悲しいと言っても、私や家族の身に何かあったわけではなく、言うなれば知り合いの失恋の報告を聞いたような、そんな心境。
人の気持ちも環境もいつまでも同じ場所にはとどまってはいないし、絶えず変化していくもの。
終わりは新しいことのはじまり、だな。
どんなことがあっても、いつか、元気に笑えるときが来る。
図書館に行く途中、そんなことを考えて、しんみりしていた。
図書館について、車を止めた。
車のドアを開けると、目の前のベンチに座っていた20代前半の女の子が、目を真っ赤に腫らしてひとりで泣いていた。
その子の姿と、わたしがぼんやり考えていたこととがシンクロして、心がブルブルと震えた。
彼女と目があった。
彼女はすぐに下を向き、私が通り過ぎるのを待っていた。
こんな時、タオルくらい差し出せたら、と車の中を探したけど、彼女の涙を拭えそうな物が何もなくて、、、。
彼女もきっと、元気に笑えるときがくる。がんばれ。
そう心で願った。
昔は人生右肩あがりだー!なんて気楽に考えていたな。
怒らず慎ましく、どんどん手放して、ハッピーにありたい。と思っていた。
でも、今は、ー特に子どもができてからはー、人生、バランスよく喜怒哀楽あってこそ、深みと奥行きが増すものだと思う。
特に、悲しみは、それを乗り越えた時、大きな大きな心の財産になる。
自分をより愛せるし、大切にしてあげられるようになる。
そして、大きなものを手放せるきっかけになるような気がする。
影をつくっているのは、光。
いつでもどこでも、どんなときでも、見えてようがいまいが、そのなかにも光がある。
いうなれば、人の一生は、光そのものなんだと思う。
そんなことを感じた、今日のシンクロニシティ・メモ。でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿