2016年6月6日月曜日

料理でストレス発散

題名の人物は、私ではない。
私がそういう人であればいいのにと心から願ってやまないのだが。

周りに、”料理がストレス発散”と言う友人が何人かいる。

彼女達によると、悶々としているときに、思いついたかのように、野菜を切ったり、粉をこねたりして、料理をすると気持ちがスッキリするのだそうだ。

悶々としていなくとも、そういう方々は概して料理好きで、
新しい素材にチャレンジすることも臆せず、
ポットラックといっても、私の持参した物を出すのが気恥ずかしくなるほど、しっかりした”一品”それどころか”二品”用意してきていることはざらで、
SNSのごはん写真も、”今日はがんばってつくりました。見て見て!”的なポストではなくて、日頃から平均的に素敵なごはんを作っているのが伝わってくる。

そして、私がその素晴らしさをほめると、みな一様に、そして謙遜気味に、”だって私食べるの大好きだからさ”と言うのである。

素晴らしい。好きこそものの上手なれ。

私はどうも料理に対する情熱が薄い。
母親になってから、私なりに研究したし、親しむ努力は今もしている。
でも、相変わらずなのは、結局、私は食べることにそこまで関心がないのだと思う。
自分の名誉のために付け足すと、インスタントでいいという意味ではなく、新しい素材を開拓したり、素材にあれこれ味をつけて、凝った方法で調理することに心が躍らないという類の関心のなさである。
唐揚げ、コロッケ、天ぷら、春巻きレベルになると、もう買いたい。
マリネードに、ジャムやらジュースやらを使うレシピは嫌厭する。

それに、手間ひまかけたものが早ければ10分ちょっと、長くても1時間程度で消費されてしまう儚さがどうにもやりきれない。後片付けまで考えるとげんなりする。

そのかわり、といってはなんだけれど、私の場合”裁縫”がストレス発散になっているかもしれない。
かといって、決して上手ではない。
でも、断った布が縫われて生活を支える”何か”になっていく過程がとても好きなのだ。
ミシンの、規則的な音と潔い直線と向き合っていると、気持ちが凛とする。
料理とは違って、できあがった”何か”が数年は役に立ってくれる点もポイント高い。
料理にたいしても、こう思えたらいいのに!

母親になるということは、生活力を鍛える修行でもある。
今までは、”食べることに関心がありません”と、口に出すことが憚られたけど、
この年になると、認めてしまうことも上手の近道かもと思えるようになってきた。

苦手だからといって、避けて通れないのが料理。
少しでも好きになれるよう、美味しいものをたくさん食べれる残りの人生であってほしい、と慎ましく願っておこう。







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