5歳半の太陽は、わたしのことを”ママ”、ゆうじのことを”いーちゃん”と呼んでいました。
そう、3日前まえで。
だけど、3日前、急に太陽から、”これから、オカアサンとオトウサンって呼ぶ事にした”と宣言され、以来 わたしのことは”オカアサン”、いーちゃんのことは”オトウサン”と呼ぶようになりました。
毎回、いい間違えるんだけど、そのたび言い直す徹底ぶり。
もう、後戻りはしません!彼の中に、そんな覚悟が見えるのです。
急に言われる私たちの方だって、慣れません。
文字通りカタカナで呼ばれているような、四角い響きにとまどっています。
いーちゃんからオトウサンへの変容にいたっては、まるで別人のようだし、
オカアサン、オトウサンの響きが持つ責任をずしっと背負わされ、急に老けたような気すらしてきます。
ところで、なぜ”いーちゃん”になったかですが、、、。
わたしが、ゆうじのことを”ゆうちゃん”と呼んでいたのをマネたものの、まだ小さかった太陽は、”ゆ”が発音できなくて、”いーちゃん”になり、”ゆ”が言えるようになっても、”いーちゃん”のまま今に至ります。
最初は、いつまで”いーちゃん”でいくんだろうねーなんて話してました。
でも、5年も呼んでいると、 パパでもお父さんでもない”いーちゃん”という響きが、One and Only の、愛すべき呼び名になってくるものです。
ルナに至っては、生まれたときから彼女の父親は、”いーちゃん” であり、パパでもオトウサンでもないのです。
でもね、生きてる限りみな進化し、成長するのだから、おなじところに留まっているはずもない。
明日と今日は一緒ではないし。
この、雪の降らない、冬の大雨だって、5年前とは違う。
北極点がこのままずれつづけて、いつか雪がまったく降らなくなっても、受け入れるしかない。
ああ、息子は成長している。
生まれた瞬間から、子離れ親離れに向かって、緩やかな一歩を踏み出しているのね。
そして、それは、、、、なんだか寂しい。
”オカアサン”が消化され、”お母さん”になるころ、どんな成長がまっているのやら。
森と海と空がまじるOutdoor Capital of BC, Squamishから発信! Universe + Earth = Uniearth ここで出会った色イロ紡いでいきます。
2015年1月26日月曜日
2015年1月7日水曜日
育児ヒーリング
お母さんしていると、子育てを通して小さいときの自分(インナーチャイルド)と出会うことがよくあります。
自分が小さいときは、置かれている環境が普通だと思っていたのでわからなかったけれど、自分の親にしてもらって嬉しかっことや、安心を感じたこと
また逆に、小さい時の私、かわいそうだったな、辛かったんだな、という感情に親になってみて気づいたります。
ハッピーな体験は、懐かしみながら、自分の子どもにも伝えてあげることができます。
でも、悲しい体験の再来は、悶々とした想いを抱えて、さてどうしようと一旦考えます。
実際の育児の日々は怒濤なので、そういう想いは一旦脇においといて、目の前の用事をこなしてみます。
それでも、癒えてない小さな私は、怒ってたり、悲しんでたりところどころで主張してきます。
しかも私の場合、”自分が子ども時代にしてもらってないことを、自分の子どもに要求されたとき”に、イライラするという形で現れることが多いのです。
子どもみたいな話ですよね。本当にそう、子ども心なんです。
ああ、そうか、自分の子どもに同じ想いをさせないようにしよう。
きっと、それが答えであり、メッセージなのだ。
そう思って、反面教師的に心に残っていること、例えば好きじゃないことを無理矢理やらされるのは嫌だったから、やめようとかーは割とすぐに子育てに取り入れることができます。
でも、もっと根深い感情は、私自身が癒えてないと、それを行動にうつすのは結構難しいものです。
理性で判断しても、心と行動がついてこない。
その究極が形が、ニュースになるような虐待などの負の連鎖のかなと想像すると、腑に落ちます。
そして、この年になってまで顔を出してくる、小さな私の主張は、気づいたからといって癒えていくものでもあません。
もちろん、大きな一歩を踏み出していることには違いないけれど。
でも、そういう気持ちを自分の親や周りのせいにして怒ってみてもどこへも進めないし、苦しいだけです。
じゃあ、どうしようか。
わたしは、インナーチャイルドに話かけてみました。
そして、インナーチャイルドがしてほしがっている事を、自分の子どもにしてみるのです。
これは、自分の子どものためだけではなく、私のために。
インナーチャイルドの声に耳をかたむけてみると、インナーチャイルドは声なき声で語りはじめます。
見ててほしい。
愛してほしい。
守ってほしい。
ひとりじゃできない。きめられない。
どうやら、自分の子どもと同じ年ぐらいの、インナーチャイルドがでてくるようです。
だから、
子どもを、毎日抱きしめて、どんなことがあっても好きだよと言う。
まずは、そんな簡単なことからはじめてみます。
これは、もちろん自分の子どもへの本心からの愛情ですが、
同時に小さな時の自分、そして母親になった自分への言葉でもあります。
じんわり、ハートが温かくなりますよ。
もうひとつ、わかりやすい例でいうと、
私は一人っ子で、鍵っ子だったのでいつもさみしくて、ずっと、兄妹がいる友達をうらやましく思っていました。
そう思いながら30年がたち、自分の2人目が産まれた時、私のインナーチャイルドはかなり癒されました。
満たされなかった想いが、子育てを通して叶う事で、インナーチャイルドも癒えていくのでしょう。
ただ、気をつけないといけないのが、これは叶わなかった親の夢や期待を子どもに背負わせるという意味ではありません。
あくまでも、よりハッピーな子育てライフを送るため、子どもへの負の連鎖を断ち切るための、ひとつの方法です。愛のレッスンです。
お母さんは聖母ではありません。 完璧なはずもありません。
私もイライラしたり、怒りながら、日々なんとかこなしています。
そんな中で、子どもは私に、”愛するということ”を教えてくれています。
そして、私も、”愛されること”を学んでいます。
これは、海よりも深く、空よりも広い、人生かけてのレッスンです。
そして、インナーチャイルドを癒す大きなチャンスです。
ラッキーなことに、昔よりも子どもを大切にする時代になりました。
子どもと遊びながら、私自身も少しづつ癒していけたらいいなと思います。
お母さんが平和だと、世界は平和になる。そんな言葉を胸に刻みながら。
注:この記事は、小さいときの心の傷が深い人向けです。
ピン!と来る人にはくる、こない人にはこないかと思いますので、ご了承ください。
自分が小さいときは、置かれている環境が普通だと思っていたのでわからなかったけれど、自分の親にしてもらって嬉しかっことや、安心を感じたこと
また逆に、小さい時の私、かわいそうだったな、辛かったんだな、という感情に親になってみて気づいたります。
ハッピーな体験は、懐かしみながら、自分の子どもにも伝えてあげることができます。
でも、悲しい体験の再来は、悶々とした想いを抱えて、さてどうしようと一旦考えます。
実際の育児の日々は怒濤なので、そういう想いは一旦脇においといて、目の前の用事をこなしてみます。
それでも、癒えてない小さな私は、怒ってたり、悲しんでたりところどころで主張してきます。
しかも私の場合、”自分が子ども時代にしてもらってないことを、自分の子どもに要求されたとき”に、イライラするという形で現れることが多いのです。
子どもみたいな話ですよね。本当にそう、子ども心なんです。
ああ、そうか、自分の子どもに同じ想いをさせないようにしよう。
きっと、それが答えであり、メッセージなのだ。
そう思って、反面教師的に心に残っていること、例えば好きじゃないことを無理矢理やらされるのは嫌だったから、やめようとかーは割とすぐに子育てに取り入れることができます。
でも、もっと根深い感情は、私自身が癒えてないと、それを行動にうつすのは結構難しいものです。
理性で判断しても、心と行動がついてこない。
その究極が形が、ニュースになるような虐待などの負の連鎖のかなと想像すると、腑に落ちます。
そして、この年になってまで顔を出してくる、小さな私の主張は、気づいたからといって癒えていくものでもあません。
もちろん、大きな一歩を踏み出していることには違いないけれど。
でも、そういう気持ちを自分の親や周りのせいにして怒ってみてもどこへも進めないし、苦しいだけです。
じゃあ、どうしようか。
わたしは、インナーチャイルドに話かけてみました。
そして、インナーチャイルドがしてほしがっている事を、自分の子どもにしてみるのです。
これは、自分の子どものためだけではなく、私のために。
インナーチャイルドの声に耳をかたむけてみると、インナーチャイルドは声なき声で語りはじめます。
見ててほしい。
愛してほしい。
守ってほしい。
ひとりじゃできない。きめられない。
どうやら、自分の子どもと同じ年ぐらいの、インナーチャイルドがでてくるようです。
だから、
子どもを、毎日抱きしめて、どんなことがあっても好きだよと言う。
まずは、そんな簡単なことからはじめてみます。
これは、もちろん自分の子どもへの本心からの愛情ですが、
同時に小さな時の自分、そして母親になった自分への言葉でもあります。
じんわり、ハートが温かくなりますよ。
もうひとつ、わかりやすい例でいうと、
私は一人っ子で、鍵っ子だったのでいつもさみしくて、ずっと、兄妹がいる友達をうらやましく思っていました。
そう思いながら30年がたち、自分の2人目が産まれた時、私のインナーチャイルドはかなり癒されました。
満たされなかった想いが、子育てを通して叶う事で、インナーチャイルドも癒えていくのでしょう。
ただ、気をつけないといけないのが、これは叶わなかった親の夢や期待を子どもに背負わせるという意味ではありません。
あくまでも、よりハッピーな子育てライフを送るため、子どもへの負の連鎖を断ち切るための、ひとつの方法です。愛のレッスンです。
お母さんは聖母ではありません。 完璧なはずもありません。
私もイライラしたり、怒りながら、日々なんとかこなしています。
そんな中で、子どもは私に、”愛するということ”を教えてくれています。
そして、私も、”愛されること”を学んでいます。
これは、海よりも深く、空よりも広い、人生かけてのレッスンです。
そして、インナーチャイルドを癒す大きなチャンスです。
ラッキーなことに、昔よりも子どもを大切にする時代になりました。
子どもと遊びながら、私自身も少しづつ癒していけたらいいなと思います。
お母さんが平和だと、世界は平和になる。そんな言葉を胸に刻みながら。
注:この記事は、小さいときの心の傷が深い人向けです。
ピン!と来る人にはくる、こない人にはこないかと思いますので、ご了承ください。
2015年1月3日土曜日
久々のReggage Tune!
新年あけましておめでとうございます 2015!
去年はいろいろと、特にタマシイの運命について”考える”1年でございました。
そして、なぜでしょうか、迷える子羊の方々にお話を聞く機会が多い1年でした。
声をかけていただけることは、ありがたいことです。
そして、同時に”自分の器”がよくわかった学びの年でした。
その人達が抱えている悩みや状況に対して、”私ができること”というのは限られていて、そして、それで良いのだ。という事をよく学びました。
この気づきは、電気が走るような衝撃でした。いや〜〜目からウロコ的な感動でした。
すいません、なんだか重くなってしまいそうなので、話題チェンジ!
Yahoo Newsかなんかで、窪塚洋介さんがレゲエ界で活躍されているというニュースをみました。いいね〜。そして、懐かしい!
という私も20代の音楽のお供はレゲエで、当時ウィスラーにいたウィスラーファミリーもみんなこぞってレゲエ&ダンスホールを聞いていたのです。
まだスノーボードもパークに行っちゃう勢いもある若い時。
やるぞ〜っと気持ちをあげてくれるのはもっぱらダンスホールでした。
というわけで、今夜のBGMは久しぶりにジャマイカンレゲエでいきたいとおもいます。
レゲエって、ほんと奥が深くて。
恋や夢を 歌うようなPopと違って、ジャマイカ社会への抵抗や批判をLove & Peaceをベースにのせて、打倒!搾取システムのメッセージをガンガン放ってくる。
それが私にはものすごく新鮮だった。
勝手に踊らされちゃうのに、心も打たれる。
煙のゆくえを追いながら、頭の中でリズムや言葉が響いて離れない。
”同士よ!立ち上がれ、声を上げよ、一つに なろう!”というメッセージをいつも秘めてていて、最近では三宅洋介さんが提唱していたチャランケに通じるものがある。
愛という眼鏡をかけて、世界を見る。
そんなことを教えてくれたのはレゲエと、仲間だったな。
大元を辿れば行き着く先は、もちろんBob Marley。
あーーー懐かしい!!
レゲエのライブもいい。一体感がすごい。
隣にいる人と、いきなりハグできるようなLove感。
バンドの生演奏なのもかっこいい。
昔は、テクノやトランスっぽい音も好きだった。
そういう音は、自分の中深く深くにはいっていく、個人の世界。
でも、やっぱり、周りの人と共感できるライブ、ひとつになるあの感覚、一番好きだな。
音楽ってすごいね。
日本のレゲエシーンも好きだなあ。
地上派ではながせない社会に爆弾落としてる歌いっぱい。
久しぶりにMightly Jam Rockみたー。
相変わらず社会にバックドロップかましててよい!
よしっ!
へたくそでも、ギターやピアノをこれからも続けていこう。
どんなときでも音楽は最高。音楽、やれるとこれまた最高。
子供達と、音を鳴らしていこうと思う2015年の年明けでございました。
去年はいろいろと、特にタマシイの運命について”考える”1年でございました。
そして、なぜでしょうか、迷える子羊の方々にお話を聞く機会が多い1年でした。
声をかけていただけることは、ありがたいことです。
そして、同時に”自分の器”がよくわかった学びの年でした。
その人達が抱えている悩みや状況に対して、”私ができること”というのは限られていて、そして、それで良いのだ。という事をよく学びました。
この気づきは、電気が走るような衝撃でした。いや〜〜目からウロコ的な感動でした。
すいません、なんだか重くなってしまいそうなので、話題チェンジ!
Yahoo Newsかなんかで、窪塚洋介さんがレゲエ界で活躍されているというニュースをみました。いいね〜。そして、懐かしい!
という私も20代の音楽のお供はレゲエで、当時ウィスラーにいたウィスラーファミリーもみんなこぞってレゲエ&ダンスホールを聞いていたのです。
まだスノーボードもパークに行っちゃう勢いもある若い時。
やるぞ〜っと気持ちをあげてくれるのはもっぱらダンスホールでした。
というわけで、今夜のBGMは久しぶりにジャマイカンレゲエでいきたいとおもいます。
レゲエって、ほんと奥が深くて。
恋や夢を 歌うようなPopと違って、ジャマイカ社会への抵抗や批判をLove & Peaceをベースにのせて、打倒!搾取システムのメッセージをガンガン放ってくる。
それが私にはものすごく新鮮だった。
勝手に踊らされちゃうのに、心も打たれる。
煙のゆくえを追いながら、頭の中でリズムや言葉が響いて離れない。
”同士よ!立ち上がれ、声を上げよ、一つに なろう!”というメッセージをいつも秘めてていて、最近では三宅洋介さんが提唱していたチャランケに通じるものがある。
愛という眼鏡をかけて、世界を見る。
そんなことを教えてくれたのはレゲエと、仲間だったな。
大元を辿れば行き着く先は、もちろんBob Marley。
あーーー懐かしい!!
レゲエのライブもいい。一体感がすごい。
隣にいる人と、いきなりハグできるようなLove感。
バンドの生演奏なのもかっこいい。
昔は、テクノやトランスっぽい音も好きだった。
そういう音は、自分の中深く深くにはいっていく、個人の世界。
でも、やっぱり、周りの人と共感できるライブ、ひとつになるあの感覚、一番好きだな。
音楽ってすごいね。
日本のレゲエシーンも好きだなあ。
地上派ではながせない社会に爆弾落としてる歌いっぱい。
久しぶりにMightly Jam Rockみたー。
相変わらず社会にバックドロップかましててよい!
よしっ!
へたくそでも、ギターやピアノをこれからも続けていこう。
どんなときでも音楽は最高。音楽、やれるとこれまた最高。
子供達と、音を鳴らしていこうと思う2015年の年明けでございました。
2014年12月21日日曜日
サンタクロースのプレゼント ーサンタは欲しい物をくれる人?ー
まもなくクリスマスです。
街も住宅街もクリスマス一色。
ウィスラーもやっとまとまった雪が降って、より”クリスマスらしく”なってきました。
Squamishの郵便局では、この時期、”サンタクロース行きのポスト”が設置され、多分郵便局員の人達が書いてくれてると思うんだけど、ちゃんとお返事がくるのです。
うちの子供達も、サンタさんにお手紙かこう!と大張り切り。
ちゃんとサンタさんに伝わるように、欲しい物を絵付きで詳しく書いて、ルンルン気分で投函してました。
でもね、サンタさんって欲しい物をくれる人なのかな?
わざわざトナカイにのって、モールで売ってるおもちゃをくれるの?
望めば欲しい物をもらえるっていうのは誕生日でいいんじゃないかな?
って疑問がわいてきてしまって。
こちらの古いしきたりでは、サンタクロースは小人達と一緒に、世界中の子供達のために、とんかんとんかん、おもちゃを作り、クリスマスの夜にキャンディーやチョコレートと一緒に届けてくれることになっています。
サンタからのプレゼントは、ぬいぐるみだったり、小人が作ったシンプルなおもちゃだったり、編み物だったり、身の回りのわりと素朴な物。
現代で、そういう素朴な物をあげつづけるのは確かに無理があるかなと思うけれど、かといって、それなりの物をあげても、喜びはひとときで、数ヶ月すれば忘れてしまう。
自分の記憶を振り返ってみても、”サンタクロースが来た!”という喜びは覚えているけれど、何をもらったかは全く覚えてない。
なんかの記事で読んだけれど、サンタクロースがXboxを届けてくれた一方で、ミトンとニット帽しかもらえなかった子供が同じクラスにいて、子供がサンタクロースの不平等さを嘆いているそうだ。
どうやって埋めたらいいんだろうね、この心の溝。
どっちの子供もギフトを楽しみに、いい子にしているだろうにね。
私にはいい言葉がみつからない。
去年までは、うちの子供達もサンタクロースのギフトが素朴なものでも、すんなり受け入れていたんだけど(おじいちゃん、おばあちゃんに他にプレゼントをもらえたおかげもあって)、今年のプレゼントはサンタクロースからだけなので、いままでとはワケが違う。
夫婦で話した結果、 欲しいものが届かなかったら落胆するのは目に見えてるけれど、だとしても素朴路線でいこうということになった。
サンタさんは、その子にあったものを贈ってくれる人でいてもらおう。
欲しい”物”は、親ができるときに、よいと思えるタイミングで贈ってあげたらいいかなと。
本来、サンタクロースのギフトって、魔法にかかったような素敵なひととき。
さて、どうやったら、今年も魔法をかけてあげれるか。
サンタさんからのお手紙を工夫してみるか。
子供がいつか振り返ったときに、魔法にかかっていた自分を、愛おしく思ってくれたらいいな。
街も住宅街もクリスマス一色。
ウィスラーもやっとまとまった雪が降って、より”クリスマスらしく”なってきました。
Squamishの郵便局では、この時期、”サンタクロース行きのポスト”が設置され、多分郵便局員の人達が書いてくれてると思うんだけど、ちゃんとお返事がくるのです。
うちの子供達も、サンタさんにお手紙かこう!と大張り切り。
ちゃんとサンタさんに伝わるように、欲しい物を絵付きで詳しく書いて、ルンルン気分で投函してました。
でもね、サンタさんって欲しい物をくれる人なのかな?
わざわざトナカイにのって、モールで売ってるおもちゃをくれるの?
望めば欲しい物をもらえるっていうのは誕生日でいいんじゃないかな?
って疑問がわいてきてしまって。
こちらの古いしきたりでは、サンタクロースは小人達と一緒に、世界中の子供達のために、とんかんとんかん、おもちゃを作り、クリスマスの夜にキャンディーやチョコレートと一緒に届けてくれることになっています。
サンタからのプレゼントは、ぬいぐるみだったり、小人が作ったシンプルなおもちゃだったり、編み物だったり、身の回りのわりと素朴な物。
現代で、そういう素朴な物をあげつづけるのは確かに無理があるかなと思うけれど、かといって、それなりの物をあげても、喜びはひとときで、数ヶ月すれば忘れてしまう。
自分の記憶を振り返ってみても、”サンタクロースが来た!”という喜びは覚えているけれど、何をもらったかは全く覚えてない。
なんかの記事で読んだけれど、サンタクロースがXboxを届けてくれた一方で、ミトンとニット帽しかもらえなかった子供が同じクラスにいて、子供がサンタクロースの不平等さを嘆いているそうだ。
どうやって埋めたらいいんだろうね、この心の溝。
どっちの子供もギフトを楽しみに、いい子にしているだろうにね。
私にはいい言葉がみつからない。
去年までは、うちの子供達もサンタクロースのギフトが素朴なものでも、すんなり受け入れていたんだけど(おじいちゃん、おばあちゃんに他にプレゼントをもらえたおかげもあって)、今年のプレゼントはサンタクロースからだけなので、いままでとはワケが違う。
夫婦で話した結果、 欲しいものが届かなかったら落胆するのは目に見えてるけれど、だとしても素朴路線でいこうということになった。
サンタさんは、その子にあったものを贈ってくれる人でいてもらおう。
欲しい”物”は、親ができるときに、よいと思えるタイミングで贈ってあげたらいいかなと。
本来、サンタクロースのギフトって、魔法にかかったような素敵なひととき。
さて、どうやったら、今年も魔法をかけてあげれるか。
サンタさんからのお手紙を工夫してみるか。
子供がいつか振り返ったときに、魔法にかかっていた自分を、愛おしく思ってくれたらいいな。
2014年12月1日月曜日
Advent Garden
Waldorf SchoolでAdvent Gardenという イベントがありました。
アドベントガーデンとは、Waldorf Educationの冬の行事のひとつです。
暗くした部屋に、松の葉でスパイラル状の道をつくります。
そのスパイラルの中心には、火のついたキャンドルが置かれています。
子供達は、りんごキャンドル(りんごにさしたキャンドル)を手に、
そのスパイラルを歩き、中心でりんごキャンドルに火を灯し、
歩いてきたスパイラルのどこかに、そのキャンドルを置きます。
子供の数だけキャンドルが灯され、スパイラルがやさしく浮かび上がってきます。
Advent Garden。
これは、長い冬の闇を迎えるにあたって、”闇の中で心にあかりを灯す”という、
闇を迎える作業なのだそうです。
スパイラルは、心の奥への道。
子供達がスパイラルの中心近くに、りんごキャンドルを置いていくたび、
わたしのこころの奥、深いところに、ぽっと明里が灯る気がしました。
ギターの音色がかすかに響く部屋に、ゆっくりとした時間が流れ、
わたしは、子供がキャンドルをひとつ、またひとつ置いていくのをぼんやりと眺める。
キャンドルの灯りには、心を穏やかにし、頭を空っぽにしてくれる。
一番最後に、9さいくらいの女の子が、りんごキャンドルに火を灯しました。
彼女は、少しだけ迷った後、”決めた”という足取りで、スパイラルの中心から外側に向かって歩き出しました。
彼女は、スパイラルの入り口まで戻ると、りんごキャンドルをそっと置きました。
”心の奥への入り口はこちらです”
わたしには、彼女が明確な意図をもって、そこに置いたようにみえました。
長い冬。心は温かくして参りましょう。
アドベントガーデンとは、Waldorf Educationの冬の行事のひとつです。
暗くした部屋に、松の葉でスパイラル状の道をつくります。
そのスパイラルの中心には、火のついたキャンドルが置かれています。
子供達は、りんごキャンドル(りんごにさしたキャンドル)を手に、
そのスパイラルを歩き、中心でりんごキャンドルに火を灯し、
歩いてきたスパイラルのどこかに、そのキャンドルを置きます。
子供の数だけキャンドルが灯され、スパイラルがやさしく浮かび上がってきます。
Advent Garden。
これは、長い冬の闇を迎えるにあたって、”闇の中で心にあかりを灯す”という、
闇を迎える作業なのだそうです。
スパイラルは、心の奥への道。
子供達がスパイラルの中心近くに、りんごキャンドルを置いていくたび、
わたしのこころの奥、深いところに、ぽっと明里が灯る気がしました。
ギターの音色がかすかに響く部屋に、ゆっくりとした時間が流れ、
わたしは、子供がキャンドルをひとつ、またひとつ置いていくのをぼんやりと眺める。
キャンドルの灯りには、心を穏やかにし、頭を空っぽにしてくれる。
一番最後に、9さいくらいの女の子が、りんごキャンドルに火を灯しました。
彼女は、少しだけ迷った後、”決めた”という足取りで、スパイラルの中心から外側に向かって歩き出しました。
彼女は、スパイラルの入り口まで戻ると、りんごキャンドルをそっと置きました。
”心の奥への入り口はこちらです”
わたしには、彼女が明確な意図をもって、そこに置いたようにみえました。
長い冬。心は温かくして参りましょう。
2014年11月30日日曜日
静かなスコーミッシュから日本を想う。
2週間日本に行っていました。
たった2週間、されど、1年分くらいの出来事が詰まった、濃い〜滞在でした。
昔といっても、ほんの5年前まで、東京が嫌いだった。
人ごみ、空、建物、眠らない街、人工的な緑、全部嫌だった。
東京に行くと、頭がぐわんぐわんになって、ダウンしてしまっていた。
でも、どうしたものだろう。
今回は、そんなすべてが、東京という”アート”に見えてくる。
目に映るごちゃごちゃとした風景が、なんだか愛おしいものに見えてくる。
こんな風に感じたのは、日本を出てから初めて。
そういう風に感じたのは、
私にとって、日本は、もうしばらくは住む事のない場所であり、
また、”ふるさと”なのだ、と認めてしまったからなのかもしれない。
あるいは、この2週間は非日常なのだという開放感がそう見せるのかもしれない。
東京はめまぐるしい。
人はたくさんいるけれど、つながりたい人とつながる事は難しい。
でも、だからこそ、この人だ!という人と繋がれたときは、ミラクル。
シンクロニシティ、ギフト、以心伝心、必然、運命なんだと思う。
今回は、7−8年越しに会いたいと思っていた、屋久島でガイドをしている奈央さんのワークショップに参加して、ようやく奈央さんに会う事ができた。
初めましてというより、”再会”みたいなハグ。嬉しかった。
去年スコーミッシュでであった旅人、たばちゃんが、もともと奈央さんと知り合いというミラクルに、奈央さんのワークショップ”に参加したら、帰国中のたばちゃんがいるというダブルミラクル。
そこでたばちゃんが、徳島の歌姫、宮城愛ちゃんのCDをプレゼントしてくれて、
彼女の歌に、私だけじゃなくて、お義母さんも涙してしまうというミラクル。
今回、本当に予定がタイトで、正直誰にも会えないと思っていたけれど、
私の大好きな心友、みほちゃんと1歳の愛波に会えたミラクル。
そこに、オーストラリア在住で一時帰国中のメグちゃんが現れるというミラクル。
そして、家族。
お母さん、おばさん、おばあちゃん、ゆうじくんの家族。
特に家族は、あったときから、次に会えるのはいったいいつだろう?って考えちゃう。
そう思うと、もう切なくて涙がでそうになる。
どんなにSNSが距離を縮めても、実際にその人に会って、触れるのとは全然違う。
子供達にも、日本の日常を体験させることができてよかった。
近所のおじさんが竹林から竹を切ってきてくれて、じいちゃんとおじさんが一生懸命竹とんぼを作った。
AMラジオが流れる庭先。
ゆうじくんも混じって、孫のために、息子のために、竹を削る親子の姿。
なのに、どの竹とんぼも全然飛ばなくて、みんなで笑った。
首都高、JR中央線、立体駐車場、スーパー、マッチ箱みたいな団地 そんな全部全部が、懐かしくて嬉しかった。
東京に住んでいる人が聞いたら、”それのどこが?”ってきっと笑われちゃうんだけど
この一瞬一瞬がずっと続けばいいのに。
飛行機にのってたった9時間で、雨音しか聞こえない、静かな街にに戻ってきた。
時差ぼけがひどくて、1週間体内時計が狂いっぱなし。
治す気が失せる程のひどい雨で、時差ぼけに効くという朝日も、雨雲が隠してしまっていた。
いい加減、、、そんな声が頭に響きはじめていたところの
5日ぶりの久しぶりの晴れ。
森を歩いた。
太陽もルナも、飛び跳ねながら歩き慣れた森で遊びだした。
Rainforestの森は、まだ苔むしていてこけのじゅうたんが足に優しい。
その夜、WinlawとSunshine Coastで自給自足的ファーム暮らしをしている友達に再会。
熊や、エルクや、鹿をさばいた話や、地に足がついた暮らしー実際は大変そうだけど、想像する限りとても豊かな暮らしーを聞いていて、ああ、帰ってきたなあと自覚しはじめた。
翌朝の今日は、ものすごく寒い。初霜がおりて、そこらじゅう凍っている。
だけど、気持ちのいい快晴。
ゆっくり起きて、朝日を堪能しています。
これで、ようやくカナダモードに入ったかな。
いつもの、毎日がはじまりだした。
次は、もう少しゆっくり日本に行けたらいいな。
今回会えなかった人や、行けなかったところにも行けますように。
日本のみなさま、どうもありがとうございました。
宮城愛ちゃんの歌 素敵だよ〜!
たった2週間、されど、1年分くらいの出来事が詰まった、濃い〜滞在でした。
昔といっても、ほんの5年前まで、東京が嫌いだった。
人ごみ、空、建物、眠らない街、人工的な緑、全部嫌だった。
東京に行くと、頭がぐわんぐわんになって、ダウンしてしまっていた。
でも、どうしたものだろう。
今回は、そんなすべてが、東京という”アート”に見えてくる。
目に映るごちゃごちゃとした風景が、なんだか愛おしいものに見えてくる。
こんな風に感じたのは、日本を出てから初めて。
そういう風に感じたのは、
私にとって、日本は、もうしばらくは住む事のない場所であり、
また、”ふるさと”なのだ、と認めてしまったからなのかもしれない。
あるいは、この2週間は非日常なのだという開放感がそう見せるのかもしれない。
東京はめまぐるしい。
人はたくさんいるけれど、つながりたい人とつながる事は難しい。
でも、だからこそ、この人だ!という人と繋がれたときは、ミラクル。
シンクロニシティ、ギフト、以心伝心、必然、運命なんだと思う。
今回は、7−8年越しに会いたいと思っていた、屋久島でガイドをしている奈央さんのワークショップに参加して、ようやく奈央さんに会う事ができた。
初めましてというより、”再会”みたいなハグ。嬉しかった。
去年スコーミッシュでであった旅人、たばちゃんが、もともと奈央さんと知り合いというミラクルに、奈央さんのワークショップ”に参加したら、帰国中のたばちゃんがいるというダブルミラクル。
そこでたばちゃんが、徳島の歌姫、宮城愛ちゃんのCDをプレゼントしてくれて、
彼女の歌に、私だけじゃなくて、お義母さんも涙してしまうというミラクル。
今回、本当に予定がタイトで、正直誰にも会えないと思っていたけれど、
私の大好きな心友、みほちゃんと1歳の愛波に会えたミラクル。
そこに、オーストラリア在住で一時帰国中のメグちゃんが現れるというミラクル。
そして、家族。
お母さん、おばさん、おばあちゃん、ゆうじくんの家族。
特に家族は、あったときから、次に会えるのはいったいいつだろう?って考えちゃう。
そう思うと、もう切なくて涙がでそうになる。
どんなにSNSが距離を縮めても、実際にその人に会って、触れるのとは全然違う。
子供達にも、日本の日常を体験させることができてよかった。
近所のおじさんが竹林から竹を切ってきてくれて、じいちゃんとおじさんが一生懸命竹とんぼを作った。
AMラジオが流れる庭先。
ゆうじくんも混じって、孫のために、息子のために、竹を削る親子の姿。
なのに、どの竹とんぼも全然飛ばなくて、みんなで笑った。
首都高、JR中央線、立体駐車場、スーパー、マッチ箱みたいな団地 そんな全部全部が、懐かしくて嬉しかった。
東京に住んでいる人が聞いたら、”それのどこが?”ってきっと笑われちゃうんだけど
この一瞬一瞬がずっと続けばいいのに。
飛行機にのってたった9時間で、雨音しか聞こえない、静かな街にに戻ってきた。
時差ぼけがひどくて、1週間体内時計が狂いっぱなし。
治す気が失せる程のひどい雨で、時差ぼけに効くという朝日も、雨雲が隠してしまっていた。
いい加減、、、そんな声が頭に響きはじめていたところの
5日ぶりの久しぶりの晴れ。
森を歩いた。
太陽もルナも、飛び跳ねながら歩き慣れた森で遊びだした。
Rainforestの森は、まだ苔むしていてこけのじゅうたんが足に優しい。
その夜、WinlawとSunshine Coastで自給自足的ファーム暮らしをしている友達に再会。
熊や、エルクや、鹿をさばいた話や、地に足がついた暮らしー実際は大変そうだけど、想像する限りとても豊かな暮らしーを聞いていて、ああ、帰ってきたなあと自覚しはじめた。
翌朝の今日は、ものすごく寒い。初霜がおりて、そこらじゅう凍っている。
だけど、気持ちのいい快晴。
ゆっくり起きて、朝日を堪能しています。
これで、ようやくカナダモードに入ったかな。
いつもの、毎日がはじまりだした。
次は、もう少しゆっくり日本に行けたらいいな。
今回会えなかった人や、行けなかったところにも行けますように。
日本のみなさま、どうもありがとうございました。
宮城愛ちゃんの歌 素敵だよ〜!
2014年10月27日月曜日
つかの間の晴れ
バケツをひっくり返したような大雨
雷鳴がとどろき、稲妻が走る。
子供達は、口角を下げながら少し不安そうな顔で、おへそにぎゅっと手を当てる。
雨足はやむどころか、夜更けにかけて強まり、そのまま止むことなく、
朝を連れてきたのは太陽の光ではなく、雨音だった。
いつものSquamishの10月。
1週間降り続く雨、その間の、つかの間の晴れ。
強い雨のおかげで、木々の葉は落ち、
雲の間からところどころに見える山々の天辺は、もう真っ白だった。
冬の景色や空気が一瞬頭によみがえり、そして雲の中へと消えていく。
明日からまたずっと雨。
次の晴れ間には、また冬が濃くなって、息が白くなっていく。
長い長いカナダの冬、はじまりはじまり。
心は暖かくいたしましょう。
雷鳴がとどろき、稲妻が走る。
子供達は、口角を下げながら少し不安そうな顔で、おへそにぎゅっと手を当てる。
雨足はやむどころか、夜更けにかけて強まり、そのまま止むことなく、
朝を連れてきたのは太陽の光ではなく、雨音だった。
いつものSquamishの10月。
1週間降り続く雨、その間の、つかの間の晴れ。
強い雨のおかげで、木々の葉は落ち、
雲の間からところどころに見える山々の天辺は、もう真っ白だった。
冬の景色や空気が一瞬頭によみがえり、そして雲の中へと消えていく。
明日からまたずっと雨。
次の晴れ間には、また冬が濃くなって、息が白くなっていく。
長い長いカナダの冬、はじまりはじまり。
心は暖かくいたしましょう。
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