2012年11月29日木曜日

最近のタイヨウマン 3歳4ヶ月。

��歳4ヶ月になりました、タイヨウマンの最近のブームはピタゴラスイッチです。

わたくし、はじめて、太陽君におもちゃを買ってみました。

その名も クーゲルバーンというバームクーヘンみたいな名前でいつまでたっても絶対覚えられないドイツのおもちゃなのですが、日本だと”玉の道”とかっていうんでしょうか、ビー玉がコロコロレールの上をおりて、ドミノを倒したりする ピタゴラスイッチ入門編みたいなおもちゃです。

クリスマスプレゼントと思っていたのに、速攻見つけられ、「なんでもないから触るな!」と逆ギレしたものの、守りきれませんでした。クリスマスどうするかなー。

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太陽の方は、予想通りどハマりしてまして、毎日やってやってと誘われているので、つい面倒になってNHKのピタゴラスイッチをみせたのがはじまり。
ピタゴラスイッチ狂になってます。
しかし、ボールが走る様を見ていると爽快な気持ちになりますね~。なんなんでしょう、この爽快感は!

さて、ピタゴラスイッチをみたあと、太陽なりに工夫をしてまたモクモクと遊びだします。
できれば、ビデオなどみずに、自分でひらめいて作ってほしいと思ったりもするけど、あまり高望みするのはやめておこう。
それで、誰かくるたび、このおもちゃで遊んでもらってるのですが、面白いことに人によって組み立て方のテイストが違うんですよね~。
おお、そうくるか!と私も感心したりして。で、結構大人もはまります。
太陽も結構工夫できるようになってきて、3歳の脳みそってあなどれない!とこちらも感心します。

いろいろとためになりそうなので、工夫して、息長く遊んでくれたらいいなあ~。

もうひとつ、このおもちゃについてきたパンフレットも肌身離さず大切にしています。
パンフレットの後ろにたくさんのパーツが紹介されているのですが、それを喰いるように見つめながら言います。

「これ、ジングルベルに、じいちゃんに買ってもらったらいいよねえ~ どれにしよっかぁ~」

息子は、健全に、現実的に、成長しています。

意味ないアップですいません。懲りずにこんどは娘編を書いてみようと思います。

2012年11月27日火曜日

エネルギーの余韻

よい人にバッタリ会った。
もう会えないとおもっていたのに、まさか会えるなんて!というサプライズだった。

その人に会うだけで、いい気持ちになれる。元気が出る。落ち着く。迷いが晴れる。
その人の美しいエネルギーの余韻がしばらくのあいだ心を温めてくれる。

これまでのあいだ、何人かそういう人に巡りあってきた。
内面の美しさを理解するのに、言葉はいらない。
ハグで十分だと、出会うたびに思う。

そして、わたしの内側をあかるく照らしてくれる。
その灯りの中で、いいことを考えているあいだに、またいい出来事が引き寄ってくる。
いいアイディアが浮かぶ。

エネルギーは連鎖する。

そんなことを思ったここ数日でした。

2012年11月25日日曜日

こどもの教育 4 ~”世界一素敵な学校”を読みました~

サドベリー・バレースクールについて書かれている世界一素敵な学校を読みました。

サドベリー・バレースクールとは、アメリカにある”フリースクール”や”デモクラシースクール”と呼ばれる学校で、詳しくはググってもらった方が早いんですが、簡単にいうと”生徒(5歳ー18歳)に完全なる自由が与えられていて、それゆえ学校の運営も生徒が話し合って決める”という学校です。

学校に行って何をするのも子供の自由。カリキュラムはもちろんない。

本の中の逸話(?)に、ダンという少年は、数年間、学校に来ては朝から夕方まで一年中釣りをしてたそうです。逆にいえば、釣り以外は何もしない。
さすがに心配になったダンの父親が学校に相談にくると、スタッフはこう告げます。

”ダンは誰よりも魚に詳しいのです。それ以外にも、ひとつのことを投げ出さずにやりつづけること、自分が興味のあることを思う存分追い求めることができる自由の大切さを学んでいます”

これを読んでいて、究極だなあ~ と思いました。
一般的には18歳で、進学か就職かはたまた放浪か選択を迫られるのだけど、18の時点で自分の道を見据えている人は多くないですよね。
自分が何が好きか、まだ模索している、模索しはじめたばかりかと思います。

その点、サドベリー・バレースクールの子供達は、学校生活のなかで”自由”の素晴らしさと、自由ゆえの苦痛を思う存分体験しているので、18歳になるころには”自分が何をしたいか”を分かっている子が多いそうです。

究極だなあ~~~!

この学校が上手く運営されるには、人間味と知性のあるスタッフが鍵という感じがします。

自分の子供を送れるかなあ、どうかなあというと、YES!と即答できないけど、理念は筋が通っていて素晴らしいなあと思います。

そうそう、自分が入れたいかどうか、というのも大事かもしれないけど、こうしていろんな考えをしることで、”当たり前ってなに?”って考えるよい機会になります。
子供への接し方を見直すきっかけになります。

そういう意味でも、これからもいろいろリサーチしてゆきます。

2012年11月13日火曜日

とりもどす

わたしはすでに 必要なものを持っています。
        必要なものは与えられています。
        答えを知っています。
        光輝いています。
        太陽と月の光で わたしと私以外の人たちの光で

        闇は光を知るための導き

        大地との繋がりは 木の根のように深く深く
        天との繋がりは  螺旋を描きながら、強くまっすぐに
  
        私はすべて 持っています。
        私が今 もっているものは、
        それらを使い、受け入れ、
        手放すことを知るために必要なものです。

        エゴではなく 愛を
        暴力ではなく 知恵を
        文句ではなく ありがとうを
 
        海のように、空のように、大地のように 
        広い心を持っていることを、思い出せますように。

2008年の日記より。

2012年11月4日日曜日

シャボン玉のように

日本からカナダに戻りました。

わたしと子供達は、朝4時に眠り、午後1時に起きるような、ひどい時差ぼけ。

もうあとも数日すれば、この時差ぼけも治り、それとともに、日本にいたという実感が遠のいていくようで、なんとなく惰性で過ごしている。

今回の日本滞在は”The 家族”だった。

数年前までは、帰国といえば自分と親だけの関係で、家にいるのなんて数日で興味の赴くままに飛び回っていたけど、
今回はわたしを間に挟んで孫とじいちゃん・ばあちゃんという繋がりが生まれている。
生まれて初めて、”先祖からの繋がりを引き継いでいる”という実感を持った。

今回は、ゆうじの亡くなったおじいちゃんの法事と、わたしの亡くなった父のお墓参りに帰ってきたようなもので、そう思うと、こうして家族と再会できたのは、故人からのプレゼントだったように思う。

ひとつひとつの情景がスライドショーのように蘇る。

折りたたみ傘を嬉しそうにさして、ばあちゃんと雨のなかを歩く太陽
アコガレの電車に乗って、窓に張り付いて外を見る 太陽
花柄のゆかたをはしょって、テケテケあるく るな
じいちゃんのことが大好きな にこにこ るな

鮮明だった情景も、やがて、シャボン玉のようにはじけて消えていく。
時差ぼけが治っていくのとともに。

生きてりゃひとつの家族の中で 良くも悪くもいろんなことがある。
東京は相変わらず忙しい街で、目が回って倒れそうになる。

でもそこに、私のルーツがあり、家族が居て、今日も同じ地球の今を生きている。
宇宙の壮大な仕組みに想いを馳せる時のような、静かな感動。

カナダに帰ってきて、静かな雨音のなかでゆっくり呼吸をする。
また次にみんなに会える日まで、わたしはわたしの”今”をいっぱい生きていく
結局はそこにたどり着く
そのうち重くなっている腰をあげて冬に向かって心の準備をしていこうと思う