2018年3月12日月曜日

産まれた!

私が結婚する前からの友達。

誰からも好かれてて、

人に合わせることができて、
いつもたくさん与えてくれて、
遊ぶときには欠かせない、数少ない大事な友達。

太陽が生まれた時から、そばにいてくれた。


幼児を抱えて夫婦で乗り切るしかない2人目の出産の時も、彼女は快く、「手伝うからね!」と言ってくれた。

実際、陣痛が始まったら、ウィスラーからすぐに駆けつけてくれて、大泣きして私から離れようとしない太陽の面倒を見てくれた。
へその緒が繋がったままのルナを見たのも彼女ぐらいしかいない。
彼女にとってもそんな産まれたての人間を見たのも初めてだったと思う。

それから、私の怒涛の幼児子育てが始まった。

今まで遊んでいた時とは流れも違って、自分と子供のことでいっぱいいっぱいで、
気も回らず、人として足りてないこともたくさんあったと思う。

でも、そんな私の状況を思い計って、

うちに来た時は、洗濯物を一緒に畳んでくれて、子供を散歩に連れて行ってくれて、ご飯の準備や後片付けの手伝いをしてくれたりした。

お互い話し相手になって、聞いたり、聞いてもらったり。

大事な友達。

そんな彼女が妊娠したと打ち明けてくれたのは、

夏にブラッコムトレイルを一緒に歩いている時だった。

小さくて美しい高山植物が満開で、反対側にブラックタスクが見えて、、、。
たくさんの思い出が詰まった山の上。
感慨深かったなあーーー。

それから10ヶ月、ついに赤ちゃんが産まれた。


自分でも「泣けよ!」って思うほど、ここぞという場面で涙が出ない私だけど、

彼女のお腹に入っていた、小さな小さな赤ちゃんを見た時、この私でも涙が出た。
無事に生まれてよかったあって。

私たち夫婦は、カナダに家族はいない。
だから、いざという時に頼るのは友達しかいない。

他人だった人が、カナダという土地を通して友達になり、

ビザや永住権やらを乗り越えて
この土地で暮らし、5年10年と時を経て紡いだ関係は、
限りなく「家族」に近いと感じる。

だから、余計に、嬉しかったよ。



さて、



なみちゃん


出産本当におめでとう!


これから、幸せなこと、大変なこと、一緒におとずれると思うけど、


どんなことあってもサポートするぜっ!


って、同じようなこと思っているたくさんの顔が浮かぶ笑


そういう風に、たくさんの人に愛されているあなたが、私の大事な友人であることも誇りに思うよ。



あーー、叔母の気分だよ。

誰かの幸せを、自分の幸せに感じられるという、幸せ。
そういう存在でいてくれること。
ありがたい。


数は多くないけど、ありがたいことに、私にはなみちゃんみたいな友人が何人かいる。

こんな風に、誰かと繋がっていけていることは、来世まで持っていける宝物だと思う。
いつも、ありがとうね。

2018年3月5日月曜日

ピアノレッスン

物心がついた頃からピアノを弾いていた。

ピアノを弾いていると無になれた。

初めは何度も練習して指と頭で曲を覚える。
楽譜を見なくても弾けるようになった頃から、
音に心をのせていく。
何も考えないでただただ、心をのせてピアノを弾く。
そういう感覚が好きだった。

実家にあったピアノは、10年以上調律されていないアップライトピアノだった。
全体的に音がずれていて、中でも「ラ」の音が思いっきし狂っていた。
もし過去に戻れるなら、ピアノの調律だけはやるべきだったと心から思うけど、
そんなことに関係なく、ただただピアノに向き合っているのが好きだった。

家がゴタゴタした時も、
友達関係がうまくいかなかった時も、
わたしにはピアノがあった。

ピアノを弾いているときは心を空っぽにして全てをリセットできた。
もしかしたら、1番の友達、だったのかもしれない。

だから、子供ができたとき、楽器を弾くことの楽しさをどうにか伝えたい。
これが、育児でどうしてもやりたいことの一つだった。

ラッキーなことに、ピアノは娘の好みにハマり、
調律しなくても音が狂うことがないデジタルピアノを、
毎日楽しそうに叩いている。よかった。

これは最近の傾向なのか、そういうスタイルなのか、わからないのだけど、
娘が行っているグループピアノレッスンでは、
テクニックを教えるだけじゃなくて
先生が情緒豊かにピアノを弾き、特には歌を歌い、
その周りで子供達が、音の起伏や表現に合わせて踊ったりもしている。

「音には魂があるんだよ。」

と、感覚的に教えてくれているように思う。

この間は、先生が、美しい雰囲気の伴奏を弾き、
子供が伴奏に合わせて、高めの鍵盤を適当に弾くという、Duo演奏をしていた。
どんなキーを叩いても、素敵な曲になるようになっているのだけど、
子供によっては、自信がなさそうに恐る恐る弾く子もいれば、
はっきりと意志を持って、鍵盤を叩く子もいる。

娘の番が来た。
娘は、ただ自由に、伴奏に合わせて鍵盤を弾いているように見えて、
「ゾーン」に入っているみたいだった。

「ゾーン」に入っている彼女のつむぐ音色は、
親バカ目を引いても美しくて、思わず聞きいってしまう。

「音は美しいんだよ。」

聴いている人たち誰もが、感じていたと思う。

娘の演奏が終わったとき、一人の女の子が、

「Wow Luna, you made me cry!」といった。


技術的なことは、大きくなるにつれて覚えればいい。

それよりも、
音が、心に響いていく感覚、
時に体が勝手に揺れてしまうような、揺さぶられるような感覚、
そういうのを小さいうちに養うことができたら、
きっと、これから一生かけて、音を愛する人に育ってくれるような気がする。

いい先生に巡り会えてよかったな。
これからも、ずっと弾いてくれたらいいな!