変わり者の数学学者が、ルート君と名付けた少年と、素数の神秘を通して心を通わせるというお話。
大好きな小説の一つです。
私は小学生の時、算数でつまづき、以後高校を卒業するまで数学が嫌いでした。
小学校の先生も、塾の先生も、丁寧に、寄り添って算数の解き方を教えてくれたけれど、
数字の美しさについては誰からも教えてもらったことはありませんでした。
息子をウォルドルフスクールから公立小学校に編入させて感じたことが、まさにこれ。
ウォルドルフスクールは、物事の”美しさ”を教えてくれる教育で、
公立は”やり方”を教えてくれる教育だなと思います。
去年、BC州の小学校は、学力よりも、子供が社会に出た時に”一人の人間として成功”することを目指したカリキュラムに変わりました。
大枠を理解したところ、ウォルドルフスクールが掲げている教育方針に寄ってきているようにも思えます。
でも、この2つの教育方針は似て非なるもので、知れば知るほど全然違うなと感じます。
シュタイナー教育と聞くと、時代に逆らうアナログな教育という印象があるかも知れませんが、実は、新鋭的な(100年前に提唱されたのに!)教育だなって感じます。
たとえば、ウォルドルフではGrade schoolを通して編み物を習いますが、手仕事やアート的なことのほか、数学的な意味も含んでいます。
目数を数える算数的なことはもちろん、それがコンピュータープログラミングのベース(Coding)に繋がっていくという発想は、いかにもウォルドルフらしい。
言われてみれば、模様編みのチャートって、プログラミングみたいですよね。
単純な規則の繰り返しと忍耐が一つの作品を生み出すというのは、
編み物の世界を超えて、あらゆる物事に繋がっていく発想です。
はあ〜〜、、、こうやって書けば書くほど、
3ブロックしか離れていないSquamish waldorf schoolが近くて遠く、
恋しいなあと思うことも度々。
ただ!
息子をウォルドルフスクールに通わせ続けた方がよかった、という風には感じてません。
息子は、運動が大好きなので、かけるなら運動方面にお金を使いたかったことも一つの理由でしたが、
本人にとっては、
公立学校の広い校庭や校舎で走り回れること、
いろんな子供がいること、
授業の中でチャレンジがあること(waldorfの教育はゆっくりなので、現代の子供にとって退屈と感じる子がいるのも事実)、
いろんな家庭方針や考えに触れたことは、大きな発見でした。
彼の小さな視野が、ググッと広がったのもよかった。
忙しいくらいイベントも盛りだくさんで、PTAの方達が子供のために頑張ってくれているんだなあと感動したり。
そんなわけで、本人は、公立学校の方が好きです。
私自身も、Waldorfに寄りすぎていた考えを、いい意味で洗ってもらえて肩の力が抜けました。新しい出会いもあり、結構楽しんでいます。
まあ、今の彼があるのも、生まれてから7年間Waldorf schoolでお世話になっていた間に、
温かくて柔らかい環境の中で、
小さな自我がのびのびと育ち、
無理をしなくても一緒にいれる友達と出会えたから。
そのおかげで、たくさんの刺激と誘惑のある新しい環境の中でも、
周りにさほど惑わされず、
”僕に必要なのは森と自然”
と言う子に育ちました。
物事の美しさを教えてくれる教育Waldorf School、
子供が小さいうち(PreschoolやKindergarten)は本当にオススメです。
経済的に可能な限り、娘にはWaldorf education継続していきたいので、
彼女の目を通して、Waldorf Grade Schoolの世界を一緒に探求していくのが楽しみです。
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