2021年9月14日火曜日

新中学一年生の門出に腕を骨折した話

 9月から12歳の息子はグレード7,中学1年生になった。
私の街は、日本と同様に、小学校6年制、中学3年制、高校3年制という割り振りになっているので、先週から街のはずれの中学校に通学バスで通い始めました。

そんな息子が昨日、右手首を骨折した。

友達の家に行く途中、右肩にかばんをかけて自転車を漕いでいたらバランスを崩して転倒した際に手をグニャリとやってしまったらしい。

彼は、かなりタフでもあるので、ちょっとやそっとの怪我では泣かない。
そんな彼が、昨日は痛くて痛くて号泣していたので、これは即病院行きだと慌てる母。
私は娘の用事ですぐに病院に連れていけないため、夫の帰宅を待って病院に連れて行ってもらった。


病院は待ち時間が長いのであまり期待をしてはいなかったけれど、それでも2時間後ぐらいに夫から連絡が入る。

夫「ちょっとだけ折れてたwギブスするらしい」

息子「骨おれちゃったよー。おなかすいた。」

このテキストメッセージを見て、ひとまず胸をなでおろす。
利き手の右手にギブスは不便だけれど、「ちょっとだけ折れてた」くらいですんでよかった。
子供の骨折は治りが早いと聞くし、3-4週間もすれば回復するだろう。

そう思いながら、あと30分程度で帰ってくると思い、お腹をすかした夫と息子のために夕飯の準備をする。

しかし。
30分経っても、1時間経っても帰ってこない。
夫に電話をするも出ない。

混んでるのかな?やきもきしたまま2時間近く経過した頃にようやく夫から連絡が入る。

夫「もうすぐ手術終わるって。もう少ししたら目が覚めるはずだってドクターが言ってる」

しゅ、手術?!ギブスを付けて帰ってくるだけではなかったの?!
目が覚めるって、全身麻酔?!な、な、な、なんで?!

意味がわからずしつこく夫に電話をするも「今は電話でれない」「ゴリゴリ音してたわ」というテキストが帰ってくるだけで話の展開がつかめず混乱する私。

状況がつかめないという不安と心配で胃酸がこみ上げてくる。
全身麻酔って、手術ってどういうこと?
どこか切ってるの?何を?なんで?スコーミッシュにいるの?バンクーバーなの?
聞いてなさすぎなんだけど!
こんな情報過多の世の中なのに、目の前の情報は不足している!

どういうことなのー?!
混乱する私。






それからしばらくして、最終的に息子の声を聞けたときに、
心から「とりあえず生きててくれてよかった」と思う気持ちを、親心と呼ぶのだろう。



さて、種明かしをすると病院ではこんなことが繰り広げられていたらしい。

ギブスをつけると説明されてしばらく待っていた息子と夫

              ↓

ドクターから「さっきいい忘れてたけど脱臼もしているから、徒手整復(脱臼した骨を力技で元の位置に戻すこと)で骨のズレを治さなければならない。時間が経過するとできなくなるから今やらなければならない。全身麻酔をかけないでやるとトラウマに残るくらい痛いから全身麻酔をかけたほうがいい」

と言われ”聞いてないよー!”ということになり、本人たちも急展開に慌てたそうだ。
一番大事な部分、言い忘れてる、ドクター!!頼むよ〜
(ちなみに、徒手整復は手術ではないけれど、夫が「手術」という言葉を使ったので混乱しました)

               ↓

手術室に連れて行かれる息子と夫。
全身麻酔の恐怖で目の端に涙をためて「おれ、ちゃんと目、覚めるよね?」と言いながら眠りにつく息子。目頭が熱くなる夫。
               ↓

徒手整復を行う際にドクターに「整復を見ている付き添いの人が失神することがあるから、見たくなかったら外で待ってて。ナース達は忙しいから失神した人の面倒見れないのよ(笑)」と言われる夫。
               ↓

しかしむしろ見たくてしょうがない夫(笑)
彼は全然平気なのである。私は絶対に無理。失神するか、吐くかもしれない。

小型のレントゲンを持った技師がドクターに付き添い、レントゲンを確認しながらズレを直す。そのレントゲン技師が息子の腕をガッチリ押さえる係をしていたらしい。
レントゲン技師はレントゲンを撮るだけが仕事じゃないのね。。。

               ↓

あまり文字にしたくないが、全身麻酔で意識がないのに、骨を入れた時は足が上がり体をよじっていた息子。
それが前出の「ゴリゴリ音してたわ」のテキストの真相であった。
ドクターは細身の女医さんだったそうで、ドクターの華奢な外見からは想像がつかない、迷いのない手技に感動する夫。

ああ、かわいそうにーーー!!

               ↓

しばらくして麻酔から目覚める息子。
何も覚えていない間にすべてが終わっていた。
麻酔から覚めたあとは、すぐにスタスタと自分の足で歩けたそうだ。
この時点で、ようやく息子の声が聞けて、事の顛末を知る私。

その後、夜の11時近くにようやく帰宅しましたとさ!



グレード7になって、少しだけティーネージャー的な態度を見せることがあった息子。
今回の怪我で一番怖かったのは全身麻酔で、このまま私達に会えなくなったら嫌だと思ってくれていたそうだ。私も胃酸がこみ上げるほど心配したよ。

今回のことで私達ももちろん息子を愛してるし、息子も私達家族を愛していることを、思いがけず確認することができたことは、怪我の功名と言えるのかも知れない。
なんとなく、環境の変化で少し心と身体がザワザワしていたのが、怪我をしたことで本来の彼に戻ったような感じもしてます。
なんだかんだいって、まだまだかわいい息子くんだよ!

今日は家でゆっくりしていたのだけれど、お友達がお見舞いに来てくれたりもして、ありがたかった。昨日の今日だし、まだ腕が痛むけれど、2ヶ月もすればきっとよくなるね。

しばらくゲームも運動もできないし、字も書けそうにない。
その間に私も体のあちこちが痛いお年頃なので、ストレッチを一緒にやるのを日課にしようかなと思っている今日このごろです。





2021年9月9日木曜日

ワクチン・パスポートが導入されるBC州より

 BC州では9月13日よりワクチン・パスポートが導入されることになった。

コンサート、スポーツ観戦、映画館、バー、インドアアクティビティなどが対象で、その中にレストラン&パティオでの食事、学生寮の使用も含まれている。

正直、私はがっかりした。
BC州はこういう措置をとらないのではないかと、
なんとなく期待していた。
西海岸的なインクルーシブな決断を取ってくれるのではないかと。

私は2回接種が終わっているし、ワクチン・パスポートが導入されても別に不便はない。
だけれど、この排他的ともとれる、ワクチン第一主義というような風潮は居心地が悪い。

コンサート、スポーツ観戦、お酒を提供する場はまあ、気も緩むし密になるから制限があってもいいのではと思うのだけれど、レストランでの制限や学生寮に対しては疑問が残る。
私自身、レストランのサーバーとして働いたこともあるから、入り口でワクチンを打ったか打っていないか確認する係になるのは嫌だ。

出会い頭に年齢や出身を聞くことはToo Personalとして避けられているのに、これだけ世界中で議論の的になっている「ワクチンを打ったか打っていないか」というパーソナルクエスチョンをいきなり投げかけるのはOKだという、そういう矛盾もなんだか耐えられない。
大学生のティーンそこそこの若い子に、ワクチン接種を囲い込む感じも嫌だ。

ワクチンを選択しない、と決めている人はまだしも、自然罹患して抗体を得ている人もいるのに、ワクチン接種一択なのもなんだか怖い。

他にも、パスポートを提示しないといけないのはサービスを受ける側で、提供する側のワクチン接種の有無は問われていないなど(マスクをはずすかどうかの差なのかな?)、いろいろと矛盾があり、なんだか非常にもやもやする。

もう一つ嫌だなあと思うのは、家族内、友人、コミュニティー間で意見の相違があり、ぼんやりと存在していた思想の溝が深くなりかねないところだ。

ワクチン派、反ワクチン派、どちらでもない派、マスク派、賛成派、反対派、信じる派、信じない派、派、派、派。

私は、正直いろいろな「派」をまるっと部分的にかすめているので、しいていうならグレー派、だ。

私みたいな人も割と多いのではないかと思う。

さて。

コロナ禍を「人類の旅」だと仮定するならば、この措置は目的地に到着するための気流の乱れのようなものだろうか。

忘れてはいけないのが、たいがいの人々の目的地は「コロナ後の世界」ということ。
これがどの程度の乱気流なのかはわからないけれど、この間に、スタンスが違うからといって今まで築いた関係がひっくり返ってしまわないように願いたい。
人間はどこか「自分の選択こそ正しかった」と思いたい節があるからね。。。

まあ、このコロナ禍で関係がひっくり変えるようならそれまで、ということなのかもしれないけれどね。

それも問われていると思うと、コロナめー、本当に手強いやつである。

ただ、別の見方としては、BC州はワクチン接種をした人が大多数(80%)なのだから、コロナ禍で苦境を迎えていた、旅行業界、エンターテイメント、飲食などのビジネスを立て直し、人々がある程度の娯楽と日常を取り戻すためのワクチンパスポートというのも理解はできる。

大多数の人々の日常を取り戻すための措置。

過去に数々の疫病を乗り越えてきた人類の軌跡のひとつ。

思っているよりも、大多数の人はフレキシブルで、理解があり、うまいこと順応できるのかもしれないし。

ああ。

こういうことを書くと怒られそうだけれど、こんなにモヤモヤするなら、ちょっと前のマスクとソーシャルディスタンスを保てば、だれでもたいがいのサービスを受けられるというシステムのほうがよかったなあー、なんて。


なんだか、疲れたなあ、と思って川に散歩にいくと、気候が厳しかったこの夏を生き延びたサーモンたちが川に戻ってきていた。







「生き延びる」という使命だけを持って、産まれた川に戻り、子孫を増やし、そして死ににくるサーモンを見ていると、その様が美しくて、凛としていて、ジーンとしてしまう。
命の流れ、というもっと大きなもの、遠くにある美しさを見て、やり過ごしていこうかな。

たくさんの考えや在り方が混在する時代と言われる

「風の時代」

試されているなあとつくづく感じる2020です。

読んでいてもためになる記事ではないですね。
ごめんなさい!