2013年11月25日月曜日

時間泥棒には、魔法の棒を!

太陽が、流木と輪ゴムを使ってパチンコもどきで遊びだした。
パチンコ玉のかわりは、ミニスケート。

わたしたちが教えたわけではなく、
ゆうじが拾ってきた家中にゴロゴロしてる流木を、毎日眺めたり持ったりしているうちに自分でひらめいたようだ。

輪ゴムがうまいことひっかかる溝がなくて、なかなか上手に飛ばせない。
木に、ナイフで切り込みをいれてやる。
それでも、木の棒と、輪ゴムの張力のバランスをとりながら、ミニスケートを輪ゴムにかけるのは、4歳児には難しい。





その日の午後、太陽は同じ流木と紙でモクモクとなにかを作っている。
どうやらガーデンを作っているらしい。
(ガーデンに見えないけど、ま、そこはおいといて)

そのガーデンにみかんと、いちごと、ブルーベリーと、ぶどうがうわっている。



”自然の素材を何かに見立てて遊ぶ”方法は、ウォルドフ教育の中で、軸になっている考えではあるのだけど、実際自分の子供がやっていると、軽い感動と驚きを覚える。


こういう創造力/想像力を、遊び方が指示されてる「出来上がったおもちゃ」で壊してしまうのはもったいない(そのうえ、拾ってきた棒で満たされるなんて、安上がりこのうえない)

なによりわたしがすきなのは、想像は「無限」で、そして「夢」があること。
「ただの棒切れ」がなんにでも変身する「魔法の棒」になる可能性!

最近ミヒャエルエンデの「モモ」を読んだ。
そのなかで、時間泥棒にそそのかされた大人達が、時間を節約するために、子ども達と遊ぶ時間を節約し、かわりに「出来上がったおもちゃ」を与える、というくだりがある。

時間泥棒とは、大人や子どもから時間を奪い取るために、無駄(=空想したり、会話したり、ゆっくりする時間)をどんどん節約させるように仕向ける灰色の集団のこと。
時間泥棒の一番の強敵は、空想好きで無駄なことばかりする子ども達。
しかし、子供達もいつしか筋書き通りの遊びをさせられ、自分で考えて工夫することができなくなっていってしまう。。。

「モモ」は1970年代に書かれたおはなしだけれど、未来を予見していたかのよう!

これからますます、クリックひとつでなんでも分かる時代が加速していくから、
自分で考えて工夫することを積極的にやっていかないと、情報に翻弄させられるか、パソコンなしでは生きていけなくなりそう、というかなるでしょね。

かくゆうわたしも、太陽やるなに尋ねられてわからなかったり、子どもとの遊び方のアイディアほしかったりするとすぐにググってしまったり、「それできない。」とかって考えることすらしないことが多々。自分で考えること忘れてる!

今の子どもに必要なのは「退屈すること」なんていう話も聞くし。
それは子どもだけじゃなくて、大人も、なんだろうけれど。

Hi-speedで物と情報が溢れている時代だからこそ、なにが心を豊かにするのか、
わたしのなかでもバランスちゃんととっていかないとな。

流木は、夜にはキティちゃんのお家になりました、、、とさ!


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