2017年7月27日木曜日

アナスタシア流 種まき 

去年かぼちゃを植えていた場所から、勝手にかぼちゃが生えてきた。
タネを蒔いた記憶がないので、いつ、どうして、そこに定着したのかわからない。

青々しく、隆々と育つかぼちゃ。
見た目は非常に元気なのだけど、雄花ばかりで、雌花が全くつかない。
もう20個近く咲いているのだけど。。。
もしかしたら、肥料や、摘芯の問題なのかもしれない。



かぼちゃは、人工授粉が必要なため、
子供達と雌花が咲くのを今か今かと待ち続けている。

でも、、、去年蒔いたタネがF1だったことが原因なのかな、、、。と思わずにもいられない。
F1の種というのは、品種改良された一代限りの種で、親の要素を引き継げない種のこと。

隆々と育つ、雌花が咲かないこのかぼちゃを、どうしたらいいものかと考えてしまう。

抜けばいいじゃない。畑を占領しているのだし。
もちろん、その通り。抜けばいいのだ。

だけど、野菜も人間も、同じ地球に生きるものとして、
知能や感情の差こそあれど、抱えている問題は一緒だなあと思うと抜くに抜けない。

改良され、漂白された食べ物や、環境や、お受験や、ストレスや、雑多な情報の中で、
強制的に情報をインプットされ、本来のまっすぐな在り方ではない、生き方を強いられているところとか。。。

野菜だったら引っこ抜いてしまっておしまいだけど、
もちろん、人間はそういう風に排除することはできない。

だけど、
雌花が咲かないこのかぼちゃは、
こんなにも隆々と育っていても、
実をつけないということで排除させられちゃうんだもんなあ。
なんだか、勝手な話だなあ。。。

と、うーむと考え込んでしまった。

という考えに至ったのも、
アナスタシアという本を読んで感動してしまったからに他ならない。

ー種はお医者様ー からの一節を紹介します。


あなたが植える種の全ては
宇宙についての膨大な情報をその中に含んでいます。

人間の手によって作られた何物もこの情報とは、
サイズにおいても正確さにおいても比較になりません。

これらのデータの助けにより、
種は100分の1秒の単位にまで正確に、
生きる時、育つ時、地球からどのエキスを摂るべきか、
太陽、月、星達である天体からの光線をどの様に使うべきなのか、
何に育つのか、どんな実をもたらすのかなどを知っているのです。

これらの実は、人間の生命を維持するために意図されています。
これらの実は

現在や未来の如何なる製造された薬よりも、

より強く効果的に、如何なる人間の身体の病気に対しても抵抗し中和する能力を持っているのです。



そして、アナスタシア流の種の撒き方というのが、
種を口の中に含み、栽培する物の情報を唾液を通して種に伝え、畑を足で踏みしめて、
種を太陽にかざしてから行うというもの。

ちょうど、秋冬用の玉ねぎの種まきをするところだったので、
子供達と一緒にやってみた。

撒く側の心もピースな気持ちになるし、
種とも、心を通わせられた気持ちになった。
種も、水土光、子供達も、自分自身も、すごく愛おしいなあーと感じた。
多分、こういう気持ちを幸せって呼ぶと思うんだ。


ただ、さっさっさっと事務作業のように種まきする感覚とは全然違う。
収穫するときも、全然違うと思う。
できることなら種も取りたいな、ってきっと思うと思う。


”自然の力を借りて、ありのまま育つ” って素敵なこと。
それが何世代も循環していくって素敵なこと。

私たち人間も、野菜も、動物も、生命は ”種”から生まれてくる。

だから、命の種は大事に扱うべし!!



かぼちゃを見ていて、そんなふうに思った夏のある日でした。









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