午前0時をまわったころ、わたしは足りない頭で慣れない事を、不慣れな英語でがんばって消化し、伝えようと奮闘していた。
TPPの参加の是非を皮切りに、「フリートレードとは」「資本主義と民主主義」「Occupy activity」「良い意味での競争」「良い意味でのトレード社会」と話がどんどん広がっていった。
その中で、カナディアンの友人の言葉が耳に残った。
「今の世の中はNanny Stateなんだ。」
Nannyとは、乳母さんという意味。
「Nanny State」とはつまり、乳母さんになんでもやってもらうように、「人々が政府に依存しすぎている状態であり、また政府も過保護になりすぎている」ということらしい。
彼の考えを要約すると、「政府」という機関は「生産」するところではなく、人々が生み出したお金を集めて、それをゆくべきところへ分配していく役割にすぎない。
産み出す能力がないのに人々は政府に守ってもらおうという意識が強すぎ、また政府も介入しすぎるから物事がスムースに進まず、介入があることで無用な規則が増え、”自由な活動”が妨げられ、物価の上昇がおこり、また”自由貿易”という名のもとで”パワートレード”が行われる原因をつくっている。
というようなことだった。(と思う)
わたしは、「Nanny State」と聞いて、どっちかというと依存してる人の在り方の方をイメージした。
無関心でいたのに、困ったらなんとかしてよっ!て、依存して文句が多くなってたような気がする。
依存がすぎると文句と愚痴が多くなって、結局その文句はそのまま自分に戻ってくることになる。
最近の日本みていて、メディアや国に頼ってないで自立、自律して、自分を信じなきゃって思った。
自分を信じるってのは、裏を返せば誰のせいにもできない。
容易じゃないけど、そっちの方が楽だな。これは、”楽しい”の”楽”
そのために勉強したり知恵をつけたり 努力がいるけど。
わたしの行き着く先は、自給自足とまではいかなくとも、でっかいものにがっつり寄りかかってないで、2本の足でしっかり大地を踏みしめる。(そのためにヨガやってるんだな、きっと。)
大きなものに頼らずともある程度生きていけるような暮らし。
究極は、誰かのせいにしない。そんなところ目指していきたい。
自立といっても、なんでも一人でやるってことではなく(それは下手するとエゴになる)、むしろ身近な人たちと協力しあって生きていく ってことが必要不可欠なんだと思った。
それはつまり、コミュニティーであり、昔のライフスタイルってことなのかな。
そこに高い意識をもって今の世の良さを融合していったらいいものができると思うのだけど。
もちろん、それでも困ったら助けてね、税金払ってるからさ よろしく!とは思ってるけど。
Nanny State な看板
政府じゃないけど、本の後ろによく「紙で手を切る事がありますのでご注意ください」なんて書いてありますね。んなこといちいち言わなくてもいいよー!
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