太陽が、公園であった4歳の男の子と遊んでいた。
気があったみたいで、ワーキャーいいながら追っかけっこしていた。よき光景。いいね。
虫をみたいから石をひっくりかえすのを手伝ってほしいといわれ近づくと、
その男の子が、”Bad boys ごっこしようぜ”と、太陽に枝をわたし、自分の枝とバシバシやりはじめた。
それをみてて”ん?”と思っていたら、その子がルナにむかって”You go to jail!”といって枝でルナを指した。
そのあとも、”太陽はJailに入って!”とか言って遊んでる。
太陽は英語がわからないので、幸いなことに何の遊びをしてるのか分かってない。
この子は何に影響されてそんな遊びをしたくなったのかな?
なんか、切ないようなイケナイよと言っていいものか、わるいものか 複雑な気持ちになった。
それでも、2人で遊んでいるときの笑顔はキラキラしててかわいかったしね。
このあいだも、キックボードに乗った男の子が、道路におちている空き缶をキックボードで何度も踏みつけながら、”Die Die Die!"と叫んでいた。
ビデオゲーム? TV? ふつうのこと?
これには胸が痛くなりすぎた。
太陽はまだ無邪気な世界の住人で、家の中で歩いているアリをみつけては、”太陽が外にだしてあげるからね”といって捕まえては外に逃がしたり、お花をそっと摘んできたり、
道路におちているゴミをひろって家にもってかえって捨てたりする純粋さを持っている。
でも、この世の中は、そういう純粋が失われてゆくようにできてるんだよね。
守ろうと思っても、学校に行きはじめたらいつまでも守りきれるものでもないだろうし、守りすぎるのも現実的じゃないのかもしれない。
反抗期とか、周りの影響とか、もちろん仕方がないと思うのだけど、今太陽が持っている世界観が崩れてゆくのを見るのは、しんどいだろうなぁ。。。。
幸い、よく遊ぶ近所の5歳の子は、純粋な子達なのでなんの心配もないのだけど。。
今日みたいなシチュエーションで、それぞれの子どもの持つ世界観のギャップをどう埋めて、どう関わってゆけばいいのか、答えがでない一日でした。
こういうとき、どうしたらいいの?
森と海と空がまじるOutdoor Capital of BC, Squamishから発信! Universe + Earth = Uniearth ここで出会った色イロ紡いでいきます。
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- 4月 2013
2013年4月12日金曜日
2013年4月8日月曜日
東京ブルー
わたしは東京・世田谷の下高井戸という街で生まれ育った。
高校は、渋谷と恵比寿と代官山のまんなかにあって、制服もなければルールも特にない、とても自由な学校だった。
毎日、痴漢が多いと言われる井の頭線(なのに一度も遭ったことがない)で渋谷まで通い、個性的な人たちに囲まれて過ごした3年間だった。
在学中も、卒業してからも昼も夜も渋谷や新宿が遊び場だった。
エンジョコウサイとかふっかけてくるオジサンもいたし、変な勧誘されることは日常茶飯事だったけど、そういうリアルにダークなこととは無縁で、毎日シゲキテキでたのしい時代だった。
だけれども、同時に東京を嫌う自分もいた。
高校を卒業するころ、東京を、日本を出たいという想いが強くなり、実際、20代前半は海のむこうにいくために時間もお金も費やした。
東京が好きじゃなかった理由。
たとえば山手線のホーム。
ひっきりなしやってくる電車と溢れかえる人の波でぼんやりと立ち止まってしまったとき。
満員電車で揺られる朝。
ひとつの箱に何十世帯が住む巨大な団地に正面きって向かい合ったとき。
そういうとき、たびたび、巨大なものに圧倒され、どうしようもない無力さに打ちのめされて、たいせつなことや、わたし自身が埋もれてしまいそうになる。
なんとか必死で”わたしはここにいる!”と叫ぶのだけど、誰にもその声は届かない。
というか、誰にもその声は必要とされていない。自分は、1億分の1でしかない。
東京には、人の数だけ、そういう孤独さがある。
やがて、自分をごまかすこともできるようになる。妙に器用になっていく。
緑とか、風とか、田んぼとか、土とか、山とかそういうものに憧れた。
無意識的に、もっと呼吸がしたくて、自分を大事にしたくて、自然を欲するようになっていたのだと思う。
そして、カナダにたどり着いた。
カナダと日本を行き来すようになって、5年が過ぎた頃。
東京に帰るたび、ネオンの明るさや忙しさに目眩がした。
わたしの母も、祖父母も東京の人なので、わたしには”故郷”という響きからイメージするような場所がない。故郷がある人がうらやましかった。
さらに5年が過ぎたころ。
不思議なことに、東京の忙しさや、独特の雰囲気を、懐かしいと思う様になった。
もし1人の時間があったら、どこそこに行ってこんなことをしたいなとか、昔行ったお店まだあるか確かめてみたいと思うようになった。
どこにいくにも、誰かと繋がるにも時間がかかるけど、そういうことにイライラしなくなった。
今でも巨大なものに打ちのめされそうになるし、真髄にたどり着くのは簡単じゃない。
だからといってそれを不安に感じなくなった。
そして、若かったあの頃に、今の自分を重ねてみたいと思う様になった。
そして、今では、たまたま見たドラマで私が暮らしていた町が出ていたのをみて、懐かしくて泣きそうになってしまった。
わたしは、どうやら東京を愛しはじめているらしい。
わたしの、故郷として。
次に帰国したときは、行ってみたいところがたくさんある。
今度は、もっとあの街を愛せるようになるのかもしれない。
自分のルーツを愛せるようになったら、もっと自分を愛せるんだとおもう。
そんな自分が楽しみでもある。
年を重ねるっておもしろい。
どうやらわたしの人生も中盤に入ったのだと思う。
人生の深みみたいなものが、すこし分かりはじめてきたような気がする。
高校は、渋谷と恵比寿と代官山のまんなかにあって、制服もなければルールも特にない、とても自由な学校だった。
毎日、痴漢が多いと言われる井の頭線(なのに一度も遭ったことがない)で渋谷まで通い、個性的な人たちに囲まれて過ごした3年間だった。
在学中も、卒業してからも昼も夜も渋谷や新宿が遊び場だった。
エンジョコウサイとかふっかけてくるオジサンもいたし、変な勧誘されることは日常茶飯事だったけど、そういうリアルにダークなこととは無縁で、毎日シゲキテキでたのしい時代だった。
だけれども、同時に東京を嫌う自分もいた。
高校を卒業するころ、東京を、日本を出たいという想いが強くなり、実際、20代前半は海のむこうにいくために時間もお金も費やした。
東京が好きじゃなかった理由。
たとえば山手線のホーム。
ひっきりなしやってくる電車と溢れかえる人の波でぼんやりと立ち止まってしまったとき。
満員電車で揺られる朝。
ひとつの箱に何十世帯が住む巨大な団地に正面きって向かい合ったとき。
そういうとき、たびたび、巨大なものに圧倒され、どうしようもない無力さに打ちのめされて、たいせつなことや、わたし自身が埋もれてしまいそうになる。
なんとか必死で”わたしはここにいる!”と叫ぶのだけど、誰にもその声は届かない。
というか、誰にもその声は必要とされていない。自分は、1億分の1でしかない。
東京には、人の数だけ、そういう孤独さがある。
やがて、自分をごまかすこともできるようになる。妙に器用になっていく。
緑とか、風とか、田んぼとか、土とか、山とかそういうものに憧れた。
無意識的に、もっと呼吸がしたくて、自分を大事にしたくて、自然を欲するようになっていたのだと思う。
そして、カナダにたどり着いた。
カナダと日本を行き来すようになって、5年が過ぎた頃。
東京に帰るたび、ネオンの明るさや忙しさに目眩がした。
わたしの母も、祖父母も東京の人なので、わたしには”故郷”という響きからイメージするような場所がない。故郷がある人がうらやましかった。
さらに5年が過ぎたころ。
不思議なことに、東京の忙しさや、独特の雰囲気を、懐かしいと思う様になった。
もし1人の時間があったら、どこそこに行ってこんなことをしたいなとか、昔行ったお店まだあるか確かめてみたいと思うようになった。
どこにいくにも、誰かと繋がるにも時間がかかるけど、そういうことにイライラしなくなった。
今でも巨大なものに打ちのめされそうになるし、真髄にたどり着くのは簡単じゃない。
だからといってそれを不安に感じなくなった。
そして、若かったあの頃に、今の自分を重ねてみたいと思う様になった。
そして、今では、たまたま見たドラマで私が暮らしていた町が出ていたのをみて、懐かしくて泣きそうになってしまった。
わたしは、どうやら東京を愛しはじめているらしい。
わたしの、故郷として。
次に帰国したときは、行ってみたいところがたくさんある。
今度は、もっとあの街を愛せるようになるのかもしれない。
自分のルーツを愛せるようになったら、もっと自分を愛せるんだとおもう。
そんな自分が楽しみでもある。
年を重ねるっておもしろい。
どうやらわたしの人生も中盤に入ったのだと思う。
人生の深みみたいなものが、すこし分かりはじめてきたような気がする。
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