思えばしょっちゅう口ずさんでいたけど、なんの歌かわからなかった。
Youtubeで探して、ああ、この曲!とすぐにわかった。
改めて歌詞も含めて聞いてたら鳥肌立ってしまった。
Ruth B - LOST BOY
"一人ぼっちで遊び相手もいなかった。
月は友達だったけど、たまに姿を隠してしまう。
ある夜ピーターパンという名前の子が現れて言った。
ずっと一緒に遊ぼう。もう一人ぼっちじゃないよ。
ずっと一緒に遊ぼう。もう一人ぼっちじゃないよ。
それからネバーランドで迷子になっても、僕にはピーターパンがいた。
退屈になったら森で遊んで、キャプテンフックから逃げるんだ。"
この曲聴いた時、私にもピーターパンがいたなーと、ふと思い出した。
私は一人っ子で、親が仕事で忙しかったので、
学校から帰るとほとんど一人で過ごしていた。
学校から帰るとほとんど一人で過ごしていた。
特に夏休みなんて、究極に退屈だった。
駅の近くのガードレールに座って、カンカン鳴る踏切の音を数えたり、
自転車で電車と競争したり、
近所を歩き回って頭の中で地図を作り上げたり
自転車で電車と競争したり、
近所を歩き回って頭の中で地図を作り上げたり
公衆電話から、いるはずのない姉に電話をかけたり、
昔はいまと違って、子供がそこらへんフラフラしていても浮かない時代だったから、
文字通りひとりでフラフラしていた。
私世代の人は、似たような経験してるんじゃないかな?
私世代の人は、似たような経験してるんじゃないかな?
あまりに退屈な上に、家庭が家庭として機能してなかったので、
私は孤独で、心の拠り所がなかったのだろう。
私は孤独で、心の拠り所がなかったのだろう。
あるとき、自分の心の中に、別の人物を発見して、
心の中で、その人と心の中で会話をして遊ぶようになった。
”ねえ、”と問いかけると、”なあに”と答えてくれたのだ。
今思えば、それは、紛れもない私自身なのだけど、
実年齢の私より大人びていて、自信があってよく物事をわかっている風であったから、
私は、この声を心の拠り所にしていた。
私が育ったのは商店街だったはずだけど、この声と遊んでいる時は、
森の中で遊んでいるような安らぎがあった。
森の中で遊んでいるような安らぎがあった。
想像の中では、私たちは自由だった。
嫌なことや寂しさを紛らわせてれた。
もしかしたら、その人物は、未来から来た私だったのかもしれないし、守護霊だったのかもしれないし、多重人格の1人であったのかもしれない。
それか、本物のピータパンだったのかな。
大人になった今、あのピータパンにはもう会えない。
今の子供たちは忙しい。
退屈はイマジネーションを育てるから大切です。
と言われて久しいけど、これだけ退屈しないようにあらゆる物が用意されている現代で
子供を退屈にさせることの方が難しいかもしれない。
親だって、昔に比べたらかなりかまってくれる時代だし。
でも、本当に、退屈になったら、きっとピータパンは現れる。
親だって、昔に比べたらかなりかまってくれる時代だし。
でも、本当に、退屈になったら、きっとピータパンは現れる。
孤独で一人ぼっちで辛いときには、きっと助けてくれる。
たとえひとときの気休めでも。
ピータパンは、子供時代のノスタルジーや子供心の象徴である一方で、
孤独とか苦境に立たされている子供たちの心の中に、
安らぎをくれる存在でもあったんだな、
孤独とか苦境に立たされている子供たちの心の中に、
安らぎをくれる存在でもあったんだな、
そんなことを思い出した曲でした。
ああ、心に染み入るわ。皆さんもぜひ聴いてみてね。
ああ、心に染み入るわ。皆さんもぜひ聴いてみてね。