2015年4月16日木曜日

At a fork in the road :人生の分岐点

この間の皆既月食、すごいパワフルでしたね〜。
体調を崩した人も多いと聞きました。
私もご多分に漏れず、体もぐったり&depression気味なのに、その理由がわからず悶々としていたら、ご近所のママ友も全く同じ症状で、”皆既月食だねえ、これは”ってびっくりでした。皆既月食すごいねえ。

このあいだの満月+皆既月食は、古いもの(意識)を振り落とすような作用があったみたい。
目に見えないスピリットやソウルと久しぶりに共鳴したようなそんな感覚もあり、懐かしいような、新しいような感覚にフワーーっと包まれているような気分でした。
みなさんはどうでしたでしょう?

実は、まさにそのタイミングで、私たちにも大きな変化がありました。
5年住み慣れた今の家を出て、Squamish郊外に引っ越すことがきまりました。
まさかまさか、そのエリアに住むなんて考えもしなかった。
人生、本当にわからないものだー。
でも、心の中で描いていた暮らしに、一番近い家に出会えたような気がしている。
心で本当に願っていることって叶うし引き寄せられる。
つくづく不思議で、ありがたいことです。
ってまだ住んでないからわからないけれどね。

今回は、家から海が一望できる。海、見てるだけで心が緩みます。
Squamishは岩のグラウンディングパワーがすごかった。
今度は心をとろかしてくれるような海のパワーが暮らしの舞台になります。
これは、次にいっていいよーっていう合図だったのかもしれない。

しかし、こういう変化は私だけじゃありません。
私の周りのWhistler繋がりの友人の多くも、引っ越しや出産や新しい旅を控えています。
ほんとうに不思議なくらい、みんな動き出している。
偶然というか必然というか、そういうエネルギーが強まってるとしか思えない!!

長い間均衡を保っていた状態が、一つでも変わると、その変化が少しずつ影響しあって、新しいうねりがうまれる。
そのおかげで、自問するチャンスがきて、若干の抵抗のあと、見えなかった世界がみえてきたりする。新しい人達と繋がる。流れができる。
(ということを、英語ではGroup Dynamics=関係力学というらしい。)

今の状況とお別れするのは寂しいけれど、永久に同じなんてことは一つもない。
30代は、人生が豊かになるなあ〜。深さ広さともに想像を遥かに超えています。
花は、咲くことが全てではない。むしろ、散ってからなのだね。

2015年は、分岐点という説があります。
バシャール的には、素の自分が呼び起こされ、鈍感になっている心に”ほんとうの豊かさとはなんですか?”と問いかけるエネルギーが強い年だそうです。

その答えによって、人生の方向転換できるタイミングであり、
またそれぞれの世界が分離しはじめて、それぞれの世界を形成しはじめる、、らしい。

だから、素の自分らしさを求めて新しい環境に進むことを選んだなら、その電車に乗って突き進んでいきましょう。むしろ、その電車に乗るならいまのうち、
ということなのだそうです。

ウィスラーからずっと繋がっている友人に改めて感謝と、まわりの人達や、これを読んでくれているあなた、
それぞれがこれからも引き続き、奮闘あり、感動ありのすばらしき人生が待ってますように祈ります☆

2015年3月22日日曜日

魂の栄養:ライブパフォーマンスアート 

この2ヶ月、久しぶりにライブパフォーマンスを生でみにいく機会ができました。

最初の舞台鑑賞は、鼓童でした。
そう、日本の太鼓芸術集団の鼓童です。
鼓童は2年に一度くらいはバンクーバー公演があり、ついにいくことができました。
今まで鼓童って、男の人がフンドシで太鼓をドーンドーンって叩く、伝統的+男的ななイメージでした。
実際、舞台の最初はとても男性的で、男性がつくりあげている日本伝統という気配がしてきたあたりで、若干フェミニスト気味の私は斜に構えてしまいましたが、、、

しかし、いい意味で違った!

女性も活躍されていて、スパイスの役割を見事に果たされていました。
太鼓+演劇+歌+伝統の融合。見せる、魅せる芸術!
パフォーマンスアートとは、このことか!
という感じで、とても感銘をうけました。
お客さんもアジア人(日本人?)15%くらいでしたが、最後はスタンディングオーベーションで大きなオペラホールに拍手が響き渡っていました。
日本人が、文化の違うこれだけのお客さんを感動させられるってすごいこと。
ああ、言葉にすると陳腐だな〜 
私の語彙力のなさのせいで、鼓童のすばらしさが伝わらないことが残念だけど、
また次のツアーのときは見に行きたいな!

そして、もうひとつは、メヒコのギターデュオ、Rodorigo y Gabriela!
こちらはおととい行ってきたばかりの、行きたてホヤホヤです。
日本から来ていた吹奏楽部の14歳の姪っ子を連れて、夜のバンクーバーへと繰り出しました。
会場は、大きくすぎず小さすぎず、近すぎず遠すぎず、音もよく、アーティストの熱量も、観客の熱量も伝わってくるいいサイズの箱でした。

熱感、パッション、迫力、熱いビート、情熱を感じたーいと思っていたところ、そのすべてが凝縮されたライブでした。超絶ギターテクニック&ハーモニー!
ギター1本(というか2本)で、あんなリズムが刻めるなんて神業!

進行も行き当たりばったりで、フリースタイルなところもあり、それもまた小さなライブハウスっぽくていいじゃない〜。
観客の口笛とヤジの飛ばしっぷりもこっちのスタイルで盛り上がる!
いやーーーー良かった!!!Bravo!!! 魂がよろこんでるよ〜〜

Rodorigoのソロの時、”Gabiがトイレに行ってるあいだに一曲歌おう”とかって、RadioheadのCreepを熱唱しはじめたり(歌はカラオケレベルだけど、Rodorigoが単純に歌いたいから歌ってると思われる。そこがいい)して、観客も一緒に熱唱したのも楽しかったな〜

アンコールは代表曲のTamacunで2階席も総立ちで盛り上がりました〜!

この2人は、その昔約13万だけ持って、ストリートバスキングが有名だというアイルランドに乗り込み、苦楽を超えて今にいたるそうです。
2人は長い間恋人関係だったのだけど、お互いのささいなことで過剰反応してケンカが絶えず、苦しい関係が続き、2年前に恋人関係を解消して今はミュージックパートナーとして活動しているそうです。
なんか、そういうのもいいなあと思ったりした。

Rodorigo y Gabrielaはバンクーバーライブ初めてだったみたいで、そんな奇跡的なタイミングで、姪っ子と見に行けてよかった。神様、ありがとう!
ライブでエネルギーを使った後は、深夜までやっているケーキ屋さんにいってエネルギー補給。
ダブルチョコレートケーキをホットチョコレートで流し込む姪っ子がなんとも微笑ましい♡

私の方はというと、胸をつき上げてくる情熱をそのままに、、、、新しいギターを買うことにしました笑


ー芸術家の使命は、人間の心の奥底に光明を与えることである。シューマン(ドイツ)

またバンクーバー来てくださいね〜 お待ちしてます!


Rodorigo y Gabriela 去年の映像 質のいい暇つぶしになりますよ〜Check it out!
               ↓  ↓  ↓  ↓  ↓





2015年3月13日金曜日

Waldorf School 来年の進路と保護者面談

太陽が通っているWaldorf Schoolにて、保護者面談がありました。
Waldorf Schoolでは、キンダーの子供達が、フィジカル、メンタル、知能の面からグレードスクールにあがれるか、キンダーをもう1年する方がいいかを見極めるGood Gameというものがあります。

ウォルドフ教育のなかで、幼い子どもは右脳と左脳がまだ連携できていないので、その状態でいわゆる”勉強”をはじめても、正しく理解できないとされてます。
たとえば、対面して握手を求めて、ちゃんと右手を返せるとか、左右前後の空間で”中心”がわかっていて、中心でバランスをとることができるとか。
それらは右脳と左脳が連携しはじめていることのサインで、文字や算数を学ぶのに準備ができたと言えるそうです。それがだいたい6−7歳頃。

それで、Good Gameの結果と次の行き先とreadiness(適性)を聞くための面談にいってまいりました。

太陽は今年6歳になるので、公立の小学校だとグレード1になります。
でもWaldorfはキンダーを2年やることが多いので、Waldorfに入れておくと公立よりも1学年遅れることになります。

私の中ではもう1年Waldorfのキンダーにいれて、勉強ゼロでかまわないので、団体生活にもまれて、手先をよく動かして、シンプルなおもちゃと自然の素材をつかって工夫して遊んで、たくさん遊んでほしいなと思ってました。

我が子をみていて、実際、うるさいくらいアイディアが次から次から湧いてくるところと、”なければ作ればいい”、”壊れたら直せばいい”という発想を自然と身につけられるようになったのはウォルドフ教育の恩恵かなあ〜。

でもねー、いろんな兼ね合いから公立かWaldorfか迷いに迷い。。。

でも、先生と実際お話ししてみて、決めました。

来年もキンダーもう1年 Waldorf Schoolにてお世話になります。

決め手は、太陽の精神面で、言葉のハンデがあることから、周りについていこうついていこうとする姿勢がみられると。
この状態でグレードスクールに進むと、勉強も友人関係も自分はいつも”Behind"という気持ちがついてまわるよという言葉でした。

今度はクラスの中で一番お兄さんになって、自分より下の子にも接して忍耐も学んでほしいなあー。

やっと心が定まってほっとしたー。


あと一年、とにかく遊べ!!

2015年3月6日金曜日

珍夜特急

行く一月、逃げる二月といいますが、ええっ?!もう3月です!

1ヶ月もブログを更新しないなんて初めてかもしれません。
読んでくれている方がいるのかも怪しいですが、久々に書き散らかそう思います。

正直この1ヶ月、自分のブログを開く間もなく、ましてや人様のブログを読んだりする間もなく、時間がスルスルと逃げていくような1ヶ月でした。

その理由のひとつに、普段は夜に洗濯機を回しにくいので、階下に住む大家さんが長期外出中に、ECO MOON PADの草木染めをやりながら、ストックを増やそうと試みていたところに、、、

1月からはじめた英語のオンラインクラスの課題が想いの他多く、子どもが寝た後は、ミシンか英語かという日々をおくっていたうえに、、、、

ここ数年来のビッグチェンジがありそうで(というほどたいしたことないけど)、いろんな考えが行ったり来たり、グーグルさんにいろいろ聞いたりしてもう、頭も心もアップアップなのに、、、

さらに、読書にドはまりしてしまうという、頭がフル回転の1ヶ月でした。

最後の読書は、現実逃避できる娯楽の位置づけなので、寝る時間を割いて、子どもをそっちのけで読みふけってしまうほどでした。
今日は、そんなに私を魅了し、時間を奪っていったニクいあいつを紹介したいと思います。

その本の名前は、、、クロサワ コウタロウ著 「珍夜特急」

おい〜〜っ!っとツッコミたくなる気持ちはわかります。というか、ツッコんでいいです。
でもね、こちらの旅行記は、かの本と匹敵する程面白い!!
この本は、当時22歳の著者が、インドのカルカッタから、ポルトガルまでユーラシア大陸をバイクで横断する旅行記です。
その旅が一通り終わると、今度はアラスカからアルゼンチンまでのアメリカ大陸をバイクで横断する旅へと続きます。

ハプニング満載の旅行記は、読んでいると旅にでたくなるし、著書を通して旅をしている気分になれる。
とりあえずひとついえるのは、マリファナは世界中で愛されてるんだなあってこと笑

その本を読んでいたら、上記の”ビックチェンジのおける心の迷い”への答えがみえてきた。

人生にとって、大切なことってなんだろうなあーーって。
まだまだ子どもと一緒に、冒険していかないとな!っと、本の影響がっつりうけて(超単純)、早くもこの夏は子どもと3人で旅にでもでるかー なんてワクワクしてきました。

では、読書が一通り落ち着いたら、またブログアップしたいと思います。
ちなみに3月は去るらしいので、みなさんウカウカしないようにね。

2015年1月26日月曜日

心境の変化

5歳半の太陽は、わたしのことを”ママ”、ゆうじのことを”いーちゃん”と呼んでいました。
そう、3日前まえで。

だけど、3日前、急に太陽から、”これから、オカアサンとオトウサンって呼ぶ事にした”と宣言され、以来 わたしのことは”オカアサン”、いーちゃんのことは”オトウサン”と呼ぶようになりました。

毎回、いい間違えるんだけど、そのたび言い直す徹底ぶり。
もう、後戻りはしません!彼の中に、そんな覚悟が見えるのです。

急に言われる私たちの方だって、慣れません。
文字通りカタカナで呼ばれているような、四角い響きにとまどっています。
いーちゃんからオトウサンへの変容にいたっては、まるで別人のようだし、
オカアサン、オトウサンの響きが持つ責任をずしっと背負わされ、急に老けたような気すらしてきます。

ところで、なぜ”いーちゃん”になったかですが、、、。
わたしが、ゆうじのことを”ゆうちゃん”と呼んでいたのをマネたものの、まだ小さかった太陽は、”ゆ”が発音できなくて、”いーちゃん”になり、”ゆ”が言えるようになっても、”いーちゃん”のまま今に至ります。

最初は、いつまで”いーちゃん”でいくんだろうねーなんて話してました。
でも、5年も呼んでいると、 パパでもお父さんでもない”いーちゃん”という響きが、One and Only の、愛すべき呼び名になってくるものです。
ルナに至っては、生まれたときから彼女の父親は、”いーちゃん” であり、パパでもオトウサンでもないのです。

でもね、生きてる限りみな進化し、成長するのだから、おなじところに留まっているはずもない。
明日と今日は一緒ではないし。
この、雪の降らない、冬の大雨だって、5年前とは違う。
北極点がこのままずれつづけて、いつか雪がまったく降らなくなっても、受け入れるしかない。

ああ、息子は成長している。
生まれた瞬間から、子離れ親離れに向かって、緩やかな一歩を踏み出しているのね。
そして、それは、、、、なんだか寂しい。

”オカアサン”が消化され、”お母さん”になるころ、どんな成長がまっているのやら。

2015年1月7日水曜日

育児ヒーリング

お母さんしていると、子育てを通して小さいときの自分(インナーチャイルド)と出会うことがよくあります。

自分が小さいときは、置かれている環境が普通だと思っていたのでわからなかったけれど、自分の親にしてもらって嬉しかっことや、安心を感じたこと
また逆に、小さい時の私、かわいそうだったな、辛かったんだな、という感情に親になってみて気づいたります。

ハッピーな体験は、懐かしみながら、自分の子どもにも伝えてあげることができます。
でも、悲しい体験の再来は、悶々とした想いを抱えて、さてどうしようと一旦考えます。
実際の育児の日々は怒濤なので、そういう想いは一旦脇においといて、目の前の用事をこなしてみます。
それでも、癒えてない小さな私は、怒ってたり、悲しんでたりところどころで主張してきます。
しかも私の場合、”自分が子ども時代にしてもらってないことを、自分の子どもに要求されたとき”に、イライラするという形で現れることが多いのです。
子どもみたいな話ですよね。本当にそう、子ども心なんです。

ああ、そうか、自分の子どもに同じ想いをさせないようにしよう。
きっと、それが答えであり、メッセージなのだ。
そう思って、反面教師的に心に残っていること、例えば好きじゃないことを無理矢理やらされるのは嫌だったから、やめようとかーは割とすぐに子育てに取り入れることができます。
でも、もっと根深い感情は、私自身が癒えてないと、それを行動にうつすのは結構難しいものです。
理性で判断しても、心と行動がついてこない。
その究極が形が、ニュースになるような虐待などの負の連鎖のかなと想像すると、腑に落ちます。

そして、この年になってまで顔を出してくる、小さな私の主張は、気づいたからといって癒えていくものでもあません。
もちろん、大きな一歩を踏み出していることには違いないけれど。
でも、そういう気持ちを自分の親や周りのせいにして怒ってみてもどこへも進めないし、苦しいだけです。

じゃあ、どうしようか。
わたしは、インナーチャイルドに話かけてみました。
そして、インナーチャイルドがしてほしがっている事を、自分の子どもにしてみるのです。
これは、自分の子どものためだけではなく、私のために。

インナーチャイルドの声に耳をかたむけてみると、インナーチャイルドは声なき声で語りはじめます。

見ててほしい。
愛してほしい。
守ってほしい。
ひとりじゃできない。きめられない。

どうやら、自分の子どもと同じ年ぐらいの、インナーチャイルドがでてくるようです。

だから、
子どもを、毎日抱きしめて、どんなことがあっても好きだよと言う。
まずは、そんな簡単なことからはじめてみます。
これは、もちろん自分の子どもへの本心からの愛情ですが、
同時に小さな時の自分、そして母親になった自分への言葉でもあります。
 
じんわり、ハートが温かくなりますよ。

もうひとつ、わかりやすい例でいうと、
私は一人っ子で、鍵っ子だったのでいつもさみしくて、ずっと、兄妹がいる友達をうらやましく思っていました。
そう思いながら30年がたち、自分の2人目が産まれた時、私のインナーチャイルドはかなり癒されました。  

満たされなかった想いが、子育てを通して叶う事で、インナーチャイルドも癒えていくのでしょう。
ただ、気をつけないといけないのが、これは叶わなかった親の夢や期待を子どもに背負わせるという意味ではありません。
あくまでも、よりハッピーな子育てライフを送るため、子どもへの負の連鎖を断ち切るための、ひとつの方法です。愛のレッスンです。

お母さんは聖母ではありません。 完璧なはずもありません。
私もイライラしたり、怒りながら、日々なんとかこなしています。
そんな中で、子どもは私に、”愛するということ”を教えてくれています。
そして、私も、”愛されること”を学んでいます。

これは、海よりも深く、空よりも広い、人生かけてのレッスンです。
そして、インナーチャイルドを癒す大きなチャンスです。

ラッキーなことに、昔よりも子どもを大切にする時代になりました。
子どもと遊びながら、私自身も少しづつ癒していけたらいいなと思います。

お母さんが平和だと、世界は平和になる。そんな言葉を胸に刻みながら。

注:この記事は、小さいときの心の傷が深い人向けです。
ピン!と来る人にはくる、こない人にはこないかと思いますので、ご了承ください。

2015年1月3日土曜日

久々のReggage Tune!

新年あけましておめでとうございます 2015!

去年はいろいろと、特にタマシイの運命について”考える”1年でございました。
そして、なぜでしょうか、迷える子羊の方々にお話を聞く機会が多い1年でした。
声をかけていただけることは、ありがたいことです。

そして、同時に”自分の器”がよくわかった学びの年でした。
その人達が抱えている悩みや状況に対して、”私ができること”というのは限られていて、そして、それで良いのだ。という事をよく学びました。
この気づきは、電気が走るような衝撃でした。いや〜〜目からウロコ的な感動でした。

すいません、なんだか重くなってしまいそうなので、話題チェンジ!

Yahoo Newsかなんかで、窪塚洋介さんがレゲエ界で活躍されているというニュースをみました。いいね〜。そして、懐かしい!
という私も20代の音楽のお供はレゲエで、当時ウィスラーにいたウィスラーファミリーもみんなこぞってレゲエ&ダンスホールを聞いていたのです。
まだスノーボードもパークに行っちゃう勢いもある若い時。
やるぞ〜っと気持ちをあげてくれるのはもっぱらダンスホールでした。
というわけで、今夜のBGMは久しぶりにジャマイカンレゲエでいきたいとおもいます。

レゲエって、ほんと奥が深くて。
恋や夢を 歌うようなPopと違って、ジャマイカ社会への抵抗や批判をLove & Peaceをベースにのせて、打倒!搾取システムのメッセージをガンガン放ってくる。
それが私にはものすごく新鮮だった。
勝手に踊らされちゃうのに、心も打たれる。
煙のゆくえを追いながら、頭の中でリズムや言葉が響いて離れない。
”同士よ!立ち上がれ、声を上げよ、一つに なろう!”というメッセージをいつも秘めてていて、最近では三宅洋介さんが提唱していたチャランケに通じるものがある。

愛という眼鏡をかけて、世界を見る。

そんなことを教えてくれたのはレゲエと、仲間だったな。
大元を辿れば行き着く先は、もちろんBob Marley。

あーーー懐かしい!!

レゲエのライブもいい。一体感がすごい。
隣にいる人と、いきなりハグできるようなLove感。
バンドの生演奏なのもかっこいい。

昔は、テクノやトランスっぽい音も好きだった。
そういう音は、自分の中深く深くにはいっていく、個人の世界。

でも、やっぱり、周りの人と共感できるライブ、ひとつになるあの感覚、一番好きだな。
音楽ってすごいね。

日本のレゲエシーンも好きだなあ。
地上派ではながせない社会に爆弾落としてる歌いっぱい。
久しぶりにMightly Jam Rockみたー。
相変わらず社会にバックドロップかましててよい!

よしっ!
へたくそでも、ギターやピアノをこれからも続けていこう。
どんなときでも音楽は最高。音楽、やれるとこれまた最高。
子供達と、音を鳴らしていこうと思う2015年の年明けでございました。