2017年1月17日火曜日

森を見て樹を見ず。

少し前までのホリデーモードが嘘のように、通常営業が始まりました2017年!

奇数の年ってなんだかワクワクするのだよね。
しませんか?

今に始まったことでもないんだけど、去年は”消費”し過ぎてしまったなと反省。
ここでいう消費は、お買い物意味ではなくて。

今や、youtubeなどで音楽やら動画やら無限にアクセスできてしまうので、
気に入ったものに深く入り込んだり、味わったりってのが減ってきてませんか?

音楽って、記憶と繋がってますよね。
例えば、ハタチで失恋した時は、椎名林檎ヘビロテだったなあとか。
スノーボードにハマってた時は、ダンスホールレゲエが好きだったなあとか。

だけど最近は、気分で選んで、アーティストの名前も知らず、サラーっと聞いて終わり。
で、ハイ、また違う人ー。
記憶ともさほど繋がらない。
こんなの、No music, No lifeじゃない!と声を大にしていいたい。

もちろん、音楽に限らず、アートや、情報も。
すぐにネットで見れちゃうから、5感を使わなくても、味わった気になっちゃう。
理解した気になっちゃう。

いやいや、違う。これは味わってるのではなくて、消費してるんだよね。

消費、疲れる!!
消費って疲れるんだよー。
選択肢がありすぎるというのは果たして幸せなことかわからない。
たとえ素晴らしいものでも膨大だと、心がすり減る。
知らず知らずに毒まんじゅうを食べさせられてる時もあるし。(訳:消化できない話/情報を食わされるというたとえ)
しかも、厄介なことにaddictiveなんだなあ。

シュタイナー教育では、子供に物質面での選択肢を与えないという考えがあります。

”朝ごはんは、目玉焼きがいい?スクランブルエッグ?オレンジジュース?それとも牛乳?”

”おもちゃは何が欲しい?色は?サイズは?”

この、子どもへの質問攻撃は、子供を不安にさせると言われています。
天使の世界からやってきた小さな子供に、膨大な選択肢を投げかけるって、想像しただけで恐怖と混乱ですよね。
現代の大人も一緒だなと思うんだ。

しかも、自分の周りに素敵なことをしている人がいるのに、その存在には気付かず、
地球の裏側にいる人や、遠くで起きていることに心を向け過ぎて、混乱しているという。

森を見て樹を見ずだなあ。って。
森は樹々によって成り立っているというのに。
私たち一人一人の存在は"樹"だというのに。

近くにいる人、コト、community

誰かが創りあげたアート、音楽、作品

目に留まったことは、大事にして、しっかり味わおう。

そうしたらやがて、樹をみて、森も見る。

そういう風に、なれるかな。



2016年12月24日土曜日

続・思いやりを育てる & Merry Christmas!

こちらは、クリスマスイブを明日に迎え、駆け込みショッピングなのか街がバタバタしています。

こちらのクリスマス、クリスマスキャロルや、手作りクラフトで温かい雰囲気がたっぷりあって大好きです。

と同時に本当に毎年考えさせられる。

物・物・物&チョコレート

現代の子は、与えられることに慣れていて、’物’が彼らの心をどれだけ豊かにし、感謝の心を育てられるかは疑問だよなあ。

まあ、子供に限ったことではなくて、大人同士でもプレゼントのやり取りをするので、こちらのクリスマスは日本のお歳暮文化と似てるかもしれない、と言ったらわかりやすいかな。

なにはともあれ今年もやってきたクリスマスシーズン。
先日、思いやりを育てるという記事を書きましたが、その続きになるような、ちょっと素敵なことがありました。
それは、少し前に太陽の学校であった、'Santa's gift shop"というイベントの時のこと。

このイベントは、学校中の家族から、新古品のおもちゃや、ジュエリー、雑貨などのドネーションを募り、子供が買える値段をつけて、その中から子供達が家族のみんなにギフトを選んで贈るというもの。

だいたいどれも一つ50セントくらいで売られているので、3〜5ドルもあれば家族みんな分のプレゼントが揃います。
いわば、子供達がサンタクロースになって、家族を喜ばせよう!っていうイベント。

与えられることに慣れている子供達にとって、
”自分のお小遣いで家族のためにプレゼントを選ぶ” って
優しくてワクワクする、思いやりの育て方だなあって、心が温かくなりました。

ちなみに、うちの太陽くんも、私とルナと父ちゃん(兼 自分)のプレゼントを、じっくり時間をかけて選んできてくれました。
選んでくれた物もそうだけど、純粋に彼の気持ちや時間が嬉しかったなあ〜〜。

なかでも、ルナが一番喜んでました。

イースターのうさぎのぬいぐるみと、シンデレラの絵本。










太陽くん、私やユウジには絵を書いたり、お手紙くれたりするけど、
妹に、自分が選んだプレゼントをあげることってなかったと思うから。

ルナちゃん早速、季節外れのイースターバニーちゃんと一緒に寝てました。











このイベントも、なんたって親たちの”思いやり”からきていると思うと、思いやりは循環するのだなあと気づきました。

そう思うと、サンタクロースの魔法も、世界中の大人達の ”思いやり” でできている。
この魔法にかかった人が、いつまでも忘れないのは、
もらったおもちゃのことではなくて、”魔法にかかったひと時”なんだよね。
人は、この素敵な思い出を後世にも伝えていきたいって思うから、今も世界中で続いているのだよね。




サンタへのお手紙。
































そうだ、昔、カナダにきたばかりで、クリスマスに予定がなかった時に、
友人のホームステイ先の家族(つまり全く知らない人)がクリスマスディナーに呼んでくれたことがあったな。

なに食べたかは忘れたけど、”クリスマスに異国で一人で過ごすなんてダメよ!”っていうその気持ちが何より嬉しかったな。

結論。本来、クリスマスは思いやりの日なんだわ。

クリスマス、皆さんも心温かい、マジカルな一日をすごしてくださいね!

Merry Christmas to you!





スーパーにあった大きめのツリーを買ったら
予想以上の大きさでした。。。家狭いのに。




過去記事で人気のサンタクロースのプレゼント と simplify christmas もよかったらお読みください。
人気があるってことは、共感してくださる人が多いということなのでしょう。


2016年11月24日木曜日

思いやりを育てる。

”人間は、生まれながらにして、愛と、尊厳と、思いやりを持って生まれてくる。”

これは、わたしの心を育ててもらった場所であり、わたしのMentorである、
シュティカのリーダーの言葉。

親になった今でも、その言葉は正しいと思う。

ただ、子供を育てていて思うのは、”他者への思いやり”という意識は、
小さいピュアな子供たちの中にはまだ育っていないことが多い。
ここでいう思いやりは”言われたからやる”(おもちゃを貸すとか)というタイプの思いやりじゃなくて、心から行動できる思いやりという意味で。


わたしは、思いやり(優しさ)と悲しみ(苦しみ)は表裏一体だと思っている。
本当の優しさは、悲しみが育ててくれたり、共感することで育つ気がする。

でも、うちの7歳と5歳の子供たちは、まだ”悲しい”といって涙を流したことは一度もない。
映画をみたり、友達が仲間にいれてくれなかったりして、”悲しい”という概念はなんとなくわかるけど、、、。というくらい。

それは、とても幸せなことである。

その反面、ではどうやって”他者への思いやり”を彼らの中に育てたらいいものか。
もちろん、思いやりについて、レクチャーしたことはある。
けど、案の定、心に響いているのか響いていないのか、、、、。。。

そしたら、最近、ちょっとした変化がありました。

太陽の新しいクラスに、Kくんというかなり意地悪な子がいるそうで、
(この子の意地悪が原因で、クラスの子が脱走して学校内で行方不明になったらしい。)、K君に意地悪されることで、”悲しみ”を体験しつつあるようだ。

”その子の行動をまねしたら、誰かがSadになるから、太陽はしないようにする。”

”その子がいつも変な言葉ばっか使うの。その子みたいになるのよくないから、太陽は悪い言葉言うのやめるよ。”

と、言い始めた。

おお〜〜、これは、見事な反面教師というやつではないですか。
意地悪な子がいると聞くと、親としてちょっとドキッとするけど、K君がいるおかげで”他者への思いやり”を学んでいるのだから、それはそれでありがたい。
わたしが100回言うより、その子から学ぶことの方が真実だから。

直接的でかつインパクトが強い、嫌な経験から学ぶ方法は、確かに心に響く。
それはそれで、悲しいことあったら嫌だなあ、守ってやりたいなあと思ってしまう親心。でも、親がなんでもシェルターし続けるのは、子供にとってよくない。
まあ、太陽も誰かに悲しい思をさせてしまっているかもしれないし、お互い様なんだろうし。。。


学校に通い始めると、自分の腕の中にいて、目の届くところにいるのとは違うステージだってよくいうけど、最近は”見守ることの大切さ。” 感じてます。

人間関係って本当に深い学びですね。。。。
みなさんも心当たりがあるように自我が生まれだした幼児は, Egocentricです。
そう考えると、人間はEgocentricの状態からaltruistic(エゴセントリックの対語)までの過程を人生かけて学んでいるのかな。なんて思えてくるわ。

子供のこと書いているようで、エゴセントリック、思いやりなんて、
それこそ、普遍の、40近くになっても学んでいるテーマだものね。

2016年11月20日日曜日

Lantern Walk

Waldorf Schoolの冬を迎える行事の第一弾、Lantern Walkがこのあいだありました。

もうね、本当にシュタイナー教育大好き!と言いたくなる、とても素敵なイベントなんです。

11月も半ばの初冬の夜に、クラスで作った手作りランタンを持って森に集合します。







6時とはいえ、森はもう真っ暗。
森の歩道の両脇に、点々とキャンドルが灯されています。
そう、この森の中をキャンドルと手作りランタンの灯りを頼りに歩くというイベント。

たとえ、キャンドルとランタンの灯りがあっても、隣の人の顔がわからないほど暗い。
真っ暗な森を歩くって、なかなか神秘的な体験ですよね。

特に子供にとって、”闇”というのは、漠然と怖いものであることが多いと思います。
いつもはやんちゃな男の子が、お父さんに寄り添って歩いていたり、
ランタンに灯したキャンドルが消えないように、優しく歩いたりする子供の姿がとてもかわいらしい。

歩いている途中、森の闇の中から、バイオリンや、フルートの音色が響いてきます。

夜の森が、怖いものではなくて、美しいなと思える時。
闇を受け入れることは、怖いことじゃない。

子供達にとって、友達と夜の森を歩くってのも、普通じゃなくてワクワクする。


ただ歩くだけで、何があるってわけじゃないけど、感じることは昼間以上にありました。

まさに下の絵を、体験しているような、
文章ではなかなか伝えづらいけれど、マジカルであり、”豊か(Rich)”な時間なのです。




Whistler Waldorf School Mr. Ragland's drawing


子供達にも、伝わったんじゃないかな。

帰りに太陽が、”夜は怖いことじゃないよ。夜がないとお月様はでてこれないし、フクロウやコウモリが動けないし。”って言ってました。

そうそう。

夜は、朝と同じくらい、大事な時間なのだよね。
闇は、光と同じくらい、価値があるものなのだよね。

互いのありがたさを知るために。
互いが敵ではないと知るために。

さて、来週はAdvent Gardenです。
こちらも大好きなイベント。シュタイナー教育最高!

楽しみです。



2016年11月7日月曜日

冬時間になりました。


サーモンが戻ってきた。










おなかが赤くなりはじめたばかり。
毎年思うことだけど、身をボロボロにして、よく戻ってきたね。

私たちの忍び足の気配でさーっと逃げるくらい敏感。

しぃーーーーっ!静かにね。












長い長い雨。
”日差し”を最後に感じたのはいつだったかな。
青空を見たのはいつだったかな。










夕暮れ時に、さあーっとどんより雲が散っていった。
久しぶりの夜空。
月。
あまりに久しぶりすぎて思わず外にでてしまう。
空が冬色になった。
それも一瞬。
寒い雨が、また夜を支配する。








  

大根と白菜。
上手に育ってくれるといいな。


2016年11月1日火曜日

かばんの中身

太陽が学校が帰ってきた。

いつもはバックパックをそこらへんにほっぽらかしてどこかへいってしまうのに、
今日は開口一番、

「ただいま。太陽かばんかたづけてくる。」

といって部屋に向かおうとする。

んんー?

「ねえ、連絡帳みせて。」

といつもように、私がかばんをあけようとすると、

「さきにかばん片付けてからね。」という。


んんんんーーーー?怪しすぎる。というか、わかりやすぎる 笑


母は、”家政婦はみた”よろしく、こっそり太陽のあとをつけていって、柱の陰からのぞく。

そんな私を見つけて憤慨する息子。

そんなに怒るなんて、
ま、ま、まさか、7歳児にしてエロ本か!?(←今はネットの時代かね?)

それは冗談だとしても、考えられるのはポケモンカード。
最近毎日学校に持っていって友達とトレードしている様子で、一応家のルールを守って遊んでいるはずだけど、最近コソコソしてることも多いので、一番ありうる線かと。
どうやら、おやつをいれていたプラスティックの箱が秘密を握っているようだ。

男の子には、自分の空間が必要だというし、親があまり立ち入るのもなんだけれど、、、
と思ったのは一瞬で、結局、


鬼の声で「なに隠してんのよ。」と追求。

「お母さん、おこるもん。」と泣きそうな太陽。



すると、苦し紛れに、おやつをいれていたプラスティックの箱の中身をタンスの裏側にぶちまけた。


なんだ!?とかけよる私。



しかし・・・なんてことない、中身は、木切れの塊だった。


安堵したのと同時に、なぜこんなものを隠す必要があるのだろう??
わたしだって、いくらなんでも木の枝を持って帰ったくらいで怒るような親でもない。

ぶちまけた中身を掃除してるあいだに、太陽はそそくさと庭に出て行ってしまった。





その後わかったことだけど、太陽が隠し持っていたのは、トカゲだった。
父ちゃんと学校帰りに薪取りに行ったときに森で見つけてきたそうだ。

たんすの裏に、トカゲと一緒にいれた木切れだけをぶちまけ、
そのすきにトカゲを捕まえて庭に走っていったというのが事の顛末だった。

エロ本でも、出所不明の高級ポケモンケードでもなくてよかった。

トカゲぐらいで、怒らないわよ、、、、、。

ねえ!

・・・たぶん。。。

私もガーデニングやら、薪取りやら、森遊びを通して、苦手の多くを克服したので、
トカゲなんて、もはや「かわいいカテゴリー」に入る生き物になった。


というわけで、宇宙人みたいなトカゲ(厳密にいうとサラマンダーなのかな)が一日でも長生きできるよう、住環境を整えて観察することになりました。

トカゲって宇宙人の仲間で、「ワレワレハウチュウジンデアル」と交信してきそうな気がするんだよなー。






苦手な人いたらごめんなさいね。でも、かわいくない?

2016年10月29日土曜日

心の冬支度。

薪ストーブに火をつける。
夜がやってくると、夏の間は使う事がなかったカーテンを閉めた。
冬至に近づく日々に追い打ちをかけるように、ハロウィーンが過ぎると冬時間になる。
4時すぎるともう暗い。

すきま風を感じさせない薪の温かさに体をゆだねる。
氷が溶けるような、薪独特の暖かさ。
一度知ってしまうと、離れられなくなる。
しかし、充分だと思っていた薪がみるみるうちに減っていくようで、
これから無事に真冬を越せるだろうかと少し心配になる。

しとしとと降り続ける雨のおかげで、外にでる機会が減り、こもることが多くなった。

意識が内側へと向かう季節。
大事だなあ。わたしにとって。



この夏もいろんなことがあったなあ。

楽しい事はたくさんあった。
悲しいことも少しだけ。

大人になることは、葛藤を抱えられることだと母が言った。
葛藤しつつ、何があっても幸せだと思える強さを持っている人が大人なのかもしれない。

好きだなあ、こういう時間も。

お庭の桜、全部葉が散りました。
よし、冬くるね。