2010年11月2日火曜日

はじめてのウォルドフスクール

近所のシュタイナー学校、Cedar Valley Schoolの幼児クラスに太陽といってきました。

クラスは、先生と一緒にパンをつくることからはじまります。
先生が生地をこねながらパンの歌を歌い、
子供やわたしは、その美しい歌声と指先に誘われるまま手を動かします。

パンを焼いてる間に、子供達は部屋の中で自由に遊びます。
親は、そのあいだ手芸などの手仕事をしながら子供たちを見守ります。

先生が子供達に積極的に働きかけることはありません。
子供がやりたがったら、一緒にシルクの布をたたんだり、お皿を片付けたりします。
そのとき、”あらまあなんて可愛いの!””よくできたわ!”なんて大げさにほめたりはしません。

ただ彼女にしかできない唯一のことがあります。

それは、動作をすべて歌にすること。
布をたたむのも、パンをつくるのも、お皿を出したり、手を洗ったりするのもぜんぶが歌になるのです。

しばらくすると焼き上がったパンをみんなで食べます。
お皿もマグカップも、ハンドメイドの陶器を使います。
子供達はみんな椅子にすわってたべます。

そして、最後にストーリータイムです。
先生は、シルクの美しい布を肩からひざに掛け、そのひざのうえで、フエルトで作った人形劇をしてくれます。

これが2時間の流れでした。

この2時間の中で、大きな発見がありました。

その前日、太陽と"Little Sneakers Gym"という、町のプログラムに参加しました。
これは、1歳~3歳くらいの子供のためのもので、体育館にマットやおもちゃや滑り台が用意されていて、そこで1時間、Play Wild, 自由に遊ぶというプログラムでした。

断乳してから太陽はいくぶん人見知りになりました。
わたしにいつもべったりで、ちょっとでも離れると不安になって泣く。
今までは、おっぱいという安全地帯があったけど、それがなくなったから余計にです。

この日も、最初太陽はわたしにべったりくっついたままかたまってしまい、遊びにいきたがりません。
慣れてきて遊びだしても、人のものを欲しがって、取り合いになってばっかりでした。

その日は、帰ってきてからもなんとなく不安定でした。
寝たかと思ってベットから抜け出してもすぐにバレる。
��4時間全然離れられませんでした。

ですが、今日のCedar Valley Schoolでの太陽は、昨日とは全然ちがったのです。
いすに長いこと座っていられたし、誰かのものを欲しがったりせず、自主的に(ここが大事)自分の遊びをみつけて没頭していました。
うちにあるのと同じようなものがあったので、いつもと同じことができる安心感があったのかもしれません。

私はその間、手仕事をしていましたが、近くにいるという安心があるのか、そんなに戻ってきませんでした。
焼き上がったパンも、ちゃんと座ってきれいに食べれました。

プログラムの2時間のあいだ、太陽の情緒は安定していました。
わたしも、先生の歌声や温かい空間が気持ちがよく、気持ちが穏やかでした。

そのことを先生に話すと、

「体育館というのは、小さな子にとっては、照明も強すぎるし、空間が広すぎます。その中で、おもちゃががちゃがちゃと並べられて、子供達がわーっと遊んでいる。
そこには、秩序がない。カオスなのです。
小さな子供は、狭くて、安心できる温かい空間で、親がそばにいる安心感が大切なんですよ。」

と言っていました。

何冊かシュタイナー教育の本は読んでいたので、頭ではわかっていたけど、”安心できる温かい空間”の意味を肌で感じて、味わうことができてよかったです。

子供は、日々繰り返されるルーティーンがあることで安心するそうです。

毎朝、学校へ行く前におかあさんが髪をゆってくれたり、
夕方になってお母さんが台所でご飯を作っているだけで安心する、そんな気持ちなんだよね。
うん、その安心感知ってるよ。

家に帰ってきてからも、太陽はたまねぎをころがしたり、ちらしをくしゃくしゃにしたり、ひとりで遊んでいました。
おかげで家事が楽にできました!

そして、これを書いている今、ぐっすりお昼寝しています。

最近、太陽はわたしがパソコンをしていることが嫌いです。
表立って怒ったりしないけど、『お母さんを取られた』と思っているのを感じます。
それをわかっていて、すきあらばネットしていたことを反省。
編み物とか手芸とかほかにやることいっぱいあるんだから、そっちをやらなくちゃだよね。

来週もクラスにいくのがたのしみです。

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