気持ちで書いていたのですが、
noteはSNSなので、その中に入ってみるとコンペティティブ感も感じるので、
良くも悪くもそれも新たな挑戦なのかな。

さて、noteには、最近のアレコレと一緒にこのブログで書きためた過去記事を厳選して引っ張り出して、note 内で再投稿したりもしています。


このブログでは書いてこなかったことも書いてみる予定ですので
良かったらnote @Yui Squamishを覗いてみてください!

フォローも嬉しい限りです。


しばらくtry and errorで試行錯誤していくうちに、
自分の中でも書き物の居場所を見つけられる気がします。

皆さんの存在は、アクセス数や「いいねボタン」から感じさせてもらっています。
本当に励みになります。ありがとうございます。

というわけで今後ともUniearth's Color Palette & @Yui Squamishをどうぞよろしくお願いいたします!


2020年9月12日土曜日

リッチ・ガール

 娘のクラスは女の子が3人しかいない。

この間、ブログでも書いたハンター・ガールのニナ、娘、もう一人は今日紹介するアナベラの3人だ。

今日は、アナベルが遊びにきた。
彼女は新居のすぐ近くに住んでいるので、うちを見たいと言ってきた。
アナベルは、ニナともうちとも異なる生活環境で、現代風の大きくて素敵なおうちに住んでいる。
去年は女の子のクラスメイトがもっといたので、娘とあんまり絡むことはなかったのだけれど、今年は数少ない大切な女子友だ。

アナベルは娘より1歳下で、快活で華やかな雰囲気のある子だ。
華やかさの意味するところに、クイーンタイプな雰囲気も入れてもらうともう少しイメージしやすいかもしれない。


そんなアナベルがうちに来て、

 「私の家の方がリビング大きいかな〜」
 「あ、アレクサあるの?うちも5台あるわ。私の部屋にもあるよ」(←えっ1人1台?!)
 「この家レンタルなの?買うべきよ!素敵なおうち!」(←買えないって!)

と、いろいろと感想を述べてくれた。

彼女の名誉の為に断っておくと、彼女は何もマウント取ろうとして言っているわけではない。

彼女にとって普通のことを、普通に言っているだけなのだ。

それに対して、カッコの中の声は私のひがみ兼率直な感想である(笑)

おやつの時も、娘に引き出しからお菓子を取るようにいうと、
娘の代わりにアナベルが引き出しを開けて、

「んー、グラノラバーもあるけど食べる?」
「えっとー、スプーンとお皿はここかな?」(と言って引き出しを開ける)

と、文字通りHelp Your Self(笑) でおやつの準備をしていた。

日本人的感覚だと、失礼な子だ!と取る向きもあるだろうし、
カナダ人だって、「人の家の冷蔵庫を勝手に開けてはいけない」「必ず相手の親に聞くこと」と育てられている子も多い(でも日本人ほどじゃないけど)。

私も彼女の言動を観察していて、ニナともまた全然違うので
初めは「わお」とも思ったのだけど、しばらく観察していて気づいたことがある。

アナベルは自己肯定感が強い ということ。

相手の立場に立って、共感するというのは大切なことだけど
自分にとって普通なことを、忖度なく普通だとちゃんと主張できる。
自分の意見をちゃんと言える。

これって、すごく大事なことだと思う。

そして、人の指示を待たなくても自分で考えて行動していることにも気づいた。

もちろん子供だから、上手に立ち振る舞えているわけではないけれど
行動原理として「自分で判断して行動する」ができている。

アナベルの名誉のために補足しておくと、
好き勝手に振る舞っているようで、どこか気を遣っているのも感じるし、
育っている環境からなのか、上品さもある。

これまた他人の懐事情を推測するのは無粋だけれど、
まあ、一般的に言って普通以上の経済力のあるご家庭であることは間違いない。
だから、彼女のビジョンの中には、「経済的に苦労する」という感覚があまりわからないのではないかと思う。

これも、決してひがみで言っているのではなくて、
たとえ成長過程で紆余曲折あったとしても、彼女が成人してからも、今与えられている生活環境を当たり前の事として、引き寄せることができるのではないかと感じる。
(ついでに言うと、彼女は将来ファンドマネージャーみたいな仕事につくような気がするのだ)

人間、自分のビジョンにないことを、想像して現実化するのは簡単なことではない。


なんでこんな風に感じたかと言うと、、、
つい最近Netflixで「運命の子供たち」と言うドキュメンタリーを見たばかりで、
「生まれた定め」とその子供達が生きる使命について考える機会があったからだ。

なんとなく「恵まれている子は甘やかされている」という論調もあるように感じるけれど、だからと言って「幼い時から苦労に苦労を重ねた方が良い」というわけでもない。

私の育った家庭環境は荒れていたし、経済的にも全く楽ではなかったので
私は「自分が思い描いた未来を描く」という行為は思春期になる前にやめてしまった。
「願ったってどうせかなわない」という諦めが深く体を支配していたからだ。

このブロックを外すのは大人になってからもなかなか難しい。
ついでに自己肯定感もドーンと低くなる。
こういうストラグルから大人になっても抜け出せない人は少なくないはずだ。
(今自由にやってるじゃん、と人は思うかもしれないが、今私がカナダで暮らしているのは、この深い支配に対する激しい反動があったからと思ってもらえたらと思う)


なんにしても、苦労して育った子供、恵まれた環境で育った子供、
どちらも大人になった時に、経験が良い方向に働けば社会を変える大きな力になるはずだ。

アナベルとニナと娘の3人 個性も環境も異なる女子グループ
どんな風に育っていくのか、少しヒヤヒヤもあるけど楽しみだ!

ついでに「運命の子供たち」見てみてください。おすすめです!

*タイトル含め、実際より多少誇張している部分もあるので「読み物」として読んでくださいませ*









2020年9月1日火曜日

ハンター・ガール

娘:「鹿肉って美味しいの?」

ニナ:「すっごく美味しいよ、そしてすっごく悲しい」

娘:「鹿を殺した後、呪われないように塩をたくさん撒くの?」

ニナ:「うーん、塩を撒く時もあるけど、私のお父さんは必ず食べる時にお花を添えるの。

    それで、命をどうもありがとうってみんなで手を合わせてから食べるの」


娘の一番仲の良いお友達のニナがお泊まりにきた。
彼女はメキシコ人で3人姉妹の末っ子。

彼女のお父さんは狩りをするので、時たま姉妹みんなで森に入ることがあるそうだ。
一番上のお姉ちゃんがお父さんの右腕で、血抜きをしたり皮をはいだりするらしい。
ニナは、周りの掃除やお姉ちゃんの手伝いをする。

ハンターと聞くと、Tatooの入ったごっつい山男を想像するかもしれないけれど、
彼女のお父さんは小柄で、謙虚で、とても優しい人。

しかも、このご時世、家にインターネットをひいていない。
携帯電話もフリップフォン(ガラケー)
もちろんテレビもない。ネットフリックスもディズニーチャンネルとも無縁だ。
その代わりにしょっちゅうお父さんと一緒にハイキングやキャンプをしている。

この3姉妹、全員感心するほどいい子で
私がニナを送りに届けにいくと、親が仕事でいない時は
お姉ちゃんが出てきて「ニナを預かってくれてどうもありがとう」
と必ず言いにきてくれる。

言い忘れた。お姉ちゃんといっても10歳の女の子だ。

ニナもうちでご飯を食べたりすると
「お手伝いすることありますか?」と何度も聞いてくれるのだが、
ついには「私、洗い物しようか?」とまで言ってきたから驚いた。

これも、言わされているのではなく、彼女にとってそれが当たり前的な自然な言い方なのだ。

他人の家の懐事情を推し測るのは失礼なのだけれど、
彼らは物価と不動産の高騰によって、リッチ化したスコーミッシュでは珍しく
2ベッドルームのスイート(アパート)に暮らし、
あまり持ち物を持たない質素な生活をしている人たちでもある。

比べて私は今、縁あって新築の大きな家に住んでいる。
iPadなどのデバイスもあるし、家族全員がそれぞれデバイスに向き合って会話がない時間もそこそこある。その上、家族全員分のそこそこ高価な自転車や遊び道具もある。

つまり、必要な物、いや必要以上の物を持っていながらも、
特に今年の夏は、引越しのせいだと思いたいが、結局出番も少なかった。

それで、冒頭の会話に話は戻るのだけど、
先日お泊まりに来たニナと娘の会話を聞いていて、
なんか「私、生きる上で大切なこと忘れている気がする」とドキッとした。

「あなたは本当に満たされているの?今のこの瞬間を生きているの?」

と、聞かれたような気がしたのだ。

その後、その思いがさらに強くなる出来事があった。

お泊まりの朝を迎えてニナをお家に送りにいった時に、家族全員が出迎えてくれた。
一通り挨拶をすると、お姉ちゃん、お父さん、おばさんやいとこまでもが(たまたま居合わせたのだけれど)みんなで「ニナ!!会いたかったよ!!」と言って代わる代わるハグをする。

みんなキラキラの目をして
「ニナ戻ってきたー!大好きだよーーー!!!」と伝える。

その中でどういうわけか少し不機嫌そうだった、いとこのお兄ちゃんに、
ニナが「どうしたの?何かあったの?とりあえずハグしよう」と優しい微笑みをかける。

その光景を見ていて、なんだか涙が出そうになった。

「私は家族との毎日に、ここまで大きな愛が溢れているだろうか?」

人間が魂に還る時「経験と感動」しか持っていけないという。
社会的な地位やお金や物は持ってはいけない。(「金持ちが天国に行くには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉があるくらいだ。)

私は天国に持ってける「経験と感動」をどれだけあるだろうか?

もちろん他人と比べたって仕方がない。
私たちは私たち、ニナはニナだ。

だけれどもニナの家族には「足元を見つめる機会」を授けてもらったような気がする。

今日は罪滅ぼしの気持ちを込めて、iPadを閉じて子供達にポーカーを教えた。
洗い物をかけてポーカーで勝負!
悔しい〜!勝ったー!なんて言いながら過ごす時間。
少しだけ心が軽くなったような気がした。


森に落ちていた鹿の角