2014年12月21日日曜日

サンタクロースのプレゼント ーサンタは欲しい物をくれる人?ー

まもなくクリスマスです。

街も住宅街もクリスマス一色。
ウィスラーもやっとまとまった雪が降って、より”クリスマスらしく”なってきました。

Squamishの郵便局では、この時期、”サンタクロース行きのポスト”が設置され、多分郵便局員の人達が書いてくれてると思うんだけど、ちゃんとお返事がくるのです。

うちの子供達も、サンタさんにお手紙かこう!と大張り切り。
ちゃんとサンタさんに伝わるように、欲しい物を絵付きで詳しく書いて、ルンルン気分で投函してました。

でもね、サンタさんって欲しい物をくれる人なのかな?
わざわざトナカイにのって、モールで売ってるおもちゃをくれるの?
望めば欲しい物をもらえるっていうのは誕生日でいいんじゃないかな?

って疑問がわいてきてしまって。

こちらの古いしきたりでは、サンタクロースは小人達と一緒に、世界中の子供達のために、とんかんとんかん、おもちゃを作り、クリスマスの夜にキャンディーやチョコレートと一緒に届けてくれることになっています。
サンタからのプレゼントは、ぬいぐるみだったり、小人が作ったシンプルなおもちゃだったり、編み物だったり、身の回りのわりと素朴な物。

現代で、そういう素朴な物をあげつづけるのは確かに無理があるかなと思うけれど、かといって、それなりの物をあげても、喜びはひとときで、数ヶ月すれば忘れてしまう。
自分の記憶を振り返ってみても、”サンタクロースが来た!”という喜びは覚えているけれど、何をもらったかは全く覚えてない。

なんかの記事で読んだけれど、サンタクロースがXboxを届けてくれた一方で、ミトンとニット帽しかもらえなかった子供が同じクラスにいて、子供がサンタクロースの不平等さを嘆いているそうだ。
どうやって埋めたらいいんだろうね、この心の溝。
どっちの子供もギフトを楽しみに、いい子にしているだろうにね。
私にはいい言葉がみつからない。

去年までは、うちの子供達もサンタクロースのギフトが素朴なものでも、すんなり受け入れていたんだけど(おじいちゃん、おばあちゃんに他にプレゼントをもらえたおかげもあって)、今年のプレゼントはサンタクロースからだけなので、いままでとはワケが違う。

夫婦で話した結果、 欲しいものが届かなかったら落胆するのは目に見えてるけれど、だとしても素朴路線でいこうということになった。
サンタさんは、その子にあったものを贈ってくれる人でいてもらおう。
欲しい”物”は、親ができるときに、よいと思えるタイミングで贈ってあげたらいいかなと。

本来、サンタクロースのギフトって、魔法にかかったような素敵なひととき。
さて、どうやったら、今年も魔法をかけてあげれるか。
サンタさんからのお手紙を工夫してみるか。

子供がいつか振り返ったときに、魔法にかかっていた自分を、愛おしく思ってくれたらいいな。

2014年12月1日月曜日

Advent Garden

Waldorf SchoolでAdvent Gardenという イベントがありました。

アドベントガーデンとは、Waldorf Educationの冬の行事のひとつです。
暗くした部屋に、松の葉でスパイラル状の道をつくります。
そのスパイラルの中心には、火のついたキャンドルが置かれています。

子供達は、りんごキャンドル(りんごにさしたキャンドル)を手に、
そのスパイラルを歩き、中心でりんごキャンドルに火を灯し、
歩いてきたスパイラルのどこかに、そのキャンドルを置きます。

子供の数だけキャンドルが灯され、スパイラルがやさしく浮かび上がってきます。

Advent Garden。

これは、長い冬の闇を迎えるにあたって、”闇の中で心にあかりを灯す”という、
闇を迎える作業なのだそうです。

スパイラルは、心の奥への道。

子供達がスパイラルの中心近くに、りんごキャンドルを置いていくたび、
わたしのこころの奥、深いところに、ぽっと明里が灯る気がしました。

ギターの音色がかすかに響く部屋に、ゆっくりとした時間が流れ、
わたしは、子供がキャンドルをひとつ、またひとつ置いていくのをぼんやりと眺める。
キャンドルの灯りには、心を穏やかにし、頭を空っぽにしてくれる。

一番最後に、9さいくらいの女の子が、りんごキャンドルに火を灯しました。
彼女は、少しだけ迷った後、”決めた”という足取りで、スパイラルの中心から外側に向かって歩き出しました。

彼女は、スパイラルの入り口まで戻ると、りんごキャンドルをそっと置きました。

”心の奥への入り口はこちらです”

わたしには、彼女が明確な意図をもって、そこに置いたようにみえました。

長い冬。心は温かくして参りましょう。