2017年12月13日水曜日

バウンダリーを教える。

北米は”個”を大事にすると言われている。
特にカナダは、様々な文化背景が入り混じっているので、
ライフスタイルや見た目が自分と違うからといって、
からかったり否定したりするのはタブーとされている。

そして、カナダで子育てをしていてよく感じるのは、
親が子供に、”バウンダリーの大事さ”を教えていること。

バウンダリーといっても、自分と外との境にきっちり線を引きなさい、ということではない。

バウンダリーというのは、
人それぞれ、目に見えないエネルギーフィールドのように、
自分と外の世界を区別する境界線があって、
バウンダリーがわかると、
自分の好きな感覚、嫌な感覚、人との快適な距離感がわかるようになる。というもの。
それがわかると、自分自身を理解することができ、自己肯定感や自信も育つ。

子供はよくケンカをするけれど、そういう時も、
お父さん、お母さん、兄弟姉妹、友達、みんなそれぞれバウンダリーがあるから、
そのなかにグイグイ入って近づきすぎたら、嫌がられるし、
逆に、誰かが近づきすぎて、居心地がよくなかったら、"No"って言ってもいいんだよ。
だから、人それぞれのバウンダリーをリスペクトしようね、というように。

実際、学校の先生や親が”Please respect her boundary" とか、
"Boundary is important for her" "Give him own space"って言うのも耳にする。

私が日本で育った時には、こういう感覚は全くなくて、
むしろ、日本は自分の気持ちを置いてでも、”いいよいいよ、と人に譲る文化”だったと記憶している。

今も言われているのかどうかわからないけれど、
北米は”Noをはっきり言う文化”という印象があるかもしれない。

でも、私の知る限りBC州の人たちは、あんまりNoと言わない。
割と譲り合うし、言いにくいことは遠回しに言うし、気を使う感覚は日本人のそれと変わらない。
人やコミュニティーに対する優しさ、広さと深さも、変わりない。(もちろん人によるよ!)

ただ、必要な時はNoと言ってもいい。
自分の気持ちを大事にしても良い。
人がどのような道を選んでも、それはその人の人生。
あなたと私は違う人間、違うことを受け入れる。

その上で、私はあなたをリスペクトするし、あなたにも私をリスペクトしてほしい。

という価値観はしっかりある。
それが、"At your own risk"とか"Cross line"という言葉の正体。

そして、私はこの考え方が好きだ。

人間も動物も、みんなそれぞれバウンダリーを持っている。
目に見えないだけで、自然なこと。
だからバウンダリーも、心や愛と同じくらい大事だなあって思う。

もしかしたら、これが、
個人主義と言われる元になっているのかなあと思ったりもするけれど、
私が育った頃の日本は、
自己犠牲の上に成り立つ優しさが多かった気がするから、
一度この概念がしっくりくると、
そんな我慢してまで、無理することないんだよーー って思う。
バウンダリーの感覚が育つと、人間関係もシンプルになってくるよ。

さて、私もカナダ暮らしが15年近くになってきたので、
見た目と言葉は日本人でも、考え方が半分カナディアン化していることは否めない。

春に日本に帰りますが、半分カナディアンだと思って接してくださいね笑。







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