2020年4月8日水曜日

移動しないという贅沢

自主的な隔離状態が始まって4週間目を迎えたBC州です。

私達も散歩や自転車に乗りに森に行く以外は家にいます。
平日の朝の10時〜3時までのスケジュールを組み、
子供が学校のことをやっている間に仕事して、
できる時は夫と交代して子供の相手をしたりしながら、
なんだか気がつけば今日も3時になった。

そんな感じです。

子供も、次何やるんだっけー?と自らスケジュールに沿って動くようになってきたので、少し前の
”何の枠組みもない、何していいかわからない日の連続”
よりはかなり調子よいです。

子供とずーーーっと自宅にずっといるなんてやったことなかったから、
私も子供もメンタル的にも大丈夫かなあと始まった頃には思ったのだけど、
これが実は、今まで抱えてたストレスから開放されて、わりとのびのびと過ごせているから自分でもびっくりです。






話変わりますが、私達は去年の秋から家を売りにかけてます。
ようやっと、3月の頭に交渉が成立しかけたのに、パンデミックに突入してお流れになりました。

家を売りたかった理由は大きく2つあって、
その1つは、私が「移動に疲れ果ててしまった。」ということでした。

我が家はスコーミッシュから15km離れたコミュニティーにあるので、
毎日子供関係の事で1日2往復は当たり前、ひどいと4往復するような時もあります。

さらに、子供の用事や習い事で、
スコーミッシュで時間を潰すことも多くて、そのため外食と出費も増えるという日々。
そこに自分の用事が入ると、さらに時間のやりくりが難しくなる。
いつも時間に縛られている。そういうフラストレーションが溜まっていました。

私としては子供のスポーツやアートは本人たちの意思がある限りは応援したいし、
そこにプレイデートやなんやかんや入ってくるので(←あまり乗り気ではないが)
夫に協力してもらいながら頑張っていたのだけど、
去年の春には、ぼーっとしすぎてハイウェイを逆走するというヘマをやらかしました。

あーもーだめだーーー。
これ以上、車じゃないとどこにもいけない場所に住んでるのは無理だわ。

そう思ったのがきっかけでした。

私の家の名誉のために言うと、うちはなかなかユニークな立地で、
プライベートロードの行き止まりにあるので、直接のお隣さんは1軒だけ。
そのためプライベート感があり、ガーデンもでき、日当たりの良い海が見えるおうちです(築50年だけど)。





つまり、今みたいな事態には、引きこもるには持ってこいの環境。
どこにも運転しなくていいし、森くらいしか行く場所もなく、人と合わなくていい。
子供同士の約束や用事のアレンジもしなくていい。
家事や掃除も詰め込むことなく、ミニマムに過ぎていく。
子供にかまえる時と、かまえない時でいうと、かまえない時の方が多いし、
いいお母さんじゃない時も多いけど、まあ子供もなんとかやっている。

この今の感じが
すっごい楽。
ストレスが、がくっと減ったのを感じます。



家からの秋の夕暮れ


今までの生活が、無理があったんだよね。
心と身体が、「やめてーー、無理だー」って言っていたのに、
世の中も止まらないし、私も止まれなかった。
特に私は、1日にあんまり多くのことをこなせるタイプではないし、
そんなにソーシャルでもないから、あのスピード感と選択肢の多さはきつかった。
そう思っているのは、私だけではないでしょう。

かといって正直、今の状態をこれでよかったんだ。と思えるほどの生活事情ではないのだけれど(うちは飲食業なんでモロに影響受けています)、とりあえず今日は生きれてる。家がある。食べ物がある。家族が揃ってる。

そう思いながら庭で寝転んでいると、どうにかなるような気がする。

そんなわけで、今こんなに家ライフが充実しているのなら、
「売る」を前提に考えなくてもいいや、と思って、
今日もにんじんやお豆の種を直播きしました。
お花の種もいろいろ撒きました。



ワイルドフラワーのガーデン



豊作だったおいも





時間がゆったりと過ぎていくから、
木々や鳥や空の微妙な変化にも気づく心でいられます。
小さな世界で意識してないとわからないような小さな変化を重ねながら、日々が巡ってくる。
思い起こせば、子どもたちが小さい頃は、日々そんな感じだったなあー。

うっかりすると、世界がパンデミックだということを忘れてしまいそうな、
穏やかな小春日和の中で思うのは、

世の中すでにInfodemic状態なので、右にも左にも振られすぎずに、
自分の目線で、自分の窓から見える世界を広げていかないとなと思います。





私達の目の前にあるのは、自分の前に広がる「今この瞬間」という現実だけです。
右も左(あるいは相対する情報)も共に「恐怖」という概念をベースに、
右がなければ左が立たないという相互関係にあるそうです。
(なんとなく伝わるといいのですが。)

わたしはその両方から戦線離脱する方向で舵を切りたいと思ってます。
私にあるのは、目の前の景色や家族やコミュニティーです(引っ張られることもあるけどさ)。

毎日を淡々と。粛々と。
予防を欠かさずに。
先が見えないのはなんだけれど、わからなすぎるから、今にフォーカスするしかない。
そういう体験をできていることは貴重だなと思います。

移動できないというこの時間の中で、大切なことを取り戻し、気づけた気がします。
もちろん、世界中で外出できない人達や、いろんな生活環境下にある人の中では、私の今の生活環境は恵まれていると思います。
近い将来、手放さなければならないことになるかもしれないから今を大事に、と
足元をしっかり照らされた気分です。

この事態が早く収束することを願っています。









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