2020年4月8日水曜日

移動しないという贅沢

自主的な隔離状態が始まって4週間目を迎えたBC州です。

私達も散歩や自転車に乗りに森に行く以外は家にいます。
平日の朝の10時〜3時までのスケジュールを組み、
子供が学校のことをやっている間に仕事して、
できる時は夫と交代して子供の相手をしたりしながら、
なんだか気がつけば今日も3時になった。

そんな感じです。

子供も、次何やるんだっけー?と自らスケジュールに沿って動くようになってきたので、少し前の
”何の枠組みもない、何していいかわからない日の連続”
よりはかなり調子よいです。

子供とずーーーっと自宅にずっといるなんてやったことなかったから、
私も子供もメンタル的にも大丈夫かなあと始まった頃には思ったのだけど、
これが実は、今まで抱えてたストレスから開放されて、わりとのびのびと過ごせているから自分でもびっくりです。






話変わりますが、私達は去年の秋から家を売りにかけてます。
ようやっと、3月の頭に交渉が成立しかけたのに、パンデミックに突入してお流れになりました。

家を売りたかった理由は大きく2つあって、
その1つは、私が「移動に疲れ果ててしまった。」ということでした。

我が家はスコーミッシュから15km離れたコミュニティーにあるので、
毎日子供関係の事で1日2往復は当たり前、ひどいと4往復するような時もあります。

さらに、子供の用事や習い事で、
スコーミッシュで時間を潰すことも多くて、そのため外食と出費も増えるという日々。
そこに自分の用事が入ると、さらに時間のやりくりが難しくなる。
いつも時間に縛られている。そういうフラストレーションが溜まっていました。

私としては子供のスポーツやアートは本人たちの意思がある限りは応援したいし、
そこにプレイデートやなんやかんや入ってくるので(←あまり乗り気ではないが)
夫に協力してもらいながら頑張っていたのだけど、
去年の春には、ぼーっとしすぎてハイウェイを逆走するというヘマをやらかしました。

あーもーだめだーーー。
これ以上、車じゃないとどこにもいけない場所に住んでるのは無理だわ。

そう思ったのがきっかけでした。

私の家の名誉のために言うと、うちはなかなかユニークな立地で、
プライベートロードの行き止まりにあるので、直接のお隣さんは1軒だけ。
そのためプライベート感があり、ガーデンもでき、日当たりの良い海が見えるおうちです(築50年だけど)。





つまり、今みたいな事態には、引きこもるには持ってこいの環境。
どこにも運転しなくていいし、森くらいしか行く場所もなく、人と合わなくていい。
子供同士の約束や用事のアレンジもしなくていい。
家事や掃除も詰め込むことなく、ミニマムに過ぎていく。
子供にかまえる時と、かまえない時でいうと、かまえない時の方が多いし、
いいお母さんじゃない時も多いけど、まあ子供もなんとかやっている。

この今の感じが
すっごい楽。
ストレスが、がくっと減ったのを感じます。



家からの秋の夕暮れ


今までの生活が、無理があったんだよね。
心と身体が、「やめてーー、無理だー」って言っていたのに、
世の中も止まらないし、私も止まれなかった。
特に私は、1日にあんまり多くのことをこなせるタイプではないし、
そんなにソーシャルでもないから、あのスピード感と選択肢の多さはきつかった。
そう思っているのは、私だけではないでしょう。

かといって正直、今の状態をこれでよかったんだ。と思えるほどの生活事情ではないのだけれど(うちは飲食業なんでモロに影響受けています)、とりあえず今日は生きれてる。家がある。食べ物がある。家族が揃ってる。

そう思いながら庭で寝転んでいると、どうにかなるような気がする。

そんなわけで、今こんなに家ライフが充実しているのなら、
「売る」を前提に考えなくてもいいや、と思って、
今日もにんじんやお豆の種を直播きしました。
お花の種もいろいろ撒きました。



ワイルドフラワーのガーデン



豊作だったおいも





時間がゆったりと過ぎていくから、
木々や鳥や空の微妙な変化にも気づく心でいられます。
小さな世界で意識してないとわからないような小さな変化を重ねながら、日々が巡ってくる。
思い起こせば、子どもたちが小さい頃は、日々そんな感じだったなあー。

うっかりすると、世界がパンデミックだということを忘れてしまいそうな、
穏やかな小春日和の中で思うのは、

世の中すでにInfodemic状態なので、右にも左にも振られすぎずに、
自分の目線で、自分の窓から見える世界を広げていかないとなと思います。





私達の目の前にあるのは、自分の前に広がる「今この瞬間」という現実だけです。
右も左(あるいは相対する情報)も共に「恐怖」という概念をベースに、
右がなければ左が立たないという相互関係にあるそうです。
(なんとなく伝わるといいのですが。)

わたしはその両方から戦線離脱する方向で舵を切りたいと思ってます。
私にあるのは、目の前の景色や家族やコミュニティーです(引っ張られることもあるけどさ)。

毎日を淡々と。粛々と。
予防を欠かさずに。
先が見えないのはなんだけれど、わからなすぎるから、今にフォーカスするしかない。
そういう体験をできていることは貴重だなと思います。

移動できないというこの時間の中で、大切なことを取り戻し、気づけた気がします。
もちろん、世界中で外出できない人達や、いろんな生活環境下にある人の中では、私の今の生活環境は恵まれていると思います。
近い将来、手放さなければならないことになるかもしれないから今を大事に、と
足元をしっかり照らされた気分です。

この事態が早く収束することを願っています。









2020年4月1日水曜日

ウォルドルフ式ホームスクーリング

BC州は思いの外、感染者の急増をぎりぎりコントロールしているようですが、もちろんまだまだ社会的隔離が続いています。
こりゃあ、何月何日までとかいったそういう期限のあることじゃないね、と受け止めだしたこの頃です。

そして、昨日からホームスクーリングがはじまりました〜!
ちなみに公立の息子の学校はオンラインになるみたいだけど、若干混乱中のようで、何もはじまってません。
かたや、娘のウォルドルフスクールからは1週間分のTo Doリストをもらってるし、娘は学校が大好きなのでさっそく取り掛かっています。

やりはじめてみてから、ウォルドルフ教育ってやっぱり素敵だよあ〜って思います。
今までの毎日は忙しくて、正直ウォルドルフ的じっくりゆっくりアプローチ、素材にもこだわった教育であることを、つい忘れてしまうこともあった。

でも、娘の教材を持ち帰ってみて、やっぱり豊かな教育だな、
だから惚れたんだったということを思い出した。




去年の終わりに、公立の小学校でお試し入学をさせてもらったのだけど、
その時娘に、「これをやりなさいっていうプリントばかり配られるし、絵を書くときもマーカーしかない。なんで自分で好きなように作っちゃいけないの?」と聞かれてぎくっとしたことがあった。

ウォルドルフ教育には、教科書やプリントはないので、学んだことを色鉛筆かクレヨンを使って自分のノートに表現していく。
公立に通っていたら、プリントを配られたり、マーカーを使うことも疑問にも思わないことだと思うけれど、彼女にとってはショックだったようだ。

実際、私も娘のやってることをこうやって横で見るまで、わかっているようでわかっていなかったけれど、ウォルドルフ教育は魂を育てる教育なんだなあーって感じる。
ウォルドルフ教育のアプローチの仕方や言葉遣いを模倣してみると、なぜだから心の奥がブルブルっと震えるのがわかる。



これぞウォルドルフともいえるにじみ絵。娘の心の中なんだなーと思って見ると感慨深い




今日はハンドライティングの宿題。
春に関するポエムか本の一節を選んで、ハンドライティングで書き写す。
娘は、お花の妖精の挿絵で有名な、シシリー・メアリーのお花の図鑑から春のポエムを選んで書き写すことにしました。






シシリー・メアリーのFlower Faries Collectionより



もう一つの課題は、春を描くこと。
絵やオンラインで何かを見たり、想像の春を描くのではなくて、
外へ出て、5感を使って、感じた春を描いてください。との指示だった。

何度か外と中をいったり来たりしながら、「あ、匂いどんなかかいでないや。」といって外に出ていく。

「どんな匂いしたー?」と聞くと、「フレッシュな土の匂いだったー」と娘。
「それっていい匂いなの?」って聞くと、「いい匂い!」と娘。



水仙の花がきれいに咲いた!
でも太陽の方を向いてるからこっちからは花が見えない



なんだか、癒やされるわ。

他にも算数やライティングやフレンチの宿題があって、今週はそこそこ時間を潰せそう(←親の本音だったりする。笑)。

息子はというと、ウォルドルフスタイルには全くハマらないタイプなので、彼には彼のやることを用意しないといけないけれど、まあ今のところはうまくいきそうです。

このコロナパンデミックがきっかけで、来年は娘をウォルドルフに入れてやれるかもはやわからない。
でも、今のほどに「今を生きている」こともそうそうないので、未来に気をもむよりも、今あるウォルドルフの環境を楽しませてあげたいなと思います。

さあて、あと◯週間?◯ヶ月?下手したら9月まで学校ないかもしれないので、
私の心の体力が持つか心配だけど、
こちらも「今この瞬間」にフォーカスしてホームスクーリングやっていくしかないですね!

最後に、BC州のG3-G6のママさんパパさん。
私はLiveit Earthという10週間のフリーオンラインクラスに登録してみました。
短いアクティビティーだけど、BCベースのネーチャーライフを学べるのでなかなかよさそうですよ。今週はOrca week。子供もここ2日感、楽しんでやってます。

さあ、ママさんパパさん、根詰めない程度に頑張りましょねー!

2020年3月25日水曜日

先週の金曜日までは学校もあった子ども達。
少しづつCOVID19の気配を感じてはいたけれど、まだ普通の金曜日だった。

それからの1週間は、
今までの当たり前がどんどん当たり前でなくなっていく大きな変化の連続で、
基本的には楽観的な性格のわたしも、日が立つに連れ不安や怖れに足元をすくわれそうになる。

3月24日の今日は、BC州は自主的なロックダウン状態。

今年の流行語大賞は間違いなく「Social Distancing」
自宅で過ごし、他人とは2m以上の距離を空けること。
今まで聞いたこともなかった言葉が、すっかり日常を支配している。

私達も先週の土曜日から家に引きこもり。
10日もずっと家にいるなんてこの家に引越してから初めて。
うちの父ちゃんは、先週は電話に耳と口が糊でくっついてしまったのではないかと言うほど、シリアスな電話をかけまくっている。

子供には、今だけだよ。また普通に戻るからね、と口では言いながら、
「今だけ」がどれくらいなのか誰もわからない。

子供は割に状況を理解して、テレビの時間は増えちゃってるけれど、でもスケージュールを作ってそれなりに規則正しく生活しているかな。

そんな中、おととい、息子が父ちゃんとボードゲームをしたいと言った。
父ちゃんも、電話と手と口がくっついているような日々で、
あんまり子供と関わってやれなかったので、「いいよ!」と言って、
さあ、いまやろうと思ったタイミングで、また仕事の大切な電話がかかってきた。

「この電話、でなくちゃだわ。ちょっと待ってな。」

息子は、その電話が少なくとも10分以上かかることはわかっていた。

電話と一緒に外に出た父ちゃんの姿を見つめながら、
まだかな、まだかな、と待つ息子。

案の定、10分、20分と時間が過ぎた時に、
窓の外を見つめる息子の背中が静かに揺れていることに気づいた。

声をかけると、声を殺して泣いている。

わかるよ。

息子は父ちゃんに待たされていることに対して泣いているのではない。

なんだかわけわからないまま、楽しみだった春休みが自宅に引きこもることになり、
近所の友だちが道路越しに見えるのに遊べない、
どこにも行かずに家か家の周りにいて、
父ちゃんと母ちゃんが絶えずシリアスな話をしている。

その中でもなんとか気持ちを保っていたけど、不安だったんだよね。

息子よ、私もずっと泣きたかった。
でも、毎日に追いついていくのが精一杯で、泣くタイミングがわからなかった。

泣くなら今だ!

だから、2人で泣いた。

ちょうど夕暮れ時で、海と空がとってもきれいだった。
頭のどっかで、泣くにはうってつけの景色だわ。と思いながら泣いた。

急に訪れた、ガラッと変わってしまった毎日に、
「頑張るぞ!」という気持ちだけではやっていけないことは、
きっとみんな同じだと思う。

だから、泣けるタイミングがあったら、一度思う存分泣きましょう。
1回でも2回でも。

多分、みなさんと同じ様に、私もいろんなことを考えてます。

地球がおやすみすることができてよかった、

こういう形だけど地球人が一丸となる世界を見せてもらってるな、

お金に依存する生活だったな、

家にずっと居ても割とあっという間に時間がすぎるのに、
今までどんだけ忙しかったんだ、

耐えられるのかな?、耐えるしかないんだな、

生まれ変わるなら人間界の面倒に巻き込まれない猫がいいな(笑)、とか

そして、

失ってもいいものと、失いたくないものが何なのか。
私にその覚悟はあるのかな?って。

毎日夢をみているようだから、まあ頭もちゃんと働いてないんだけれどね。

今は「なんとかなるっしょ」という気持ちの隙間に落ちている闇の扱い方がわからないけれど、これは実は、未来の人類や地球にとって光なのかもしれない。
それもこれも、子どもたちが大きくなった時、「あー大変だった!」と笑ってられる日が来るね。

BC州のコロナ対策がはじまって短いのになんだけど、
今のうちに一度、ずーんと落っこちといて、
あと数日は、また這い上がってくるために、心の元気をためようと思います。
きっかけをくれた息子に感謝です。

息子の涙を思い出すとまた泣けちゃうわ!






猫は気楽でいいよなあ〜
猫は気楽でいいよなあ〜

 

2020年3月6日金曜日

瞑想の種類

去年の秋に、私の好きなヨガの先生のリトリートが近所であったので行ってきた。

それまであまりどんな内容のリトリートかわかってなかったのだけれど、
蓋を開けてみたら禅ベースのプログラムだった。

Sea to skyの森の奥での3泊4日リトリートのプログラム。
内容は、1日4回、最低でも計4時間くらいが座禅の時間で、
座禅と座禅の間はそれぞれ1時間半くらいのヨガを行う。
夕飯後から翌日のランチ終了までは、サイレントタイムと言って、
他人と会話してはいけない。

私は今まで、瞑想というと、割と祈りに近いかたちの瞑想を行ってきた。
もともとはシュティカ(ファーストネーションが守ってきた土地)に出会った時に、
シュティカを守っている長老の祈りや部族の人たちと一緒に、
地球へ感謝を述べたり、人々の幸福を願う機会があり、その時に学んだものだ。

その方法をざっくり言えば、自分自身や苦しみを受け入れ、
感謝や愛の光を当て、自分の外側、家族、自然、そして地球、
宇宙に向かって光(幸せ)を増幅させていくという方法で(または光や宇宙のエネルギーと繋がる)、スピリチュアル的な世界では非常によく行われている方法だと思う。

その方法は、確かに自分の中に光が溢れて心が温かくなり、
一体感を覚えるので大好きだったのだけれど、
子育てが始まってからは、
リアルな現実に戻った時に調和のとり方が難しく、
愛だ調和だとわかっているのに、
子育てで手一杯、
イライラして調和が取れていない自分に罪悪感を感じるという悪循環に陥ってしまい、
結果自分を苦しめることになってしまったので、
しばらく距離を置いていた。
(実際のところ、親になるという世界は、今まで見ていた景色がひっくり返るほどの衝撃かつ未体験ゾーンだった)

比べて、禅の瞑想とは、
瞑想で何かを体得するとか、
悟りをひらくとか、許したり、祈ったりするといった
瞑想の「目的」が無い。

目的がないのに座る。

ほら、もうここから禅問答が始まっているといっても過言ではないけれども、
文字通り、
目的もなくただただ座り、
鼻から息を吸って、口から息を吐く。
もちろん、言葉によるガイドもないし、
心が穏やかになるような素敵な音楽もかけない。

その行為には
愛も、感謝も、祈りも捧げないし、悟りも光明も得ない。


ただ呼吸をし、
ただ座る。

以上。

ちなみに、禅では、悟りや光明を得た、神に会ったとか、
あるいは全能感やメッセージが降りてきたという状態を「魔境」と呼び、
中途半端に覚醒した人が陥る精神のバランスの崩れた状態だと一喝している。

私は一時期、魔境をさまよっていたという自覚がある。
その魔境で迷子になったことがあるからこそ、禅の教えを読んだときには、
久しぶりに体に電気が走った。

で、ただ座ることで、何が起きるのかというと、
私の体験では、
ただひたすらに雑念が湧き上がっては消え、
そのうち足が痛いだ体が痛いだと、体も騒ぎ出す。
そういったことにも、できればなるべくとらわれずに座り続ける。


さらにそのずっと後に、雑念の奥深くから、本当の欲求がちょっと顔を出す。
この欲求は、日頃雑念や、固定観念、プライド、愛や感謝というベールに混じって、
自分でもなかなか気づくことができない。

それを、ぱっと掴みに行く。

目的を持つな、という禅の教えには背くけれど、
私は、その欲求の正体を掴む訓練をしているような感じがする。

それと、雑念というのもなかなか素晴らしいもので、
私が今、この瞬間感じていることを、浮き上がらしてくれるので、
文字通り、今ここ、この瞬間の自分とつながることができる。
足が痛いだなんだ、体の声も、まさにいまここなのだ。

前に行っていた祈りの瞑想は、
宇宙のエネルギーを浴びるイメージか、もしくは
内側から外に向かってエネルギーを放出しているようなイメージだった。
しかし、禅の瞑想はひたすらに内側にある。

ひたすらに自分とつながると、
座禅が終わって日常に戻っても、不思議なことに外側に影響されることが少なくなる。
瞑想後に自分と全く異なる波動の人にあっても、何も感じない。
私が禅的瞑想が「超絶グラウンディングである」と呼ぶ所以もこんなところにある。

ちなみに、仏教でも、
最初に述べた祈りの瞑想に似ている「慈悲の瞑想」と呼ばれる方法もあるそうだ。

もちろんこの方法も、心身を健康に、自分の状況に感謝し、
自分や周りの人達を幸せにする素晴らしい方法だと思う。

今の私には禅的瞑想が心と体の健康に役立っているけれど、
そのなかに慈悲の瞑想的な瞑想を取り入れることもある。

私もまだ入り口に入ったばかりで、
まだまだ何かを語れるほどではないけれど、
禅のシンプルさと潔さは、
情報が溢れている今の世の中から、
自分の核を知り、強くするための素晴らしい方法だなと思います。

もしこれ読んでピンときたら、とりあえずまずは1日10分、目を閉じてただ座る。

を試してみてくださいな〜♪



2020年2月17日月曜日

CBDオイルを試してみた

少し前のことなのだけど、
10歳の息子がインフルにかかり、
インフル終盤に咳がひどくなり、微熱が抜けきらず、ファミリードクターに診てもらった。

その時に、ドクターが息子に

「変な質問だけど、一応聞かないといけないから聞くけれど、あなたVapeしてる?」

という聞いてきた。

当の本人は、目をまんまるくして、まさか!と首を横に振る。
うちの息子はドラッグの名前を1つもあげられないほどイノセントなので、
私の知る限りそういう心配はないので全く心配してないけれど、
こういう時に、「そういえば、解禁になったもんねえ」としみじみする。

さて、タイトルのCBDオイル。
詳しい説明は省くけれど、ざっくりいうと、大麻の成分の中でも医療大麻の部分で注目されているCDB(カンナビジオール)という成分を抽出したオイルの総称。
酩酊作用がある成分THCが含まれていないものがほとんどで、

慢性的な痛み
睡眠障害、
不安やストレス
てんかん    

などに効果があると言われています。

*追記:アトピー性皮膚炎や乾癬にも効果があることがわかり、ステロイドのように副作用がないので注目されているそうです。またWHOも安全性や依存性に問題がないと発表しています。






話はちょっと前の夏のリノベーションの記事にもどります。

この夏、連日のリノベーションの肉体労働と家事と子供の用事で、
夏の始まりには精根尽き果てた状態になってしまった私は、
筋肉も精神も疲れすぎて、ベッドから動けないという状態になってしまった。

その頃は、もうめちゃくちゃに疲れていて、一刻も早く寝たい。
だけど、ベッドに入っても、疲れすぎていて眠れず、
かといって何もする気も起きず、
一日中「もうできない!」と全てを放棄してのたうちまわるような日々だった。
1日ベッドに籠城して、また動き出すのだけれど、それでは体調が改善されるはずもなく。

私に必要なのは、質のいい休息。

わかっているけれど、心も体も過緊張状態で自分ではどうすることもできなかった。

そんな状態で子供をアートクラスにドロップオフした後に、
同じビルディングに入っているカンナビスショップが目に入り、
「そういえばCBDオイルでも試してみるか」とふと思いついたのがきっかけで購入。
午後5時過ぎのカンナビスショップに列をなす、仕事帰りのおじさんたちも新鮮だった。

それから、寝る前にCBDオイル服用すること数週間。
これね、、、、最高。手放せない。

体の緊張がほぐれて、気づいたら寝ちゃってる。
次の日も、気持ちよく起きられる。

それじゃTHCでも同じじゃん。と思うなかれ。
いやしかし、それが違うんだ。

どういうわけかTHCは私の体に合わなくて、
THCを体に入れるとリラックスしてるようで逆に疲れてしまう。
体もあちこちがモゾモゾして不快になる。

しかしCBDは、
酩酊することなく、
純粋に体の緊張や痛みが緩み、
すーーーーっと意識がフェイドアウトしていくような心地よさがある。

カンナビスハーブの力すごいよ〜〜〜!

ちなみにその後体調回復して、普通に眠れるようになったし、
デプレッションなどには継続して摂取した方がよいみたいだけど、
私はそこまでではなかったので、短期間でお薬箱に戻っていただきました。
ちなみに、依存性はなく、元気な時に摂取しても効きが軽くて何もわからないと思う。(THCの代わりには全くなりませんのでご注意を。)

日本ではTHCが解禁ってなことにはならないと思うけれど、
CBD100%だったら購入できるようになったのかな?

眠れない、疲れている、緊張感がとれない、
気分が塞ぐといった症状でお悩みの方(痛みに対しての効果は弱いかな〜と思います)、
もしピンときたら、質の良いCBDオイルを
自然療法の薬箱に足してみてくださいね〜〜〜。

2020年2月16日日曜日

おそばせながら2020年の初記事です。

ブログを書くのはかなり久しぶりです。
どうもこんにちは!(照)

実はこの1年の間も、書いては消してと逡巡しながら
結局アップロードしなかった記事が何本もありました。

なるべく、読んでくれる人のためになることを書きたいと思いつつ、
そんなに価値のあるものが書けるだろうか?と手が止まったり、
「伝えたい」という欲求が小さくなってしまったり。
昔に比べて感受性が減って、さらに日本語が退化していることにまざまざと思い知らされたり、そんな風にして、筆が止まり、口数の減った1年でした。

ちょっと話は変わりますが、
同じ街で長いこと暮らしていると、当然ながらいろんな人に出会います。
その中でも、「この人は!」と思う素敵な人たちがいます。

そういう人は、私が素敵だなと10年前に思った時から変わらずに、
自分が探求する道なり、ビジネスなりをずっと続けて、
今もなお進化し続けている人達であることに気づきました。

観察していると、その人たちの共通点がわかってきました。

長い間1つのことを続けるというのは、当然ながらいい時ばかりではないわけで。
私が素敵だなと思っている人たちは、そういう時の葛藤をも見せてくれた人でもあります。

謙虚でありながら自信があり、
包容力がありながらバウンダリーがある。
無理はしないが、怠惰ではない。
感想はいうけど、悪口や愚痴はいわない。
苦労を知っている。
同じことを続けながら、停滞するのでも、過去を美化するのでもなく、進化し続けている。
そして、山や森にどんどん入っていくアクティブな人たちでもある。

なんていうか、人生に対して腹括ってるのに、軽やか。

人間だから、もちろんどこか偏りがでたり、アップダウンはあったりするけど、
最近はこういう方達から、学ぶことがたくさんあります。

比べて私は、、、と思うと、気分が落ちていく一方ですが(笑)、
私が続けていることはなんだろうと自分に問うた時に、
「書くこと」だなと、やはりここにたどり着きました。

人間は、自分の内側に取り入れ、吟味し消化したものを、
外に出していくというのが生き物としての普遍的な在り方ですよね。

だけど昨今の上っ面だけさっと取り入れて、
「汗もかかずに外に吐き出すという行為」が溢れすぎている今の情報社会では、
情報や想いを文字に載せることが毒にすらなりうる。

それに、もう必要十分の情報が溢れている世の中に、またアウトプットを増やすことに対して、自分でも辟易しているのもあるかもしれない。
承認欲求というものと戦っているのかもしれない。

なんて想いを逡巡させた1年であったけれど、

上記のように
やっぱり私の周りにいる素敵な人や、自然から得たことを、
アウトプットしないなんてもったいなさすぎる!

という思いに駆られ、
そして私の中で、体験したことを言葉に紡いで、アウトプットしていくことは、
やめられない衝動の一部でもあるので(父親が昔ジャーナリストだったので、その血を受け継いでいるのかもしれない)人様の害にならない程度に、堂々と、これからも書き記していこうと思います。

2007年から始まったこのブログも13年目に突入です。
とまあ、おそばせながら2020年のブログスタート。
今年もよろしくお願いいたします。

2019年10月1日火曜日

オルカを守る!

世界中でClimate Actionが巻き起こっていますね〜。
Greta Thunbergさんのスピーチを見た方も多いのではないでしょうか。

Squamishでも先週末にGlobal Climate Strikeがありました。
そして昨日は、オルカやクジラがやってくるSquamish近郊の海「Howe Soundを守ろう」という環境系のイベントがあったので行ってきました。




イベントの最初に、$25で折りたたみ傘を買って(もちろんそのお金は海を守る団体への寄付に回る)その折りたたみ傘を広げて人間でオルカの絵を作り、それを頭上から撮影するという会がありました。
口で説明すると難しいけど↓な感じ。黒と白の部分がオルカで青が海を表してます。





そのあと、広場のブースを散策。





David Suzuki Foundationは世界的に有名だと思いますが、
David Suzukiさんはカナダ人で、
David Suzuki Foundationはバンクーバーを拠点に活動していることは知っていますか?

というわけで、ここHowe Soundも地元の活動圏内にあります。

かつてHowe Soundは、この地域の最大の産業であった鉱山業の鉱毒により深刻な海汚染が引き起こされ、その影響で湾から魚達が消え、魚を食べるオルカやクジラが来なくなるという状態が続いていました。

それから40年、地道な海水浄化により、最近ではオルカやクジラがポツポツと目撃されるようになりました。

海の生き物が戻って来たんですね。


オルカとクジラの出没を点で表したもの


実際の出没回数は上の表より多いのですが、団体への報告件数は少ないとのこと。
フェリーのルートは見てる人が多いので出没が多くカウントされているそうです。

私の家からも海が見えて、たまに近所の人から「オルカアラート」をもらうことがあります。
今の所、家の庭から遠目にクジラの潮吹きが見えたことはあるけれど、
まだオルカには遭遇できず。
絶対見たい!


Howe Soundでは見たことがないけれど、
一度だけフェリーの上からオルカの家族に出くわしたことがあります。
本当にね、感動なんです。
あんなに大きな海の生き物が実在して、
それも家族で行動している。

BC州のファーストネーションのシンボルで
オルカは「家族の絆」や「調和のある暮らし」象徴する動物。

「オルカがこの海にいるのを見たい!」という単純な理由が、
「海を守りたい」という気持ちに繋がったりするものです。

それが、天然ガス発電所の設立(Squamishでは常に議論の対象)の反対動機になったり、石油のパイプラインのせいでタンカーがこの海を行き来することはよくない!と思える理由になります。

環境問題といえば、どの記事を読んでも悪化の一途で、
みなさんも結局何をやっても人間が生きている限り地球環境は悪化するばかりだ。という気持ちになってしまうことも多いのでは。
David Suzuki Foundationの人も言っていたけれど、オルカの帰還がよい例で「よくなっている!」という面を目の当たりにすると、励みになるし、ほっとしますよね。

もちろん、プラカードを持って反対運動を行うことはとても有意義なことではあるのだけれど、
こうしてみんなで折り畳み傘を持って、「We love Orca!」と叫ぶことも、
心が暖かくなるし、
大事にしたいことだなあってしみじみと思えていいなあって思いました。


なぜHowe Soundを守りたいか理由を書いてます

ああ、いい有意義な時間だった!
お金を少しでも良いことに使えてよかった!

これからもなるべく参加していきます。