2015年9月16日水曜日

薪ハンティング

秋です!

日に日に、日差しが、森が、熟成された色になってきましたSquamish BC。 
ただいまの気温10度でございます。






BC州の季節は、ある日突然入れ替わります。
数日前まで夏だったのに、今日はもう、空の奥に冬を感じる。

うちには暖炉しか暖房設備がないもので、
薪が少ないという危機感が、急に現実味をおびてきました。

というわけで、ここ最近ちょくちょく薪取りにいっています。

このエリアは、薪をとっていい許可をオンライン申請もらえます。
許可があれば、林業の伐採跡地に落ちて転がっている木を拾って、薪にしていいことになってます。





太陽はやる気満々。
薪と暖炉は俺の仕事。
家では文句ばっかり言っているけど、”俺の仕事”の時は、いい仕事してくれます。

娘の方はというと、足を守るためにジーパンを履かせたい母と、
スカートしか履きたくない娘との、
出発直前のバトルで、号泣のため基本やる気なし。


ロギング跡地って、結構殺伐としています。
そんな中で、おちている木々を使って遊ぶ子供達をみるとほっこりします。























るな作 こびとの家


太陽:建てるならでかく!





 暖炉のある生活。
憧れていたけど、やっぱりいいですね。
火の暖かさは、電気にはない温もりがあります。

森と近くなれるのも嬉しい。
木のおかげで暖がとれているありがたみを知り、
家族で森にいき、森について話すきっかけをくれる。
木の種類についても少し学びました。

木は3回、人を温めてくれるそうです。

1回目は薪取り
2回目は薪割り
3回目は薪を燃やすとき。

太陽は、薪取りも好きだけど、父ちゃんが薪を割っているのを見ているのも好きです。
小雨の降る中、日がくれても、ずっと見ています。
薪をどう燃やすか考えるのも好き。

森と暮らしが繋がっている暮らしって、やっぱりいいなあと思います。
子供達にとっても、教科書以上の学びがあります。

しかし、気になることも。
今日薪を取りにいったエリアは、長い間スキー場の開発(Garibaldi at Squamish) のターゲットになっている森なのですが、かなり伐採されていました。

スキー場建設には、反対意見も相当数(私もその1人)で、まだオフィシャル着工になっていないはずなのに、森を切り開いて送電線の施設を作ろうとしている形跡があったりして、複雑な気持ちになります。

林業がメインのカナダにおいて、ポジティブに考えれば、
ロギング跡地の薪取りや、材木工場の廃材をもらうことは、
森のリサイクルになるんだなあと思いましたが、
同時に、ロギングや開発に思いめぐらす気持ちもあり、いろいろ考えさせられます。


いろんな気持ちを置いておいて、好きか嫌いかでいえば、暖炉は最高!
暖炉初心者の私たち。
焚き付けの際、新聞紙ではなくて、おがくずでできている着火材が調子いいことを知りました。
私たちの暖になってくれる木々。残さず利用させてもらいます!
その作り方(需要があるかわかんないけど)を、またアップしたいと思います。





2015年9月3日木曜日

HAKU

実家の猫が旅立った。

18年前の夜のこと。
うちの前の道路に、小さな塊がポツンと落ちていた。
ネズミかと思ってよくみたら、耳の大きな死にかけの子猫だった。
周りをみてみると、子育て中の母猫がいた。
死にかけのその子のことは、目に入らないのか、見捨てたようだった。

片手の手のひらよりも小さい子猫は、かろうじてまだ息をしていた。

あれから18年。
私が一緒に暮らしたのは3年ほどで、あとの15年は母と暮らしていた。
臆病で、ちっぽけで、目の大きな、かわいい子だった。
18年も、よく生きた。

母は言った。

赤ちゃんは産まれると、ふぎゃあー!と産声をあげる。
産まれることは、息を吸い、おもいっきり吐くことなのだ。

しかし、命の最期が近づくと、取り入れる(吸う)ことはできても、出す(吐く)回数が減ってくる。
おしっこもうんちもでなくなる。
毛玉を吐き出したくても吐き出せなくなる。
最期を完璧に全うするだけのエネルギーをわずかに補給して、排出することなく枯れていく。
それは、とても美しい姿だと。

だから、息を吐くこと、排泄すること、泣いたり笑ったり感情を出すこと、話すこと、
自分を出す=表現すること、

それらの、はきだすという行為は、生きている証なのだと。



今でも鮮明に、あの夜のことを覚えているのに、あれから18年も経ってしまったなんて信じられない。

その間に、
私にも子どもができ、新しい命が産まれた。
それはつまり、別れもあるのだ。
命は循環している。

18年なんてあっというま。

そんなメッセージを、あの子は私に遺していった。

これからも、私なりに人生を表現していきたいと思う。
吸う(吸収する)ことに偏りがちな現代だけど、みなさまも、どんどん表現していってね。
いっぱい生きよう!

LIVE, LAUGH, LOVE  LIFE!


R.I.P みゅーちゃん。

2015年8月13日木曜日

鳴らない電話

なんだか、恋人達のすれ違いみたいなタイトルにしてしまった!
懐かしいねえ〜そういう気持ち。
いいねえ〜

って、ではなくって!

昨日わたし、久しぶりに夕方にヨガにいったんです。
ヨガスタジオで、携帯をサイレントモードにして、久々のヨガタイム楽しみました。

で、午後7時。家に帰ると子供達とゆうじがいませんでした。
うちから10km先のFurry Creekに釣りに行くといっていたので、ああ、トラックで行ったんだなあと。

それじゃあと、久しぶりに1人でおうちで好きなようにご飯を食べ、ネットをみながらダラダラ過ごしました。至福の時です。
やがて、空が夜に向かいだし、遅いなあ〜なんて思いながらも、まだダラダラと洗濯物をたたんでいました。

いよいよあたりが暗くなり、フト時計をみたら9時半。
いい加減遅いとおもって、携帯を開くと、テキストと履歴の嵐。

そして午後8時に、”たすけて! 充電5% 届けテレパシー” の文字が。

そうです、サイレントモードを解除していなかったんです。
心臓がバクバクいい、ぞぞーーっと冷たい風が体を駆け抜けます。

どうやら、Furry Creekでトラックが動かなくなり、携帯の充電もなくなり、身動きがとれないとのこと。

ひゅうう〜〜、それだけかあ、あーーーーよかった!

場所をテキストしてくれていたので、速攻向かうと、泣きつかれた子供達がトラックの座席で寝ていました。

あーーーもーーーほんとごめん!!!

1時間半、”ママがきっと気づいてくれるから信じようね”って励ましあって待っていたみたい。。。

でも、”どうしてママ電話にでてくれないの?”ってルナが最初に泣き出し、
太陽はずっとなだめてくれていたのだけど、
最後の方でいよいよ不安に耐えきれなくなって、泣いてしまったとのこと。

喉がカラカラに乾いて、つらかったこと、
ママが来てくれるって、信じて待っていたこと
眠くて疲れて、早くベットで寝たいこと

そんなことを、汗と涙でぐちゃぐちゃの顔で話してくれました。
太陽は6歳になり、私を求めて泣くことがなくなったので、久しぶりにみた涙でした。

成長したなあ〜 我が子!

嬉しいよ、かあちゃん。

さて、トラックはというと、車屋さんにTowingされ、今”宣告”待ち。
どうやら、軽症ではないような雰囲気が漂っている。
最近、ゆうじのトラック、エンジン不調だったので、いよいよ寿命(1992年式 Dodge Diesel35万キロ)かなあ〜。。。

実はゆうじが子どもとトラックで出かけると言った時、
なんだか嫌な予感がしたので一度止めたのだけど、虫の知らせだったんだね。
まあ何事もなくて無事でよかった!

鳴らない電話、みなさんもお気をつけあれ!

2015年7月7日火曜日

燃えている!

雪の降らない冬から、雨の降らない夏に突入したCoastal BC。
13年、カナダで暮らしていて、一番ドライな夏。
Drought(干ばつ)なんていう言葉も聞こえてくるほど乾いています。

ここへきて大規模山火事が頻発しています。
乾燥と強烈な日差しに加えて、強風もあって、火の勢いは増しているそうです。
3つの大きな山火事が半径100km圏内(カナダ的距離でいえば近い)で起こっているので、対岸の火事ではありながら、のんきに傍観するほど人ごとでもないので、ドキドキする。

今日はSquamishに山火事の煙が押し寄せて、視界200m先が見えない状態でした。

Air Qualityは最低の10。(←この数値はじめてみた)
ウィスラーは最低よりも上の11(←最低に上があるなんて知らなかった)

家で窓閉めていても、喉イガイガ、目はシパシパ、鼻水はとまらないし、かといって外にも出れない。
庭にはうっすら灰がつもり、もちろん煙い。
いつもは強い風の吹くSquamishが、無風のため煙はたまる一方で、どんどん視界が悪くなる。どこにもでれない、どうにもできない。
そんなこんなで気持ちも体も苦しくなって、ややパニックになってしまった。

いてもたってもいられず、バンクーバーに避難。
若干空気のいいバンクーバーで気分も落ちつき、冷静になってきた。

世界中で温暖化や異常気象のニュースを見聞きしている。
でも、BCは変化が少なくて、頭では理解してても、肌で感じるほどではなかった。
なんといっても、ここは水が豊かで、災害も少ない。
でも、去年あたりから、夏に晴天が続きすぎることに少し危機感を感じだした。
そして、今年は、”危ないな”と感じる気候。
雨が降ってほしいと切実に思う。

ご存知のとおり、Coast BCはサーモンのふるさとでもある。
でも、今年は川の深さが足りないだけじゃなくて、表面温度も高くてサーモンが川を上れずにいるらしい。心配だ。

いつもSquamishに吹く強い風は、実はPembertonからやってくる。
Pembertonの気温があがると上昇気流が発生して、その気流がSquamishにやってきて風となる。
でも、PembeeもSquamishも分厚い煙に覆われているせいで、気温があがらない。
Pembeeの気温があがらなければ、Squamishで風は吹かない。煙はうごかない。

森も、サーモンも、風もあたりまえの光景だったけれど、
こうしてバランスが乱れてしまうと、日々いかに調和されていたか気づく。

今まで、気づくか気づかないかの地味な変化でいれたのは、圧倒的な自然のおかげだったんだな、と思う。
マジ、ありがとう自然。愚かなわたし。バカ!

人間が気づかないところで、無言で、森も動物も耐えていたんだろうな。

いつもの毎日が戻るように、
雨が降ってほしいけれど、雨が降らない日を指折り数えるのではなく、
今は、あるがままの状態を、落ち着いて受け止めようと思う。
煙も、暑さも、続く日照りも、いつ落ち着くかもわからない山火事も全部。

こういうときこそ、命がけで消火活動にあったっている人達に、森に、共に経験している地球に感謝の気持ちをまず向けていこうと思う。
恐怖よりも、感謝にフォーカスしようと思う。

この山火事のメッセージは深く大きい。しかも、誰にでもわかりやすい。

そしてそして、最後に、おさらい。
乾燥と高温が続いていると、小さな火種があっというまに広がってしまいます。
今activeな山火事の多くは、落雷が原因です。

でも、雷が落ちたからすぐ燃えるわけではなく、数日、数週間、地面の中でくすぶって、
高温と乾燥という条件で発火します。
私の友達も、Fire hazardがhighの時に、森でトイレットペーパーを燃やし、土の中に埋めたそうです。
見た目では完全に消えていたのに、地面から煙がでてきてくすぶっていて、”こうやって山火事っておこるんだなあ”って言っていました。

なので、たとえ小さな火種でも、高温乾燥している時はそのとき発火しなくても、いずれ火はでます。

完全に消したつもりでも、火種になりそうなもの(たばこの吸い殻とか、バーベキューの火の粉とか、)は、森には決して持ち込んではいけません!!

どうか、みなさんもBCに雨が降るように祈ってください!
そして、命がけで消火活動にあたっている人達がみな無事に戻って来れるように。
もう、祈るしかない。

恵みの雨が降りますように!

2015年6月26日金曜日

ニュートラル 

海をぼんやりと照らす月が美しくて、部屋の灯りを消して外に出た。
涼しいような、ぬるいような風がときおりふわっと吹き、濡れた髪をなでる。
ハイウェイを走る車の、その奥から、かすかに海の音が聞こえる。






引っ越しをして、
朝でも夜でも、好きなときに洗濯してもいいし、
夜中にギターをひいたっていい。
子どもが早朝から元気でも、”静かに!”と注意しなくてもいいし、
好きなように庭を使ってもいい。

少しづつ、しかし長い間蓄積されていたストレスから解放されたからか、
引っ越してから何も考えない日々が続いている。


運動して体を鍛えたい、とか、あたらしいことに挑戦したいとか、新しい人と知り合いたいというような前向きなチャレンジ精神というものが、全く湧いてこない。

ただ、日々、家族と過ごし、菜園に水をやり、ご飯をつくり、お皿を洗い、たまに掃除をし、車で10分の町まで買い物に行き、帰ってくる。
夜はパソコンを開き、気が向いたらギターを弾く。寝る。そして寝る。

どこか客観的で、それでいて”やりたいこと”がない。

こんな調子なので、どこそこに行こう!という前向きな夏休みの予定をたてる気にもなれないのに、短い夏のピークが近づいてきているのを感じている。

こんなんでいいのだろうか?
これは、満たされているということなのだろうか、
それとも、空っぽということなのだろうか。

いや、”空っぽで満たされている”のだろうか。

そうだと仮定して、これは幸せのひとつのかたちだと、満足しておけばいいのかもしれない。

今日は新月でも満月でもない。象徴的な日でもない。

それでもいいじゃない、と心でつぶやきながら、
闇夜に向かいながら胸に手をあてて、”私はいったい何がしたいんだろう?”と聞いてみた。

すると、シンプルで、無駄も気負いもなく、
しかし、期待や希望と呼べるものでも、世界を平和にする素敵な行動でもなく、
ただ長い間私の中で共存している、自己満足かつ自己完結的ないくつかの誓いが、
コン、コンと胸を叩いてくる。

誰を幸せにできるものでもないけど、なんの打算もないニュートラルな想いというのは、あんがい貴重なのかもしれない。

そんなことを想った静かなある夜の話でした。

2015年6月13日土曜日

New life

引っ越しが完了して10日経ちました。
まだペイント途中だったり、ソファーがなくてキャンピングチェアーに座ってたり、
工具がそこらじゅうにあったり、だけど、いい感じにスタートしています。

引っ越しが終わってみて、今まで結構ストレス溜めてたんだなあーって気がついた。
今までは一軒家の下に大家さんが住んでいたから(いい人だけど)、それなりに気をつかって暮らしていた。

だから、
おひさまの光で洗濯物を乾かせる、とか、
早朝や子どものが寝た後に洗濯機をまわせる、とか、
夜にギター弾いたり、大きな音で音楽をかけたりしても気にしなくていい、とか、
お庭にガーデンをつくれる、とか
そしてなにより、子どもが走り回って大きな声をだしていても、注意しなくてすむ。

ひとつひとつはささいなことだけれど、全部気にしなくてよくなってから、心がだいぶ穏やかになったーーー。
軽くなったあーーー。

そして、よく寝れる。
こんなによく寝れるのは5年ぶりかもしれない。











前に住んでいた人が、お花をたくさん植えてくれていて、小さいけれど立派なフラワーガーデンもあって、癒される。
それに加えて、野生なのかな、そこらへんにFox GlobeやBluebellが咲いている。
前の人の、愛情を引き継ぐのもなかなかいいものだね。







Squamishの暮らしも楽しかったけれど、どこかでもう少し静かな暮らしがしたいなあと思っていた。時期が熟したら、Squamish郊外で暮らしたい。
そんな風に思っていた6年目の引っ越しだった。
まさか、Britannia Beachだとは思わなかったけど、こちらの森も海のせいかすこし優しい感じがして素敵です。
多分、圧倒的に森に入る人が少ないからか、森の精気が濃い感じがする。







しかし、よく眠れるんだあ。
自分の周りの自然環境って、結構メンタルに影響している。
そういう面ではSquamishはかなり特徴的な街だけれど。


親になって足掛け6年、地に足をつけること、踏ん張ること、現実と理想を繋げること、いろいろ学ばせてもらった。
30代も後半になって、本当に好きなこと、苦手なことが前より分かってきた。
シンプルになってきてる気がする。

今までは”岩”や”山”動かないものにフォーカスしていたけれど、
ここへきて、”水”が暮らしに近づいてきたってことは、"Let it go(水に流す)”ってのもテーマなのかな〜 なんて。

さあて今日も、一日のドタバタを忘れるべく、寝ます。
おやすみなさい。

2015年6月11日木曜日

小人のしわざ

引っ越しのドタバタも落ち着き、日常が戻りつつあるこのごろ。

この1ヶ月、ずっとバタバタしていたので、汚いなあと思いながらも車を掃除する時間がなかった。
いよいよ汚すぎ、いい加減掃除機かけないと!と思っていたタイミングで、
家の鍵、郵便ポストの鍵、車の鍵(2つ)をくっつけていた鍵束をなくした。
しかも、これ、3回目。

家まで車を運転して帰ってきてから行方不明になったので、
絶対家の中にあるはず、、、と思い、くまなくさがしたけれど見つからない。
庭も一通り見て、子供達目線で探すのを手伝ってもらうものの、見つからない。

もしかしたら、うっかりハッチバックに鍵をつけたまま、ゆうじくんが車乗ってっちゃって、どっかでおっこっちゃったとか?!
という、かなりレア想定をして、警察に聞きにいき、FacebookのLost & Foundにお尋ねしたりもした。

でも、もちろん出てこない。
悶々としたまま2日が過ぎた。

もしかして、車の中かも!
掃除ついでに探してみようと、ついに車の掃除をすることに。
細い隙間はもちろん、外せる椅子をはずして、念入りに掃除機。
車はきれいになったーーー!
しかし、鍵はでてこず。Sigh...

翌日、庭でゆうじくんと話をしていたら、、、、鍵発見!!

絶対、ソコ見たし!っていう割とわかりやすいところに鍵束がぽつんと置いてあった。

コレ、君の仕業だよね?
ははーーん、車の掃除しなさいっていう、メッセージだったわけだな〜


てなこと、たまにありませんか?