2012年3月17日土曜日

こどもの教育 

太陽くん、まもなく3歳になります。

いやはや、このくらいの年は大変だけれども、かわいいですね。
赤ちゃん~幼児のあいだはひたすら目が離せないことの連続だけど、最近はある程度自由に行動させてあげれるようになりました。
なにしろ、会話ができるのがよい。

そして言葉がわかるようになってきた分だけ、親も接し方や行動には気をつけなくちゃいけないなあ~と日々反省。

さらに、幼稚園(こちらではpreschoolといいます)のことが頭をかすめるようになり、じゃあどんな教育を受けさせたいだろう?って毎日のように考えてます。

別に、英才教育、早期教育とかウォルドフに行ってるからといって、シュタイナーじゃなきゃ!というわけでもありません。

「教育」って生きていく力を育てることなのかなあと思う時があります。
というのも、都会育ちの私に圧倒的に足りないのは、”生きていく知恵”だなあと度々痛感することがあるからです。
わたしの家は、おばあちゃんの世代から3代東京都民だったので、わたしの母も”先人の知恵”はあまりもっていない。考えるよりも与えられることに慣れているともいえます。
逆に田舎で育ったゆうじや友人は、小さい時の遊びを通して生きていく知恵が身に付いてることが多い。
たとえば、果物や野菜の苗の形を知ってるとか、工夫の仕方、鳥の捕まえ方、魚のさばき方だとか。

わたしの小学校時代は、学区が東京の高級住宅地だった(うちははずれの商店エリア)ので、ベネトンだとかイッセイミヤケの服が流行っていて、それを持てないと恥ずかしいみたいな、変な小学生時代でした。旬とか野菜の育ち方とか知らなかったですね。
子どもらしく、”手足思いっきり伸ばして遊ぶ”ということがなかったかもしれない。

だからといってパブリックの学校がダメだとかじゃないけれど、こちらのパブリックスクールにたまに行くと「うーむ。なにも考えずここに入れてもいいんだろうか?」とうなってしまう点もありまして。

耳にあたらしい”ゆとり教育”にせよ、教育って子どもの人格への影響力がかなりありますね。
食べ物やエネルギーと同じ様に既存のシステムに疑問もって、自分の暮らしに照らし合わせて考えたりひらめいたりしてかないとなと思ってます。
「親がしっかりしてれば、学校なんて関係ない!」とも言い切れないのが教育と周りの環境かなあ、と。

まあ難しいことおいておいても、シュタイナー教育は、パブリックのカリキュラムとは進み方が違うけど、心と体の成長と学びが一致しているところがおもしろいなあと思いました。
例えば10歳頃 ”測る” ことを学ぶそうです。
なぜなら、10歳ごろになると、人間関係の距離を測るようになるから。

足し算、引き算、かけ算、割り算もパン作りのお話のなかに取り入れて、全部一緒に習います。

小麦粉、バター、塩など数種類の材料を足して、間違えて多く入れすぎたものをひきます。
できたパンを村人みんなでわけたら、ひとり◯個ずつもらえました。

といったぐあいに。

また最近では、いわいる授業というのがなく、自然や作業を通して全体を学んでいくAlternative Educationというのも耳にします。自由教育、FREE SCHOOLとかいうのかな。
に本だったら南アルプスこどもの村小学校
BC州にもThe whole schoolというのがあるみたいで見に行ってみたいなあ~。
子どもは、森や海や自然と最高に相性がいいから、たくさん遊んでほしいな。

ドリルができるよりも、大人のマーケットにふりまわれるよりも、
家と学校であまり矛盾のない環境で 大切なことを学んでほしいなあ。
特に、わたしが学んでこなかったことを

まあ、閉ざされた環境に閉じ込めてるのも不健康だとも言えるし、親の思う通りに行かないのが子どもだけど!

リサーチしていきまーす!

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