2020年9月22日火曜日

お知らせ noteに移行しています

 いつもUniearth's Color Paletteを尋ねていただき、ありがとうございます。

このブログも足掛け10年ほど日々いろいろな想いを書きためてきました。

ありがたいことに読んでくださって、その上、声までかけてくださる人もいて、
読んでくれる人がいるって本当に幸せなことだな!と今更ながら再確認しています。

というのも、今このブログをnoteに移行させて、このブログを閉じるか、
棲み分けをするか、色々と考えを馳せています。

そもそも、ブログがここまで長続きしたのは、
単純に「書きたいことがいっぱいあるから」ではあるのですが、
そういう想いとは別に、noteってやっぱりどれだけアクセスを稼げるかとか、
フォロワーとか意識して天秤にかけそうになることもあって、
いやいや、そういうとこに囚われたら違うよね、って
その部分との葛藤もあったり無かったり。

このブログは記事を書いた時にFBに投稿する感じで
楽な気持ちで書いていたのですが、
noteはSNSなので、その中に入ってみるとコンペティティブ感も感じるので、
良くも悪くもそれも新たな挑戦なのかな。

さて、noteには、最近のアレコレと一緒にこのブログで書きためた過去記事を厳選して引っ張り出して、note 内で再投稿したりもしています。


このブログでは書いてこなかったことも書いてみる予定ですので
良かったらnote @Yui Squamishを覗いてみてください!

フォローも嬉しい限りです。


しばらくtry and errorで試行錯誤していくうちに、
自分の中でも書き物の居場所を見つけられる気がします。

皆さんの存在は、アクセス数や「いいねボタン」から感じさせてもらっています。
本当に励みになります。ありがとうございます。

というわけで今後ともUniearth's Color Palette & @Yui Squamishをどうぞよろしくお願いいたします!


2020年9月12日土曜日

リッチ・ガール

 娘のクラスは女の子が3人しかいない。

この間、ブログでも書いたハンター・ガールのニナ、娘、もう一人は今日紹介するアナベラの3人だ。

今日は、アナベルが遊びにきた。
彼女は新居のすぐ近くに住んでいるので、うちを見たいと言ってきた。
アナベルは、ニナともうちとも異なる生活環境で、現代風の大きくて素敵なおうちに住んでいる。
去年は女の子のクラスメイトがもっといたので、娘とあんまり絡むことはなかったのだけれど、今年は数少ない大切な女子友だ。

アナベルは娘より1歳下で、快活で華やかな雰囲気のある子だ。
華やかさの意味するところに、クイーンタイプな雰囲気も入れてもらうともう少しイメージしやすいかもしれない。


そんなアナベルがうちに来て、

 「私の家の方がリビング大きいかな〜」
 「あ、アレクサあるの?うちも5台あるわ。私の部屋にもあるよ」(←えっ1人1台?!)
 「この家レンタルなの?買うべきよ!素敵なおうち!」(←買えないって!)

と、いろいろと感想を述べてくれた。

彼女の名誉の為に断っておくと、彼女は何もマウント取ろうとして言っているわけではない。

彼女にとって普通のことを、普通に言っているだけなのだ。

それに対して、カッコの中の声は私のひがみ兼率直な感想である(笑)

おやつの時も、娘に引き出しからお菓子を取るようにいうと、
娘の代わりにアナベルが引き出しを開けて、

「んー、グラノラバーもあるけど食べる?」
「えっとー、スプーンとお皿はここかな?」(と言って引き出しを開ける)

と、文字通りHelp Your Self(笑) でおやつの準備をしていた。

日本人的感覚だと、失礼な子だ!と取る向きもあるだろうし、
カナダ人だって、「人の家の冷蔵庫を勝手に開けてはいけない」「必ず相手の親に聞くこと」と育てられている子も多い(でも日本人ほどじゃないけど)。

私も彼女の言動を観察していて、ニナともまた全然違うので
初めは「わお」とも思ったのだけど、しばらく観察していて気づいたことがある。

アナベルは自己肯定感が強い ということ。

相手の立場に立って、共感するというのは大切なことだけど
自分にとって普通なことを、忖度なく普通だとちゃんと主張できる。
自分の意見をちゃんと言える。

これって、すごく大事なことだと思う。

そして、人の指示を待たなくても自分で考えて行動していることにも気づいた。

もちろん子供だから、上手に立ち振る舞えているわけではないけれど
行動原理として「自分で判断して行動する」ができている。

アナベルの名誉のために補足しておくと、
好き勝手に振る舞っているようで、どこか気を遣っているのも感じるし、
育っている環境からなのか、上品さもある。

これまた他人の懐事情を推測するのは無粋だけれど、
まあ、一般的に言って普通以上の経済力のあるご家庭であることは間違いない。
だから、彼女のビジョンの中には、「経済的に苦労する」という感覚があまりわからないのではないかと思う。

これも、決してひがみで言っているのではなくて、
たとえ成長過程で紆余曲折あったとしても、彼女が成人してからも、今与えられている生活環境を当たり前の事として、引き寄せることができるのではないかと感じる。
(ついでに言うと、彼女は将来ファンドマネージャーみたいな仕事につくような気がするのだ)

人間、自分のビジョンにないことを、想像して現実化するのは簡単なことではない。


なんでこんな風に感じたかと言うと、、、
つい最近Netflixで「運命の子供たち」と言うドキュメンタリーを見たばかりで、
「生まれた定め」とその子供達が生きる使命について考える機会があったからだ。

なんとなく「恵まれている子は甘やかされている」という論調もあるように感じるけれど、だからと言って「幼い時から苦労に苦労を重ねた方が良い」というわけでもない。

私の育った家庭環境は荒れていたし、経済的にも全く楽ではなかったので
私は「自分が思い描いた未来を描く」という行為は思春期になる前にやめてしまった。
「願ったってどうせかなわない」という諦めが深く体を支配していたからだ。

このブロックを外すのは大人になってからもなかなか難しい。
ついでに自己肯定感もドーンと低くなる。
こういうストラグルから大人になっても抜け出せない人は少なくないはずだ。
(今自由にやってるじゃん、と人は思うかもしれないが、今私がカナダで暮らしているのは、この深い支配に対する激しい反動があったからと思ってもらえたらと思う)


なんにしても、苦労して育った子供、恵まれた環境で育った子供、
どちらも大人になった時に、経験が良い方向に働けば社会を変える大きな力になるはずだ。

アナベルとニナと娘の3人 個性も環境も異なる女子グループ
どんな風に育っていくのか、少しヒヤヒヤもあるけど楽しみだ!

ついでに「運命の子供たち」見てみてください。おすすめです!

*タイトル含め、実際より多少誇張している部分もあるので「読み物」として読んでくださいませ*









2020年9月1日火曜日

ハンター・ガール

娘:「鹿肉って美味しいの?」

ニナ:「すっごく美味しいよ、そしてすっごく悲しい」

娘:「鹿を殺した後、呪われないように塩をたくさん撒くの?」

ニナ:「うーん、塩を撒く時もあるけど、私のお父さんは必ず食べる時にお花を添えるの。

    それで、命をどうもありがとうってみんなで手を合わせてから食べるの」


娘の一番仲の良いお友達のニナがお泊まりにきた。
彼女はメキシコ人で3人姉妹の末っ子。

彼女のお父さんは狩りをするので、時たま姉妹みんなで森に入ることがあるそうだ。
一番上のお姉ちゃんがお父さんの右腕で、血抜きをしたり皮をはいだりするらしい。
ニナは、周りの掃除やお姉ちゃんの手伝いをする。

ハンターと聞くと、Tatooの入ったごっつい山男を想像するかもしれないけれど、
彼女のお父さんは小柄で、謙虚で、とても優しい人。

しかも、このご時世、家にインターネットをひいていない。
携帯電話もフリップフォン(ガラケー)
もちろんテレビもない。ネットフリックスもディズニーチャンネルとも無縁だ。
その代わりにしょっちゅうお父さんと一緒にハイキングやキャンプをしている。

この3姉妹、全員感心するほどいい子で
私がニナを送りに届けにいくと、親が仕事でいない時は
お姉ちゃんが出てきて「ニナを預かってくれてどうもありがとう」
と必ず言いにきてくれる。

言い忘れた。お姉ちゃんといっても10歳の女の子だ。

ニナもうちでご飯を食べたりすると
「お手伝いすることありますか?」と何度も聞いてくれるのだが、
ついには「私、洗い物しようか?」とまで言ってきたから驚いた。

これも、言わされているのではなく、彼女にとってそれが当たり前的な自然な言い方なのだ。

他人の家の懐事情を推し測るのは失礼なのだけれど、
彼らは物価と不動産の高騰によって、リッチ化したスコーミッシュでは珍しく
2ベッドルームのスイート(アパート)に暮らし、
あまり持ち物を持たない質素な生活をしている人たちでもある。

比べて私は今、縁あって新築の大きな家に住んでいる。
iPadなどのデバイスもあるし、家族全員がそれぞれデバイスに向き合って会話がない時間もそこそこある。その上、家族全員分のそこそこ高価な自転車や遊び道具もある。

つまり、必要な物、いや必要以上の物を持っていながらも、
特に今年の夏は、引越しのせいだと思いたいが、結局出番も少なかった。

それで、冒頭の会話に話は戻るのだけど、
先日お泊まりに来たニナと娘の会話を聞いていて、
なんか「私、生きる上で大切なこと忘れている気がする」とドキッとした。

「あなたは本当に満たされているの?今のこの瞬間を生きているの?」

と、聞かれたような気がしたのだ。

その後、その思いがさらに強くなる出来事があった。

お泊まりの朝を迎えてニナをお家に送りにいった時に、家族全員が出迎えてくれた。
一通り挨拶をすると、お姉ちゃん、お父さん、おばさんやいとこまでもが(たまたま居合わせたのだけれど)みんなで「ニナ!!会いたかったよ!!」と言って代わる代わるハグをする。

みんなキラキラの目をして
「ニナ戻ってきたー!大好きだよーーー!!!」と伝える。

その中でどういうわけか少し不機嫌そうだった、いとこのお兄ちゃんに、
ニナが「どうしたの?何かあったの?とりあえずハグしよう」と優しい微笑みをかける。

その光景を見ていて、なんだか涙が出そうになった。

「私は家族との毎日に、ここまで大きな愛が溢れているだろうか?」

人間が魂に還る時「経験と感動」しか持っていけないという。
社会的な地位やお金や物は持ってはいけない。(「金持ちが天国に行くには、ラクダが針の穴を通るよりも難しい」という言葉があるくらいだ。)

私は天国に持ってける「経験と感動」をどれだけあるだろうか?

もちろん他人と比べたって仕方がない。
私たちは私たち、ニナはニナだ。

だけれどもニナの家族には「足元を見つめる機会」を授けてもらったような気がする。

今日は罪滅ぼしの気持ちを込めて、iPadを閉じて子供達にポーカーを教えた。
洗い物をかけてポーカーで勝負!
悔しい〜!勝ったー!なんて言いながら過ごす時間。
少しだけ心が軽くなったような気がした。


森に落ちていた鹿の角



2020年8月17日月曜日

変わらないことなんてない

ただいま引っ越し中です。

昨日まで住んでた家から家具やピアノや洋服がなくなった。

ほこりに混じって、しばらく救出されていなかった鉛筆や、
ボタンやお菓子の袋がそちこちから出てくる。

そういう小さなゴミと一緒に、捨てるべきか迷っていたものをゴミ袋に詰める。
そうやって溜まったゴミ袋がそちこちに散乱しているのもあって、
今まで封じてきた土足で家の中を歩くようになった。

ずっと日常を過ごしてきた場所が、急に殺伐とした風景に変わる。

魂のなくなった家。と言ったら良いのだろうか。

さらに拍車をかけるような出来事があった。

ごみ捨てから帰ってきたら、お隣の奥さんから

「悲しいお知らせがあるのよ。私引っ越しするの。9月1日で新しい家も借りたの」

というではないか。

「...ええ?」という顔をしている私を見て一言。


「別居することになった」


お隣さんはティーネージャーの子供がいる、3人家族だった。
このコミュニティーに20年住んでいる古株さんだ。

このご夫婦が別れることになると思わなかった。

とはいえ、最近、皿が5枚くらい割れる音と怒鳴り声を聞いたのは確かだ。
もともと感情豊かな奥さんなので、まあそういうこともあるのかな、くらいに思っていた。
隣の家でも、夫婦のことは本当にわからない。

少しこのコミュニティーのことに触れておくと、
スコーミッシュがアクティブでエネルギッシュで法整備されている都会だとしたら、
私の住んでいるところは全てに置いてレイドバックなオーシャンコミュニティー。

ヒッピーというにはロックすぎるのだが、大げさに言えば
「いちいち細かいことは言わなくてもいいだろう我がネイバー達よ。
 行政に介入させるな、自分たちで自治を!」

みたいなブリタニアルールというものがあり、
街では苦情がくるようなことも、緩く許されているところもあったり、
口は少々悪いけど、心意気のある、ビンテージ好きな古株さんも多く住んでいるコミュニティなのだ。

ご多分に漏れず、お隣さん一家もブリタニアにどっぷり染まっている感じだったし、
ご近所に友達も多いから、彼女がこのコミュニティーを去ることになるとは思いもしなかった。

そういうわけで、時を同じくして私達も引っ越しの準備、
その横で彼女も友人の手を借りて引っ越しの準備、という不思議な光景となった。

自分たちも引っ越しするし
お隣さんだって別居する
コロナウイルスだって発生する
娘のウォルドルフスクールの校長先生も変わるし
(創立当時からずっといた先生だからびっくりした)

そして

5年前に交通事故にあった友人が亡くなったという知らせを受けた

何一つとして昨日と同じなんてことはない。
当たり前の日常が続くなんてこともない。

ここまで
書いてみて思ったけど、私は”そこに存在していた人の気配”が変わっていくことに
なんともいえない気持ちになるようだ。

私はその人が残した足跡であったり、
連れてくる風の匂いであったり、湿度であったり、
そういうものを覚えておきたい。
それが時間とともに消えてしまうような、儚いものだったとしても。

しばらくの間賃貸することになった、エアコンの効いた新築の家の窓から
昨日から続く過去を振り返ると
なんとも表現できない不思議な気分になる。

何かが大きく変わりそうな気配がする2020の晩夏です。


ミキティ、安らかにそして自由に


2020年8月8日土曜日

あれがコロナウイルスだとしたら 〜息子に励まされるの巻〜

 コロナウイルスの勢力がまた増してきた。
私の住む街にもじわりじわりとその手が迫ってきている。

私は3月中旬、パンデミック宣言直後あたりに、
おそらくコロナウイルスにかかった思われ、
結構しんどい風邪を引いた。

とはいえ、その時は検査することができなかったので、今でもその真偽は謎のままである。

この、コロナもどきの風邪の最初は、小さなのどの痛みだった。
それから明日にはよくなるかなと思っていても全然よくならならず、むしろ悪化していった。

そのうち咳がひどくなり、倦怠感が半端なく、肺が曇っているような重い痛みが出てきた。
もう治ってもいいだろうと思う10日をすぎてもよくならない。

夫も同じような症状だったけれど、
彼に至っては「明日病院送りかもしれない。」と思うほど咳の発作がひどく、しかも長引く一方なのでかなりドキドキした。私よりも症状が重かったのは間違いない。

もちろん何度も811に電話したし、特に夫は咳の発作がひどいのでドクターとも数回話した。

だけど、2人とも熱がなかったので
おきまりの「たぶんコロナウイルスっぽいけど、呼吸困難でなければ様子見て」という言葉が返ってくるだけで咳止めシロップとタイレノールを頼みの綱に過ごした1ヶ月だった。
もちろんその間は家の敷地からは一歩もでていない。

同時に、あの時は体のみならず、メンタルへの影響が半端なかった。

当時、私が抱いた恐怖は3つ。

「私がコロナだったとしたら、最後に会った人にうつしてしまっているかもしれない恐怖」

「夫が明日病院送りになって、そのまま会えずに死んでしまうかもしれない恐怖」

「私と夫が2人とも呼吸困難に陥ったら、誰が子供の面倒をみてくれるのか。子供を置き去りにする恐怖」

どれも同じくらい恐ろしかったけれど、特に子供を置き去りにするかもしれない恐怖はかなり堪えた。だって「お母さんもお父さんも大丈夫だよ!」と言い切れないのだから。

幸い、私の方が2週間を過ぎた頃から体調が回復したので、3つ目は途中で解消された。

1つ目も心に暗い影を落とした恐怖。
実は「喉がちょっと痛い、、気もするかな?」程度の時に、ママ友さんたちとスノーボードに行ってしまった。その時は気のせいかも。って思っていたけれど、日が経つに連れてどんどん悪化していった時は、本当に後悔した。その中の一人はホームケアナースだった。取り戻せない後悔。

幸運なことに、一緒に行った人達は2週間過ぎてもみな無事で、ナースの友人も陰性だった。
喉が痛いことは宣言していたので、距離を保ってもらったことと、一緒にいる時はほとんどグローブ、ゴーグル、フェイスマスク状態だったことがよかったのかもしれないと今になっては思う。

2つ目の夫を失うかもしれない恐怖は最後まで残った。
今思えば「大げさな!」と思うかもしれないけれど、当時はリアルな恐怖だった。

そして、あれから早5ヶ月近くがたち、またコロナウイルスが再燃している。

私は、コロナウイルスの感染拡大や重症化が恐ろしいというよりも、
コロナウイルスが再燃していると聞くと、メンタルのトラウマの方も再燃して、
あの時の不安な気持ちを思い出してしまう。

それで、今日はなんだか心が沈んでしまい、話す元気もなくなり、
久しぶりにコロナウイルスについてあれこれ検索してしまった。

そんな私をみていた、息子が、

「ママは、またコロナにかかってママとダダ(父)が入院することになったらどうしようって思ってるんでしょ?そうなったらオレ、ルナとなんとかやるから大丈夫だよ。それに、子供はコロナにかからないってみんな言ってるから大丈夫だよ。」

と言ってきた。

もうその言葉が、ツボすぎて、
あんまり泣かない私だけど、いろんな想いが溢れて涙が出てしまった。

それと一緒に

「あんまりいろいろ見過ぎちゃダメだよ。考えすぎるのが一番よくない」

と。

なんだよ、大人みたいじゃない。偉そうに(涙)

あなたたちを置き去りにするなんてこと絶対ないよ。
どんなことがあっても。

コロナが実際怖いのかどうか、私もいまだにわからない。
ただの風邪のような気もするし、やはり恐るべきウイルスなのかもしれない。

けれど、確実に私の中にある種の影を落としたウイルスであることには間違いない。
コロナ鬱という言葉に含まれる感情なのかもしれない。
そして、まだトラウマとなった恐怖や不安との共存の仕方をまだ模索しているところでもある。

長丁場になりそうな予感。

もしこれを読んでいるあなたがコロナにかかっても、
私は責めたり偏見の目をもったりしません。だから安心してね。

それくらいしか言えないけど、、、みなさん気をつけてね!

2020年8月2日日曜日

家が売れた

去年から家を売りに出していました。
この春はコロナ騒動もあって、不動産的には全く動きのない数ヶ月を送ることになってしまい、もう無理かなあ〜なんて思ってましたが、先月さっくりと売れました。

家を売りに出していた理由はいろいろあるのだけれど、
5年前に見ていた景色や目指していた生き方と、
今見ている景色とこれからの生き方が少し変わってきたというのも大きなの理由です。

5年前にこの家に来た時は、上の子が5歳、下の子が3歳でした。
この家は、庭があって、プライベート感があって、海が見え、一目惚れして購入したはじめての一軒家です。

街から15分かかるけど、当時は人付き合いでもちょっと無理してたこともあったし、
街から少し離れているくらいがちょうどいいや〜、なんていうのもあって。

で、実際はどうだったかというと、しばらくは本当に充実していました。

今の家に引っ越ししてから、
地球への負担を少しでも減らせるような暮らしができたらいいなと思って、

心に描いていたことが、規模は小さいながらもほとんど実現できたし、
薪の暮らしも、毎日海が見えることも、ガーデンができることも幸せでした。
夫と一緒に手仕事もたくさんやって、心も豊かだった。
同時に、自然に近い暮らしをすることの大変さもよくわかった。




はじめてのトラック



やがて、子どもが成長するにつれて学校が始まり、
日々の暮らしが慌ただしくなった。

私が惚れ込んで入れたシュタイナー教育も、息子には合わないことを知った。
親の思いと子供の興味は違うものなんだと一度受け入れてからは、
理想の子育て像みたいなものも、こだわりも、どんどん薄くなっていった。

夫は仕事に精力を注ぎ、事業拡大の話もやってきた。
彼は本来、起業家気質で仕事とマウンテンバイクが生きがいな人。

私は私で、新たにやりたいことがどんどん出てきて、結局は、言葉を使って発信すること、なにかプロジェクトに没頭するのが好きなことを再確認した。
子供もプリティーンに差し掛かってきて、子育ても楽になってきたし、自分自身を充実させていきたいと思いが溢れるこの頃です。






そういうわけで、後半の数年は、思い描く暮らしができているかどうか、というよりは
家族にとってベストな暮らしとはなんだろう?と思うようになりました。

さらにこの思いを強くした出来事として、
サステイナブル的な「思い描いた暮らしができる喜び」が想定内のものだとしたら、
夫のビジネスを通して得た人生教訓が、予想外に大きく影響したというのもありました

このブログではあまり書いてこなかったけれど、
小さくてもオーナー業をしていることで、
自由という不自由さの中で責任を取ることの勇気であったり、
この立場にならなければわからなかった様々な葛藤を、
自分の心の中にだけしまっておくことができるようになったのも含めて
私自身、大きく成長したように思います。

だから、今家が売れたことで、「さあこれからどうしようか?」と思った時に、
次の一手は、今までの5年間とは変わったものになるだろう、と感じます。

それは、今まで愛してきた価値観を背中に、新しい未知の未来に向かって進むような、
寂しさとワクワクが一緒になった気持ちです。
.
.
.
さて、そんな風に暮らしのカタチが変わっていく中で、

私も新たに

内観向けのタロットカードリーディングHeart Map Tarot Reading

をはじめました!

布ナプ屋さんのEco moon padをやっていた時の
「布ナプが自分のことを愛するキッカケになってほしい」という想いをそのまま、
形はタロットカードに変わりましたが、Eco moon padの想いを引き継いで、
タロットを通じてみなさんと繋がっていけたらいいなあ〜と思っています。
(なぜタロット?的なことはwebsiteにも書いてあります)

タロット好きの人も、そういうのはちょっと遠慮するわという人も、
占いとはひと味違うタロットリーディングなのでぜひぜひ1度試して頂けたら嬉しいです。

Websiteはこちら→ Heart Map Tarot Reading 
最近始めたばかりですが、ココナラさんにも出品しています 

応援よろしくおねがいします!!



引っ越し準備がんばろう〜!





2020年7月19日日曜日

Yogi is on BMX -11歳の誕生日-

息子が11歳になりました。

しばらく涼しくて雨の多い夏だったけれど、今週から夏到来。
今日もとっても気持ちのいい、風が爽やかな夏日でした。

BC州はコロナの影響も少ないのもあって、
コロナ禍でもずっと一緒にいたクラスメイトの仲良しの子たちと誕生日会をやりました。

誕生日会といっても、近所に新しくできたBMXのPump Trackで遊んで、
学校の校庭でピザを食べて、Capture the flag(缶蹴りみたいな遊び)をやるというシンプルなもの。

毎年誕生日の時が、同じ子たちをまとめて見る機会にもなっているのだけど、
年々、みんなかっこよく、面白く、そして熱い奴らになっていく。

今日のPump Trackでは正直みんなかっこよかった。

この歳になると、長い間BMXやMTBをやってる子達は、頭角を現してくるので、
でかいステップアップジャンプの急な下りのアプローチも、
果敢に鬼漕ぎしながら飛んでいく姿を見てると惚れ惚れしてしまう。

みんながみんな上手なわけではないけれど、
それぞれが「あいつやべーな!」みたいな感じで、
お互い影響を受けて、自分をプッシュしていく「男の世界」が始まっている。

そんな子供に混じって、今日のBMXトラックには、
長髪ドレッドにTattoがっちり入ってる、キレッキレのライダーがいました。
名前はYogi(本名だそうだ)

どういう流れか忘れちゃったけど、
子どもたちがちょこちょこYogiとおしゃべりをしはじめ、
やがてYogiがBMXのコツを子どもたちに披露し始め、
いつのまにかYogiの周りに全員集まり、いつのまにか一緒にセッションが始まり。





熱いっ!!

ああ、ストリートスポーツっていいわ〜〜。
「好き」という気持ちだけで、年齢も人種も見た目も全部飛び越えて繋がれるんだから。

前に息子が

「スケートパークにいるお兄ちゃんたちって、見た目怖そうだけど、みんないいやつなんだよ。スケート愛する人には悪いやつはいないんだ」

と言っていたのが脳裏に響く。

今日は、

「BMXを愛してる人に悪いやつはいないんだ」

そんな声が聞こえてくるよ。

さて、BMXを終えて、缶蹴りしにいくために移動。
自転車降りて遊んでいる時はみんなおバカで可愛い。

かれこれ5年近くお互いがお互いを知っているから、
前はシャイであんまり話してくれなかった子も
最近は私にもいろいろ話してくれるようになった。

息子を除く7人の子たち全員と付き合いたいと思うほどみんなそれぞれ良さがある。

ほんっと、みんなかわいい!男の子かわいい!!

それよりも、なによりも、そんな奴らが息子の友達でいてくれることに感謝。

それがなによりの誕生日、いや一生もののプレゼントだよ。

息子よ、お誕生日おめでとう!!




2020年7月8日水曜日

ルービックキューブと折り紙

ホームスクーリング月間が終わって、しばしの学校生活の後、長い夏休みに突入。

気がついたら息子もあと一週間で11歳になる。
9月からは6年生。
小学校6年生の息子を持つ親になると思うと感慨深い。

少なくとも去年までは、楽しいこと、アクティブに動いていることが好きな息子だったけれど、ここのところ家でダラーーっとしている時間も欲するようになった。

「I need alone time so go to shopping now!」といって、留守番をしたがるようになったのだけど、あれ、、、??I need alone time...その言葉は私のものではなかったか、、、?笑



それに加えて、「Boring....(つまんない)」が口癖になりつつある。
じゃあ何をするかというと、特にしたくない。
自転車も、散歩も、してもいいけど、別にしなくていい。
そんなお年頃のようである。


そんな息子でも、ホームスクーリング期から今まで、地味にやり続けていることがある。

ルービックキューブと折り紙。

ありがたい世の中で、この2つとも私が付き添って教えてやるほどの気力と知識がないけど、今や興味あることをささっとyoutubeで検索したら、誰かが教えてくれる。


赤じゃないのが惜しいけど、youtubeのシンボルだって、、、。


子供が成長するにつれ、子供優先であれこれ一緒にやらないと!という強い想いが少しずつ薄れている過程にある私には、たた単純にありがたい。

自分で考えることも大事だけど、情報を上手に活用していく今の時代に、
私の時代の話を当てはめてもしょうがないなーと思うこともその中のひとつ。

何もやりたくない、という
子供を放っておく自分を許すことにした。

さて、その成果として、息子はルービックキューブの全面揃えを自分で達成し、
なぜだか折り紙にえらくハマっている。

論理的で手先が器用な彼なので、そのとおりといえばそうなんだけど、
退屈退屈言いながらも、何か自分で探していくものだなあ〜と感心する。

ちょっと前まで「次はなにするの?」「その次は?」と、
空白の時間が苦手な子どもたちだったけど、
「じいっとすることもあり」が子供の選択肢に入ってきたことを嬉しく思う。

息子と2人でじいっとしていると、1日が早く過ぎる。
(娘はおうちタイムが好きなのでいいのだけど、家でちゃかちゃか動いているタイプ)


シンプソンズ漬けになりそうではあるけど。。。

冷夏の夏休み、まだまだ親の体力温存中 笑





2020年6月28日日曜日

体に記憶された感情

かれこれ15年くらい、首の痛みに悩まされている。
特にここ数年、裁縫作業をするようになってから襲ってくる首の痛みがひどく、
ギックリ腰ならぬギックリ首で動けなくなることが年に数回はある。
診断的には頸椎版ヘルニア。

元を辿ればスノーボード時代の度重なるむちうちが原因だったかもしれないし、最近の裁縫やコンピューターワークや姿勢の悪さが原因かもしれない。
ありとあらゆることを試し、それなりに気をつけているけれど、
とにかく私の悩みの種であることは間違いない。

そんな中、先日、4ヶ月ぶりにかれこれ10年お世話になっているRMT(マッサージセラピスト)のシェリのところに行ってきた。

最近パソコンワークが多かったので、首がかなり硬くなっていたなとは思っていた。
けれど、これが、シェリの指が入らないほど固まっていた。
こんなに硬いと、これは好転反応がくるだろうな〜と思っていたらやっぱりきた。

それも、ド級にひどいやつが。

日頃から、トリートメントを受けて頭痛と浮遊感がくるのはしょっちゅうなので、
あまり気にはしない。けれど、それにしても今回は頭痛がひどい。体もしんどい。

(シェリの名誉をかけて言うと、私は反応を強く感じる体質なゆえに、今までいろんなセラピストのところにいっては、ボロボロになって帰ってくるということがかなり頻繁にあった。だけど、シェリのゴッドハンドだけは絶妙なところで大丈夫&メンタルのケアもされると言う、私にとってシェリはBest therapist everなのです。)

しんどい1日をなんとか耐えて、布団に入るも、何度かトイレに起きる。
起きる度に頭痛が緩和されているのに気づき、体が毒素を排出しようとしてるんだなあ。

と思って眠りについたのはいいが、、、、

ひどい夢を見た。

*******************************

夢の内容は、20年以上前の私の中のトラウマの再現。

トラウマの中でも、一番強烈なある日の出来事が、夢の中でリアルに再現される。

そして、、、

「助けて!」

と言って目が覚めた。



ついでに、夢からさめるギリギリのところで、私は「絶対に許さない」という感情を味わっていた。

「絶対に許さない」

文字通り、強烈な感情。

********************************

夢から目覚め、しばらくして冷静になって振り返ってみる。


「その出来事」は顕在意識的には、もう消化済みの出来事であり、
何度もしつこく過去ワークしたイシューであり、
許すも許さないも共存だなあ〜、なんて、
自分の中で和解してほっこりした気持ちでここ5年くらい過ごしていたので、
「絶対に許さない」という感情自体にびっくりした。
私の中にしっかりと、残っているからこそ出てきたのだろう。

そして、こんなタイミングでこの夢を見るということは、
もしかして私の首にはこの感情が溜まっていたのかも。と思い始めた。

体にトラウマが刻まれるという話は知っているし、そりゃそうだろうな、と思う。
だけど、こんなにもダイレクトに、しかも記憶とピンポイントに繋がる感情を体感したのは初めてだった。

おそらく、セラピストがシェリでなければ、この感情が素直に首を通して出てくることはなかっただろう。

ともあれ、この話を、速攻シェリにテキストすると、

「その通り!
感情は波動になって体の筋組織や臓器に流動的に留まることがわかっているの。
そうなると同じ部位にストレスを溜め込んでしまうものなのよ。
表面に出てきてよかった。しんどいかもしれないけど、感情リリースには大切なことだから」という連絡がきた。

このタイミングで、長い間悩まされている首の痛みの奥底に眠っていた記憶が
表面に上がってきてくれたことを喜ばしくも思う。
しかし、当事者である今の私は顕在意識の中では、
「もうそのことは終わりでいいじゃん(やれやれ)」と言っているのだから不思議だ。

なにはともあれ、出てきた感情を受け止めて、
過去の辛い時を生き抜いた自分と、今ここにある暮らしと家族。
その全てをお祝いしよう。

そう思っていると、心がむにゅう〜と柔らかくなって、胸がじわーっとあたたくなる。

「頭でなくて、心で傷つこうよ」

そんな言葉を思い出す。

そして少し泣きたい気分になる。


この気持ち全てひっくりめて「愛」であるかのように。

その頃には、首の痛みもだるさも、頭痛ももう消えていた。







昔は、早く手放したくて仕方なかったトラウマだけど、
今は、それもひっくるめての自分だなとも思えるようになった。
またきっとベストなタイミングでたまに顔を出すだろうから、
その時は向き合ってお付き合いしていこうと思う。

今日のところは、まだ許せていない私へ、
それもそうだよねっ!と言ってあげよう。
あの時の私に、今の私からありったけの感謝と光を送ろう。

世の中手放しブームだけど(笑)、無理しなくても、
必要なときに、必要なタイミングで手放せるようになっていると信じて、
それまでは、共存していくのもありだよね、って思います。

そもそも、トラウマを乗り越えて、トラウマと共存して今ここに存在していることだけでも、すごいことだよ。

だから、わたしと同じような道を辿ってきたあなたへのメッセージ。

”あの時、どんなに勇敢だったか。そしてあれから遠くまで来たからこそ今がある”






そして、首を労るためにも、デスクワークもほどほどにしていかないとね。(←これがなかなか難しい〜)



2020年6月24日水曜日

学校が始まり、そして終わる

BC州は6月1日よりパートタイムで自主登校が始まりました。
そして早いものでもう終わりました〜。

たった1ヶ月だったけど、学校行けてよかった!!

子供や家庭によって考えや性格は違うと思うのですが、
特にうちの息子は、ずっと家族だけで家にいる状態が続いて、
メンタルにかなりダメージが来ていたのを感じていました。

この下の動画は、カナディアンのティーンの子が作ったショートフィルムなんですが、
まさに、息子のメンタルもこんな感じでした。

はじめのうちは、状況も理解してすっごい頑張ってたのよ。でもね、、、長引くにつれて。





特に最後の方は、神経が繊細になっていて、
妹との喧嘩が、別れ寸前の傷つけ合うカップルみたいに。
どうしたらそんなにドラマチックになる?!という、エモーショナルな喧嘩ばかり。
それも、このショートフィルムのタイトルのように「感覚が麻痺していく自分」への抵抗だったのかもしれないな、なんて今になって思います。

そんな頃に学校に行けるようになったことで、
初日からメンタルのストレスがかなり緩和されたのが、一目瞭然でした。

クラス自体は、多くて7人、少ない時は2人という超少人数制みたいだったけど、
仲の良い、外で遊ぶのが好きな子はほとんど来ていたので息子的にはよかったです。
こちらは、日本みたいに、マスク着用とか、衝立があるという感じではないので、
子供もそんなに違いに戸惑うこともありませんでした。
先生も子供たちを温かく迎えてくれて、勉強はほとんどしていないけれど、先生ともいっぱい話ができてよかったみたい。先生にも感謝です。

そして、学校が終わってからは、
3時になると友達同士で自転車にのって、
近所のPump Trackに行ったり、学校の校庭で遊んだり、
Screen Free且つFree Range Kidsとして、
適当に遊びにいって5時位に迎えに行くといくといつも汗びっしょり。

ソーシャルディスタンスを守るという意味で、人の家には殆どいかず、自転車が基本。

下の動画は、同じ女の子が作った別のショートフィルム。
息子もほんと、こんな感じ。よくわかるわ。





という超健康的な日々が続いた1ヶ月。

Covid19の前は、実はあんまりそういう機会がなくて、習い事で遊べなかったり、
遊ぶときも親同士でアレンジして、結局ビデオゲームして遊ぶ的な流れになったり、
はたまた、プールとかトランポリンの施設に連れて行ったりしていたので、

今のように何もできない、何も開いていないことで、
外でしか遊べず、自由が増えた。という結果に。

私は子供の学校の学区域からはだいぶ離れたところに暮らしているから、
毎回好きな時にぴゅっと遊びに行くということはできないのだけど、
この1ヶ月で、息子や息子の友だちを信じることをお互い育てられた気がします。

まあ、でも10歳そこらの男子のことだから、
人様に迷惑をかけないようにと、信じながらも、
何かあったらすぐ飛んでいく準備だけはして。
(実際、もうちょっと上のティーン達の行動でアウトなものも目撃されてたりも)

そこらへんも、子供だけじゃなくて、親同士の絆も育ってきているので、
みんながみんなを見ている、という安心感もあるのがすごく心強かった。

Covid19がなかったら、こんな単純な幸せが目の前にあるのに、
忙しさの中に紛れて、体験できなかったのかもしれない。

とすら思います。不思議なもので。

娘の方は家に居てもいいと言っていたけど、結局学校行き始めたら
毎日楽しくて、終わっちゃってがっかり。と良い気分転換になった様子でした。

いまのところ、私の周りでは誰もCovid19にはかからず、
スッキリとした気持ちで夏休みに突入できて本当によかった。

私達家族の結論としては、
オンラインも素晴らしいけど、
人と直接会うことの大切さ、それも教育の一部だと痛感した自粛期間だったな。

どうなるかわからないけど、9月からは学校がフルタイムで始まるといいなあ。

実はうちの家族は3月の時点でコロナウイルスにかかった可能性があるので、
これにてご免となってほしい!と、またその話は別の記事で〜。

2020年6月6日土曜日

倒しておく8本の柱 〜おから再活研究所より〜

おから再活研究所の松田由己さんのブログの
「倒しておく8本の柱」という記事が
今の私にとても響いたので紹介したいと思います。

松田由己さんは、私の長年の友人の、長年の友人で、
日本中、そして世界中、数年前にはここバンクーバーでも「おからで作る味噌ワークショップ」を開くなど、廃棄物となってしまうおからを通して、食について文字通り活動的にあちこち飛び回っていらっしゃいます。

おから再活研究所のウェブサイトはこちら→おから再活研究所

由己さんとは、バンクーバーで「おから味噌ワークショップ」があった時に、
友人と一緒に我が家に立ち寄ってくれたのが出会い。
「大切な友人にとって大切な友人は、私にとっても友人」という風に感じる(と私は勝手に思ってます)とても素敵な女性です。

さて、ブログの一部を紹介とおもったけれど、
万人の人にとっても、自分軸で生きるための指針になると思うので、
全文で紹介させて頂くことにしました。

ぜひぜひ多くの方に読んで頂きたいです。
どこか特にひっかかるところありませんか?

という私もドキッとすることが数カ所。

中庸な生き方に惹かれる今の私には、
たびたび思い出したい8本の柱です。
瞑想のお供にも良さそうです。

では、以下引用です。

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「倒しておく8本の柱」

ふと、不安になるときがある

「気になって眠れない」という経験は
数えるほどしかないくらい

睡眠によってチャージされるという
楽観的な性質な私でも

不安で仕方がない時がある


そんな時に思い出すのは

起業するもっと前から、自分に課した「8本の柱」

不安に支配されそうな時
諦めてしまいそうな時
思い出しては、噛みしめる

「依存しない」

「執着しない」

「嫉妬しない」

「自惚れない」

「比較しない」

「反芻しない」

「反省しない」

「期待しない」

自分の目標の人物像を作ること
自分の「こうありたい」イメージを持ち続けること
「絶対」はありえないと留意すること
何かを始める時は
良きも悪きも、一切の変化を受け入れる覚悟を持つこと


心当たりがあるときには

「依存している」のは、なぜ?
「執着している」のは、なに?
「嫉妬している」のは、だれに?

端から全部、当てはめて行き
心の中身をクリアにすること


久しぶりに、読み返した
今、再度心に留めておきたいので

これは、自分への備忘録として

今、独りで抱え込んで苦しい想いをしている人がいたら
届けてあげたい

私なりの解決法

「自分と向き合う」

明日も一緒に
歩いて行きましょう。


*******************************
一般社団法人おから再活研究所
コミュニティおかラボ!運営

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引用終わり

2020年5月23日土曜日


家にいるようになってから、近くの海まで自転車で散歩に行くようになった。
往復でちょうど1時間。子供との散歩&エクササイズにちょうどいい。




海に行く途中に、森に囲まれたただっぴろい空き地があって、
パンデミックに突入した時は、まだ葉っぱがまばらだった森が
今はもう新緑を過ぎて夏の準備をしているように感じる。

思えばこの2ヶ月は眠っていたような気もするし、
夢だったような、現実だったような、なんだか幻のように思う時がある。

みなさんはどうかわからないのだけど、
私は規制緩和が始まり、社会が動き出そうとしている今のほうが、
パンデミックのど真ん中に居たときよりも心がグラグラする。

自分の心に聞いてみると、
「前みたいに忙しい生活に戻るのが怖い」
と言っている。

耳障りのいいことを言うようだけれど、

また空に飛行機が飛び回り、海にエンジンボートが行き交い、
人気のハイキングトレイルに人が集中し、
今は見える遠くの景色がぼんやりと霞んでくる


と想像すると、胸がずーんと重くなる。

何も私は、「地球の痛みが自分ごとのように苦しい」と言いたいのではなくて、
自分も地球の一部だからこそ、
そんな日常の中に、自分の身を置くのだと思うと苦しくなる。


3月のブログで「涙」という記事を書いたのだけど、
この2ヶ月で「受容ー調整ー適応ー出発」というプロセスを一回りして、
また一段上がった「受容」ステージにやってきたのかな。

今の気持ちは、あの時の感覚や悲しみと似てる。

と、そんな事を言っていても、山奥でひっそりと暮らしているわけでもないし、
社会も時計の針も止まらない。

しょーがないかあ、と、私も変化に向かって準備をする。
少しずつ少しずつ。

その合間合間に海に行く。

子供をそこら辺に放って、少し瞑想する。
ただ息を吸って、ただ吐く。
今と繋がる。
今の自分と繋がる。






こういう時に海が近くにあってよかったあって思う。

海は止まらない。常に。流動的に。
海を見ていると、変化への受容を促してくれるように思う。

「諸法無我。諸行無常。忘れるなかれ。そして進め。」

と大きなところから言われているような。

そして、潮の満ち引きを目で見て感じることで、
月と地球と繋がってることを、体感する。





2ヶ月間、体と心がお休みできてよかった。
地球や動物も、少しばかりの休息になっていたらいいな。
身の回りにある森や植物や自然にいっぱい癒やされたな。
ありがとう。そしてこれからも。






こうやって書いているくらいだから、
私の中でも次のステージに向かって、ある程度の覚悟はあるのだろう。


さあ、顎をあげて、次のステージに向かって、しゅっぱーつ!だー!

2020年5月16日土曜日

先生のパレードと学校再開とホームスクーリングの本音

学校が閉鎖されてから早9週間。
先日、息子(G5)の学校の先生が学区域を車で巡るというパレードがありました。


先生たちが車に乗って、手を振りながら学区域を巡るというパレードだったのですが、

なんか、知っている先生たちの顔を見たら、胸にこみ上げてくるものがあって。

子供も先生も「I miss you !」というサインを掲げて
笑顔で手を振っているのを見ていると、
やっぱり、オンラインなんかでは絶対に表現できない
「人のぬくもり」をすごく感じて、ウルウルしてしまった。

なんとなーく、世の中の風潮を見ていると、
「学習の遅れ」が学校再開への議論の的になっているような気がするんですが、

ちょ、ちょっと待って、学校って、勉強だけするだけの場所ではないですよね。

学校は、友達にあって、遊んだり、喧嘩したり、

親以外の大人を信用する、もしくはジャッジする機会であったり、
他者と自分との違いを発見したり、社会の規律を学んだりする
学校は、子供にとっての社会です。


私は、学校といえば、勉強したことよりも、いい思いも嫌な思いも含めて、
人との関わりの記憶の方が断然ウエイト占めています。

だから、「学習」ばかりが議題になっていると、
ワタシ的には、子供の心が置いてかれているという気持ちになります。





去年の今頃


うちの子供の場合、9週間家庭の中にいることで、
他者との交流がなく、オンラインの課題をぼちぼちとこなす日々が続き、

特に息子のメンタルが低下してきていることに気が付きました。

大人ですらオンラインやズーム疲れで疲弊している人も多いと思いますが、子供も同じです。特に、小学生には、オンラインツールやリモート学習は向いていないと実感します。

うちの子供はスクリーンタイムがパンデミック前の3倍くらいに増え、
最近になって、言葉がなんだかシャープになってきているのを感じて、
あれ、精神面で影響出てるな、彼らしさが失われ始めていると思うこの頃です。

無理だとわかっていて聞いてくる「〇〇と遊んだらだめだよね」という言葉も切なくて。



今日息子が作成していたハートマップ


そんな中で、パレードの時に久しぶりに友達に会って、
自転車で遊ぶ機会があったのですが、
終わってから、蒸気で顔を真赤にして「楽しかったー!」ってキラキラした目を見て、
私も本当に嬉しかった。


言わずもがな、全てのお父さんとお母さんが、
この状況下で、みんなすっごい頑張っています。

それでも、親ができないことはたくさんある。

実際に先生を見たときや、友達に会った時の笑顔を、
私は引き出してやることはできません。


It takes a village to raise a child

という言葉がありますが、子供を育てているのは親だけではないと
この事態になって痛感します。
そして、正直、自分たちの中だけで抱えるには、私もだいぶ疲れてきたな。。。。


なんとなくオンライン上の世論は、
学校再開への批判的な色合いが強いように感じるのですが、


仕事をしながら子供の面倒を見ている家庭
規制緩和に伴って、低学年でも留守番をさせなければいけない状況にある家庭
精神的に疲弊している家庭
この状況下で精神状態が不安定な子供
ホームスクーリングが成立せず、学習に遅れがある子供
閉ざされた環境の中、虐待や育児放棄の危険にある子供

それが数週間であるとしても、いろんな理由で学校再開を望んでいる家庭もあるでしょう。
それと同じくらい、いろんな理由で学校再開を望んでいない人も、
どちらでもないという人もいるでしょう。


なので、どうかどうか、

Dr.Bonnie Henryの言うところの、「Be kind to others」という目線を持って、
各家庭の判断を優しい気持ちで受け入れてくれる社会であってほしいと切に願います。


学校に戻る子、戻らない子、戻る先生、戻らない先生、
その全ての選択は正しいと私は思います。


私と息子は6月1日が楽しみです。

Be kind to others and enjoy outside! 


2020年5月14日木曜日

Heartmap + Creative Writing Art Night のススメ

先日スカイプのミーティングツールを使って、
「Heartmap + Creative Writing Art Night」を開催しました。









Heartmapとは、いくつかの質問に対する答えを、
「ハートの枠の中に、キーワードか短い文章で表現し、
その言葉と一緒に浮かんでくるイメージを描く」というアートワークです。

もともと、Heartmapというアイデアは、Georgia Heardというアメリカの作家さんが、
子供のインナーワーク+クリエイティブ・ライティングのツールとして考案したものです。
これが、たまたまうちの子供の学校の課題だったのですが、子供と一緒にやってみたらなかなか面白くて、
これ大人がやっても有意義だなと思い、それならば、お仲間を集って一緒にやりたい!と思い、友人知人に声をかけたというのが会を開いた経緯です。

今、私達はなかなかユニークな時代を生きていて、

特にこの5月は制限緩和に向けて、BC州が動き出しているところでもあるので、
3月の衝撃とはまた違ったメンタルを経験してる人も多いのではないかと思います。


なので、ハートマップ作って日記の1ページとして、後で見返しても面白いし、
表現アートセラピーという心理療法があるように、心の中を自分の外側に出す・アート(表現)することで、心がスッキリするという効果もあります。

以下やり方を紹介するので興味あったらぜひやってみてください。

1.まず、紙と色鉛筆を用意して、紙にハートのフレームを書きます。


2.心のなかを探る質問をして、その答えをハートの中に描きます。(いくつか抜粋します)
  ・今日感謝したこと、心がほっこりしたことは?
  ・パンデミックに入ってから観察していること(心でも、植物や物でも)

  ・心のなかで今一番大切なこと(ハートの真ん中に)
  ・今ある不安や恐怖、チャレンジは
                         など

ハートマップ作成はこんな感じで作ります。
心の中を全部お見せするのはちょっと恥ずかしいので、
以下ちょこっとだけ私のハートマップをお見せしますね。





3.今回は、クリエイティブ・ライティングも兼ねているので、
出てきた答え(キーワード)の中から、ライティングのテーマとなるトピックを選んで、そのトピックで自由にライティングします。(ポエム、ジャーナル、記事風、なんでもよし)


☆普段、日記で自分の想いを書き出している人も多いと思いますが、
クリエイティブ・ライティングは、「人に発表する」を意識しながら作成してみると面白いです。もちろん、良い悪い、上手い下手なんてありません!

そういうモードで文章を作成すると、アートスイッチが入るし、
より心と繋がれるというか、普段とは一味違って、心と頭のいい刺激になりますよ。





何人かでやると楽しいですが、一人でも、自分の日記の1ページとして思い出にも振り返りにもなるので、興味があったらぜひやってみてくださいね〜。


さて、今回の会では、私が思い入れのある各方面から5人の方が集まってくださいました!
初対面同士の方もいたのですが、点と点を線で結んでくれる人が必ず居て、

5個の点を書いたら☆になったという素敵なメンバーに☆

そして、最後に出来上がったライティングをシェアするところまで行って、
わかったことがあります。

それは、、、

参加者のみなさん、

このパンデミックで今までにない「時間」を与えられて、
その「時間」を使って、「自分」や「家族」を今まで以上に大事にすることができた。


と、大小の波を抱えながらも、この今まで出会ったことのない出来事を前向きに捉えていらっしゃったことです。
答え合わせをしたわけではないのですが、私も同じ様に感じていたので、
私も同じだ〜♡っと気持ちが温かくなりました。


会を終了した後に、みなさんそれぞれのハートマップをシェアしてくださったので、
みなさんそれぞれの想いを垣間見させてもらえたのも、とても嬉しかったです。
2時間では時間が足りなかったので、私はできたハートマップにもう少しと色や言葉を付け足して遊びたいなと思っています。


パンデミックに入って2ヶ月が過ぎ、新しい日常にも慣れてきた頃だったのも
このワークにちょうどよかったように思います。

2回目があるかどうかわかりませんので、仲間内でやってみたいと思う方がいたら
このウェブサイトを参考にしてみてください。

ああ、いい夜だった〜〜♡♡♡

2020年5月12日火曜日

蟹座の月 〜プログレスの満月〜

去年の秋あたりから、
妙にスピリチュアルなものへ回帰したくなるような衝動に駆られています。






私は、一時期どっぷりとスピリチュアルな世界に浸っていたことがあったのですが、
魔境で迷子になりかけていたところに出産育児という経験が重なり、
そこから見える景色と日常を重ねていくうちに、
「もっと興味を広げて幅広い価値観を身に着けたい」という想いが強くなり、
どっぷりスピリチュアルからは一旦距離を置いていました。

それからは、心の中に意識はあるけれども、
体外的には「魂の〜」「宇宙からの〜」「エネルギーワークで〜」といった言葉遣いを意図的に避けてきました。

なんですが、秋口から、どうも引っかかりを感じることが増え、、、
なんでだか、意識がスピリチュアルに向かいがちになる。
抗うのに気づいたら隣にいる。みたいなことが増えていました。

それで、この自粛期間の間に、しばらくぶりに占星術の本を開き、
自分のホロスコープチャートを再読していて気が付きました。


はじめに、私は、自由人で有名な射手座に天体が5つ集中している、
超射手座+炎の女です。


スピリチュアルの世界を堪能していたのは、私のホームである射手座期。
その終盤期であった今から約15年前に「プログレスの新月」という、
「30年に一度の転換期」を山羊座の4室(家庭や家を象徴する部屋)で迎えていました。


私のホロスコープチャートは、
右半分は空っぽという、偏りのあるチャートなので、

山羊座から「家庭」をテーマにした向こう30年間のスタートは、
本質的に未知すぎる世界。


例えて言うなら、

山羊座さんってコツコツ努力家でちょっと古風な感じよね?(←アタシと本質的に違うからわからん!)
射手座的な自由がない、思想を掘り下げ具現化する物理的な時間がないじゃん!(←超ストレス)
社会の一員として、日々をこなすことにこそが精神鍛錬(厳っ!)

みたいな感じで、ひょえ〜〜な世界に半ば強制的に突入といった感じです。

実際、この15年間で、育児と家事で日常を鍛えられ、
夫のビジネスからお金やビジネスから見える社会的なことを学びました。
布ナプキン活動から、想いを目に見える形にして伝えるという経験ができました。
また、親になるという経験は最大のギフトであり挑戦で、
おかげで私の人生は、広く深く、喜怒哀楽、情緒豊かなものに。


と、自分が本来得意であったり、馴染みのあった世界観から離れて、
この15年で社会や人生を学ばせてもらったことは、大事だったなと思います。
その代わり、豊かだった想像力や感受性が影を薄めてしまいましたが。

ということを踏まえて、つい最近ホロスコープを見たら、
進行の月が蟹座に入り、

MCにまもなく到達、そして「プログレスの満月」を迎えることに気が付きました。

蟹座は、家族を大切にする、情緒豊かな、優しい母性的な家庭の星。

15年前のプログレスの新月で「家庭」というテーマに遭遇し、
なんとかかんとかやってきたことを、
「家庭の星」の蟹座で収穫期を迎えるのだと思うととっても感慨深いです。
子供たちもティーネージャーの手前の、素直でなんでも一緒にできる楽しい時期。

それと同時に、水の星座は共感力や目に見えない世界、情緒面を表すから、
スピリチュアルなものに寄っていってるのかなあと思うと辻褄があいます。

もっと大きく言えば、魂の母性回帰みたいな面にも惹かれてきているのかなあ、
なんていう気もします。

そして、今までは「愛しているからこその厳しさ」のように、
愛の表現がハードロック的だったところもあるので、
ソフトに柔らかく心や愛を表現する時期に来たのかもしれません。


なので、また、「魂の〜」「宇宙からの〜」「愛することは〜」といった表現をこのブログでも使い始めるかもです。

という、この一連の出来事が、
チャート上の「MCという人生の頂点」にかかりだしているので、
今までの体験を集大成して、新たな活動が始まりそうだなあ〜なんて楽しみです。


それか、まさか、今から蟹座の家庭的な面が開花され、料理や家事にはまるとか、、、
カリスマ主婦になるとか、、、(←ナイナイ!と射手座の私が言っている笑)


進行の月は一つの星座に2.5年滞在し、興味の対象を表すとのことなので、
抗わずに蟹座ブームを楽しみたいと思います。
こうやって人間みな変化しつついろいろな景色を見ながら成長するのですね。


チャートをじっくり眺めたのはしばらくぶりだったけど、
意識してなくても、うまいこと星物語が繋がっていくから占星術は面白いです。

みなさんも気になったら、「プログレスの新月」「進行の月」を調べてみると楽しいかもしれません♪(チャートを見る時に参考にするとよい部分を太字にしました)

ぜひ自分の星物語を紡いでみてください。