2020年5月23日土曜日


家にいるようになってから、近くの海まで自転車で散歩に行くようになった。
往復でちょうど1時間。子供との散歩&エクササイズにちょうどいい。




海に行く途中に、森に囲まれたただっぴろい空き地があって、
パンデミックに突入した時は、まだ葉っぱがまばらだった森が
今はもう新緑を過ぎて夏の準備をしているように感じる。

思えばこの2ヶ月は眠っていたような気もするし、
夢だったような、現実だったような、なんだか幻のように思う時がある。

みなさんはどうかわからないのだけど、
私は規制緩和が始まり、社会が動き出そうとしている今のほうが、
パンデミックのど真ん中に居たときよりも心がグラグラする。

自分の心に聞いてみると、
「前みたいに忙しい生活に戻るのが怖い」
と言っている。

耳障りのいいことを言うようだけれど、

また空に飛行機が飛び回り、海にエンジンボートが行き交い、
人気のハイキングトレイルに人が集中し、
今は見える遠くの景色がぼんやりと霞んでくる


と想像すると、胸がずーんと重くなる。

何も私は、「地球の痛みが自分ごとのように苦しい」と言いたいのではなくて、
自分も地球の一部だからこそ、
そんな日常の中に、自分の身を置くのだと思うと苦しくなる。


3月のブログで「涙」という記事を書いたのだけど、
この2ヶ月で「受容ー調整ー適応ー出発」というプロセスを一回りして、
また一段上がった「受容」ステージにやってきたのかな。

今の気持ちは、あの時の感覚や悲しみと似てる。

と、そんな事を言っていても、山奥でひっそりと暮らしているわけでもないし、
社会も時計の針も止まらない。

しょーがないかあ、と、私も変化に向かって準備をする。
少しずつ少しずつ。

その合間合間に海に行く。

子供をそこら辺に放って、少し瞑想する。
ただ息を吸って、ただ吐く。
今と繋がる。
今の自分と繋がる。






こういう時に海が近くにあってよかったあって思う。

海は止まらない。常に。流動的に。
海を見ていると、変化への受容を促してくれるように思う。

「諸法無我。諸行無常。忘れるなかれ。そして進め。」

と大きなところから言われているような。

そして、潮の満ち引きを目で見て感じることで、
月と地球と繋がってることを、体感する。





2ヶ月間、体と心がお休みできてよかった。
地球や動物も、少しばかりの休息になっていたらいいな。
身の回りにある森や植物や自然にいっぱい癒やされたな。
ありがとう。そしてこれからも。






こうやって書いているくらいだから、
私の中でも次のステージに向かって、ある程度の覚悟はあるのだろう。


さあ、顎をあげて、次のステージに向かって、しゅっぱーつ!だー!

2020年5月16日土曜日

先生のパレードと学校再開とホームスクーリングの本音

学校が閉鎖されてから早9週間。
先日、息子(G5)の学校の先生が学区域を車で巡るというパレードがありました。


先生たちが車に乗って、手を振りながら学区域を巡るというパレードだったのですが、

なんか、知っている先生たちの顔を見たら、胸にこみ上げてくるものがあって。

子供も先生も「I miss you !」というサインを掲げて
笑顔で手を振っているのを見ていると、
やっぱり、オンラインなんかでは絶対に表現できない
「人のぬくもり」をすごく感じて、ウルウルしてしまった。

なんとなーく、世の中の風潮を見ていると、
「学習の遅れ」が学校再開への議論の的になっているような気がするんですが、

ちょ、ちょっと待って、学校って、勉強だけするだけの場所ではないですよね。

学校は、友達にあって、遊んだり、喧嘩したり、

親以外の大人を信用する、もしくはジャッジする機会であったり、
他者と自分との違いを発見したり、社会の規律を学んだりする
学校は、子供にとっての社会です。


私は、学校といえば、勉強したことよりも、いい思いも嫌な思いも含めて、
人との関わりの記憶の方が断然ウエイト占めています。

だから、「学習」ばかりが議題になっていると、
ワタシ的には、子供の心が置いてかれているという気持ちになります。





去年の今頃


うちの子供の場合、9週間家庭の中にいることで、
他者との交流がなく、オンラインの課題をぼちぼちとこなす日々が続き、

特に息子のメンタルが低下してきていることに気が付きました。

大人ですらオンラインやズーム疲れで疲弊している人も多いと思いますが、子供も同じです。特に、小学生には、オンラインツールやリモート学習は向いていないと実感します。

うちの子供はスクリーンタイムがパンデミック前の3倍くらいに増え、
最近になって、言葉がなんだかシャープになってきているのを感じて、
あれ、精神面で影響出てるな、彼らしさが失われ始めていると思うこの頃です。

無理だとわかっていて聞いてくる「〇〇と遊んだらだめだよね」という言葉も切なくて。



今日息子が作成していたハートマップ


そんな中で、パレードの時に久しぶりに友達に会って、
自転車で遊ぶ機会があったのですが、
終わってから、蒸気で顔を真赤にして「楽しかったー!」ってキラキラした目を見て、
私も本当に嬉しかった。


言わずもがな、全てのお父さんとお母さんが、
この状況下で、みんなすっごい頑張っています。

それでも、親ができないことはたくさんある。

実際に先生を見たときや、友達に会った時の笑顔を、
私は引き出してやることはできません。


It takes a village to raise a child

という言葉がありますが、子供を育てているのは親だけではないと
この事態になって痛感します。
そして、正直、自分たちの中だけで抱えるには、私もだいぶ疲れてきたな。。。。


なんとなくオンライン上の世論は、
学校再開への批判的な色合いが強いように感じるのですが、


仕事をしながら子供の面倒を見ている家庭
規制緩和に伴って、低学年でも留守番をさせなければいけない状況にある家庭
精神的に疲弊している家庭
この状況下で精神状態が不安定な子供
ホームスクーリングが成立せず、学習に遅れがある子供
閉ざされた環境の中、虐待や育児放棄の危険にある子供

それが数週間であるとしても、いろんな理由で学校再開を望んでいる家庭もあるでしょう。
それと同じくらい、いろんな理由で学校再開を望んでいない人も、
どちらでもないという人もいるでしょう。


なので、どうかどうか、

Dr.Bonnie Henryの言うところの、「Be kind to others」という目線を持って、
各家庭の判断を優しい気持ちで受け入れてくれる社会であってほしいと切に願います。


学校に戻る子、戻らない子、戻る先生、戻らない先生、
その全ての選択は正しいと私は思います。


私と息子は6月1日が楽しみです。

Be kind to others and enjoy outside! 


2020年5月14日木曜日

Heartmap + Creative Writing Art Night のススメ

先日スカイプのミーティングツールを使って、
「Heartmap + Creative Writing Art Night」を開催しました。









Heartmapとは、いくつかの質問に対する答えを、
「ハートの枠の中に、キーワードか短い文章で表現し、
その言葉と一緒に浮かんでくるイメージを描く」というアートワークです。

もともと、Heartmapというアイデアは、Georgia Heardというアメリカの作家さんが、
子供のインナーワーク+クリエイティブ・ライティングのツールとして考案したものです。
これが、たまたまうちの子供の学校の課題だったのですが、子供と一緒にやってみたらなかなか面白くて、
これ大人がやっても有意義だなと思い、それならば、お仲間を集って一緒にやりたい!と思い、友人知人に声をかけたというのが会を開いた経緯です。

今、私達はなかなかユニークな時代を生きていて、

特にこの5月は制限緩和に向けて、BC州が動き出しているところでもあるので、
3月の衝撃とはまた違ったメンタルを経験してる人も多いのではないかと思います。


なので、ハートマップ作って日記の1ページとして、後で見返しても面白いし、
表現アートセラピーという心理療法があるように、心の中を自分の外側に出す・アート(表現)することで、心がスッキリするという効果もあります。

以下やり方を紹介するので興味あったらぜひやってみてください。

1.まず、紙と色鉛筆を用意して、紙にハートのフレームを書きます。


2.心のなかを探る質問をして、その答えをハートの中に描きます。(いくつか抜粋します)
  ・今日感謝したこと、心がほっこりしたことは?
  ・パンデミックに入ってから観察していること(心でも、植物や物でも)

  ・心のなかで今一番大切なこと(ハートの真ん中に)
  ・今ある不安や恐怖、チャレンジは
                         など

ハートマップ作成はこんな感じで作ります。
心の中を全部お見せするのはちょっと恥ずかしいので、
以下ちょこっとだけ私のハートマップをお見せしますね。





3.今回は、クリエイティブ・ライティングも兼ねているので、
出てきた答え(キーワード)の中から、ライティングのテーマとなるトピックを選んで、そのトピックで自由にライティングします。(ポエム、ジャーナル、記事風、なんでもよし)


☆普段、日記で自分の想いを書き出している人も多いと思いますが、
クリエイティブ・ライティングは、「人に発表する」を意識しながら作成してみると面白いです。もちろん、良い悪い、上手い下手なんてありません!

そういうモードで文章を作成すると、アートスイッチが入るし、
より心と繋がれるというか、普段とは一味違って、心と頭のいい刺激になりますよ。





何人かでやると楽しいですが、一人でも、自分の日記の1ページとして思い出にも振り返りにもなるので、興味があったらぜひやってみてくださいね〜。


さて、今回の会では、私が思い入れのある各方面から5人の方が集まってくださいました!
初対面同士の方もいたのですが、点と点を線で結んでくれる人が必ず居て、

5個の点を書いたら☆になったという素敵なメンバーに☆

そして、最後に出来上がったライティングをシェアするところまで行って、
わかったことがあります。

それは、、、

参加者のみなさん、

このパンデミックで今までにない「時間」を与えられて、
その「時間」を使って、「自分」や「家族」を今まで以上に大事にすることができた。


と、大小の波を抱えながらも、この今まで出会ったことのない出来事を前向きに捉えていらっしゃったことです。
答え合わせをしたわけではないのですが、私も同じ様に感じていたので、
私も同じだ〜♡っと気持ちが温かくなりました。


会を終了した後に、みなさんそれぞれのハートマップをシェアしてくださったので、
みなさんそれぞれの想いを垣間見させてもらえたのも、とても嬉しかったです。
2時間では時間が足りなかったので、私はできたハートマップにもう少しと色や言葉を付け足して遊びたいなと思っています。


パンデミックに入って2ヶ月が過ぎ、新しい日常にも慣れてきた頃だったのも
このワークにちょうどよかったように思います。

2回目があるかどうかわかりませんので、仲間内でやってみたいと思う方がいたら
このウェブサイトを参考にしてみてください。

ああ、いい夜だった〜〜♡♡♡

2020年5月12日火曜日

蟹座の月 〜プログレスの満月〜

去年の秋あたりから、
妙にスピリチュアルなものへ回帰したくなるような衝動に駆られています。






私は、一時期どっぷりとスピリチュアルな世界に浸っていたことがあったのですが、
魔境で迷子になりかけていたところに出産育児という経験が重なり、
そこから見える景色と日常を重ねていくうちに、
「もっと興味を広げて幅広い価値観を身に着けたい」という想いが強くなり、
どっぷりスピリチュアルからは一旦距離を置いていました。

それからは、心の中に意識はあるけれども、
体外的には「魂の〜」「宇宙からの〜」「エネルギーワークで〜」といった言葉遣いを意図的に避けてきました。

なんですが、秋口から、どうも引っかかりを感じることが増え、、、
なんでだか、意識がスピリチュアルに向かいがちになる。
抗うのに気づいたら隣にいる。みたいなことが増えていました。

それで、この自粛期間の間に、しばらくぶりに占星術の本を開き、
自分のホロスコープチャートを再読していて気が付きました。


はじめに、私は、自由人で有名な射手座に天体が5つ集中している、
超射手座+炎の女です。


スピリチュアルの世界を堪能していたのは、私のホームである射手座期。
その終盤期であった今から約15年前に「プログレスの新月」という、
「30年に一度の転換期」を山羊座の4室(家庭や家を象徴する部屋)で迎えていました。


私のホロスコープチャートは、
右半分は空っぽという、偏りのあるチャートなので、

山羊座から「家庭」をテーマにした向こう30年間のスタートは、
本質的に未知すぎる世界。


例えて言うなら、

山羊座さんってコツコツ努力家でちょっと古風な感じよね?(←アタシと本質的に違うからわからん!)
射手座的な自由がない、思想を掘り下げ具現化する物理的な時間がないじゃん!(←超ストレス)
社会の一員として、日々をこなすことにこそが精神鍛錬(厳っ!)

みたいな感じで、ひょえ〜〜な世界に半ば強制的に突入といった感じです。

実際、この15年間で、育児と家事で日常を鍛えられ、
夫のビジネスからお金やビジネスから見える社会的なことを学びました。
布ナプキン活動から、想いを目に見える形にして伝えるという経験ができました。
また、親になるという経験は最大のギフトであり挑戦で、
おかげで私の人生は、広く深く、喜怒哀楽、情緒豊かなものに。


と、自分が本来得意であったり、馴染みのあった世界観から離れて、
この15年で社会や人生を学ばせてもらったことは、大事だったなと思います。
その代わり、豊かだった想像力や感受性が影を薄めてしまいましたが。

ということを踏まえて、つい最近ホロスコープを見たら、
進行の月が蟹座に入り、

MCにまもなく到達、そして「プログレスの満月」を迎えることに気が付きました。

蟹座は、家族を大切にする、情緒豊かな、優しい母性的な家庭の星。

15年前のプログレスの新月で「家庭」というテーマに遭遇し、
なんとかかんとかやってきたことを、
「家庭の星」の蟹座で収穫期を迎えるのだと思うととっても感慨深いです。
子供たちもティーネージャーの手前の、素直でなんでも一緒にできる楽しい時期。

それと同時に、水の星座は共感力や目に見えない世界、情緒面を表すから、
スピリチュアルなものに寄っていってるのかなあと思うと辻褄があいます。

もっと大きく言えば、魂の母性回帰みたいな面にも惹かれてきているのかなあ、
なんていう気もします。

そして、今までは「愛しているからこその厳しさ」のように、
愛の表現がハードロック的だったところもあるので、
ソフトに柔らかく心や愛を表現する時期に来たのかもしれません。


なので、また、「魂の〜」「宇宙からの〜」「愛することは〜」といった表現をこのブログでも使い始めるかもです。

という、この一連の出来事が、
チャート上の「MCという人生の頂点」にかかりだしているので、
今までの体験を集大成して、新たな活動が始まりそうだなあ〜なんて楽しみです。


それか、まさか、今から蟹座の家庭的な面が開花され、料理や家事にはまるとか、、、
カリスマ主婦になるとか、、、(←ナイナイ!と射手座の私が言っている笑)


進行の月は一つの星座に2.5年滞在し、興味の対象を表すとのことなので、
抗わずに蟹座ブームを楽しみたいと思います。
こうやって人間みな変化しつついろいろな景色を見ながら成長するのですね。


チャートをじっくり眺めたのはしばらくぶりだったけど、
意識してなくても、うまいこと星物語が繋がっていくから占星術は面白いです。

みなさんも気になったら、「プログレスの新月」「進行の月」を調べてみると楽しいかもしれません♪(チャートを見る時に参考にするとよい部分を太字にしました)

ぜひ自分の星物語を紡いでみてください。



2020年5月7日木曜日

鳥めーーー!! 〜ガーデニング日記〜

どわーーっと雨が降っては止む、またどわーーと降っては止む。

雨と雨の合間に外にでると、森が育っている。
水をいっぱい吸って、吸った分だけ枝が伸び、新緑が濃くなる。

外にいるだけでワクワクする、1年で一番好きな季節が始まった。
緑が目に優しくて、にょきにょき育つ木々をみてると元気がでる。
そして、鳥たちの歌声のハーモニーのなかに、かえるの鳴き声もまじりだし、
毎夕、穏やかで賑やかな森のハーモニーに心が癒やされる。

種まきした野菜やお花も芽が出はじめて、

数カ月後の賑やかなガーデンを想像すると幸せな気持ちになる。







だけど!



自然は決して、甘美で優しいわけでは決してない。
人間はそういう風に捉えたがるけれど、自然は人間をはるかに超えた存在なのだ。
だからこそ、面白い。

最近のわたしの目下の悩みは鳥。
私のかわいい苗ちゃん達を、常に鳥が狙ってくる。
私なりに工夫して鉢を守ってはいるのだけれど、
ちょっと日に当ててる間なんかを見計らって食べにくるのだ。

かと思えば、地面からは虫たちが小さな双葉をかじりにくる。

ブラックベリーが勢いを増し、雑草に混じってこっそりガーデンの隅に根を張って、
気がついたら、「あら、バレた?」と言わんばかりに、しっかり芽を出している。

鳥に対しては、苗ボックスを作るなり、ネットを張るなり対策をすればよいのだけれど、
たまに街にいっても、私と同じ状況の人がたくさんいるのだろう。
防鳥ネットは売り切れでなかなか手に入らない。

つい数日前も
雨上がりの晴れ間に、Jayが「ガー!」と鳴きながら数羽でガーデンを荒らしに来た。
私にとっては奴らは空のギャング。全然かわいくない笑
だから娘と一緒に「ガー!」と鳴き返して追い払う。

その上を、ハミングバードがズズズズズーと高速で飛び回ったかと思ったら、
なぜか急旋回して隣の家の木の上に止まる。
追い払ったJayもその近くの木に退避する。

彼らの安全地帯から、こっちを見てJayが「ガー!ガー!」と鳴く。
私には「追い払っても無駄だよーん」もしくは「ばーかばーか」と言ってるようにしか聞こえない。笑

ファーマーの友達に言わせれば、鹿やイタチや熊が近くにいないだけいいじゃない。
ということになるんだろうけど、もう鳥に完全に遊ばれてる。
ついでにJayにまぎれて、ロビンもしれーっと庭を荒らしに来る。


と、鳥に気を取られている間に、ブラックベリーがどんどん侵食してくる。。。

でも、こういうのも含めて、ガーデニングは楽しい。
頭でっかちになり気味ところに「ばーかばーか」と言われるのはなかなか清々しい。

昔、自然や農作物に対する”感謝と愛”を頭でっかちに捉えていた頃に、
WWOOFで実際に農作業をやってみてその考えを打ち砕かれた時の爽快感に似ている。


今は特に、体を使う、5感を使って体感することの大切さを身を以て感じる。
こんなときだから特に、体を動かし、手足や5感を使って体感することって、
どんな本や情報よりも、価値があると思うのだ。

「知識」は実際にやってみて「知恵」に変わる。
「知恵」は謙虚さを伴うけれど、「知識」は傲慢さを連れてくる。

裏を返せば、謙虚さは自信の現れであり、傲慢さは自信のなさの現れだ。






鳥に「ばーかばーか」と言われることで、
謙虚さを取り戻せるのだとしたら、やはり自然には感謝しかないということになる。

悔しいけれど、、、、「ありがと、Jay」とつぶやいておくことにする。

今日はネットを手に入れられたので、これでまた仕切り直し!

でも、、見てろよ、Jay!と思ってしまうところがまだまだ感謝が足りないね 笑。





2020年5月4日月曜日

真ん中の真ん中を意識する

今朝はサラ(ヨガの先生)のオンラインヨガからはじまった。

彼女のスタイルはテンセグリティー・ヨガといって、「引っ張る力」と「戻ろうとする力」を利用して、安定し自立する場所を探すという理論に基づいたヨガ。




 Path yogaより テンセグリティー(張力と統合)を表した構造物


サラは、レッスン中、手や足を動かしながら「真ん中の真ん中を意識する」という言葉を多用する。
私は長年、それを文字通り「体の中心」という意味として受け取り、それ以上には捉えてこなかった。
だけれど、彼女の言わんとすることが今はよくわかる。

サラはヨガはあくまでも「今」と「自分」を繋ぐ橋だと表現する。
例えば太陽礼拝は、スタンディングポーズからコブラと相対する動き方をする。
その時も常に「真ん中の真ん中を意識する」ことによって、
自分の外側で、大きな揺らぎがあっても、自分の真ん中に戻ってこれると言う。

むしろ、左右上下の揺らぎがあるからこそ、自分の真ん中を知れるのだと。

人生は、時に、右に左に上に下にと揺さぶられることがある。

右が良いと思っていたのに、左の方が真実なのかもと迷う。

上へ上へと行きすぎると大地に足がつかなくなり、
しゃがみすぎると、視野が狭くなる。
真ん中にいたつもりが、気づいたらズレている。

もしくは今みたいに、自分ではどうしようもない流れに巻かれ
あふれる情報やSNSの投稿に晒され、見通しの立たない明日に、
いろいろな想いが逡巡することもあるだろう。

そういう揺らぎを体験しているからこそ余計に、

「真ん中の真ん中を意識する」という芯の強さに助けられる。
真ん中がわかっていれば、どんな時も心がブレず、揺れず、惑わされない。

そして、この真ん中は、単純にミッドラインを意識するのではなくて、
闇があるから光がみえるというように、
自分の外側が多種多様に動くからこそ見えてくるものだ。
言い換えれば、自分の考えとは相入る事柄への受容あっての発見とも言える。(でも受容であって迎合も批判もせず、どちらかといえば観察に近いかもしれない。)


私も、サラとのヨガのおかげで「自分の真ん中」がわかるようになってきた。
これは、頭や心で理解したり、感じたりするものではなくて、
体に落とし込むことによって、その感覚が強くなる。
体と心は繋がっていることを実感する。

訓練あるのみ。

体感あるのみ。


「真ん中の真ん中を意識する」

これだけで、心がずっと、穏やかになる。